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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
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赤麗姫

 幌馬車ほろばしゃを引っ張るバイコーンが、ゆっくりと前を横切っていく。

 御者ぎょしゃも馬も、その後から次々と歩いて来る人々も、少女にチラリと一瞥いちべつをくれることはあっても、足を止めることはしなかった。

 アリーシャのバザールは、右を向いても左を向いても人の群れ――――その流れを横断しようとしてはタイミングを見失い、赤麗姫はホテルの前で早くも立ち往生していた。

「姫」

 声を掛けられて振り向くと、アイリスとタイガが宿から出てくるところだった。

「休んでなきゃダメよ。砂塵性肺炎は安静にしてるのが一番いいんだから」

 たしなめるように言ったアイリスを前にして、赤麗姫は下を向いた。

「あなたの恋人は私たちも探してあげるわ。でも、いまは休んで。あなたが倒れちゃったら彼もきっと悲しむわよ」

「大丈夫……もう元気になったから」

 そう返した声は、語尾に向かって消えゆくように小さくなった。

 ふと、足元で何かの影が行ったり来たりしているのに気がついて、赤麗姫は赤い空を見上げた。

「空に綺麗な魚がいる」

 アイリスとタイガも姫に続いて顔を上げた。

 上空では金色の体に黒い斑点を持つ大ぶりな魚が二匹、互いの尾を追うように円を描いていた。

「あれはこいって言って……」

 アイリスは説明しかけて口を閉じた。

「三千年も生きてるんだから知ってるよね……」

 そう言って苦笑したが、姫は意外にも首を振った。

「ずっと昔に見たことがあるけど、そんな名前があるんだ……」

 まったく嘘を吐いていない、純真無垢な少女の瞳だった。

「あんなに大きいのに、みんな捕まえて食べたりしないの?」

「食べちゃダメよ。野性の鯉はなんでも食べるから、寄生虫や毒を溜め込んでるわ」

 アイリスは頭ひとつ小さな少女に笑いかけた。

「それに砂漠を飛んでいる魚は、普通なら無毒なやつでも毒を持ってたりするの。味も塩辛くて食べられないのが多いって言うわね」

「そうなんだ……あんなに綺麗なのに……」

 姫はよほど気になるのか、ずっと鯉を眺めている。

 その顔が僅かに血色が良くなっているのを見て、アイリスは内心で胸を撫でおろしていた。

「ところで、人前ではあなたのことなんて呼ぼうか」

「普通に呼んじゃ駄目なの?」

「駄目よ。私たち以外に自分が赤麗姫だなんて言ったら、どんな騒ぎになるかわからないわ」

 アイリスは声を潜めた。

 ただでさえ、この少女は人目を惹きやすい容姿をしている。

 一人で立たせておくだけで、女子供を食い物にする輩が五分と待たずに寄って来るだろう。

「じゃあ、ミスティで」

 アイリスは少し考えてそう言った。

「ミスティ?」

「私の妹の名前よ」

「そのミスティは……私に似てるの?」

「似てないわね。あなたみたいに良い子じゃないわ」

 そう言って笑ったアイリスに姫も打ち解けたような笑みを返し、自然と手を握り合った二人は宿に一番近い場所で開いている店に近づいた。

 マスクとゴーグルを付けた中年男性が、大きなガラスの箱の前でなにか行っている。

 その箱には腕を入れるための穴が両側に空いており、中では石のミルでなにかを粉砕しているようだ。

「これはなぁに?」

「これはね、セルシウス・ブレスって言う赤茄子あかなすの仲間よ。セルシウスってわかる?」

 姫は首を振った。

「大陸の真ん中の火山地帯に住む火竜よ。もの凄く凶暴で、誰も縄張りには近づけないの」

 赤麗姫は興味深そうな顔で、黙って聞いていた。

「セルシウス・ブレスはね、食べるとその竜みたいに火を噴く、ってくらいにもの凄く辛いのよ。触るだけでも危険だから収穫の時も皮の手袋が絶対必要だし、目に入ると失明しちゃうから、粉にする時もああやって体に付かないようにするの」

 赤麗姫はそれを聞いて、ガラスの箱から一歩下がった。

 職人は二人を気にも留めないのか、それとも作業に集中しているのか、粉が舞わないようにゆっくりと回る石のすりこぎ棒のペースは測っているかのように一定だった。

「私が子供の頃ね、近所の子が小瓶に入ったセルシウス・ブレスの粉を持ってきてね、皆で舐めてみようって言いだしたの。それで、言い出しっぺのその子が初めに舐めたんだけどね……」

 アイリスは昔話を始めた。

 セルシウス・ブレスは命も奪える危険物なためか、その瓶は非常に頑丈だった。

 出口も極端に小さく、逆さにして振ってもほんの数粒のちりくらいの量しか出て来なかった。

 そう、舐めたのは本当にその程度の量だったのだ。

「その子、ものすごく咳き込んだかと思ったら、口を開けっぱなしにしてよだれも涙も鼻水も止まらなくなっちゃってさ。初めは私たちも笑ってたけど、ずっと苦しんでるからそのうち不安になってね。大人を呼んだんだけど、みんな一緒にものすごく叱られたわ。少なくとも私はなんにもしてないのに」

 赤麗姫はコロコロと笑った。

 伝承に聞く猟奇的な雰囲気からはかけ離れた、邪気のない笑顔だった。

「そう言えば、生活に必要な物はどこから買ってたの?」

「カボチャを頭に被った人が来て、リーバが買い物してた」

「……なるほど。ジャック・オー商会に全部任せてたのね」

 ジャック・オー商会は魔界中に流通網を持つ商店だ。

 契約には高い金がかかるが、魔法のランプを点けるだけで、彼らは荷馬車を引いてやって来る。

 それは、赤麗姫の城も例外ではないらしい。

 品揃えに関しても、金と時間さえあればだいたいの物は揃う。

 それだけ有能にもかかわらず、直売店は存在しないため、金持ちしか相手にしない高級訪問販売だと勘違いされているふしがあるが、実際はどこの土地でも土着の商人たちに目のかたきにされ、店を開けないという事情があるらしい。

 ――――でも、本当に三千年も閉じ籠っていたのかしら。

 アイリスはバザーの全てを物珍し気に覗き込む背中を眺めて考えた。

 伝説では、恋人を手に入れた赤麗姫は二度と暴れることは無かったとなっている。

 それでも、たまには外に出ようと思わなかったのだろうか。

 元気を取り戻したらしい赤麗姫は、小さな人だかりを見つけてひょこひょことした足取りで近づいた。

 アイリスとタイガは、見失わないように後をついて行く。

 人々の囲みの中では、茣蓙ござの上に座った白髭の老人が瓢箪ひょうたん笛を吹いていた。

 そのリズムに合わせて、目の前の壺から立ち上がった大きな蛇が躍るように体を揺らしている。

 南方名物の蛇使いだ。

 彼等は観光客に対して見世物を行い小金を得ているが、中には暗殺者としての裏の顔を持つ者もいるという。その場合も、蛇は重要な商売道具になるわけだ。

 赤麗姫はスネークダンスをまじまじと見ていたかと思うと、急に興味を失ったのか、手近な店にふらりと入り込んだ。

「アイリス、綺麗な珠が売ってる」

 姫はガラスのケースの中で、シルクの布の上に等間隔に並べられた宝珠の前で立ち止まった。

 筆のように太い眉毛の九割くらいが白くなったしわくちゃ顔の商人は、まぶたが垂れた眼で二人をジロリと見たが、どう思ったのか、追い払うような事も営業をかけるようなこともしなかった。

虹皇玉こうおうだまって言うのよ」

 アイリスは姫と目線を合わせるように屈んでケースの中の珠を覗いた。

 虹皇とは甲虫の一種だ。

 輝く殻が常に美しく変色を続けていることから虹の名を冠しているこの虫は、極端に寒い場所以外にはわりとどこでも生息している。

 鳥や他の虫はこの変色する殻を見ると毒だと思うのか、はたまた理解が及ばずに手を出し難いのか、とにかく自分から避けていくのである。

 虹皇玉はこの虫のように同じ角度から眺めていても、常に別の色に変化し続けるという芸術品であった。

「綺麗ね……」

 姫は溜息を吐くような声で呟いて見入った。

「五百八十三万ルーラだよ」

 しわがれてゴロゴロした声で商人が言った。

 ちなみに、この辺りではパン一個が百五十ルーラほどだ。

 姫は目を丸くした。

「五百八十三万!?たしか、さっきの宿が一万二千ルーラだったから……」

「すごく高いわね……まあ、しょうがないわ。貴重品だし」

 アイリスは七色の輝きを見つめながら話し出した。

「昔はこれを作れる職人がたくさんいたって言うけど、いまはもうほとんどいないらしいわ」

 虹皇玉はバビロニアとは別の大陸にかつて存在した帝国の特産品だった。

 一時期、その国は飛ぶ鳥を落とす勢いで周辺国を侵略し、隷属れいぞくさせて行った。

 だが、領土を広げ過ぎた結果、各地で起こる政治的な問題等に対処できず、暴動が起こり、それに乗じて周辺の国も帝国を包囲した。

 帝国は徐々に疲弊していったが、かつての意地からか休戦協定を結ぶような努力はせず、度重なる戦争の末、兵士が足りなくなった。

 やむなく一般市民から徴兵したのだが、そうなると働き手がいなくなって困窮こんきゅうする家庭が出て来る。

 そこで、国は一時的に生活を保障することにして、男を召し上げた家庭に配られたのがこの虹皇玉だった。

 当時もこの一粒がとんでもない値段で売れたと言うが、父親がいなくなり、代わりになんの感情も持たず、話すこともいっしょに遊んでくれることもない玉を渡された子供や妻の心境は如何ばかりか……。

「子供たちは、パパは虹皇玉になったのよ、って聞かされたらしいわ……」

 アイリスの声はしんみりとしている。

 それを聞いていた姫も、先ほどとは違った目でケースの中を見ている。

「その国はどうなったの?」

 姫はアイリスを見ず、並んだ虹皇玉に話しかけているようだった。

「滅んだわ。最後まで抵抗した挙句にね……」

 そう言ったアイリスは気分を変えるように、一つ息を吐いた。

「馬鹿な皇帝だったんでしょうね。侵略戦争なんてするものじゃないのに。そんなだから因果いんがが巡って来たのね」

「因果?」

 聞きなれない言葉なのだろう。姫は小首を傾げた。

「悪い事をしていると、いつか自分に跳ね返って来るって意味よ。私の曾お爺さんがそうだった……。って言っても私は会ったことも無いけどね」

 アイリスは中腰の姿勢から立ち上がった。

「ちょっと強いからって好き放題してた挙句、もっと強い人にやられちゃった。髪の毛一本残らずに消滅したらしいわ」

 よほど不愉快な話なのか、アイリスの顔には盗賊たちにすら向けたことのない、敵意が混じったような嫌悪が浮かんでいた。

「私も……」

 姫が自分の足元を見ながら、呟いた。

「人をたくさん殺して食べたから、因果が巡ってきたのかな……」

 ぼんやりと店の壁を眺めていた商人が、ぎょっとして姫を見た。

「……行こう。ミスティ」

 アイリスは姫の手を取ると、商人の視線を背に受けながらそそくさと退散した。

 そして、店を出たところでふと気付く。

 いつの間にか、タイガがいなくなっていたのだ。




 とある家の角から通りを窺っていた少年は、突然肩を叩かれてバネが跳ね飛ぶように体を震わせた。

「初めまして……じゃないよな」

 タイガの視線は少年の頭に生えた角に向けられている。

 渦を巻いた羊の角は、左側の先端が無くなっていた。

 それは、前日の夢の中で斬空剣が斬り飛ばした場所と一致する。

 ポー少年は恐ろしさからか声も出ないようだ。

 彼が手を出せるのは夢の中にいる相手だけだ。

 いや、夢の世界であってもこの男は少年を撃退し、魔力の源である角を斬り落としたのである。

 ましてや、いまは現実――――勝ち目などあるはずもない。

「まあ落ち着けよ。お前、なんでアイリスを狙ってるんだ?」

 タイガからすれば、こんな子供がザガンの手下と結びついているなんて知る筈もない。

 少年が砂漠を越えて隣のオアシスまで自分たちを追って来ていることに疑問を持つのは当然だ。

「誰かに命令されているのか?」

「…………」

 少年は手負いの獣のように警戒している。

 その姿を見据えるタイガの表情が、ふと柔らかくなった。

「もしも、誰かに脅されて仕方なくやってるって言うなら見逃す……いや、事と次第によってはそいつを俺が片付けてもいい」

 少年はその一言に明らかに心が動いたようだった。

 タイガは決断を急がせるようなこともなく、答えを待った。

 ポー少年は何か考えていたが、やがて決心したように口を開いた――――その時だった。

 自分を映していた眼が見開いたのを見てタイガは振り向き、跳躍して地面を転がった。

 彼が直前まで立っていた場所を仄暗い半透明のなにかが横切り、直後に幼い子供の悲鳴が響く。

「お前は!」

 すぐさま剣を出して立ち上がったタイガを、そいつは首を伸ばして見下ろした。

 首から下は半透明の巨大な蛇そのものになってはいたが、頭の部分は先日に自らが倒した女術師・ダチュラに違いない。

 裂けた口には血を垂らすシープリンクの少年を横咥えにしている。

「その子を放せ!さもなくば……」

 タイガは両手で剣を握り、蛇女と向かい合ったまま視線だけで胴体を辿った。

 その先には困惑した顔の、こちらも見覚えのある男が……。

「ダチュラ!ポーを放すんだ!」

 マハールは印を結びながら、奇しくもタイガと同じことを命じた。

 ポー少年はいま起きていることが信じられないといった表情で、タイガに震えた手を伸ばした。

 だが、ダチュラは口の中の獲物を噛み砕くと、無造作に放り投げた。

 そして、血塗れの口をニンマリと歪ませてタイガに迫る――――。

「そこで何をしている!」

 突然、ダチュラの後ろから声がした。

 槍と斧が一体になった武器を構えて、役人らしい男が二人走って来たが、振り向いた怪物の顔を見て、まさしく蛇に睨まれた蛙のようになった。

「そいつに近づくな!」

「やめるんだ!戻ってこい!」

 タイガとマハールの声が重なった。

 それが合図になったかのように、蛇女は役人たちに襲い掛かった。

 一人を頭から咥えて振り回し、近くの家の脇にあった水がめに叩きつけ、逃げようとしたもう片方は、足を噛まれて釣られた魚のように宙を飛んだかと思うと、隣の石壁に投げ飛ばされて、声も上げずに倒れ伏した。

 そして、今度は離れた場所で見守っていた野次馬たちに突っ込んで、手あたり次第に血風を巻き起こした。

 通りは逃げようとして転倒する者の上にさらに人が倒れ込み、津波のようなどよめきの中に、いくつもの悲鳴が混じった。

「戻れと言っているだろうが!このクソあまがぁ!」

 額に太い血管を浮かべたマハールが叫んだ。

 彼らしくもない低劣な罵倒が口を突いたところを見ると、よほど焦っているようだ。

 血が滲むほど歯を噛みしめたマハールの意思が勝ったのか、それともとりあえず満足したのか、やっとダチュラは術者の体に戻っていく。

 その途中で、口を吊り上げたゾッとするような笑みをタイガに向けながら……。

 惨劇を作り出した化け物が消えても、既に街中は阿鼻叫喚だ。

 その中で、こんな声がした。

「あいつ、ザガンの手下じゃないか!?」

「そうだ!ラショウの部下だ!」

 マハールはそれが聞こえたらしく、乗って来たらしいバイコーンに跨って、一目散に逃げていく。

 剣を握ったまま、いまの騒動の中でほぼ傍観者となっていたタイガは、アイリスたちを思い出し、人混みを探した。

 姫の金髪が目印になって、案外簡単に見つかった。

 二人はなにかの店から外の騒ぎをうかがっている。

 タイガはそれを確認すると、マハールが逃げた方向へ駆け出して行った。

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