黒猫珈琲2
イゼルグとは喫茶店前で再び落ち合った。
閉店後の後片付けを終えた後、私は一度家に戻って家族とご飯を食べ、皆が寝静まった頃に抜け出して来たのだ。
バンピールと人間を容姿で見分けるのは非常に難しい。日中多くの人が行き来する中たったひとりを探し出すのは不可能に近く、人のいない夜に出歩いているところを探し当てる他なかった。
深夜の街はしんとして静かで人通りはない。本来ならこの時間は電灯は消されているはずだが、ハンターの指示なのか今日は所々点灯してうっすら明るかった。
こんな夜中に出歩くのは初めてで少しドキドキする。
「暴走したバンピールはサングレーという男の可能性が高い。銀髪に赤目が特徴。サングレーは隣町に住んでいたが、一ヶ月前にこの街でローラと会っている」
私がいない間に追加連絡があったらしく、イゼルグ静かな声で詳細を話した。
身元が判明したのは喫茶店の常連であるローラというバンピールの女性の証言によるものだ。彼女は隣町出身で、顔見知りのサングレーを街中で見かけて挨拶したらしい。特に不審な感じはしなかったそうだ。
「その後は誰も彼を見かけていない。レジェの診療所にも一度も訪れていないようだ」
「何があったんだろうね……」
「分からないな。隣町でもこの一ヶ月姿を見ていないそうだから、おそらくこの街で潜伏していたんだとは思う」
「なるほど……」
私とイゼルグはお互いできるだけ離れないように気をつけて、辺りを窺う。
離れた状態で自我を失ったバンピールと対峙したら、私などひとたまりもない。万一に備えて短銃は持っているが、一対一で撃ち損じたら間違いなく死ぬ。
この状況で一番狙われやすいのは私だ。
言ってしまえば、私は今夜犯人を引き摺り出すための囮なのである。
イゼルグは私が外に出ることに大反対だったので、説得はなかなか時間を要した。
特別な訓練を受け身体能力の高いイゼルグと違い、私はごく普通の街娘だった。イゼルグとレジェに付き添ってもらって、時間を作ってはトレーニングを繰り返しているが、簡単な護身術が使えること、多少銃器が扱えるようになったことを除けば、体力などは女性として一般的なレベルに留まっている。
昔はちょっと走り込んだだけで雲まで届く大樹を駆け上がれたり、ちょっとイメージするだけで強大な魔法が使えたのに、生きる世界が変わるとこうも違うものかと溜息を吐きたくなってしまう。
それはイゼルグも同じで、彼が私より強いのは間違いないが、バンピールと素手でやりあえるわけではないし、基本的には一般的な男性より体力や五感が秀でている程度なのである。
だから今夜はやることが多すぎる。
ハンターを暴走バンピールへと誘導しつつ、欠乏症になりかけているかもしれない件のバンピールを守らなくてはいけない。
普段は喫茶店を手伝うだけの私を外へ連れ出すことに、イゼルグが渋々了承したのはそういう経緯があってのことだった。
「いないね……」
私がぽつりと漏らすと、イゼルグも同意した。
「そうだな。とにかく噴水のところまでいったん見に行こう」
大通りを抜けて街の中央までやって来た。
狭い路地裏で逃げ場がなくなることを危惧して、なるべく広い道を選んで歩いたのだが、見回りの警察官以外の人影は見当たらなかった。警察は一時間おきに巡回しているようだったので、直接出会わないようにうまくやり過ごす。
中心部は噴水を中心にベンチがいくつか置かれて休憩スペースになっている。
「一つ向こうの通りを確認してくる。無理するなよ」
「うん、ありがとう」
心配そうなイゼルグの背中をぽんと叩いて送り出した。
イゼルグを見送ってから、ほんの二、三分のことだった。
かたん、と小さな音が聞こえて周囲を見渡す。
隣合う店舗の間、細くて仄暗い道で何が動いた。黒い影が壁にもたれかかるようにしていたと思ったら、次の瞬間ずるりと地面へと滑り落ちた。
もしかして三日前にこの街にきたバンピール……?
私は恐る恐る近づいた。黒い影はびくりと震えたが、私がそばに寄っても動く様子はない。
暗闇に目が慣れてくると、相手が自分とそう変わらない年頃の青年であることが分かる。
所々擦り切れた黒いケープを身に纏っており、プラチナブロンドの髪がさらりと風に揺れた。
青年はどこか怪我をしているようだった。辺りには彼のものだと思われる血の跡があった。
「あの、大丈夫ですか……?」
目線を合わせて声をかけると、青年はようやく顔をこちらに向けた。エメラルドグリーンの透き通るような瞳が私を捉える。
その時だった。
「退け。そいつを連れていく」
凍てつくような冷たい声に思わず振り返ると、ライフル銃を構えた長身の男が立っていた。肩をこえる長さの赤毛を後ろで一つに束ねている。
足音はなく気配が感じられなかった。常人にはない威圧感に息を呑んだ。
この人がハンターだ……。
相手がこちらに一歩踏み出したので、青年を庇うように立ち上がった。
「貴方は……?」
「警察みたいなもんだ。そいつが例の殺人犯だ。怪我したくなかったら離れろ」
男は低い声でピシャリと言い放った。
そうなのだろうか。暴走したバンピールだったらなぜ私を狙わないのか。先にハンターに撃たれて動けないから? そういえば目の色が……。
「ここにいるのは、暴走したバンピールじゃないですよね?」
「それがどうした? ……お前、バンピールを知っているのか?」
驚いたように男が返す。男はライフル銃に軽く指をかけた。
今のやりとりで対峙している男が間違いなくハンターであること、私の後ろにいるのが救助対象のバンピールであることが確認できた。
警戒はされているが、最初に私に危険だから離れろと言ってきたことを考えると、この男は人間である私は殺さないだろう。
後は男の注意をそらし、後ろの青年になんとか逃げてもらわなくてはいけない。
私は目を泳がせるふりをして、イゼルグが帰ってきていないか視線で探った。
じりじりと後退りながら男の出方を伺っていた私は、ふと男の後方に深い赤色が二つあるのに気付いた。
ーー目だ、赤い目を持った黒い影が勢いよくこちらへ走ってくる。
凄まじい殺気を感じ、一気に血の気がひいた。
「う、後ろ!!」
私は男に向かって叫んだ。
ハンターの男は振り返り様に影に向かって銃を素早く二発放ち、相手を牽制する。
これが暴走したバンピールなのか……!
かろうじて人らしき形を保っているが、肌は黒ずみ、口から牙が剥き出しになり、服はボロボロだった。時折言葉にならない呻き声を発し、肉体の腐敗も進んでいるのかむっとする異臭を放っている。
初めて見る姿にうまく言葉が出てこない。暴走が続くとこんな風になってしまうのかと思うと心が痛んだ。
深い赤色の瞳がギラリと光る。
赤目のバンピールはハンターの男に飛びかかった。男はすんでのところで転がって避ける。勢いよく地面と擦れたせいでシャツの右腕部分が少し破れる。
ハンターの男は舌打ちし、ちらりと私を見た。
「死にたくなかったら全力で逃げろ!」
ハッとして頭をフル回転させる。私を庇っているから自由に動けないのだ。
この男はバンピールに対しては非情だが、人間守ろうとする気持ちはあるのだと思った。
このまま走っても、ハンターの男を越えて向かってこられたら追いつかれるかもしれない。
私は鞄の中で握り続けていた催涙弾を取り出し、勢いよく投げた。
白い煙が轟々とバンピールを包み、中から唸り声が響いた。
さらに逆方向からも銃が撃ち込まれる。
「こっちだ!」
イゼルグの声だ。反対側へと回り込んでいたらしい。
赤目のバンピールは白い煙を引き連れて、ゆっくりゆっくりイゼルグの方へ歩き出す。うまく誘導に乗ってくれたようだ。
慌ててハンターの男も銃撃を始める。
混乱に乗じて、私はくるりと向きを変え、細暗い道へと駆け出した。
青年はずっと様子を窺っていたようだが、私が向かってくるのを見て急ぎ移動を始めた。
時間をおいたことで傷口は塞がったようだ。かなり早いペースで走っているが、血が落ちる様子はない。
まずはここから離れるのが大事、これでいい。
電灯の光が届かないため、私は暗闇に目を慣らし見失わないように後を追う。
いくつか路地を抜けた先、私は先を走る青年に声をかけた。
「この先は行き止まりだよ!」
真っ直ぐ進んだ先は袋小路だ。複数の店が隙間なく建てられており、壁が三メートル近くある。身体能力が高くても乗り越えるのに多少時間がかかるはずだ。
「待って!」
もう一度声をかける。
壁を前にしたところで青年は動きを止めた。