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前編

ただの気まぐれで書いてしまいました。

『前編』と謳ってますが『後編』を書くかは皆さんの評価と、その日の気分で決まると思います。

というか一人でも続きを見たい方が居たら書きます。……きっと。

 むかしむかし、あるところにおじいさんと、おばあさんが住んでおりました。

 おじいさんは山へシバかれに。

 おばあさんは川へ命の洗濯に出かけました。


 おばあさんが川辺でぶらついていると、川上からきゃっきゃっとはしゃぐ声が聞こえてきました。

 おばあさんがその声を頼りに近づいていくと、そこには年端もいかぬ童たちが一糸まとわぬ全裸で水遊びをしておりました。

 子どものいないおばあさんは、その光景をとても優しい眼差しでみつめます。


 全身傷だらけで、しかしどこか恍惚とした表情を浮かべたおじいさんが山から帰ると、綺麗に割れた――

「よい桃尻じゃ!」が目に入りました。

 その声に、びくっと体をすくませた桃尻――いえ、童は咄嗟に振り返りました。

 あどけない顔に半べそを浮かべるその姿は、先ほど川辺で戯れていた童たちの一人でした。おばあさんはお持ち帰りしていたのです。

「食べてもいいんかいのっ」

 おじいさんは両方いける口でした。

 しかしおばあさんに「ダメじゃ」とつれなくあしらわれると、がっくり肩を落とし、囲炉裏のそばで膝を抱えてイジケてしまいました。

「よいな、お前は今日から〝桃太郎〟じゃ」

 おばあさんはそんなことなどお構いなしに、童の瞳を覗きこむように見つめます。

「ぼ、ぼくは新太です……」

「桃太郎じゃ」

「新太――」

「も、も、た、ろ、う」

「はい。ぼく桃太郎……」

 童――新太のなかで何かが囁きました。逆らっちゃダメだと。

 背後からの、ねっとりとしたおじいさんの視線に得も言われぬ危機感を煽られ、新太は知らずむき出しの桃尻を両掌で隠しつつ、どこか遠い目をするのでした。


「鬼退治に行ってくる!」

 それから数年後。元服を迎え背丈もそれなりに大きくなった新太――改め桃太郎は、ぐっと拳を握ると唐突にそう言いました。

 おばあさんはそんな桃太郎に一瞥をくれると、何ごともなかったかのように欠伸を一つ、そのまま横になってしまいました。童でなくなった桃太郎になど、既に興味を失っていたのです。

 おじいさんは今日もシバかれに山へ出ておりました。

「……え~と」

 てっきり引き止められるとばかり思っていた桃太郎は頬をぽりぽり、しかしこれ幸いにと、この日のためにこっそり準備していたきび団子を手に取り――、

「うっ――」思わず顔を背けて投げ捨ててしまいました。

 きび団子が腐っていたのです。

「早すぎたんだっ」

 きび団子は作る工程に時間が掛かるからと、作り置きしていたことが仇となったのでした。きび団子が日持ちしないことを知らなかったのです。

 しかたなく桃太郎は握り飯を作ると家を後にしました。

 その背後ではおばあさんがあまりの臭さにのた打ち回っておりましたが、気にしないことにしました。


「これが自由か!」

 これまで夢見てきたものが現実となったことへの万感の思いに、桃太郎はつい叫んでいました。

 どこまでも続く瑠璃色の空は遥かに高く、日差しに眼を射抜かれた痛みにすら、桃太郎は思わず顔がニヤけるのを感じる有り様でした。

 どれくらい歩いたでしょうか、桃太郎はふと立ち止まり、後ろを振り返りました。

 遥か遠くになったそれを桃太郎は眺めます。

 その胸中に去来する様々な思い……。

(しまった。燃やしてくるんだったか)

 かなり物騒なことを考えておりました。

 ひたすら貞操を守り続けた日々。桃太郎の背後にどす黒い影が揺らめきます。

 でも、とそこで桃太郎は思い直しました。

 ここまでいろいろ……そう、いろいろありましたが、それなりに大事に育ててくれたことは確かです。

 ……片時も気を緩めることはできませんでしたが。

 そもそも桃太郎には、両親と呼べる存在がおりませんでした。おばあさん曰く『お持ち帰り』される前――まだ〝新太〟と呼ばれていた頃。両親とは既に死別しており、伯父夫婦に引き取られていたのです。

「ん~……っ」

 思うところはいろいろとありますが、まっいいかと、桃太郎は大きく背伸びを一つ、颯爽と歩き出したのでした。まずは伯父夫婦に会いに行こう。そう思いながら。


 どれくらい歩いたでしょうか。桃太郎は、道にうずくまる一匹の年老いたイヌに出会いました。

「こんなところでどうしたんだい?」

 なんとはなしに声を掛けた桃太郎でしたが、

「世界が回っているのさ!」

「イヌが喋ったっ?」

 桃太郎は心底驚きました。そしてその声がやたら渋いことに、更に驚きました。

「回ってる廻っている、周っている、まわっているぅぅぅぅぅ……っ」

 イヌの様子が変です。桃太郎は、何だか嫌な予感しかしませんでした。

「しっぽが!」

 これは早々にこの場を離れたほうがいいぞ、と桃太郎が思い始めたその矢先。突然イヌはすっくと立ち上がると、自らの白い、フサフサ感の乏しくなったしっぽに噛み付こうとしました。

「しっぽ! しっぽが捕まらないんだ。しっぽ、しっぽ、しっぽ――」

 噛み付こうと動くたび、それに合わせて遠ざかるしっぽ。それを繰り返すうち、いつしか、桃太郎の見ている前で、ぐるんぐるんと回り出すイヌ。それはもうバターになりそうな勢いでした。

 しかし回転を続けることで目が回ったのでしょう、

「世界がっ、しっぽが、捕まらないんだ――うげぇっ」

「うわあっ?!」

 盛大に胃の中身をぶち撒けてしまいました。

 避け損なった桃太郎は、「ああ……」汚物まみれで酷い悪臭を放つ足を見下ろし、思わず天を仰いだのでした。

 

 川でわらじと、足を入念に洗う桃太郎。その横では、しっぽと思いマムシに噛み付いた拍子に逆に噛まれたイヌが、「うへへへ――くる、くる~……うげげげげ」と、白目を剥いて違う世界へトリップしておりました。

 桃太郎は何も見なかったことにして先を急ぎました。


 しばらく行くと、道端の岩の上であぐらをかくサルに出会いました。

 また何か嫌な予感がした桃太郎は、関わらないよう心に誓いながらその横を通り過ぎようとしました。

 サルはそんな桃太郎のことをニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら見ています。

 と、桃太郎が目の前を通り過ぎようとしたその瞬間、人間で言うところの片方の襟を肌蹴るような仕草をしてみせるとこう言いました。

「やらないか」

 驚くほど男前な声でした。

 桃太郎は顔を赤らめ俯き、恥ずかしがるような仕草で体を軽く捻ると、

「死んでしまえっ」

 すっかりその気になったサルの、無防備に開いた鳩尾へと渾身の拳を叩き込んでいました。

 その顔はそれこそ鬼もかくやという形相を浮かべ、憤怒に赤く染まっており、幼年期の心的障害トラウマのほどが伺えます。

「嫌なこと思い出させやがってっ」

 忌々しげに舌打ち一つ、サルの血反吐に汚れた半身を洗い流しに、再び川を求めて歩き出す桃太郎。その後ろでは、いつのまにやら復活していたイヌが、サルの短いしっぽを噛み噛み「このしっぽではないっ」と、やたら渋い声で吠えておりましたが、まったく気にせず先を急ぐのでした。


 更にしばらく行くと、見覚えのある村が見えてきました。

 まだ〝新太〟だったころの、短かくも切ない思い出が胸中に去来します。

 畑仕事に精を出す父親の無骨な腕、毎夜子守唄を歌ってくれた母親の甘い香り……そして二人との突然の別れ。自分を迎える伯父夫婦の複雑な表情……。

 そのまま村の中央まで歩みを進めると、桃太郎はついに感極まり――、

「ぼろっ!」

 思わず悲鳴にも似た叫びを上げてしまいました。


 人っ子一人いない静寂の中、記憶を頼りに伯父夫婦の家へと辿り着いた桃太郎でしたが――。

 猫の額ほどの畑は荒れ放題。藁葺の家屋は、それまで同様朽ち果て傾き、人の営みが絶えて久しいと思わせるに十分な有り様に、知らず座り込んでいたのでした。

「どうして……」

 ぽつりと漏らす言葉に応える者はいません。

 ただ虚しく乾いた風が吹き抜けていくだけでした。

 そんな桃太郎の肩に、そっと添えられる手が一つ。

「……お前」力なく振り向いた桃太郎の前には、さきほど殴り倒したサルがおりました。

「そんなに落ち込むなよ。きっと何か止むを得ない事情があって移り住んだだけさ。だから――」

「サル。おまえ……」

 桃太郎は目頭に熱いものを感じずにはいられませんでした。さっきは感情的になって酷いことをして申し訳なかったと、そう思い添えられた手に重ねようとした掌を、

「――やらないか」

「黙れエロザル!」

 次の瞬間には拳に変え、サルの顎を抉るように打ち上げていました。

 軽々と宙を舞い、どちゃっと妙に湿った音を響かせ地面に落下するサル。その先ではしっぽと勘違いし噛み付いた荒縄が首に巻きつき、宙吊りとなって白目を剥いているイヌの姿がありました。

「あー……」

 現実逃避気味に仰ぎ見た青空は、どこまでも爽やかに澄み渡っていたのでした。


「さて、どうしたものか……」

 そこは両親と暮らした場所でしたが、そのどこにも〝思い出〟の欠片を見出すことはできません。

 完全に倒壊して久しいと思しき瓦礫に座り込み、頬杖つきつつ、ぼーと雲の流れ行く様を眺める桃太郎。まさかこんな有り様になっていようとは、想像もしていなかったのです。

 しかたなく、桃太郎は一先ず握り飯でも食べて落ち着くことにしました。


「ぅん……?」

 それは桃太郎が、もしゃもしゃと塩気の足りない握り飯を頬張っていた時のことです。

 ふと頭上に気配を感じそちらへ顔を向けると、何かが桃太郎目掛け向かって来るのが目に入りました。

 それは見る見る間に視界の中でその大きさを増し――、

「どひぃっ!」

 次の瞬間には、泡を食って飛び退いた桃太郎を掠めるようにして、ビィ~ンと地面へ突き立っていました。

「……な、何なんだ――キジ?」

 全体的に美しい緑色の体色。頭部の羽毛は青緑色で、目の周りには赤い肉腫――それはまさしく〝キジ〟でした。

 腰を抜かしたようにへたり込む桃太郎の目の前。キジは何ごともなかったかのようにピンと伸ばしていた足を地面に立ちあがると、転がっていた握り飯を器用に啄み始めました。

「塩気が足りない。たくわんありま――ってどこへ行くのですか?」

 顔を上げたキジの視線の先。そこには、いつの間にやら足音を忍ばせ立ち去ろうとする桃太郎の姿がありました。

「いや、また変なのが現れたなと……」

「失礼な! 変なのとは何ですか。変なのとはっ」

 クチバシと、眼をくわっとばかりに開き、威嚇するように羽を大きく広げるキジ。しかしクチバシに付いたご飯粒のせいで迫力は三割減でした。

「喋ってる時点で十分変だし」

「そんな根本的なところを気にしてたら話が進まないんですよっ!」くわっ!

「そうかなぁ~……?」

 桃太郎はもやっとしましたが、確かにキジの言うとおり話が先に進まない気がしたので一先ずこの件は置いておくことにしました。

「それはそうと。お前さっき俺を狙っただろ?」

 ジトッとした視線を向ける桃太郎。キジの足元には、その頭と同じ大きさの穴がぽっかり開いています。避け損なっていたら大怪我じゃ済まなかったことでしょう。

「狙いましたが何か?」

 しかしそんなのどこ吹く風。けぷっと腹を擦るその姿は、何当たり前のことを言っているの? バカなの? と云わんばかりでした。

「……キジってうまいらしいな」

「それは知りませんでした――なっと!」

 このクソキジ喰ってやる! とばかりに飛びかかる桃太郎でしたが、キジは華麗に躱すと、近くの屋根に飛び移ってしまいました。

 そして「降りてこいこのやろぉ!」と騒ぐ桃太郎を見下ろしつつ、ばさぁっと大仰に両羽を広げつつこう言ったのです。

「あなたの力量を試したのですよ!」

「力量~ぅ?」

 訝しげに目を細める桃太郎。

 石でもぶつけてやろうと振りかぶっていた腕をおろ――、

「あぶなっ!」

 ――さずそのまま振りぬき、持っていた拳大の石を投げつけました。

「当たったらどうするんですかっ」くわっ!

「心配するな。当てるつもりで投げたんだからな!」

「くわ~っ」

「きょ~っ」

 威嚇のポーズをとるキジに負けじと、桃太郎も大きく両腕を広げて片足立で応戦します。

 そのまま睨み合う一人と一羽。誰かに見られたら頭を疑われる光景でした。一方的に桃太郎一人が。

「……くわ~っ」

「……きょ~っ」

「…………」

「…………」

 どれくらいそうしていたでしょうか。足が疲れた桃太郎の体が揺れだした頃、どちらからともなく止めると、コホンと一つ咳払いをしたのでした。

 生温く交錯する視線の間を、乾いた虚しさが吹き抜けて行きます。

 桃太郎は再び瓦礫に腰掛けると、隣に降りてきたキジへ問いました。

「……んで。力量ってどういうことだよ?」

「それはですね。あなたが〝桃太郎〟だからですよ」

 どうですこれで納得したでしょう、とばかりに胸を張るキジ。

「……だから、〝桃太郎〟だとどうだと言うんだよ?」

 しかし桃太郎の困惑具合は益々深まるばかりでした。

 キジは「やれやれ……」溜息一つ吐くと、どうして理解できないんだとばかりに両掌(羽)を、肩を竦めつつ上げながら、頭を左右に軽く振りました。

 桃太郎は何だかイラッとしました。

「いいですか? 〝桃太郎〟と云えば〝鬼退治〟。〝鬼退治〟と云えば〝桃太郎〟と相場が決まっているではありませんか」

「……すまん。何言ってるか解かんない」

「だーかーらー。鬼退治ですってばっ、鬼退治! 知りません? こう、頭の天辺に角が生えてるムキムキマッチョな悪役ヅラのあいつらを退治しに行くんですよっ」

 焦れたのか、器用にジェスチャーを交えつつ、キジは鼻息荒く捲し立てました。

「鬼くらい知ってるよ。そうじゃなくて。そもそも何でそんな危ない目に遭いに行かなきゃならんのだ」

「仕様だから」

「……は?」

「仕様だから」

 大事なことだと、キジは二度同じことを言いました。

「…………」

 キジの顔をまじまじと見つめる桃太郎。キジの顔はやる気満々で、とても冗談を言っているようには見えません。おばあさんの家を出てからこちら、何だかおかしな言動をする輩ばかりに出会うことに、桃太郎は理不尽なものを感じ、深々とため息を吐いたのでした。

「……あなた本当に〝桃太郎〟なんですか?」

 そんな桃太郎を前に、訝しげな視線を向けるキジ。桃太郎は力なくそちらに眼を向けると、ポツリと漏らしました。

「少なくとも今はそうだ」

「……言ってる意味が解らないのですが」

 今度はキジが首を傾げる番でした。

「だから――」桃太郎はこれまでの生い立ちを簡潔に説明しました。生まれた時からそう呼ばれていた訳ではないこと。幼いころの、おばあさんとの遭遇――もとい出会いにより強制的に名乗らされるはめになった名が〝桃太郎〟であったことを。

「ちなみにここが昔住んでた場所な」おざなりに瓦礫と化した家を示す桃太郎。

 それを聞いたキジは、先程までのやる気に満ちた表情はどこへやら。急に動揺をその顔に浮かべました。

「な、何だよ急に?」

 突然様子が変わり、しかも足元を見つめたままブツブツと「新太? 本当の桃太郎じゃない? ……偽物――いやいや、〝桃太郎〟は常に一人の筈…………」など呟き出したキジを前に、桃太郎は薄ら寒いものを感じずにはいられませんでした。

「……そ、それでは。〝桃〟から生まれた訳ではない?」

 どうれくらいそうしていたでしょうか。

 黙考し動かなくなったキジを前に、こっそり逃げ出そうと桃太郎が腰を上げかけたその時。キジは我に返ったように顔を上げると、そんなことを言い出しました。

「いやいやいや」何の冗談? とばかりに手を振る桃太郎。

「桃から人が生まれるとかあり得ないから」

 桃太郎は、この物語の根幹を揺るがすようなことをサラリと言ってのけました。

「それを言ったら、我々動物が喋っている時点であり得ないでしょうに」

「さっきそれ言ったら、話が進まないって言ったくせに……」

「さっきはさっき。今は今です」

「えー」

 桃太郎は何だかもやっとしましたが、キジはそんなことお構いなしに話を続けました。

「鬼は桃太郎と対を成す存在であり、常に同じ時代、桃太郎が元服を迎える頃に復活を果たすのです。『桃太郎産まれしとき、鬼もまた目覚めの兆し現れん。その者三匹のお供を連れ、悪鬼羅刹を討ち滅ぼさん』――これは我々キジの一族に伝わりしもので……うぼぁ」

 キジはそこで言葉を区切ると、クチバシを大きく開け、なんと一つの古ぼけた巻物を吐き出してみせました。

「もう何でもありだな……」

 桃太郎はげんなりしながら、ところどころに未消化のご飯粒が付いたそれを地面に広げてみました。

「……胃液臭い」桃太郎が鼻を摘みつつ目を通したそこには、桃太郎と思しき少年と三匹のお供たちが、凶悪な容貌をした鬼と思しき怪物と激闘が描かれておりました。

「……あれ? この三匹……イヌにサルに――」桃太郎は顎に手を当て何ごとか考えだしました。

「そう! それこそが我々三匹の――」

「どこかで見かけた気がするな……どこでだったか?」

「さっきまで一緒にいたでしょ! ほらイヌとかあそこで暇そうにしてるでしょ!」

 鼻息荒く捲し立てつつ示す方を見てみれば、確かに一匹の老イヌが暇そうに寝転がっていました。

「あー」ポンっと拳で掌を打ち「居たな。そういえば」

 桃太郎はすっかりイヌと、サルのことを忘れていたのでした。

「あなた何気に酷いですね……」

 キジはジト目を向けましたが、桃太郎は全く堪えていません。

「そもそもあの二匹をお供にした覚えはないし、する気も無い」

 もちろんお前もな、と言外に滲ませつつキジを見返したのでした。

「じゃあなぜ一緒に居たんですか? 結んだからでしょ、〝きび団子の誓い〟を」

「……は? きび団子の……何だって?」

「だから誓いですよ。誓い」

 ほれ私にもくださいよきび団子。と両羽を皿のようにして催促するキジに、桃太郎は眉根にシワを寄せつつこう思いました。

「〝きび団子の誓い〟? 何それ字面からして頭おかしいだろ」

 口に出ていました。

「あなたの祖先が始めたことでしょうがっ!」

「知ったことかっ!」

 くわーっ、きょーっと再び威嚇しあう一羽と一人。

「あなたは足腰を鍛えたほうがいいですね」

「くそっ。今に見ていろ」

 桃太郎はぷるぷる震えだした足と、ドヤ顔のキジを恨めし気な視線で交互に見遣ると、悪態吐きつつどっしと腰を下ろしました。

「それはそうと。〝きび団子〟って付くからには、きび団子が要るんだよな?」

「そりゃそうでしょうが」

「持ってないぞ」

「……は?」

「いやだから。持ち出す筈だったやつが腐ってたんでな、代わりに握り飯持って出たんだ。ちなみにさっきのドサクサでお前が食ったのがそれな」

「……は?」

 キジは開いた口、もといクチバシが塞がりませんでした。〝きび団子〟といえば〝桃太郎〟にとって遺伝子レベルで必需品となっている宝具とも言うべきものなのに、それを携帯しておらず、あまつさえ腐らせたなど、先祖代々仕えてきたキジにとってあり得ない話でした。

「きび団子に死んで詫なさい!」

「なぜそうなるっ?」

うるさいですね! さあ、腹を切るか、切腹するか、この場で選んで下さい。くわっ」

「二択になってないだろ、それ……」

 いっそ目の前のこいつを斬り捨ててやろうか――いい加減いろいろ面倒になってきた桃太郎は、ふとそんな思いに駆られましたが、そこではたとあることに気が付きました。

「大体斬るもなにも、丸腰なんだけど?」

 ほれ、と両腕を広げて見せる桃太郎。キジはそんな馬鹿なと、その腰の辺り見遣りましたが、確かにそこに刀はおろか、およそ武器と呼べるものはいっさい見当たりませんでした。

 そもそも桃太郎は、鍬以外に扱ったことがないので、仮に刀があったとしても自分の足を斬るか、勢い余ってキジを二枚に下ろすのが関の山でしょうが。

「あなた殺る気あるんですか!」

「ある訳ないだろ!」

 旅に出たのだって、おばあさんの、いてはおじいさんの元から逃げたかっただけの桃太郎に、なはからそんな気概がある訳ありませんでした。

 キジは怒りのあまり血走った眼で桃太郎を睨み、その桃太郎も負けじと睨み返します。

 しかし、あわやこのまま行けば異種格闘技戦かと思われたその時、キジは突然がっくりと肩を落とすと、会社をリストラに遭った中高年のような、深く重苦しい溜息を吐いたのでした。

「だ、だいじょうぶ、か?」

 そのあまりの落胆ぶりは、思わず桃太郎が恐る恐る声を掛けてしまうほどのものでした。

「……私の番だったんです。……キジの寿命は平均で十年ほど…………中には鬼との戦いを知らずに老いていく者も居るんです」

 キジは地面に落ちていたご飯粒をじっと見つめながら、ぽつりぽつりと、ぎりぎり桃太郎に聞こえる程度の小声でそう漏らし始めました。

「……私の世代は、当たり年でした。多くの兄弟たちを蹴落とし、非情と罵られながらも、私は『桃太郎』の鬼退治にお供出来る日を、今か今かと、心待ちにしていたのです――」

「お前、それほどまでに……」

「――ところがですよ! 桃太郎出立の報を受け嬉々として馳せ参じてみればっ、きび団子はおろか帯刀すらしていない平和ボケ野郎だったとか、怒りのあまり憤死しそうですよ!」

 がばっと顔を上げ捲し立てるキジ。その怒りは凄まじく――、

 目の周りを覆う肉腫は当社比1.5倍ほどに膨らみ、その色は赤を通り越してどす黒く染まった。

「すんませんでしたっ」桃太郎は思わず土下座した。本能的な恐怖から思わず動いていた。遠巻きにしていたイヌですら、恐怖のあまり漏らしていた。サルは地面に横たわったまま動かなかった。

「――という訳でこれから鬼退治に向かいます。いいですね?」

「はい……」

 どれくらいそうしていたでしょうか。キジの怒りが治まるまでの間、正座していた足はすっかり痺れてしまい、擦りながら渋々といった体で力なく頷く桃太郎の頭からは、幾筋もの血が流れておりました。

「全員集合!」

 キジはクチバシの先端に付着した血痕を桃太郎の袖で拭うと、両羽をバサリと大きく広げ、声高らかに号令を掛けると点呼を始めました。

「桃太郎!」

「はい……ハァ~……」擦り擦り。

「イヌ!」

「サー、イエッサー!」

 イヌの態度が変でした。キジの怒りに、かつての何かを揺り起こされたのかもしれません。

「サル!」

 返事がありません。

「サル!」

 それもその筈。皆の視線の先、サルは未だ地面に横たわったままでした。

「まったく……いつまでそうやって――ん? んんっ?」

 桃太郎とイヌが揃って見守る中、キジは横たわったままのサルへと近寄ると、器用にその手首を取り脈を確認しました。そしてそのまま数秒固まり、いやいやと今度は首筋で脈を確認し――、

「お、おサルさん?」その体を揺すり、「お、さ、る、さ、んっ」と一言ごとに頭を突きました。

「…………」

 返事がない。ただの屍のようだ……。

「…………」

「…………」

「…………」

「――って、どうするんですか! どうするんですか!」

 さあ大変です。桃太郎に殴られた時の打ちどころが悪かったのでしょう。サルは鬼ヶ島へ行く前にあの世へ逝ってしまいました。キジは鬼退治が、伝統が、と右へ左へ、上へ下への大騒ぎです。

「こ、この話は無かった……ということで――」

 鬼退治なんて危ないことは忘れて、サルの分も楽しく生きようじゃないか、ハハハ。桃太郎は冷や汗をだらだら流しながらそう提案してみました。

「そうですね。あなた殺して、新しい桃に期待しましょうか……」

 しかしそう答えたキジの、桃太郎を見るその眼はどこまでも虚ろで冷たく、まるでこれまでに何人もの人間を屠ってきたかのような、一種異様な冷酷さに満ち満ちておりました。

 桃太郎は、ヒッと喉の奥で引き攣ったような悲鳴を上げ、再びその場に土下座し心の底から命乞。イヌは腹を見せ服従のポーズを取りました。

 そんな一人と一匹の頭上で、クチバシが冷たい輝きを発していました……。


「どこかに良い戦力はいませんかね……」

 キジは桃太郎の肩の上。羽でひさしを作り、遠くを眺め回しつつ溜息混じりにそう呟きました。

 あれから暫くのこと――。

 キジ、イヌ、桃太郎の一行は、廃村を後にし、鬼退治の旅を続けておりました。

 一頻ひとしきり大暴れしたキジが最初に立てた計画は、サルの抜けた穴を埋めることでした。

「サルいませんね……おら、きりきり歩いて下さいっ」

 伝統を重んじたいキジは新たなサルを求めましたが、これまでの道中サルはおろか、ネズミ一匹見当たらない始末。腹癒はらいせに桃太郎の頭をクチバシで小突くと、再び周囲に意識を戻しました。

「くそっ……一々頭を小突くなよ。これ以上出血したら、死んじまうぞ……」

 力なく、しかし心底恨みのこもった眼でキジを睨め付ける桃太郎。その頭は血塗れで、全身のあちらこちらに見られる裂傷からも血が滲み出しておりました。貧血を起こして足元がフラフラしています。

「いっそ死んでくれ方が次に期待できて嬉しいんですがね?」

 キジはどこまでも非情でした。

 桃太郎は少しだけ泣いてしまいました。

「――ん? この匂いは……」

「どうかしたのですか?」

 不意に立ち止まり、鼻を上げてくんくんしだしたイヌの姿に、キジはどこか期待の篭った眼差しで問いかけました。老いたとはいえ、イヌの鼻が何かの〝ニオイ〟を捉えたのです。ひょっとすれば新たなサルとの出会いの予感に、俄然がぜんテンションが上がるのでした。

「新たなしっぽの予感!」

 一羽と一人が見守る中、一吠えすると老いを感じさせない力強さで駆け抜けていくイヌ。みるみる遠ざかり、前方の藪の中へと躊躇なく飛び込んで行くその様は、往年の猟犬ぶりを彷彿とさせました。

 猟犬……。

「いやいや。ちょっと待って……」

 どちらかともなく呟き、キジと桃太郎はお互いに顔を見合わせました。

 ツツーと、汗が伝う。なぜでしょう、とてつもなく嫌な予感がします。

「…………」

「…………」

 キジと桃太郎は、イヌが飛び込んでいった藪へと顔を向け、再び見合わせると、ダッとばかりに大慌ててでイヌの後を追い掛けました。

 藪を抜けた先、突如として開けた視界の向こうに広がるのは、川のほとりでした。陽の光を受けて輝く清流が、眼を耳を優しく癒やします。

 思わずふらふらと近づく桃太郎を、それどころじゃないでしょっ! と一突きしつつ、キジは焦燥感に駆られながら辺りに視線を走らせました。

「イヌは……イヌはどこに――居た!」

 キジたちの位置から更に川を下った先に、全身ずぶ濡れで、毛という毛が体に張り付いた、イヌの丸まった背中が見えました。

「まさか……」

 こうべを垂れたその姿に、否応なしに不安を掻き立てられ、桃太郎を置いて飛び掛からんばかりの勢いでイヌの下へ飛んで行くキジ。するとその気配に気付いたのか、イヌは徐ろに背後を振り返りました。

「やっぱりかぁぁぁぁぁ!」

 その口には、ぐったりとした、こちらも全身ずぶ濡れでみすぼらしい姿をしたサル――ではない何かを咥えておりました。

 不安が的中したキジは、絶叫をたなびかせつつ、そのまま真っすぐ藪の中へと突っ込んで行き、追いついた桃太郎もその光景に、嗚呼と手で顔を覆いつつ天を仰いでいました。


「まったく、紛らわしい!」

 憤懣ふんまんやるかたないとばかりに、桃太郎がせっせと拾ってきた枯れ枝を折っては焚き火へ放り込むキジ。桃太郎はやれやれと溜息を吐き、焚き火にあたる二匹(、、)の動物を見遣りました。

「あぁ~温かい……」

「しっぽに染み入る暖かさだ……」

 しっぽをパタパタさせながら火にあたるイヌの横、同じく焚き火に前足の肉球をかざし、くしゅっとクシャミをする小さな影が一つ。三角状の耳に大きな瞳。全身濡れそぼってはいるが、白、黒、赤の三色模様がはっきりと伺える体毛。そして隣のイヌのそれと比べ、すらりと長く伸びたしっぽ――イヌよりも一回りは小さいその影の持ち主、それは〝ネコ〟でした。

「それにしても、どうして川で溺れる羽目に?」

「どうしたもこうしたも。うちのあるじ様ときたら、あたしを歳とってネズミを捕れなくなったからって、あろうことか三味線にしようとしたんだ! まったく酷いもんだよ……」

 よくぞ訊いてくれましたとばかりに不満を捲し立てるネコでしたが、そのままおいおい泣きだしてしまいました。

「しっぽが無事でよかった」

 その肩をポンポンと軽く叩き、慰めているのかそうでないのかよく判らない言葉を掛けるイヌに、しかしネコは「あんたいい男だね」と、別な意味で瞳を潤ませました。

 ぴとっと身を寄せ合うイヌとネコ。いつしか二匹の世界が出来上がっていました。

 そんな光景を前に桃太郎はうつらうつらと船を漕ぎ、キジは藪で乱れた羽の毛繕いに没頭していました。

「……しかし情けないもんだよ」自らの右掌を見詰め「かつてこの肉球は〝神の肉球〟とうたわれて、それこそ魚だろうとネズミだろうと、思い通りに捕らえたものさ。腹が減っていたとはいえ川で溺れるとは……」

 歳は取りたくないもんだね。ひとしきり泣いたネコは、最後にそう呟くと溜息を吐きました。

 キジはそのタイミングを待っていたかのように、さてと毛繕いを止めて全員を見渡すよう首を巡らせました。そして繕われ綺麗になった羽を大仰に広げると、電光石火の早業で、未だ船を漕いでいた桃太郎の脳天に一撃を見舞い、突然のことに目を丸くするネコを前に何ごともなかったかのように問いかけました。

「我々は、ここに居られます桃太郎の家来として、鬼退治へ赴く最中なのです」

「家来……」ネコは頭を押さえてのた打ち回る桃太郎を見遣りました。

「ここで出会ったのも何かの縁。あなたも我々とともに行きませんか」

「鬼退治……」ネコはもう一度桃太郎を見遣りました。頭からぴるぴる血が出ていました。

 その前に当の桃太郎が退治されてしまうのでは……ネコはそう思いイヌに顔を向けましたが、そこに触れてはいけないとばかり小さく首を振る姿に、どこか得心したような顔をしました。何か悟ったのかもしれません。

 ちらりともう一度イヌを見遣り、そして視線を戻すと爪を剥き出し言いました。

「いいだろう。確かにここで命を救われたのも何かの縁。鬼はかなり凶暴な奴だと聞いているし、それを退治したと知れば、うちのあるじ様も考えを変えてくれるだろうさ」

 その時はお前さんも一緒に来てくれるかい、とネコはイヌに寄り添いました。キジはうざいと思いました。

「……しかしさ。正直この顔ぶれで鬼退治とか無理じゃないのか?」

 痛む頭を抑えながら、ようやく起き上がった桃太郎は問いました。自分は現在丸腰な上、ろくに刀も扱えない。加えてイヌもネコも加齢による体の衰えが無視できない状態とくれば、キジ一羽がいくら奮闘しようとも、話に聞く鬼の恐ろしさから察するに敗北は必至。祖先はどうだったか知らないが、とても正気だとは思えないのでした。

「まぁ確かに。今のあなたが何人集まろうとも、鬼一匹に蹂躙されるのがオチでしょうね」

 キジはやれやれとばかりに肩を竦めました。桃太郎はキジを張り倒そうかと思いましたが、ぐっと我慢しました。確かにそうだろうな、とも思ったからです。

「そこで私は考えました。これからあなたに刀の扱いを仕込むのは難しいでしょう。そもそも私自身刀を扱えませんし。そこでっ――」

 キジはビシッと、人差し指を上げるように片羽を上げ。

「更に仲間を集め、鬼どもに奇襲を掛けましょう!」

「仲間集めね……賛成だけどさ、伝統とかはいいのか?」

「背に腹は代えられません。そもそもサルが死んだ時点で終わってるでしょ」

 ジトッと目を細めるキジ。桃太郎はさっと視線を逸しました。サルは何で死んだんだい、とネコはイヌへ小声で問いましたが、帰ってきた答えは「しっぽが坊やだったからさ」という意味の解らないものでした。

「……ま、まぁともかく。奇襲はいいとして、どうしかけるんだよ?」

 そもそも奇襲が成功するような相手なのかも分からないのです。イヌもネコも、そうだそうだという顔でキジを見遣りました。

「そうですね……〝毒〟なんてどうでしょう」

「確かに効果的ではあるだろうけど……どうやって飲ませる気だ?」

「伝え聞いた話では、奴らは酒に目がないとか。旅芸人に扮し、宴にかこつけて飲ませるのです! それで倒せれば良し。ダメでも弱ったところを全員で襲えば何とかなるでしょう」

「お前汚いなぁ」

「あなたに毒を仕込んで鬼に喰わせるという案もあるんですがね」

「お前策士だな!」桃太郎はキジを手放しに褒め称えました。

「……しかし、我々が旅芸人に扮しただけで相手を油断させられるだろうか?」

「……ん?」

 その声に桃太郎とキジは、〝え、今の誰?〟という表情でお互いの顔を見詰め、次いで発せられた「どうなんだ?」という言葉に、ギギギとまるで油の切れた機械のような動きで顔をそちらに向けました。その視線の先にはネコ――と、腕を組みこちらに訝しげな視線を向けるイヌの姿。

「「……は?」」

 間抜けな声をハモらせつつ、再び顔を見合わせる。じんわりと状況が脳に染み込み……。

「「え~~~っ?」」

 先程の動きが嘘のような、ギュルンとねじ切れそうな勢いでイヌを見遣りました。

 

 ――なんかまともなこと言い出したっ?


 口を開けばしっぽがどうのとか言っていたイヌが……。

 その目は驚愕に見開かれ、信じられないものを見たと云わんばかりの表情を浮かべる。かなり失礼な一人と一羽でした。

「……で、どうなんだ?」

「そ、そうですね……確かに姿を変えた程度で騙されてくれる相手なら楽でしょうが、中には多少なりとも知恵の回る奴も居たと伝承にはあります。ここはある程度でも芸事を会得しておく必要があるでしょうね」

 桃太郎はうへーっと思いましたが、顎に手をやり神妙な顔つきで誤魔化しました。

「それならこの先にある町に、そういうのを生業としている一団が居たね」

 そう言い遥か先に視線を馳せるネコの表情は、どこか淋しげなものでした。あるじ様との暮らしを思い出したのでしょうか。

「フム。それではその町を目指しつつ、道中も戦力となりそうな仲間を探すとしましょう」

 キジの号令一下。焚き火を片付け、旅を再開する一行。

(仲間ね……)

 そんなことを思いながら、自分の前を歩くイヌ、ネコ、そして上空を行くキジを順に見遣る桃太郎。その視線を今度は逆に辿りながら、ふと既視感めいたものが頭をよぎりました。

(何でだろう……次に出会うのは〝ウマ〟のような気がする……)

 腑に落ちないとばかりに首を傾げる。なぜそう思うのか自分でも判りませんでした。

(まぁ、それならそれで、逃げるにもおあつらえむきだしな)

「あの森を抜けた向こうが、目的の町だよ」

 ネコの言葉に、いつの間にか俯いていた顔を上げる桃太郎。その視線の先には、ここからでも分かる程に鬱蒼とした森が広がっていたのでした。


「しかしほんとに深い森ですね……」

 葉の緑がむしろ黒ずんで見えるほどに密生した木々の合間を、まるで縫うように続く道を行く桃太郎一行。ほとんど陽の光が届かない、昼にあって夜を彷彿とさせるその場所を見通すように、目を細めつつ「やっぱりよく見えませんね」とぼやく。始めこそ飛んで進むにはあまりに不向きなその中を、桃太郎の肩に止まって辺りを注意深く眺めていたキジでしたが、早々に諦め鼻の効くイヌと、夜目の効くネコへその役を任せておりました。

ネコは「初めての共同作業ね」とイヌに擦り寄り、年甲斐もなくテンション高めでした。

「クマでも出そうだよな……」

 小鳥だろうか、時折届くばたばたという羽ばたきに、その都度ビクリと反応する桃太郎。挙動不審にキョロキョロと辺りを見渡しつつボソリと漏らす。

「それはさすがに嫌ですね……」

 仲間にできれば心強いでしょうけどね、とキジもどこか緊張した面持ちで応えます。

 かつて、桃太郎は一度だけクマに遭遇したことがありました。

 あれはまだ幼少のみぎり、おばあさんたちと暮らし始めて一年ほどが経ったある日。三人で山菜を摂りに出かけたおり、それに出会ったのでした。

 当時の桃太郎の背丈と同じか、それ以上に育った藪の向こう。突如盛り上がるように現れた黒い塊を前に感じた、身の毛もよだつ本能的な恐怖は、今でも忘れることのできない記憶の一つ。結局あの日は桃太郎を抱えたおじいさんが、おばあさんをすっ転ばせて囮とし、這々ほうほうの体で逃げたことで事無きを得たのでした。その後おじいさんは、その身をクマの返り血で濡らし、既に事切れ物言わぬ肉塊と化したそれを引き摺って帰ってきたおばあさんに、ボロ雑巾のようになるまで傷めつけられたのでしたが。

「……っ」その光景に別の意味で感じた恐怖を思い出し、ぶるりと震える桃太郎。あれ? ひょっとしておばあさんを鬼ヶ島へおびき出せば万事解決じゃないだろか。鬼たちが人間の童子を何人も囲っているとか吹聴すれば、目の色変えて鬼どもの巣窟へ単身乗り込むだろうし。と考えましたが、バレたら自分たちもただでは済まされないだろうことを考えると、恐ろしくておくびにも出せませんでした。

「ハァ……」代わりに疲れた溜息を吐く。

「どうかしましたか?」

「いや。こんなに深くなければ、さぞかし良い森林浴が満喫できたんだろうなと思ってさ」訝しげな視線を寄越すキジに桃太郎はそう誤魔化し、改めて頭上を覆い隠す自然の天蓋を見上げました。

 時折聞こえる小鳥の囀り、そよと流れる風はどこか心地よく、確かにここまで鬱蒼とさえしていなければ、陽の温かみも感じられる森林浴日和となっていたことでしょう。

「何かおかしい……」と不意にイヌが歩みを止めたのは、森の中央辺りまで歩みを進めたころでした。

「おいおいっ。おかしいって何がだよっ?」

 急にボソリと呟いたイヌの緊迫感を含んだ声に、思わずお互い抱き合うようにガタガタ震えつつ、辺りへきょきょろと忙しなく顔を向ける桃太郎とキジ。何ものの音も逃さないとばかり、その耳をピンと伸ばし、鼻を上向かせつつ意識を集中させ、何も応えないそのイヌの姿はまさしく猟犬のそれで、否応なしに恐怖心を掻き立てられる。ネコはそんなイヌの姿に半ば見惚れるように頬を緩ませていましたが、今はそんな場合ではないなと自分に言い聞かせるように、夜目の効くそのまなこを爛々と光らせ周囲の警戒にあたりました。

 気がつけば、先程まで届いていた囀りがまったく聞こえない。まるで森そのものが息を潜めてでもいるかのように、辺りはしんと静まり返っておりました。

「…………ぅぅぅっ」

 それからどれくらい経ったのか。一秒か、それとも一時間か。ともすれば永遠とも感じられるようなその時間の中、緊張に耐え切れず無意識に、唸り声にも似た声が桃太郎の口端から漏れ出たその時でした。

「上かっ?!」

 弾かれるように上を向くイヌ。それに釣られ、同じく頭上を見上げた桃太郎たちは、一様に信じられないものを目にしたのでした。


「クマー!」腕を大きく上げ仁王立ち。〝アレ〟も仁王立ち。

「ウマー!」負けじとさお立ち。〝アレ〟も棹立ち。

 己の強さや、〝アレ〟の存在を誇示するように、雄々しく大地に立つ猛者二匹。その目は闘志という名の炎と燃え、全身から迸る気魄きはくは、お互いを飲み込まんと絡み合い弾き合い、周囲の温度を否応なく上げていく……。

「…………え~と、」何でこうなった? 目の前の光景に痛み出す頭をほぐすように、こめかみをぐにぐにやりながら、桃太郎は自らの記憶を遡りました。


「上かっ?!」というイヌの緊迫した声に釣られ、咄嗟に見上げたその先。その一本だけ一際大きく育った樹から伸びる、それに見合った太さの枝の上に〝それ〟は居ました。周囲を覆い尽くす影の中にあって、なお黒いと判る毛深い体毛に覆われた大きくゴツイ体。短いが、あれで薙ぎ払われればひとたまりもないと容易に想像できる太く逞しい四肢に鋭い爪……それはまさしく、今桃太郎たちにとって最も出会したくない存在――〝クマ〟でした。

「あ……」本能的な恐怖に身を硬くする桃太郎。

 キジは少しでもクマの視線に晒す面積を減らそうと体を棒のように細め。

 ネコは耳を後ろに伏せてしっぽを後ろ足の間に巻き込み、白目を剥いて固まり。

 イヌは腹を見せ華麗に服従のポーズをとった。

 そんな一行に飛び掛からんとするかのように、クマは桃太郎の胴ほどもあろうかというその両腕をゆっくりと持ち上げ――、

「ばらクマァァァァァァァアアアアアアアアアアアアッ――」そのまま勢い良く《サイドチェスト》に構え「野武士!」と野太い声で叫び、ニカッと笑みを浮かべました。その下半身では、まるで洗いたてのように真っ赤なふんどしが揺れています。

「あ……え? ……あ、――え?」

 桃太郎たちは、ひどく混乱しました。

 目の前の光景が視神経を通って耳からこぼれ落ちてでもいるかのように、まったく事態が頭に入ってきません。……というか『バラクマノブシ』って何?

 どうにかひとまず、そこだけ理解できた……いや、理解できないが頭に入ってきたそれに首を傾げる。

 それでも、怖くて外せない視線の先では、黙々とポージングを変えているクマの姿。《アブドミナル&サイ》からの《モストマスキュラー》。その度にニカッと独特な笑みを浮かべるところが逆に怖い。普通に牙を剥いて襲い掛かられる方が、まだマシだと思えてなりません。まぁ、それはそれで嫌ですが。

「ひょ、ひょっとして、仲間にできませんかね……」

 こちらに魅せつけるように、ただただポーズを変えているだけのクマを前に、ようやく理性を取り戻してきたキジがぼそりと呟きました。

「ええー……」クマに悟られないように、そっと嫌な顔をする桃太郎。

 確かに今のところ襲い掛かってくる気配はありません。キジの言うとおり、仲間にできればこれ程心強い相手も居ないでしょうが――、

「だって、〝アレ〟だぞ……?」

「…………」

 小声で遣り取りする桃太郎とキジの視線の先では、未だにクマがポージングを繰り返しています。ポーズに順番でもあるのか、先ほど見たものと同じポーズが現れました。……その度にニカッと笑みを浮かべるところは変わりませんが。

 正直、あまり仲間に……というか、関わり合いたくない相手だと桃太郎は思いました。

「また何か……来るっ!」

 その時でした。やおらイヌが目をくわっと見開き、やたら渋い声でそう吠えたのは。

「今度は何だよっ?」

 イヌの嗅覚をもって感じられた〝何か〟は、距離があるのかどこにも見当たりません。それがかえって焦燥感や恐怖心を煽る結果となり、桃太郎は目の前のクマのことを一瞬忘れ、思わず悲鳴にも似た声で叫んでいました。と、その時です――。

「〝ヤツ〟が来たかっ!」

 それまで不気味にも、ただポージングを繰り返すだけだったクマが、不意に動きを止めたかと思うと、森の奥――桃太郎たちにとって〝出口〟にあたる側へと首を巡らせそう叫びました。その声に怒りの感情は無く、それどころかどこか愉しげですらあり、まるで好敵手を迎える戦士のそれといった印象を受けます。

「な、何が来るんだ……」

 ごくりと唾を飲み込みつつ、同じくそちらを見遣る桃太郎たち。じっと目を凝らしたその視線の先、不意に黒い影が差したかと思ったその時です。

「〝ウマ〟……?」ネコがそう呟きました。

 一行の中で一番視力が良く、かつ夜目の効くネコの目は、こちらへと走って来るその姿をいち早く捉えていたのです。

 その首や頭は長く、力強く地面を蹴るすらりとしたあしもまた長い。頭の位置が下る度に垣間見えるその後頭部には、ふさふさとした長い毛――たてがみが跳ねるように揺れている……。

 もの凄い速さで駆けて来るその姿はまさしく〝ウマ〟で間違いありませんでした。

 近づくに連れて桃太郎にもその姿がはっきりと伺えるようになり、蹄が地面を蹴るはっきりとした音が耳に飛び込んでくるの感じました。

「なぁ……あれって止まる気あると思うか?」

「…………」

 顔を見合わせる桃太郎とキジ。

 その勢いはまるで進路上の桃太郎たち一行に気が付いていないかのようで、心なしかその視線も、頭上を、そこに居る毛深い獣を真っ直ぐに見詰めているような気が……というかもう完全に桃太郎たちの頭上――好戦的な表情を浮かべ、今にも飛び降りてきそうな態勢のクマへと向かっておりました。

 このまま行けば轢かれて圧死確定でしょう。

「うひぃいいいいっ!」

 桃太郎は情けない悲鳴を上げつつ、思い切り全力でその場から飛び退きました。半泣きでした。

 その横を文字通り掠めるように、一切減速することなく駆け抜けていく一陣の風。キジたちお供も三々五々全力で回避したため、誰もモザイク加工が必要な状態を晒すことはありませんでしたが、まさしく間一髪でした。危うく<R15>指定を受けるところです。

「うえっ、……口の中に土が入った――ぺっ」

 土埃まみれの顔を上げ、口の中の異物を吐き出しつつ桃太郎はウマが駆け抜けていった方を見遣りました。ウマは既に十メートルほど離れた場所におり、あの一瞬でそこまで駆け抜けた、その恐るべき脚力の凄さを物語っていました。――が、

「おいおい嘘だろ……っ」

 桃太郎たち一行には、悠長に驚いている暇などありませんでした。

 ウマが土埃を盛大に巻き上げながら急制動かけた後、まるで闘牛よろしく反転。いななきを上げ、間髪入れずにこちらへ走り出す姿が見えたからです。

 桃太郎は大慌て。〝今度こそ轢かれる!〟と驚愕に顔を歪ませつつ体を起こにかかります。

 しかし体は恐怖で強張り思い通りに動かない。見ればとうにその場から逃げ出していたお供たちに、自分も早く逃げなきゃと焦れば焦るほどに空回りしていく手足に焦燥感ばかりが募っていく――。

「何グズグズしてんですかっ!」

「――っ!」

 そんな姿を見かねたのか、キジは金切り声を上げながら桃太郎の後ろ襟に脚を掛け、引っ張り上げようと千切れんばかりの勢いで羽ばたきました。イヌやネコもそれに続き、少しでも桃太郎の体をその場から遠ざけようと力の限り引っ張ります。

 しかし悲しいかな。成人には程遠いとはいえ人の子である桃太郎との体格差は歴然で、そもそもが決して大きいとは言えない彼らの力を結集したところでびくともしないのでした。

 そんなお供たちを嘲笑うかのように近づいてくる地響き。

 それでも諦めず引っ張り続けるお供たちに、

「もういいっ! お前たちは逃げろ!」

 桃太郎は覚悟を決めたように叫んでいたのでした。確かに荒くれたウマの姿は目鼻の先で、このままでは桃太郎どころかキジたちも轢き潰されて全滅必至です。

 その必死な叫びにキジたちは、お互いの顔を一瞬だけ見遣ると、

「達者でな!」イヌはシュタッと右手を上げ――、

「良い旅を!」ネコはシュタッと左手を上げ――、

「次の〝桃太郎〟には『先代は勇敢な男だった』と伝えといてあげますよ!」キジは上から目線でそう言い残し、それぞれ脱兎のごとくその場から逃げ出しました。

 《お約束》というやつでした。

「待てコラこの畜生共っ!」

 がばっと腕立て伏せの要領で上半身を起こし、思わずツッコむ桃太郎。

 ツッコまずにはいられません。叫ばずにはいられませんでした。

 桃太郎の必死の形相は語ります。一日にも満たない短い時間とはいえ、ここまで〝鬼退治〟という旗印の下、一緒に旅をしてきた仲間ではないか! ……いや、確かに嫌々だったし、無理強いされた感一杯だし、正直仲間意識なんて皆無だけどさ! 最後まで助けてくれてもいいじゃないか! いやむしろ助けてっ!

 しかしその必死な訴えに、

「…………」犬は両手で目を塞ぎ、

「…………」ネコは両手で耳を押さえ、

「……ぷふっ」キジは両羽で口元を隠しました。

 その仕草はまるでかの有名な三匹のおサルさんのようで、……そうそれはまるでこの場にいない、本来ならば居る筈だったもう一匹の〝お供〟を殺してしまった桃太郎への当て付けのようでした。

 ――まぁ、ただの偶然なのでしたが。そもそもキジは笑いを堪えているだけでしたし。

 ただ桃太郎はそう思わなかったようで、キジたちの態度に目を見開き喚き散らしました。

「クソっ。当て付けのつもりかっ? ――この人でなしっ!」

 しかし文字通り人では無いキジたちにはどこ吹く風。まさしく〝馬耳東風〟でした。

 で、そのウマでしたが――、

「……あ、終わった」

 無意識にそう呟いてしまうくらいすぐ側まで桃太郎に肉薄しておりました。

 それはもう〝走馬灯〟の脳内上映が終了するのが先か、踏み潰されて人生終了が先かというくらいに。最早悲鳴を上げている暇もありません。

 桃太郎は思わずギュッと瞼を閉じていました。果たして次に見る風景はお花畑か地獄の釜か?

 しかし次の瞬間――、

「うぉっ? ――わぶっ」

 桃太郎は突然自分の体が跳ね上がるのを感じ、間髪入れずに頭がもさっとした、もの凄い〝獣臭〟を放つ何かに埋まったかと思えば、咄嗟の出来事に何が起きたのかまったく理解する間も無く、顔面に強烈な痛みを感じ、くぉーっと苦悶の表情を浮かべ、鼻を押さえておりました。

(これはあれか? ウマに蹴られた痛みなのか? 人の恋路を邪魔した訳でもないのにウマに蹴られて死んだのか? ――って、)

 一頻り呻いていた桃太郎でしたが、ふと何か違和感を感じて薄っすらと目を開けてみました。

「……え、……あれ?」

 そこに映る景色はお花畑でも、ましてや地獄の釜でもありませんでした。

 最初に目に入ったのは、あまり陽が届かない為か下草の乏しいゴツゴツとした地肌剥き出しの地面。次いでしっかりと根の張った木々の足元。……ということはまだ森の中という訳で――、

「死んでないっ?」

 桃太郎は思いがけない事態に歓喜の声を上げていました。

 咄嗟に顔やら上半身をぺたぺたと触りその無事を確かめる。鼻がじんじんと痛みますが上半身に怪我は無さそうです。ではと次いで下半身の無事を確認しようとそちらに顔を向けかけたところで、桃太郎はようやく背後にそびえる異様な〝気配〟に気が付きました。

「ま、まさか……?」

 ごくりと唾を飲み込み、うつ伏せ状態だった上半身ごと機械的な緩慢な動きで背後を振り返る。そしてその先に〝それ〟を見た瞬間――、

「ギャーっ!」

 桃太郎は今度こそ盛大に悲鳴を上げていました。

 こちらを向く尻の上には、その図体にそぐわない丸っこくて小さなしっぽ。黒く、いかにもな剛毛に包まれた二本の脚が、桃太郎の腰の辺りを挟み込むように立っています。その間に垂れ下がる長布は、周りの色と相まって目に映える赤――先程まで樹の上にいた筈のクマが、桃太郎に背を向ける形で立っておりました。今しがた桃太郎の体を跳ね上がらせたのは、クマが樹上から飛び降りた時に生じた振動だったのです。

「く、く、くぅ……」と、まるで含み笑いのような奇妙な声を漏らす桃太郎。ついでに魂も口から抜けかけて今にも気を失いそうです。

 しかしそんな桃太郎の意識を現実に引き戻したのは、以外にもクマ本人でした。

「邪魔だぞ小僧! 死にたくなかったらとっとと失せろ!」

「――は、はい~っ!」

 一喝されたショックで我に返った桃太郎は、言われるがまま這いずるようにクマの股下から抜け出すと、ヒィヒィ半泣き状態でキジが隠れていた樹の影に逃げ込みました。

 まさに九死に一生。クマにその気があったかどうかは判りませんが、あのタイミングでウマとの間に飛び込んで来ていなければ、今頃桃太郎は《グロ:閲覧注意》な状態になっていたことでしょう。

「さあ、これで思う存分愉しめるぞ!」

 それを目で追っていたクマは、顔を正面に戻しそう吠えると、目の前の〝好敵手〟へ向けて口端を好戦的に釣り上げてみせました。

 それに応えるように、ブファーと盛大に鼻息を吹き出すウマ。その目は爛々と赤く怪しい輝きに満ちています。

 鼻先が触れ合いそうな至近距離で睨み合う両者。その両前肢をがっちりと合わせ、プロレスで云うところの《ロックアップ》状態で固まる姿からは互いの気迫が伺えます。

「相変わらず猛っているなっ。――嬉しいぞ!」とクマが押しこめば、「ぶらぁっ!」とそれ以上の力でウマが押し返す。そして一度お互いに後方へ離れると牽制しあうように睨み合い、またぶつかり合うように組み合い、全身の筋肉を隆起させ、相手を押し倒さんとあらん限りの力込める。

「すごい……っ」

 そんなことを幾度繰り返したでしょうか。目の前で行われる一進一退の攻防に、いつしか桃太郎たちは逃げることも忘れて魅入っておりました。

 しかし――。

「ガッハッハッ。さすがは俺が好敵手と見込んだ男! やはり〝力〟だけでは勝負はつかんか」

 それは何度目の睨み合いだったでしょうか。クマは突然腰に手を当てると豪快に笑い出しました。

 その笑い方はあまりにも愉快そうで、あんな暴れ馬を前に大丈夫なのかと桃太郎たちが呆気にとられる程でした。

「お主の力量も大したもの。さすがは『森の主』というところか」

 しかしその心配は杞憂に終わりました。それは――ウマの方もまた、クールではありましたが愉快そうに笑っていたからです。

 あれ程全体が真っ赤に染まっていた目は、今や何事も無かったかのように黒水晶のような澄んだ色をしており、つい先程まであんなに猛り狂っていた姿からは想像もできないくらい穏やかな佇まいを見せていました。

「終わった……のか?」

「さぁ……?」

 まったく事態について行けず、狐につままれたような顔でお互いを見遣る桃太郎とキジ。特に桃太郎は、あんなに――それこそ文字通り死ぬほど怖い目に遭わされたのは一体何だったのかと憤りすら覚えるほどに、その場の空気は和やかなものとなっておりました。

「いや。まだ終わっていないっ」

 いよいよこれは一言言ってやらないと気が済まないと、クマへの恐怖を忘れて桃太郎が立ち上がったその時です。老いたとはいえ〝狩人〟としての感がそう告げるのか、それまでネコと共に息を潜めていたイヌが警戒心もあらわにそう言い放ちました。

 そしてそれが合図でもあったかのように、事態は急激に動き出したのです。

「え? だって――」あんなに和やかにと桃太郎が続けようとしたその瞬間、爆発的な〝覇気〟が発散されました。

「ひょえっ」と情けない悲鳴を上げて腰を抜かす桃太郎。その視線の先では、まるでそれまでがお遊びであったのかと思える程の〝気魄〟に満ち溢れた二匹の猛者が対峙しておりました。

 

 ――これから一体どんな戦いが繰り広げられるのか?

 

 固唾を呑んでこの対決の行く末を見守らんとする一行。

 それはさながら〝西部劇の決闘〟のようで、この森そのものまでが事の成り行きを見守っているかのような錯覚を覚える光景でした。

「であれば……」徐ろに腰へ手を遣るクマ。その姿はまさにガンマンのようです。

 一陣の風が吹き、何故かそこにあった〝回転草〟がコロコロ転がっていく。この深い森の中にあって、西部の荒野が見えるようで、気分は否応なく昂ぶっていきます。

「決着は〝アレ〟でつけるしか無いなっ!」

 そう声高に言い放つと、クマは何の躊躇も無くふんどしを引き千切りました!

「いやいやいや……ちょっと待って」

 桃太郎は思わずツッコミを入れていました。何故そこでふんどしを? ……え? またその手合なの?

「望むところ!」

 それに応えるように、ウマも気合一発とばかりに嘶くと大きく棹立ちになりました。

 両者とも気合十分。やる気満々です!

「いや、だから……」という桃太郎のツッコミなど全く聞いていません。「……もういいです」

「クマァァァァァ……ッ」

「ウマァァァァァ……ッ」

 そろって特殊な呼吸法で〝気〟を高めていく猛者二匹。

 体操座りで、疲れた教職員のような溜息を吐く桃太郎の横では、そんな光景をキジは勝ち残った方をどうにか仲間に出来ないかと思案しながら、イヌは気でゆらゆらと棚引くウマのしっぽに興奮しながら見守ります。ネコはウマのしっぽに嫉妬心をあおられたのか、イヌの気を引こうとしきりに自らのしっぽをくねらせていましたが。

 究極に高められた両者の〝気〟が一点に集中(、、、、、)し――。

「クマアアアアアアアアアアア――ッ」

「ウマアアアアアアアア――ッ」

 大地を揺るがすほどの咆哮と共に解き放たれる〝気〟。それはさながら宇宙で起こったとされる《ビッグバン》のよう。〝気〟の爆発によって起きた衝撃波にその身を激しくきしらせ、突然の猛威に抗議の声を上げる樹木たち。

 そして砂埃が晴れたその向こうに、桃太郎たちは〝それ〟を目撃する。

 激しく怒張し、へそまで反り返ったペ○スを!

 黄金の〝気〟を纏う、神々しいまでの○ニスを!

 今、男の魂を賭けた戦いが始まる! 男魂だんこん(男根)だけに。


「……やっぱり意味が解らない」

 回想から復帰するなり、疲れた溜息を吐く桃太郎。

 しかも最後のは何? 上手いこと言ったつもりだろうか……。

 結局あれから変態――否、猛者二匹はお互いに〝それ〟を駆使し戦ったのでした。

 桃太郎たちを勝負の立会人に指名して……。

 一頻り横殴りにぶつけ合い、それで決まらぬと判ると今度は槍よろしく突き出し、互いの先端をぶつけ合う。突進力では自信のあったウマでしたが、クマの思いがけない強度に驚愕し、

「何故そんなに保つのだ!」とウマ。

「それは俺様の込めた気が、貴様より『ア』三個分多かったからだっ!」とクマドヤ顔。

「な、なんだって~(棒読み)」これは桃太郎たち。

 といった遣り取りがあったりもしましたが、正直どうでもいいというか馬鹿馬鹿しい限りものでしかありませんでした。

 途中何度もこっそり逃げようとした桃太郎たちでしたが、その度に二つの〝先端〟がこちらを牽制するように向けられるのだから堪らない。下手をすれば〝それ〟で穴という穴を串刺しにされるんじゃないかという恐怖から、結局死んだ魚のような目で戦いを見守る他なかったのでした。

「これ、いつ終わるんでしょうね……」

「……さあな」

 うんざりした気持ちをそのまま垂れ流したような声音で呟くキジに、こちらもまた涎を垂れ流すような感覚でボソリと呟く桃太郎。完全に心が折れておりました。

 その横ではネコが憔悴しきったように地に伏せ、イヌは――にわかに興奮しておりました。ウマの動きに合わせて激しく跳ねまわるしっぽが何かの琴線に触れたのでしょう。

「あー……」

 最早逃げる気力も消え失せ、ただただ呆然と事の成り行きを眼球の表面に滑らせていくだけの桃太郎。

 と、不意にその視界の隅で、何かが矢の如き勢いで飛び出していくのが映りました。

「どこに行くんだいアンタ……」という弱々しい声にそちらを見てみれば、何かを求めるように伸ばした右前足の肉球をぷるぷる震わせるネコの姿。

「……ん?」

 あれ、何か足りない? と機能不全を起こした頭でぼんやりとそんなことを思い……、

「イヌどこ行ったっ?」

 そうです。確かについ先程までネコの隣にいた筈のイヌが見当たりません。

 そういえばさっき視界の隅っこを何かが飛び出して行ったような気がする……。

 桃太郎のこめかみをツツーと汗が伝い落ちていきました。

 もう嫌な予感しかしません。これで何度目でしょうか。

「あんなところにっ!」

 そしてそれを裏付けるように叫んだキジの声に首がじ切れんばかりの勢いで振り向いた桃太郎は、

「ギャーーーーっ?」

 次の瞬間両の目をひん剥いて悲鳴にも似た叫び声を上げていました。

 それもその筈です。何せ、


 ウマのしっぽにイヌが喰い付いていた(、、、、、、、、、、)のですから……。


 キジも驚愕に目を見開き、あんぐりと開いたクチバシが塞がりません。

 これまでしっぽに執着してきた犬のことです。きっと、激しく躍動するウマのしっぽを前に辛抱堪らなかったのでしょう。

 しかしタイミングが悪過ぎました。そう、あまりにも悪過ぎたのです!

 イヌがウマのしっぽへと喰い付いた時、それは折しもクマとウマが気合を入れ直さんと、後ろ肢で立ち大きく仰け反った瞬間だったのです。

 そしてそれは起きました……。

「ふぉっ?」

 次いで上がる驚きに満ちたウマの声。

 突然の闖入者に、何事だっ? と思った時にはもう遅く、ウマは態勢を崩し二三歩前へたたらを踏むと、仰け反っていた反動も手伝いそのまま勢いよく振り下ろすように前肢を突いていました。

「――――――――――っ!」

 途端上がる声にならない悲鳴。

 次の瞬間、クマはぐりんと白目を剥くとそのまま大の字に後ろへ倒れてしまいました。

 そう、ウマが前肢を突いた場所それは――、


 無防備に開かれたクマの股間だったのです。


 およそ鳴ってはならない部類の湿った粘着質な音が蹄の下から届いた瞬間、ウマの、キジの、そして桃太郎の口から「あ」という極々短いマヌケな声が溢れ、まるで世界が凍りついたかのような沈黙に包まれました。

 そして呆けた顔のまま、ぎこちない動きでごぼごぼと泡を吹くクマを見下ろし、次いでお互いの顔を見遣り、またクマを見下ろし……と、そんな動きを二往復行った次の瞬間――桃太郎たちは脱兎の如き勢いで逃げ出したのでした。

ここまで読んで続きを知りたい方って居るのかしら……?

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