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むくのアトリエ β  作者: いすみ 静江✿
―― 旅路 ――
26/28

β26 真昼の迷宮

□第26話□

□真昼の迷宮□


 ――それから暫くして、むくは、“L” 病院を受診し、検査と療養の為、個室の五〇九号室に入院した。


 むくは、ベッドから降り、木枠の出窓に浅く腰掛け、ドイツの旅行雑誌を開いていた。

 一頁めくった。

 又、一頁めくった。

 又、又、一頁めくった。

 しかし、雑誌に目を落とす訳でもなかった。

 白い壁の窓からのゆらりとした風に、ドイツ旅行は、宛先もなくめくり上げられ、ぱさりと落ちた。

 むくが、堕ちて行った様に。

 泣き腫らした目で、むく独り、うつろにいた。

 真昼の迷宮で。


 コンコン。


「失礼いたします。お届け物です」

 看護師がお見舞いのエアメールと品物を付き添いの美舞に渡した。


「むくちゃん、読む? 後にする?」

「……」

 美舞にも特段変わった態度を示さない。

「後にしましょうか。……ね。テレビ台に置きますね」

 その横には、“ジレとアデーレ” を壁に立て掛けてあった。


 一方、玲は予後良好で、四一二号室の患者ではなくなっていた。

 様々な記憶も修復され、すっかり玲ぱーぱに戻っていた。

「娘が会いに来てくれたお陰ですよ」

 ドクター水島らと、むくについて話し合っていた。


「体の方は、慎重を期しますが、我々で全力を尽くしましょう。後は、ご本人次第。気持ちの整理が先ですね」

「分かりました。Dr.(ドクター) Marie(マリー) Mizushima(水島)。娘のサポートは、全力で行います。ぱーぱですから」

「はは。ドクター土方は愛情深いので有名ですよ」


  ***


 ――一四日後。


 ぼんやりと病院で過ごす日々が続いた。

 食事は食べさせられるので、ふっくらと迄は行かないが、少し筋ばった所が取れて来た。

 就寝は、睡眠前の薬を八時半に飲んだ後の九時と決まっている。

 この夜、珍しく雨が降った。


 さささっさささっさささっさささっ……。


 夏だが、かなり涼しくなった。

 美舞は、近くの、“S” 城ホテルに滞在中のウルフとマリアから呼ばれて待合室に行っていた。

 むくは、独りでベッドで膝を抱えて座っていて、ぶつぶつ言っていたが、テレビ台の手紙に手を伸ばした。

 差出人を数度確認した。


 手紙は、四通入っていた。


 一通目。

 ――土方むくさんへ

 ご両親から、入院の旨を伺いました。

 お疲れのご様子、お見舞い申し上げます。

 又、元気なお顔を見せてくれる事をお待ちいたしております。

    ――徳川学園美術部

      神崎亮、朝比奈麻子、神崎椛

      原田結夏


 二通目。

 ――むくへ

 元気か?

 入院しているし、それは無理だな。

 疲労が溜まったと聞いている。

 もしかして、あの変態の事か?

 だったら、神崎渓に謝らせるか!

 優花(ゆうか)お母さんは、マザコンだったお父さんの母親、菊ばっちゃが、亡くなってから、手を焼いているのだ。

 僕が変な事を言ったのを気にしているのかな。

 あれは、見間違いだと思っている。

 僕が見るグラビアのお姉さんは、きっと特殊で、椛もまな板なのだけど、むくはバレエを学んでいたから、気にする事はない。

 お茶位なら一緒してもいい。

 麻子は、親しい友達だ。

 あれで、結構お堅いから、友達以上に想えなくて、寂しい時のぬいぐるみみたいな感じなのだ。

 むくは、健全なお付き合いを一からしてみたらいい。

 好きになるって、僕で練習したらいい。

 先ず、元気に、帰って来いな。

             ――神崎亮


 三通目。

 ――土方むくさんへ

 むっくんで良いと思ったけど、原田先生がダメだって。

 私、友達がいないから、渾名で呼び合いたいのよ。

 ガチガチの眼鏡生徒会長は、寂しかったわ。

 亮と仲良くなれて、今迄の反動が出ちゃったみたい。

 むっくんへは、亮を取られると思ったの。

 もし、むっくんに、もう二度と会えなくなると困るから、今、告白します。

 亮とあたしの、“ジレとアデーレ” の様な肖像画の習作に、赤いスプレーで、×(バツ)を描いて、ごめん。

 むっくんなら、許してくれるよね。

 戻って来て、勉強とか分からなかったら、あたしに相談しなね。

 学年トップがテスト対策迄教えるわ。

 美術は、教えられないけどね。

             ――朝比奈麻子


 四通目。

 ――むくさんへ

 そっちに、寅屋ベルリン支店があるらしいよ。

 むくさんなら、心太だけど、寒天はないよね?

 培地用の、Agar(アガー) を使っていたりして。

 寅屋にでも、にゃんこっこにでも、一緒に行こうね。

 無理しないで、ゆっくりだよ。

 話したい事があったら、お手紙ください。

           ――神崎椛


 ざざざっざざざっざざざっざざざっ……。


 雨が強みを帯びた。


 お見舞いの品を開けてみた。

 それは、美しい白のピアノの形をしたオルゴールであった。


 ポロポロポロ……。


 聞いた事のあるメロディーであった。

 これは、Prokofiev(プロコフィエフ)Romeo(ロメオ) and() Juliet(ジュリエット)のバレエ音楽であった。

 むくは、ひとしきり、聞き惚れていた。

 何にも関心を示さなかったのに。


 トゥシューズはない。 

 靴下を二重にして、個室の隅に立った。

 ルルヴェ、美しいつま先立ち、をして、トントンと歩む。


 これは、二人の恋人を別つ悲しい物語。

 ジュリエットとロメオはバルコニーで告白し、神父により密かに結婚する。

 むくは、このシーンに憧れて、独り、ゆるやかに舞い出した。

「ああ、初戀とは、なんと甘美な事でしょう」


 タンッタンッ。


 軽やかに滑る様な爪先。

 調べの様な(かいな)の波風。

「お願い……。密やかな愛でいいの」


 クイッ。


 確かな手でロメオを捕らえ、美しいアラベスク。

「かりそめの一夜で構わない」


 クッ。


 片目を瞑り薬を迷いなく空け。

「これでいいの……。死んだ様になるわ……」


 スローモーションでピルエット、回転をした。


「彷徨の『むく』は、死にました」


「『私』の中に、迷いの『むく』は、もういません」


 うつろから自力で蘇り、真昼の迷宮に注ぐ一杯の光の中に現れた。


 ジュリエットの後、“ジレとアデーレ” にもたれかかった。


 そして、息も切らさずに休み始めた。


 美しい妖精は……。


挿絵(By みてみん)

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