自己に対する推理記録と試験的治療
自分があやふやになってきている感覚をたった今得られたためこれを打破せんと整理し、必要とあらば破壊、矯正、回復を以て今一度自らをあるべき姿に設定しなおす。
要求
何かを創りあげたい。
その理由は特異性の獲得。
特別でありたい。
その理由は、評価されたい?、自分だけの物が欲しい?
人に見られたい。誇れるものが欲しい。
その理由は自信の獲得。
自分が信じられない。
その理由は自己の未熟。
何もしたくない。しかし何かをなし得たい。
努力したくない。
なぜ自分は努力が嫌いなのか。
努力は悪ではなく善ではなく、当然の要素である。
疲労の嫌悪感。
何をしようにも疲労は起こりうるものであり、何もせずとも肉体の、そして精神の生理によって疲労する。
成功の不確かさ。
そもそもいつ死ぬか、いつ終わるかなどわからないものであり、死が終わりか、成功が成功かは観測するまで確定しない。
努力の普遍性。
努力することは普通のことで特別なことではない。
特別でありたいという欲がここで循環する。
普通とは何か。
周りと同じであること。
では周りをよく知っているか。
無知の知か、知の無知か。
では本当に同じになるのか。
不可能である。すべての物は差異があるはずである。
ありふれているとは一つの面に過ぎない。
よって努力に普遍性は存在しない。
面倒くさい。
道が一本だけであったとして、そこを進むかどうかはまた別であり、その場に湧き水と木陰があれば進む者は少ないだろう。ならば、水を涸らし、木を枯らせばその道を進むだろう。しかし、その目的は湧水と木陰である。
面倒くさいとは今のままで良いということである。
今のままを保とうとする欲はつまり安定を求める欲であり、
安定へと流れる性質は生物ではない物質にも見られる。
この性質を破壊もしくは矯正するべきである。
新たな分岐が見つけられたためにステージを戻す。
特別でありたい。その中身は人より秀でたいということである。
優位な存在でありたい。
その理由は生物的な本能である。
プライドと呼ばれるものに似ているだろうか。
これも破壊もしくは矯正するべきものだろう。
生物的本能
先に優位でありたいという欲から解放する。
いかにして生物の宿命から逃れるべきか。
何故優位でありたいか。
種の保存。強ければ強いほど死ににくい。
しかし、秀でたい対象は同じ人間である。どちらが強くとも残るのは人間であるのでこの理由は間違いの可能性が高い。
優位でありたいという欲がない場合、生物として終了している。非力な生物ですら繁殖力において強力であり、その点では優位である。
ならば訂正するべきだ。
優位でありたいという欲を解放する。
いかにして生物の宿命を呼び起こすべきか。
火事場であることを知覚することで馬鹿力を手に入れられるだろうか。
周りを知り、劣っていることを常に知り続け、不足感を持ち続けていれば焦りという感情とともに生物としての本能が後押ししてくれるだろうか。
物質的本能
安定へと流れる性質から解放する。
恒常性を強く持っているものこそが生命なのだろうか。
安定とは何か。正常から異常になることが少ないこと。
何故安定へ向くのか。解は恐らくまだ出せない。この題は保留する。
安定することは人間的に難しい。
食べるもの、呼吸する空気、得られる情報、全て常に変化している。
過去の自分と今の自分と未来の自分は同一でない。
変化後の状態が安定していると信じられるならどうか。
変化せざるを得ないということは変化することこそが安定なのか。
異常を遮断するよりも、異常を異常として受け入れることを正常とすることで安定しているのか。
そもそも物質が変化するのは変化した後が安定しているからというより、変化することが安定しているからだろうか。
変化しやすいもののほうが変化しにくいものより安定しているのだろうか。
少しずつより一気に変化するほうが安定しているのだろうか。
取りあえずは、ここで変化こそが安定と認識することで惰性の除去を試みる。
自己暗示
劣等感を利用し、安定の定義を書き換え、なすべきことをなす。
焦らなければいけない。
やらなければいけない。
やるしかない。
やれ。