β13 きんととの夢
□第13話□
□きんととの夢□
――あれはな、菊ばっちゃが亡くなったお通夜の日の事だ。
丁度、僕は、高校の入学式も済んでゆとりの四月を送っていた。
しとしと。
べたっとした湿り気に堪らなくなった雨は降りだした。
そこには、信じがたい柩があった。
僕は、誰から渡されたのか、白百合の花を手にしていた。
黒い制服に花の白さが浮いていた。
「菊ばっちゃ、本当に死んじゃったの? 菊ばっちゃ! 嘘と言って。僕が悪かったよ。僕が悪かった。だから、目を開けて。ばっちゃ!」
柩に寄って行った。
「あー!」
『下がってください』
係りの人に止められた。
「だって、菊ばっちゃが、お花が好きだから。……ここに置きたいんだ」
『分かりました。お預かりいたします』
「僕が、僕が自分で渡したいんだよ!」
きんととちゃんの時も全部自分でできなかった。
だから、今は、僕が自分で。
こ、この綺麗に咲き誇った花を。
花を菊ばっちゃに……!
***
――小学四年生の時だった。
「菊ばっちゃ?」
僕は、奥にある祖母の部屋をがらりと開けて話し掛けた。
「居間のきんととちゃんが、餌食べていないよ」
すると、菊ばっちゃは、振り向いた。
手には僕の為に何かの和裁をしていた。
『そうか、夜店のきんととちゃんも年かの。水槽を綺麗にするかい? 亮ちゃん』
「分かった、一緒にやろうよ、菊ばっちゃ。椛? 椛もおいで。あれ? いないや」
『椛ちゃんなら、お小遣い上げたから、駄菓子でも買いに行ったのかのう』
「お父さんもお母さんもいつもいないよね」
『共働きで苦労しとるからじゃの。椛ちゃんもしっかり者じゃ』
家に帰ると菊ばっちゃか椛しかいなかった。
だから、遊び相手は、菊ばっちゃと椛で、ごはんは、菊ばっちゃが出してくれた。
思えば、椛は、お手伝いをしていたな。
だから、母親のいない分、おばあちゃん子になったのかな。
「きんととちゃんのお水は、どこだっけ?」
『お庭にあるの』
「菊ばっちゃ、又作ってくれたの?」
『時間があるからの』
「こっちの小さい水槽に作ったお水を入れて、それできんととちゃんも移して、その間に洗ってあげればいいんだよね?」
『そうじゃよ。きんととちゃんも一日置いたお水が好きなんじゃ』
所が、僕は、きんととちゃんを移す時に落としちゃったんだ。
「ごめんね、きんととちゃん、大丈夫?」
急いで拾い上げた。
「きんととちゃん?」
不安な顔で覗いた。
「元の水槽に戻したけど、泳がないね、菊ばっちゃ」
『……亮ちゃん』
「菊ばっちゃ、沈んじゃった」
『亮ちゃん、きんととちゃんは、お空に泳いで行ったのだよ』
「お空に……? じゃあ、きんととちゃんは、ここにいるのは誰?」
『又、会えたら覚えていてねと、体だけ遺したのじゃ』
祖母は、僕を責めなかった。
『さあ、椛ちゃんが帰ったら、お墓を作ろうの』
***
――お通夜も〇時近くになった。
『神崎亮君?』
「おお、朝比奈だっけ? 中学三年にして、学校代表かあ。朝比奈麻子生徒会長凄いや」
半ば自棄になっていた。
すごく哀しくて、どうしようもなかった。
『お父さんとお母さんは、二階の集まりに行くから、亮はちょっと待っていなさい。椛は、もう上の、“丸に抱き茗荷” の部屋にいるからね』
「分かった」
僕は、右手で合図をした。
「泥棒が、来ないように見張るよ」
僕と麻子が待たされたのだよ。
両親は、麻子は、もう帰ると思ったのだろうな。
菊ばっちゃの前で二人きりになった。
『この度は、御愁傷様です』
「あー? 当たり前だろ」
『ごめんなさい』
「謝るなよ」
『あたしにね、弟がいたの知ってる?』
「朝比奈麻子にか? さあ、聞いた事ないな」
『朝比奈大和と言う双子の弟よ』
『小学校違うから、あの事も知らないわね。生まれつき病弱だったから、余り、学校にも行けなかったの。学校は、院内で通ったわ。院内学級ね』
朝比奈麻子は、横を向いた。
『……そして、無念のまま、九つで亡くなったのよ』
「亡くなったのか……。九つかよ、若過ぎだろ」
『あたしも同じ年だから、余計につらかったわ。両親も険悪になっちゃって』
「まさか、離婚とか?」
『今にもしそうよ』
「家は仲良く共働き。で、親代わりの祖母は、急な事故で、亡くなってしまった」
「僕は、車でやりやがった奴が凄く憎いよ」
『そうか。あたし達、哀しい者同士なんだ』
「哀しいかい……」
『神崎亮君?』
僕は、朝比奈麻子の隣にそっと寄り添った。
『そ、それは、あたしだって普通に人らしいわよ。生徒会長って見られるの嫌なのよ』
「眼鏡外していい……?」
『え、あ……』
「綺麗だよ、麻子さん……。いや、麻子って呼んでいい?」
『あ、あたし、友達がいないから。それって、嬉しいかも……。で、でも何で……。何で肩に手をやるの?』
「……ん」
『あっ……』
「……」
『……』
哀しみを分かち合っていたかった。
菊ばっちゃの亡くなったその日に。
「は、あ……。謝らないからな」
『あたし……』
二人とも、何故か涙を流していた。
麻子は、黙って帰って行った。
そして、振り向いたら、柩の窓が開いていたのに気が付いた。
「もう、菊ばっちゃが、可哀想だろう……?」
直してやろうと手を伸ばした時に、大変な事が起こった。
ガタッ。
ガタタタタタタ。
「う、うああ!」
柩が落ちて、利き手の右手を怪我したんだ。
後遺症で、この通り、殆ど動かない。
バチが当たったかね。
***
――僕は、病院のベッドに横たわっていた。
「もう、いいや……。誰もいなくなってしまったな」
自棄っぱちのまま、うたた寝をした。
「菊ばっちゃ……」
寝言でそう言ったらしい。
しかし、夢は、違った。
きんととちゃんがばたばたと空へ虹と共に昇って行った。
僕に、手を振って消えた。