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Succubus Honeymoon~魔界旅行記~  作者: 晦
砂漠の花
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赤き姫君

 天に浮かぶは宝玉のような赤い月。

 どこからか悲し気にも聞こえる獣の遠吠えが響き、砂混じりの風が唸る。

 猛毒を持つアカエイの群れが空を泳ぎ、荒涼とした大地に大きな影が滑っていく。

 鼻を鳴らしながら歩いていた一匹の砂狐すなぎつねが、それに気づいてふと顔を上げたが、すぐにまた歩き出した。

 行く先には見渡す限り、地平線まで砂漠の世界だ。

 そんな魔界の荒野の真ん中の、一番近いオアシスからも遥かに離れた不便な場所にポツリと建つ城があった。

 城と言っても、ほりも城壁も無く、両開きの重厚な扉だけがそれなりの格を感じさせるが、そこに立っているべき衛兵の姿はない。

 建材に使われた灰色のくすんだ石は、気が遠くなるほどの長い年月の中で、風が運ぶ砂塵に削られて疲弊しているのが見て取れた。

 一見して廃城――――こういった場所は野盗たちの拠点となるか、さもなくば、比較的知能が高い魔獣やたちの悪い精霊の住処すみかとなるもので、不用意に近づかないのが魔界の旅人の常識である。

 しかし、この地で生きる者たちは皆知っている。

 この城は三千年以上も前に建てられてから、一度とて主が変わっていないことを。いま現在も、正当な所有者が姿は見せずとも確かに存在していることを――――。

 そして、今日も城は血の色をした魔力の奔流オーラに包まれ、燃え盛るかのような姿を見せていた。




 古色蒼然とした城の中は、外見ほど傷んではいなかった。

 と言っても、手入れされているわけでもない。

 窓は砂塵対策の硬質ガラスが使われているため、砕けている部分は無かったが、その他には椅子やカーテンなどの生活に必要な家具を含め、朽ちる物がそもそも存在しないのである。

 物品だけでなく、城を維持するための使用人の気配もない静寂の空間――――こういった場所に付き物の、鼠や虫すらここの主を恐れて寄り付かないのだ。

 そして、城の最深部。

 その部屋だけは、他の場所とは別世界のようだった。

 最高級の牛革を使ったソファーと、それに負けない格調を備えたアンティークのテーブル。くたびれた様子もない、臙脂色のベルベッドのカーテン。大きなクローゼットと、その隣には姿見が……もっとも、この鏡にはカバー代わりに布が掛けられていたが、その布すらも滑らかな手触りを持つ、一級品だ。

 そして、家具の中でも一際ひときわ豪奢な天蓋付きのベッド。

 まさしく王者の居城の一室に相応しい景観だ。

 ただ、床にはカーペットの類が轢かれず、石材が剥き出しなのはいささか難があるが、それも事情があった。

 壁際には押し退けられるようにして、眩いばかりの黄金がうず高く積まれているのだ。

 この部屋は生活スペースでありながら、宝物庫も兼ねているらしい。

 しかし、奇妙なのはこれほどの財をうならせながら、なぜ人も雇わず城を荒れるに任せているのか。

 よく見れば、その金塊の表面には虫が喰ったかのような黒い染みが、飛沫しぶきでも浴びたかのように点々と付いている……。

 広いベッドの上で、ひとりの少女が目を覚ました。

 体の細部に至るまで、天才的な芸術家が計算し尽くして作ったかのような、美しい少女だった。

 髪は金細工のように輝きを放ち、開いたその眼はどこまでも深い真紅。肌は光を知らぬかのようなミルク色だ。

 愛らしい唇の奥から、吐息とも呻きともつかない音が漏れる。

 胎児のように体を縮め、まだ半ば夢の世界に漂う様子は見た目相応の幼さを思わせた。

 少女は一糸纏わぬ裸だった。

 否。

 地肌の上に、赤茶色に乾いた血を着ていた。

 ベッドのシーツや枕も彼女と同じ色に染まり、あるいはなすり付けたかのような、かすれた血痕がそこかしこにある。

 少女が悩まし気にも聞こえる息と共に身を捩ると、手に何か柔らかい物があたった。

 怠そうに首を向けると、それは放り出された褐色の臓器だった。

 上半身を起こして隣を見る。

 ベッドの下の床は、一層派手に血で染まっている。

 その中心に一人の少年が、少女と同じように手足を人形のように投げ出して横たわっていた。

 少年の腹の中は空っぽだった。

 大部分の内臓は、掻き出されてベッドの周りに散らばっている。

 折られた肋骨や、もはやどこの物だったかわからない骨の欠片も散乱していた。

 少年は臓器を抜き取られていたが、まだ幼い顔には傷一つない。

 血の飛沫が乾いて張り付いてはいたが、しかし苦痛の色も無く静かにまぶたを閉じていた。

 静止したような時間の中で、少女は暫し睡魔の残渣ざんさに酔ったが、やがて愛らしく両手をあげて伸びをした。

 これだけ凄惨で猟奇的な光景にも、悲鳴を上げるどころか顔色一つ変えない。

 それもそのはず、これは全て彼女が一人で行ったことなのだ。

 数時間前か十数時間前か知らないが、いつもどおりに生き血を飲んだ後、好物の心臓を食い、その後で背骨の中のずいすすったのだ。

 そして、満足してそのまま眠ってしまった。

 もう三千年を優に超える年月の中で続けている日課だ。

 少女ははばかることなく大欠伸し、のそのそと膝立ちで動き出した。

 太いロープのような腸を引き摺り、肺や腎臓も拾い上げていく。

 そして、散らばった内臓と骨をできるだけ一か所に纏めると、静かに瞳を閉じた。

 両手を少年の亡骸に向けて、口の中で何やら唱えること数秒――――。

 まず、骨の山がカタカタと動き出した。

 折られた一片が、そして床に散らばっていた目に見えないほどの欠片かけら同士が磁石のように引かれ、それらはパズルのピースが繋がるようにくっついて、破壊される前の姿を形成したと思うと、一人でに少年のガワの中に入っていく。

 他の内臓も見る間に生きているかのような血色とツヤが戻り、背骨に続いて体の中へと、元あったように納まった。

 食い尽くされた心臓に至っては、何もない中空に生成され、肺の下で脈打ちだした。

 本来の内容物が全て戻った体に血管や筋肉が修復され、皮膚の裂け目までピッタリと閉じて傷痕一つ残らず再生――――奇跡と呼ぶにはあまりに生々しく、もの凄い光景だった。

 少年の顔に温かな血の気が差し、やがて見開いた瞳は少女と対になるような涼し気なブルーだ。

「おはようリーバ」

 少女は天真爛漫な笑みを浮かべて、最愛の少年に目覚めのキスを送った。

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