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桜ノ木の下の10年

作者: 音汰

 僕は一年前と同じように桜の木の下に立つ。

 とても大きな枝垂れ桜。

 桜の花の香りを感じながら目を閉じる。

 そして思い出すのはあの子のこと。


「また、来たよ。君との約束を守るために……」


 上を見上げそう呟く──。




「ふぅ……」


 急な坂を登り終え、丘の上にある枝垂れ桜にもたれかかる。今年も綺麗に咲いているなぁ、と思いながら目の前にあった枝に手を添える。太陽の光を反射する花びらはとても綺麗だった。


「……綺麗だな」

「ほんとにね。キミは桜が好きなのかい?」

「え……」


 上から声がした。見上げてみると1人の女の子が枝と枝の間から顔を覗かせていた。


「うわっ!」


 僕は驚き桜から離れた。女の子はくすくす笑いながら地面に降りてきた。


「そんなに驚かなくても」

「いや、驚くよ……だってまさか桜の中に人がいるなんて思いもしないだろ」

「そうか?」


 そう笑って言う女の子はとても楽しそうだった。ふと、どうして女の子がここにいるのか僕は気になった。


「君はどうしてそんなとこにいたの?」

「ん?居ちゃだめなのかい?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

「はは、冗談。ごめんね。私は桜を見に来てたって感じかな」

「そっか」

「キミは?」

「僕も同じ」

「そっか」


 女の子は僕と同じように返してきた。


「君も桜が好きなの?」

「……まあね。だって私の苗字にも桜が入ってて親近感わくなーって」


 一瞬女の子が答えるまでに間があった。どうしたのだろうかと思ったが、それを聞く前に女の子が口を開いた。


「そういえばまだ名前を言っていなかったね。私の名前はさくら 灯織ひおり。ね、苗字に桜があるだろ」

「あ、ああ。そうだね」

「キミの名前は?」

「相川ほひと」

「ふむ。では、ほひとと呼ぼう」


 矢継ぎ早に言う灯織は何かを隠したがっているようだった。僕は質問をしたい衝動に駆られたが、結局何も聞くことはできなかった。

 僕たちはそのまま桜の根元に座り、夕方になるまで他愛もない話を続けた。


「綺麗な夕日だね」

「そうだな。ここの丘から見える景色はいつも最高なんだ」


 そう言う灯織は笑っているのにどこか悲しそうだった。そんな僕の視線に気づいたのか、灯織はこちらを見て微笑んだ。


「どうかしたかい?」

「いや、別に……」

「そう。さて、そろそろほひとは帰らないと」

「え」

「ん?帰らないのかい?」

「あぁ……いや……」


 確かにそろそろ帰らなければならない時間だった。けれど、僕が引っかかったのは”ほひとは”という言葉だった。まるで自分は帰らないと言っているように思えた。


「ふふ。何か言いたそうだね」

「え、と……」

「いいよ。質問してくれて」

「……うん」


 僕は灯織の言葉に甘えて質問することにした。


「灯織は、帰らないの?」

「帰るさ。あそこの家にな」

 灯織が指す先にはまだ明かりの付いていない一軒家があった。

「家の人まだ帰って来てないの?」

「ああ。私の両親は遅くまで仕事をしているから」

「そっか。なら──」


 帰ってくるまでここにいようか、と言おうとしたが遮られた。


「大丈夫。私の家はすぐそこなんだから心配するな。それよりも私は、ほひとのことが心配なんだ。ほひとの方が家遠いだろ?」


 そう言われてしまい何も言えなかった。僕は心の中にもやを残したまま頷いた。


「……わかった。また明日、来るよ」

「ありがと。ほひとの話楽しみにしてる」

「じゃ、またね」

「ばいばい」

 後ろ髪引かれながらも、僕は夕焼けを背に家路についた。



 その日から僕は毎日のように灯織に会いに行った。

 今日も灯織に会いに行こうとした時、母さんに呼び止められた。


「ほひと、ちょっと買い物についてきてくれない?お母さんの荷物持ちしてほしいの」

「え、待って。僕予定あるんだけど」

「そんなこと言わないでさ。ほら、明日花見行くからその準備よ。手伝ってちょうだい」


 そう言って母さんに、スーパーへと連行された。カートを引きながら早く灯織のところへ行かないと、と思うものの母さんは一向に僕を開放しようとしなかった。


「母さんのバカ……すごく遅くなったじゃないかっ!」


 僕は愚痴りながら灯織の元に走る。丘を登り桜の前に立つ。上を見上げると灯織はいつものように枝に座り、こちらに背を向けていた。


「灯織っ……!」

「……そんなに慌ててどうかしたのかい?」


 そう言って振り向いた灯織の目には涙が溜まっていた。


「ど、どうしたの!?」

「え……」


 すっと伝った一滴の涙で灯織は自分が泣いていたことに気づいたようだった。


「灯織、ごめんね。遅くなって……」

「どうして謝るんだ?ほひとは何も悪くない。ほひとにはほひとの時間がある。だから、しょうがないことなんだよ」


 その言葉に僕は首を振る。


「そんなことない!僕たちはこうして一緒にいる。なら!今同じ時間が流れているんだよ」

「……本当に、ほひとは優しいな」


 灯織は涙を拭い降りてきた。そして僕の隣に立ち笑った。




 ──ほひとが帰った後、私は一人で桜を見上げた。

 小さい頃は育つかどうかも心配だったというのに、今ではとても大きく育った。


「……もうすぐ散ってしまうな」


 私は桜の幹に触れ目を閉じる。思い浮かぶのは、ほひとの笑顔だった。


「ほひとと会えるのも、後一日がいいとこ、か」


 さわさわと私の言葉に頷くように、桜は枝を揺らし、花びらを散らす。


「……近付きすぎちゃったな……寂しいって思うなんて……」


 私はまた泣いた。

 次は大声で。

 誰にも聞こえないことをいいことに──。




「ほひと!今日花見に行くって言ったでしょ。起きなさい!」


 母さんの声が飛んできた。僕はもうそんな時間かと思い、のろのろと起きる。それと同時にドアが開かれた。


「何、ぐずぐずしてんのよ。あんたの好きな花見でしょ。行きたくないの?」

「そういうわけじゃないよ……てか、どこで花見するの?」

「今年はあの丘の上にある枝垂れ桜にしようと思って……」


 僕は耳を疑った。いつも通ってるあの桜で花見をすることになるとは。


「本当にそこの桜なんだねっ!?」

「う、うん。そうよ」

「すぐ準備するから待ってて!」


 僕は母さんを部屋から追い出し、猛スピードで支度を終えた。

 丘の下に着いた時、いてもたってもいられず僕は走って丘を駆け上った。けれど、いつもいるはずの枝に、灯織はいなかった。あたりを見渡すが、どこにも姿がない。


「どうかしたの?」

「いつもここに、一人の女の子がいたんだけど……」

「今日は用事があって来てないだけなのかもよ。お母さんたち花見始めてるからね」


 そう言って母さんたちは、桜の下で花見を始めた。

 僕は灯織を探そうと、桜から少し離れたところまで来た。けれどやはり、灯織の姿はなかった。


「はぁ……はぁ……」


 僕が息をつこうと膝に手を当てた時、ふわりと誰かが隣に立ったような気がした。


「そんなに走り回ってどうした?元気がいいな」


 隣にはくすくす笑う灯織がいた。


「うわっ!」

「そんなに驚くことないだろ。それはそうと今日は賑やかだな」


 そう言って後ろを振り向く。


「賑やかというか騒がしいというか……」

「騒がしいくらいがちょうどいいんだ」

「そうかな?」

「そうだよ」


 それからしばらく僕たちは何も言わなかった。そんな僕たちの間を柔らかい春の風が吹き抜ける。風が吹くたびに桜の花びらも舞う。まるで天へと登っていくかのように。


「……そろそろ腹をくくらないとな」


 先に口火を切ったのは灯織だった。灯織は真剣な眼差しをしていた。


「ほひと。落ち着いて聞いて欲しい」

「......うん」


 僕は灯織の次の言葉を待った。けれどこの時、聞かなければよかったのかもしれない。しかし、聞いてしまったものはもうどうにもできなかった。


「私はもう、死んでいるんだ」

「……え」

「十年前、ある事故に巻き込まれてね。私が桜好きだったことから、小さい頃に家族で植えたあの枝垂れ桜の下に私を埋めたんだ」

「…………」


 僕には信じられない話だった。灯織が死んでいたなんて。


「よく言うだろ?桜の下には死体が埋まっているって」

 笑いながらも灯織は少し呆れた様子だった。

 けれどそんな灯織に僕はついカッとなってしまった。

「何でそんなに他人事なんだよ!君のことだろ!?」

「そうは言ってもな……もう十年も経ってしまうと何も思わなくなるんだ」

「…………」

「別に私自身、悲観視しているわけじゃない。これでよかったと思ってる」


 灯織は笑った。しかし、僕は納得できなかった。だってこれではあの桜に縛られたままだと物語っていたから。


「今のほひとの気持ちは手に取るようにわかるよ。でも本当に私はこれでいいと思ってる。そのおかげでキミと出会えたのだから。みんなが私の存在を無視していく中、キミとこうして言葉を交わすことができたのだから」


 そう言うと一歩後ろに下がった。


「どうしたの?」

「明日にはあの桜は散る。それと同時に私はいなくなる。だから最後にキミと会えてよかった」

「な、何を言ってるんだよ……!」

「最後に一つだけ、お願いしてもいい?」


 僕は即座に頷く。


「たぶん私はもうここに現れることはない。今までどうしてここにいたのかわからなかった。けど、ほひとと出会ってたくさん話して……そしたらね、わかったんだ。私の未練は本当に心が許せる人と会話をすることだったんだって」

「心が許せる人……」

「そうだよ。私にとってそれはほひとだった」

「でも、僕らはまだ知り合って少ししか……」

「そんなのは関係ないんだ。古かろうが新しかろうが心を許せる友人はほひとしかいなかった。だから私にとってほひとは初めて心置きなく話せる友人なんだ。だからこそ今までの私のように、キミはここに縛られてはいけない。キミはキミの人生を歩むんだ。それだけはわかってほしい。私のことを忘れたとしても自分を責めないで。本当は私を忘れることが、一番いい方法なのだから」


 爪先から徐々に灯織の姿は薄くなっていた。


「そんな寂しいこと言うなよ!僕は君を忘れない!毎年ここに来る!」

「だめだよ。それでお願いっていうのは来年、あの桜の木の下に何か花を置いてほしい」

「来年?」

「そう、来年。それでキミはもうここに来ないと約束をして」

「え……」

「そうしないとキミはいつまでもここに来てしまって、気持ちに踏ん切りがつかないだろ」


 僕は灯織の真剣な言葉に頷くしかなかった。


「……ありがとう。最後まで我儘を聞いてくれて。ほひとが話す話はとても面白かったよ……ほひとに出会えて、よかった」


 灯織は笑いながら泣いていた。僕は手を伸ばしたが、届く前に灯織の姿は淡い光を放ちながら、消えていった。そのまま僕は膝から崩れた。



 あれから一年後。

 片手に花束を持って僕は同じように桜の木の下に立つ。

 とても大きな枝垂れ桜。

 桜の花の香りを感じながら目を閉じる。

 そして思い出すのはあの子のこと。


「また、来たよ。君との約束を守るために……」


 上を見上げそう呟く。今年も綺麗に咲いているなぁ、と思いながら、目の前にあった枝に手を添える。一枚一枚の花びらが太陽の光を反射し、輝いていた。


「……綺麗だな」

「ほんとにね。君も桜が好きなのかい?」

「え……」


 後ろから声がした。それも一年前と似た台詞で。

僕は勢いよく後ろを振り返った。けれどそこには灯織ではなく、灯織とよく似た女の人が立っていた。


「あ、あなたは……?」

「私は香織。君は?」

「……僕はほひと、です」

「ほひとくんね。ここの桜よく見に来るの?」

「えぇ、まあ……でも今年が最後ですけどね……」


 僕はそう返す。香織さんは不思議そうな顔をしたが、特に質問などはしてこなかった。優しい眼差しで桜を見つめる香織さんの笑顔は灯織そのものだった。


「……灯織」

「え……今、灯織って言った……?」


 知らず知らずのうちに、口にしていたらしい。僕は慌てて口をおさえる。


「どうして、灯織を知っているの」

「…………」

「灯織は十年も前に死んでしまった私の妹の名前なのよ」

「え……い、もうと……?」


 ここで僕は納得した。雰囲気や顔、どことなく似ている声。いろいろなところが姉妹ならば似ていて当然だと。

信じてはもらえないだろうけど、僕は一年前にあった出来事を香織さんに話した。


「……そう、だったのね」


 香織さんは微笑んで桜の幹に手を当てた。


「よかったね。いい人に会えて」

「香織さん......?」

「あ、ごめんなさい。ほひとくんの言ったこと、私は信じるよ。だってきみが嘘をつくようには見えないもの」


 ふふ、と笑う香織さんはやっぱり灯織と瓜二つだった。


「ありがとう。今日はいいお話が聞けたよ。これが最後だとしても、約束を守ってこうしてまたほひと君が来てくれたことにきっと灯織りも喜んでる」


 そう言って香織さんは桜を見上げる。僕も香織さんにならって、いつも灯織が座っていたところを見上げた。ふとそこに灯織がいつものように背を向け、座っているように見えた。そして振り向き笑ったような気がした。


「だといいんですが」


 僕も灯織に笑い返す。もう一度瞬きした時には、灯織の姿はなかった。

 きっと僕はもうこの桜を見には来ないだろう。それが灯織との約束だから。僕はスイートピーで作られた花束を桜の根元に置く。スイートピー──花言葉は「門出」「別離」「優しい思い出」

 一生に一度しかないだろうあの一週間の思い出を僕は忘れない。

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