β6 にゃんこのカフェ
□第6話□
□にゃんこのカフェ□
――正午。ウルフの家にて。
ボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーンボーン。
柱時計を聞いてウルフが自室から出て来た。
「お、むくちゃん。いつの間に来ておったのじゃ?」
アトリエの隣は、庭を挟んで、むくの祖父母の住まいであった。
乱れ髪の後ろ姿は、つまりは、玄関に着くと靴も脱がずにしゃがんで、ただただ、茫然としていた。
「……あ」
か細い声だった。
「ウルフおじいちゃま……」
くっと顔を上げると、泣き腫らした目が待っていた。
「……」
むくは、又、項垂れてしまった。
「儂に、じいじに、お話ししたかったらいつでも聴くぞ」
「……」
そのまま俯いていた。
「そうか、無理に話す事はない」
ウルフは、隣に座った。
孫の髪を優しく撫でて綺麗にした。
「じいじのココアはあたたまるぞ」
ふるふる。
首を軽く横に振り、髪を揺らして、二粒の涙を散らした。
「ここ、アトリエは……。嫌……」
「それもそうじゃのう。疲れているのに悪かったのう。じいじが悪かった」
黙って肩を震わせているむくは、奈落を見つめている様であった。
両の瞳にはウルフも居なかった。
時ばかりがしがみつく様に過ぎてしまった。
ボーン。
一時を告げる柱時計の音が響き渡った。
「……うん! ねこカフェはどうじゃ? じいじと」
玄関にあるスターにゃんこの、“寅祐” のポスターが、こっちを見ている様であった。
「ねこちゃん、可愛いくて堪らないぞ」
ずっと側に居てくれたウルフにやっともう一度顔を向けられた。
こくり。
ゆっくりと頷いた。
「ねこカフェ、“にゃんこっこ” に行こうかのう。むくちゃん」
むくの涙に、胸を打たれた。
「車じゃと直ぐじゃぞ。車でスターにゃんことお散歩もできていいじゃろう」
ウルフは、立ち上がって支度をすると伝えた。
「少し待っていておくれ」
***
――ねこカフェ、にゃんこっこより。
ガタガタガタタン。
「着いたわい。着いたわい。酷い運転は勘弁してくれたまえ」
助手席側のドアを開けた。
「さあ、気を付けて降りるのじゃよ」
むくは、視点が定まらない様で、ぎこちなくウルフの手を借りて降りた。
ねこカフェ、“にゃんこっこ” へのお迎えは、色とりどりのペチュニアやバコパの寄せ植えが可愛らしいく続き、看板に、“American Shorthair” と “Scottish Fold” の二匹が甘く寄り添う絵があった。
キイーイッキイ。
ウルフが、煉瓦道を歩き、愛らしい元々がベビーベッドだったと言う白い木戸を開いて導いた。
「にんげん二名じゃ」
慣れたもので、チョキを出した。
「二名様、ご案内にゃんこっこ!」
「二名様、ご案内にゃんこっこ!」
元気な、“にゃんこっこお姉さま” の声で、店内に迎え入れられた。
「お好きなお席へどうぞ」
“はなよ” と名札のあるエプロン姿のにゃんこっこお姉さまが、数歩後ろからメニュー等を持ち、まるでかしずかれる様であった。
にゃおーん。
にゃお。
にゃんにゃんにゃん。
ふにゃー。
「おー、いつものスターにゃんこ達がおるぞ。楽しいな、むくちゃん」
むくは、ウルフに手を引かれて歩んだ。
ぼうっとしているほかなかった。
「窓辺のここが、指定席じゃな」
むくに席をすすめ、ウルフが座った。
「むくちゃんは、いつもの……。儂もいつもの」
「はい、かしこまりました。スターにゃんこさんは寅祐さんがおいでですよ」
寅祐もふらりと来ていた。
ふーにゃおーん。
「おいで、おいで、寅祐ちゃん」
ウルフが手招きした。
ふーにゃ。
にゃんこの手で二回掻いた後、ひょいとむくの方の膝に乗った。
むくは、動物によく好かれた。
「儂は、遊んでいるソフィーちゃんを眺めているから大丈夫じゃ」
「シナモンティーと心太でございます」
むくの前に並べられた。
「お抹茶とパンプキンパイになります」
ウルフはむくをよく見ていた。
「じいじは、疲れている時は甘い物が一番じゃ。むくちゃんのいつものもいいぞ。好きな物で元気が出るぞい」
ゆっくりとした時が流れた。
その流れのほとりで、むくは、苦しんでいた。
――アハハハハ。
『道化だったな、土方むく』
神崎亮の声。
『あたしたちの事、知らなかったの?』
『いつから、できていたか知りたいでしょう』
『中三よ』
『あれは、最高の相性だわ』
朝比奈麻子の声。
「ひぃー!」
「ど、どうした、むくちゃん」
「ふっふっふっふっ……」
上を、向いて涙を流してしまおうとした。
枯れる迄。
そんな折だった。
「“未来への手紙Jの刻印撲滅機構” が……」
何故か、このねこカフェ、“にゃんこっこ” でその言葉を耳にした。
「J……?」
むくとウルフは、ぴくりとした。
「Jの刻印」
むくは、寅祐を抱っこしながら、ぶつっと口にした。
「赤茶けた封筒に……。Jの封蝋がありました……」
涙をなかった事にして、続けた。
「美術部員に宛てたと言う……」
振り絞って、しっかりと話し出した。
むくの本来の姿を取り戻そうとしていた。
「まさか、そんな事はないじゃろ。かと言うてむくちゃんは嘘をつかないしのう……」
暫し思案していた。
「どうしましたか? ウルフおじいちゃま。心当たりがありますか?」
「美術部……! そうじゃ」
「じいじの両親の事は知らないじゃろ」
碧い瞳をゆっくりと細めて、白に身を包んでいるのに色を差した。
「儂のは、白髪ではない。元々銀髪じゃった」
抹茶をいただいた。
「父は地元で頼られる医師じゃった。お陰で儂も進学に困らず、医師になれた。尊敬し感謝もしておる」
抹茶ばかりで、パンプキンパイがすすまなかった。
「母がな、ある宗教を信仰しておった。その事は、全く問題もなく、信仰の自由があるのじゃが。……ただな。それを理由に旅券に印をつけられてしまってのう」
哀愁の面持ちになった。
「二人は十代の頃、会えない暮らしになってしまったのじゃ」
「たった一つの文字、“J” で……!」
むくの瞳は引き締まった。