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父親の戯れ言。男が子育てに参加しなければならない理由

作者: 璃音四葉


 子供を育てる。という事がどれだけ体力が要り、どれだけ心労を伴うのか。

 そんな事を痛感した父親の戯言を、つらつらと書いていこうと思います。

 ちなみに、私は7人姉妹の父です。

 それはまあ広げてもしょうがないんで、さっそく本題に。

 


 今現在、子供がいる方、これからその予定がある方も、無い方も。

 まだまだそんなの遠い未来の話だよなんて方も、何かしらのネタとして小説に使えなくもないかもしれないので是非読んでいって下さいな。


 ひとつの主張が頭に浮かび、これを書こうと思い立ちました。


 

 1日だけでもいいから、赤ちゃんの面倒を一人で見てみろ。もしくは、いつか来るその日までこれを覚えておけ、と。


 言いたいことはそれだけなのです。

 多分その理由が長くなるのでお付き合い頂けたら幸いです。


 さて。男が子供を育てる理由とタイトルに記載しましたが、昨今、世間には(イク)メンだとかなんだとかって風潮があるかと私も存じている次第であります。

 今更、育メンかよ感が否めないのですが、私にとってこれは常について回る言葉なので日常の一部なんですよね。まあ、そんな言葉がありますので、理由としてはそれだけでいいんじゃねえの、なんて言われるかもしれませんが。

 てな訳で、育メンてなんぞやというと、要約して「家事と育児に参加する男性」という事です。そして、何故これが世の男性に求められているのかと言えば。

 昔、良くあった話で、男は仕事をしているから家事と育児は女の仕事だ! なんて暴論があった訳です。昔と言いましたが、それ程昔じゃありません。10年とか15年くらい前までは確かに存在していた事実です。きっと今でもそんな考え方の方も居るかもしれません。

 それが今や女性も積極的に働く時代。社会的に女性が活躍出来る場が確立され(そうでない所も残念ながら未だ存在しますが)、男性もそれに合わせて女性のサポートをするべきだ、という考えが浸透した結果なのだと思います。

 そしてです。

 私は「育メン」という言葉が嫌いです。

 何故かというと、この言葉には「そうあるべき」という怨念と言い換えても良いくらいの気持ちが込められていると感じるからです。

 今は男も家事育児に参加する時代なのだからやれよ、という意味が。

 別にそれが嫌な訳では無いんですよ。


 そうじゃなきゃ、とか、そうあるべき、とか。そう言われるとなんか辟易しません?

 そうでなかったとしても、嫌々ながらもやらなければならないという状況に置かれる事によって、物事の本質を見失ってしまう、そんな事もあるかと思うのです。

 ですからして、もっとこう、他の言い方無いのかなぁ、なんて良く思ってました。

 まあ、私には良い言い方なんて思いつかないのと、ひらがなたった4文字に言いたい事の全てを詰め込んだその言葉に、結局は関心する事しか出来なかったのですが。


 まあ、ここまで言っておいてなんですが、育メンという言葉にはもっとポジティブな意味合いも含められておりますので、これは私の個人的な意見として、そういう使われ方をしているような……程度の域は出ません。


 そして、ここで誤解があるかもしれないので、言わせてもらいたいのは、私自身は女性を尊敬し、信頼し、そして尊重するべきだという考え方をしています。

 単純にフェミニストなのかというと、そういう訳でも無いのですが。何故尊敬するのか、というのが単に女性だから、という理由では無いので、これを説明しようとすると長くなってしまいます。

 それが私のややこしい性格というやつでして、まあ、ここは穏便に流してもらいましょうか。



 ともかく。

 まあ、男にはそんな、生きていく内に殆どの方が受け止めなければならない風潮がある訳です。


 ですので、父親が子供と接する機会は現在では多いかとは思うのですが。

 それが世間の風潮だからと、嫌々やるのではなく、自ら積極的に子供と接し、()の父性というものの素晴らしさを理解して貰いたい。ええ、言い含めました。

 いいからそれを早く言えよ、という感じなのでそそくさと進めます。


 ここからは実体験を語ります。


 私は主婦ならぬ、主夫、をしていた時期があります。

 時代の流れか主夫というのも、今では特段珍しい事では無いとお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、結構そうでもないんですよね。まあ、それも今から語ります。


 私の主夫歴は1年半程の期間で、そう長いとは言えないものでした。


 当時、4人目の子が生まれ、生後6ヶ月になった頃でした。どうして主夫やってたのなんて所は割愛させて頂きますが、主夫としてやっていくと決心する前までも、私は仕事をしながら育児にも家事にも参加していたつもり(・・・)でいました。

 家事に関しては私が子供の頃から1人でやらなければならない、といった事も時にある環境で育った為、そこまで苦ではありませんでしたし、その中でも料理は仕事としても齧った事があったので、レパートリーはそれ程では無いものの、それなりに美味しい料理が作れると自負していました。

 初めての子が生まれた時から、自覚が無いなりに家事や育児への参加をしなければ、とも思っていましたし、それまで娘達とも、十分に触れ合っていたと、そんな風に思っていました。

 自覚がないと書きましたが、男というのは基本、赤ちゃんが生まれて父親になる。という実感は、実際に産む訳では無いので持ちようがありません。頭で考えるだけで自覚が持てるのであればそれは凄いことです。もし本当の意味での自覚を第一子が生まれた時点から持っていたという方がいたら、クソ尊敬します。そりゃもう果てしない敬意を捧げます。


 ついつい横道に逸れそうになりますが、それはいいとして。

 主夫を経験してみて、子供の面倒を一人で見る事によって、それまでの自分はなんて勘違いをしていたのかと、そう気付いた事がありました。


 実際の所、私が子供との触れ合いを重んじた時期は、子供が1歳~1歳と6ヶ月くらいに成長してからでした。子供はそのくらいに成長すると、自然と接した時間の少ない父親にも自ら寄り添ってきてくれるようになるので、その時期からがやはり父親の出番なのかな、なんてその頃は思っていました。恐らくですがそんな感じの方は他にも居るんじゃないかな、なんて思います。それこそ統計なんて取れないので証明は出来ませんが。

 だからといって、私は自分の子が赤ちゃんの時期を疎かにしたつもりもありません。

 新生児の時期も、沐浴(普段のお風呂とは別にベビーバスを用いての入浴)をさせてあげたり、おむつを交換したり、ミルクを飲ませてあげたり。だと言った基本的な事は私の気力と時間が及ぶ限り、手伝っていました。

 ですが、やはり新生児や生後一ヶ月を越えた赤ちゃんと呼ばれる時期というのは、どうしても泣いたら母親が抱っこした方がすぐに泣き止むし、母乳の力というのはすごいもので、赤ちゃんの食欲と安心感の両方を同時に満たせるというのは、父親には無いものです。ただ、母親である妻に頼ってしまっていた面があった。という事実がそこにありました。


 赤ちゃんというのは、とにかく泣きます。ご飯よこせ、おむつ替えろ、安心したいんだから抱っこしろよ。と。個人差も相当にありますが、その泣き声というのは、結構な騒音です。

 ご飯を食べたいのに自分で食べれないし、喋れないのですから、親に気付いて貰えなければ話になりませんので、当然の話。気付いて貰う為にも、言葉は悪いですが、耳障りな音を発する事が肝要なのです。

 なので、相当耳に響きます。

 これは男の身であれば、余程の方でなければ耐えるのは難しいと思います。

 だから母親に頼るのだ、という言い訳にしたい訳では無く、事実、なんの知識も無かった私にはそうする事が一番効率が良いだとか、そんな風に思っていました。(なんの知識も無いなんていうと、もしかしたら世の保健士様達に怒られてしまいそうですが、赤ちゃんや子供のちゃんとした基礎知識を習得する場は、各自治体が設けています。私も参加して基本の知識を頂戴致しました。)


 主夫になりたての私が最初に苦しんだのが、正にこれです。

 抱っこしても泣き止んでくれないんですね。男親の悲しい性です。


 泣き声に耳を刺激されながら、なかなか飲んでくれないミルクを我慢強くあげたり、早く寝てくれと心の中で懇願しながらひたすら抱っこしてゆらゆらしたり、子守歌を歌ってあげたり。

 最初の1日なんて、それだけで終わった様な気さえします。本当にあの1日は長かった。もちろんその後もしばらく。大人になってからは時間が過ぎるのが早いなんていいますが、あの日々だけは例外でした。

 ちなみに男の身ではなんて書きましたが、女性であれども、これは相当に大変な事です。赤ちゃんの個性に拠る所も大きいのですが、母親でも泣き止まない事はあります。


 余談ですが、昔ながらの子守歌を聞かせるというのが、古くから呪いか何かのように現代日本にも伝わっています。ねんねんころり、みたいな。ですが、子守歌というのは、親が好きな歌を歌ってあげるのが一番だそうです。音楽をかけながら一緒に歌ったりとかでも、私の子の場合はいけました。当然赤ちゃんは寝るのですから、あんまりうるさい歌はだめでしょうけど、そこそこであればテンポの早い歌でも問題無さそうです。まあ、メタルとか騒音交じりの歌でも、極論、アカペラで歌い方を子守歌風にアレンジしてしまえばいいのかもしれません。ちょっと想像したら面白そうですね、誰か歌ってくれないかな。まあ、好きな歌で無いと親が飽きてしまいますので、自分がしばらく歌ってあげられそうな歌が好ましいのだと思います。



 元々、4人目の子は母乳をあげる事、つまり授乳を早めに終わらせたいという理由もあり、早い内からミルクへと移行をしていたのですが、なかなか順調に飲むようになってくれず、それも原因で泣いてしまう事が多かったというのもあり、その回数たるやなかなかのものでした。


 ちなみに、何故授乳を早めに終わらせたかったか、というと。

 理由は未満児保育という制度(法律上は生後2ヶ月から、とありますが、自治体によっては生後5ヶ月、6ヶ月からとされている場合もある、3歳未満の児童を保育園へと預ける制度)を利用する為でして、その頃、私が主夫となったら働きに出るつもりでいたのですが、ミルクを飲んでくれないと預かって貰えないのです。

 まあ、そりゃ、子供預けてもご飯食べなきゃ大問題ですから、それも当然な訳です。


 で、私が主夫になった時期が、丁度少しづつミルクを飲むようになってきてくれたかなぁ、くらいのタイミングだったので、そりゃもう泣きに泣きました。

 少し飲ませたら、また1時間後、もしくはそれより前にまた泣きます。

 赤ちゃんはミルクを飲めば大人しくなる、なんて都合の良い物語をテレビとかで見かけますが、あんなのは個人差を完全に無視してます。育児馬鹿にすんなよ、と言いたくなります。まあ嘘って訳では無いので、それに共感出来る方ももちろん居ますけどね。


 おっと、話を戻します。


 でまあ、ミルクは少しづつなので食欲満たされない、抱っこをしても母親程の安心感も与えられない。それが何を意味するかと言うと、父子共にしっかりとした睡眠を取れなくなるのです。

 つまり、赤ちゃんからしてみれば、母乳じゃなくてなんかむさいおっさんがミルクなんてものを飲ませてくるし、眠いのに安心できないから良く眠れなくてまた泣くという悪循環に陥り、私は眠気と戦いながらそれをやらなければならなかった訳です。

 もちろん、私がやる事はそれだけでは無く、家事もあるし、上の子を保育園に送ったり買い物したりしなければいけません。

 保育園に行くと、世の母親方と出会う機会もありまして、挨拶がてらに世間話をしたりと色々と聞いて勉強させて貰ったのですが、あの方達。この激務をニコニコとこなしているのです。

 やべえ、マジすげー。

 そんな事を思いましたね。

 「母は強し」の一端を実際に目にした瞬間です。


 

 少し話を変えますが、育児ノイローゼという精神の病をご存知でしょうか。

 育児のプレッシャーから、イライラして子供に当たってしまったり、手をあげてしまったり。そうこうしている内に自分が生きていく気力を失くしてしまう事にも繋がる病です。


 一般的な知識しか知らない私が、軽々しく口にしていい話題では無いとは思うのですが、こればかりは外せないので触れさせて頂きます。

 

 育児の大変さというのは、どんな言葉を尽くしても言い表す事が出来ません。 

 もう本当に途方も無く大変だ。と言うしかないのが事実ですので、こればかりはどんな方でも陥ってしまう可能性があるのです。

 原因として、私が思うのは赤ちゃんというのは、1~3歳程度まで成長した子供や、もちろん大人とも違って、愛情表現を行う術を持たない為に、親がどれだけ愛情を注ぎたくて、それを現実に行動へと移していても、それを赤ちゃんが一般的な表現として返してくれる事はあまり無い、という事だと考えます。どんなにそうしていても、耳に不快に残る泣き声を轟かすのですから。

 ですので、本当にこれでいいのか、自分は何か間違えていないか。

 そんな事ばかり考えてしまうのです。


 同じと言い放つ度胸はありませんが、主夫をする事によって、この気持ちが痛いくらいに分かりました。

 実際、イライラしてしまい、途中でもう、となってしばらく泣かせてみたり、しかしそれでは泣きやむ事は無いので、今度は泣かせ過ぎたせいで、引き付けを起こしてしまわないかどうか、心配になって慌てて抱いたり。

 どうかこれを育児放棄や児童虐待等と思わないで欲しいですが、まあ、その辺の判断は私がする事では無いので、懇願のみに留めておきます。


 そんな日々を過ごしながらも、おんぶ紐(最近の物は凄いもので、かなり楽に装着出来て赤ちゃんの落下をほぼ確実に防ぐよう考えられて作られた逸品)で赤ちゃんを背負いながら、家事をこなしていく内に、徐々に私に慣れてきてくれたようで、よく眠り、よく飲んでくれるようになってくれました。


 そして私が主夫となってから、一週間と少し後の事。

 驚きの瞬間が、突然訪れました。

 私がとてつもない勘違いをしていた。と書いた事を気付かせてくれた件についてです。

 


 そんな日々の中、お昼ご飯を済ませた後、いつものお昼寝の時間の事でした。

 私はそれまで、赤ちゃんはお昼寝させていましたが、私自身は昼寝をしていませんでした。私が寝てしまえば、少しの物音で起きる可能性は低く、もし先に赤ちゃんが起きてしまった事を考えたら、何が起きるか分からないという危機感の為です。その頃丁度生後7ヶ月になり、はいはいを覚えるのが早く、ゆっくりだけどどこにでも行ってしまうくらい好奇心旺盛な子だったというのもあります。


 でも、その日は一緒に寝てしまったのです。

 子供を寝かせる時、何やら分泌物が出るそうで、親も眠くなるのだそうです。

 私もその例に漏れず、そして睡眠不足でもあったので、すっかりと寝てしまいました。


 そして目が覚めた時。

 赤ちゃんは、まだ私の腕の中で眠っていました。

 なんの問題も無いじゃないか、と言われればその通りです。ですが私は驚かされたのです。


 私は子供の頃から寝相が悪く、壁に頭を打って起きた事もある程でして、それもあって一緒に寝るとやばいかも、と思っていたのですが、その日の私は微動だにしていませんでした。そして、分泌物とやらの影響なのかどうかは分からないのですが、とてつもなく幸せな眠りであり、すっきりとした目覚めでした。 

 

 目覚めに関しては寝ていた時間的なものもあったのかもしれませんが、そんなのはどうでもいい事です。

 何等かの錯覚に陥るのはよくある事ですからね。 


 そして。


 腕の中の赤ちゃんのぬくもり、そのぬくもりからじわっと広がるような、とても心地の良い何かを感じました。

 多分、私のその驚きは数十秒程度の出来事だったと思います。

 そんな数十秒が経ち、私の目からは涙がこぼれている事に気が付きました。


 その心地の良い何か、今でもそれが何なのかは分からないのですが、私にとってそれが、赤ちゃんからの愛情表現だと受け取ったのだと思います。


 それも他から見れば、ただのむさいおっさんが赤ちゃんと一緒に寝て目覚めたってだけなんですがね。

 つまりはそんなただの日常の一コマで、想像を絶するような感動が待っていると言いたい訳です。


 そしてまあ、それまでの自分は、育児をしていたのでは無くて、ただ相手をしていただけだったのだと、そう気付いたのです。

 本当の意味で、お世話をする事によって、赤ちゃんでもこれほどの愛情を返してくれるのだと、感じました。例えそれが錯覚であったとしてもです。

 それからの私は、それはもう劇的に変わりました。

 それまで騒音に等しいくらい耳を刺激していたあの泣き声が、とても愛おしく感じるのです。あれほど不快だったのに、なんとも思いませんでした。


 ただ。

 子と接する事によって芽生えたこの更なる愛情は、子供が複数人居るならば、一人一人ときちんと接して育まないといけないという事を忘れてはなりません。

 全員分が一気に芽生えるなんて都合の良い話は無いのです。

 まあ、一度芽生えてしまえば後は比較的早かった様なった気がします、多分。

 私にも、頭で考えた事だけで、子供との愛情を育めるなんて自信を持っていた時期があります。お恥ずかしいですが、若い頃なんてのは誰にでもありますしね。ただ、それはそれで正しいとも思ってます。頭で考えるだけでも、愛情を持とうとする事に意義があると。



 赤ちゃん、いえ、赤ちゃんだけでなく、子というのは、本当に無条件に、何の理由もなく、自分がただ親だというその事実一辺のみで、愛情を抱いてくれているのだと思います。

 恐らく血が繋がっていなくとも、ただその時期に傍に居てくれるという理由だけで、です。


 ですが、それを頭でどれだけ理解していようとも、現実として愛情表現をする事の出来ない赤ちゃんのお世話をしていると、これに耐えるというのは本当に難しく、その為に育児ノイローゼという病に陥ってしまう可能性を孕んでしまうのだと思います。

 誰かに相談するのが一番ではありますが、そう出来ない事情の方ももちろん世間には居ます。

 私がこれに耐えれたのは、ただ単に「男」であるからに過ぎないのです。



 世間の風、という物も育児のプレッシャーには付き物です。それも含めて私が何故、「男」だからこの育児ノイローゼに陥ってしまうような、プレッシャーに耐えられたのかと思ったかを語りたいと思います。

 ここで冒頭の「育メン」についての話に戻りますが、こんな言葉が出来て、男性が家事や育児に積極的に参加していく世の中でも、この家事や育児に参加する、という件についてだけ(・・)で言えば男性は、女性に寛容されているのです。


 何を言っているのかと思われた方も居るでしょう。

 例を挙げます。


 私が主夫になる前にも、子供のお世話をしなければならない場面がありました。

 それは妻が出産入院中です。

 前述した新生児や赤ちゃんのお世話はありませんでした。1歳の子は居ましたが、十分に愛情表現をしてくれる子でしたので、今思えばかなり楽でした。その当時の私には大変でしたが。

 まあ、子供を保育園に送って行くだけの簡単なお仕事です。

 保育園に送って行くには、当然、その準備があります。エプロンやナプキン、タオルは毎日洗った物を持たせ、おむつにおしりふき、3歳の子であればトイレトレーニングが終わっていない事もありますので(私の子は終わっていなかったのです)、前日に着替えを汚してしまったらその替えを持たせたり、まあ、他にもありますが色々と準備があるという事をご理解下さい。

 その準備の際に私は、当時3歳の子に持たせるはずだったエプロンとナプキンを、間違えて両方エプロンを入れて持たせてしまった事がありました。

 保育園の先生はもう、天使ですので、そんな事はサラーっと「両方エプロンでしたよ~、でも大丈夫だったね〇〇ちゃん」等と茶化しながらも優しく教えてくれます。

 まあ、やっちまったなー、なんて思いながらも、その時はこの事について別になんとも思っていませんでした。

 その後、私が主夫になってからの話。

 保育園では他の子のママ様方がもちろん送迎をされていらっしゃいます。

 そんな場面に出くわすのは当然の事。そんな一場面。

 とあるママ様と保育園の先生のお話です、私にはそれが物凄い衝撃でした。


「〇〇ちゃんのお母さん。おはようございます! そういえば昨日ね、パパさんが送ってきてくれたと思うんだけど、エプロン入ってなかったのよー」

「あ、すみません、言っておきますね」

「まあでも、パパさんだからしょうがないかー」

「そうですねー」


 おわかりいただけただろうか。


 これは、決して悪意では無い。それだけは分かって頂きたい。保育園の先生というのは、わざわざ保育士の資格を取ってまで、他人の子を相手にする仕事を選んでいるのだ、悪意等ある筈も無い。

 私にももちろん、これを悪意を持って書いたつもりは無い。


 この会話を要約するのならば、

 男だから忘れても仕方が無い。

 という事だ。


 これが寛容では無く、他のなんだと言うのだろうか。


 つまり、男性は現代であれ当然、育児に参加する機会は少ない、このお方々はそれを理解した上で、男性がそれに参加する事を心から称賛した、その上で、さらにそれでも仕方が無いと、そう仰っておられるのだ。


 育児に対するプレッシャーの原因。その主なもののひとつである、世間の風当たりが弱いという事なのだと思います。だからこそ、私は敢えて「男」だから耐えられたのだと、そう書きました。

 このプレッシャーが無いというだけで、劇的に変わってきます。

 男性には無い世間の風プレッシャーと、上記した赤ちゃんの安否プレッシャー。他にも諸々あるその全てを真っ直ぐに受け、それでも多くの母親はにこにこしながら育児をしているのです。


 つまり何が言いたいのかと言うと、主夫として私が感じ、とても大変だと思ったそのお仕事は、一辺でしか無かったという事。

 一辺でしか無いそんなプレッシャーなんて愛情さえあればなんでもありません。


 私個人の結論として、男が育児に参加しなければならない理由は、子と接することで本物の父性をその身に宿す事であると考えます。

 これさえ宿ってしまえば、お母様方のフォローなんてお手のものです。育メンなんてくそくらえです。上位職、父性マスターです。

 

 どうか男性の皆様。

 ご自分の赤ちゃんがいらっしゃる方、これから生まれるよという方も、そうでない方も、まだまだそんなの遠い未来の話だよって方も、ご自分の子供であれ、血の繋がらない子であれ、冒頭では一日と書きましたが、それ以上でもそれ以下でもいい。子供が赤ちゃんの内にお世話をしてみてあげて下さい。

 あの大変な時期を過ごすだけの価値を見出す事が出来るはずです。

 私に起きたその状況が全てとは思いません。ですが必ず何かしらのタイミングで目覚める筈です。それは子と密に接しなければなし得ない事だと思うのです。

 そしてもちろん赤ちゃんの時期を過ぎるまでそれが出来なかったとしても、育児というのは、ただ子供の相手をするのとは違うという事を知って欲しい。そういう気持ちを持って子供と接して欲しい。という思いが、このエッセイを書いた理由です。

 まだまだ子供なんて遠い未来の話である人達に、伝わるのかどうかは分かりませんが、以上です。

 

 それとこのエッセイが、物語として赤ちゃんが登場するお話を描こうと思われる方の力に、少しでもなれたらいいな、なんて思います。





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― 新着の感想 ―
[一言] 素晴らしい投稿でした、今生後8日目の新米パパです。 妻が出産と同時にとある病気を患い現在進行中で母乳をあげる以外の育児を一人でしています。 とても力になりました、ありがとうございます。
[良い点] 父親のエッセイ、心にぐっときました。 自分も書き留めておきたい、後世に残したいネタは山ほどあるのですが。。。 いかんせん文才というものが皆無であった為に 二の足を踏んでいた所、共感する箇…
[良い点]  こんにちはー´▽`  にょー!! これこそ私が!! なろうに増えるべきだと思っている!! 本物のエッセイではないですか!!  そうそう体験談の重みって空想とはまた違う価値が有るんですよ、…
2018/10/20 21:26 退会済み
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