β11 ウルフの危惧
□第11話□
□ウルフの危惧□
――三日後。ウルフのキッチンより。
「ウルフおじいちゃま。ごちそうになっています」
アトリエの隣にあるウルフの家で、お昼をいただいていた。
今日のむくちゃんファッションショーは、サマーニットに水色のタイトスカートが一推しであった。
絵を描くときは、スモックの膝丈迄ある仕事着を着ていた。
美術部では、むくのお手製で、これ又、むくの好きな水色であり、寅祐の刺繍をしてある仕事着を愛用していた。
学園の授業では、指定の黒い仕事着を着る事になっている。
「むくは、稲庭うどんの桜色、初めて見ました。綺麗です」
目をきらきらさせて、秋田名産の稲庭うどんをそそと食べていた。
「むくちゃんのほっぺも桜色じゃよ」
ウルフは、微笑ましかった。
「アチャ」
ほっぺに両手を当てた。
「わはは……! むくちゃんの、“アチャ” が出たら、一安心じゃよ」
「美味しかったです。ごちそうさまでした」
至福の顔は、ウルフを喜ばせた。
「洗い物は、一緒にします。大丈夫です」
笑って、下膳した。
「そうじゃのう。仲良く洗うかのう」
最強のじいじとお孫ちゃんコンビであった。
「じいじとむくちゃんで、すっぺしゃーるコンビを組まないかな? “JM” ? “WM” ? どっちがいいかのう」
そんな話をしながら、食器洗いを一緒にした後、お茶にした。
「ココアがあたたまります。はふう……」
にこやかなのは、ウルフの優しさに触れているからであった。
「ははは、むくちゃん。可愛いのう」
「ウルフおじいちゃま。おじいちゃまは、玲ぱーぱに似ている気がします」
ゆっくりとココアを飲んだ。
「どんな所がじゃ?」
聞いて欲しくて、直ぐに答えた。
「包容力があって、優しく、そして、優しさを裏打ちするかの様に毅さを持っています。むくの理想の男性です」
「所で、アトリエ通いに精が出るのう、むくちゃん」
「はい、九時五時で無理なく、集中力を欠かさない様にしています」
ウルフには、無理している様に思えた。
「自分を追い込まないようにな、むくちゃん……」
「……心が傷付いた時、精神科に行っても、薬と患者さんのバランスを取りながら、長くかかる場合は、少なくないものじゃ。病院を否定しておらんぞ。ただ、フラッシュバッグの様な辛い思いはさせたくない」
「ウルフおじいちゃまは、お医者様でしたね……。そんなに心配してくれて、ありがとう、ありがとうございます」
碧眼にも琥珀色の瞳にも、うっすらと涙を浮かべた。
「むくを愛してくれているウルフおじいちゃまには、何もできなくて……。むくを邪魔とさえ思う人をそれでも好きでいるなんて……。むくは、道を間違えた様です」
「心配は、要らないぞ。すっぺしゃーるコンビじゃ。二人で乗り越えような、むくちゃん」
「そうでした。ウルフおじいちゃまとむくは、すっぺしゃーるコンビ、“JM” です。じいじの方が儂より可愛いと思います。“JM” で、がんばります」
むくは、明るく振舞った。
「そうじゃな」
「うふ」
右にちょいと首を傾げて、肯定した。
***
――アトリエにて、孤独に。
そして、むくは、アトリエに入った。
バタム。
「今日、構成を決めます」
ぱらぱらとスケッチブックの新しい紙迄めくった。
「神崎部長は、ここに居てください」
イーゼルに亮の写真をクリップで留めた。
画鋲は使う訳がない。
「笑っていて、いいお顔です。椛さんに高一の頃と聞きました」
二次元の写真の神崎亮を先ず左にざっと描いた。
「……。ごめんなさい、むくです」
目線に置いた鏡の中のむくを見つけた。
さくっさくっと描いた。
亮の隣に……。
「似ていないです。形は描けているのに」
思うように描けずに、四苦八苦していた。
――アーッハハハ。
『亮に愛されていないから、むっくん』
朝比奈麻子の声がした。
『いちゃついて何が悪いの?』
『恋人って言うのは、やる事やっているに決まっているでしょう!』
『あたしと亮みたいに!』
え?
何で聞こえるの?
『靴買ってやったりする身にもなれよ、麻子』
か、神崎部長の声に驚いた。
『それ位、あたしには当然の事じゃない!』
『むっくん、本当は奪いたい?』
『体で?』
――クックックックッ。
『高一にもなって未だなんて、大嘘!』
痛さは、狙撃された様に伝わって来た。
むくは、幻聴らしき物を無視する事に努めた。
「絵に集中です」
「絵に集中です」
シャッシャッシャッシャッ。
鉛筆の運びが、速くなった。
「描き込めば、思う様に描けます」
「むくは、がんばります」
己を追い込んで新しく肖像画を進めた。
自分を蝕む過去に真綿が巻きつく様に縛られて。
アトリエの夏は、蒸し暑く、むくの汗と涙を気が付かせなかった。