世界は自分で創るもの
「それじゃ、始めますか」
真っ白い部屋に机が三角形に置かれ、中心には地球儀のような映写機が立てられている。
その中で仕切りの言葉を口にしたのは、十五歳くらいの目立った特徴もない普通の少年だった。
「その前にお茶でも貰いましょ。長くなりそうだし」
左隣に座る少女が提案する。歳は少年と同じくらいで、短髪と眼差しの強さが相まって、気の強そうな印象を与えられる。
「そうだな。じゃあ俺はコーラで」
右隣の少年がいち早く身体に悪いと噂の炭酸飲料を要求する。前の少年や少女と同年代のようだが、彼の方が一回りほど大きい身体をしており、髪は坊主頭の一歩手前だ。
「私はウーロン茶」
「僕はカルピスでいいや」
全員が好みの飲み物を言い終えた数秒後、唐突にそれぞれの机の上にペットボトルが出現する。
「今度こそ始めてもいいよね」
少年の確認に二人が頷く。
「それでは、主人公・ヒロイン・親友Aによる、顔合わせを含めた、高木翔矢作品における設定・ストーリー会議を始めまーす」
◆◇◆
「それじゃまずは、それぞれの呼び名から決めよっか。作者さん、何か案とかってありますか?」
主人公が天井を仰ぎながら問い掛ける。
すると、映写機から全員に見えるように文章が映し出された。
『勝手に決めてくれ』
その文字を見て、ヒロインが思わずといった感じでため息をつく。
「手抜き過ぎじゃない? 日本名か外国名かの指定もないなんて」
「どうせ暫定なんだからいいだろ。適当につけちゃおうぜ」
親友Aの発言も尤もだったので、主人公は即興で命名を試みた。
「なら僕こと主人公は『シン』。ヒロインは『ヒロ』。親友Aは『A』でどうかな?」
「いや待て。おかしいだろ。シンはむしろ俺に名付けられるべき名前じゃないか? そうじゃなくてもせめて『ユウ』の方を取ってくれよ」
親友Aの物言いに、主人公改めシンは「え~」と不満を漏らす。
「だって主人公ってそれ以外に上手く略せないじゃん。それに新友Aを『ユウ』にすると、二人で一括りにされてるみたいで凄い嫌だし」
「お前設定上俺と親友だって事忘れてないか?」
「まぁいいじゃん。作者もああ言ってる事だし」
親友Aが映写機に視線を戻す。
『主人公案採用』
シンのしたり顔にAが悔しそうに歯噛みする。それを眺める傍らヒロは、
「私の名前……男っぽい」
小さく愚痴をこぼした。
「名前も決まったところで、次はジャンルかな。えっと、ミステリーはなし。推奨はアクションかラブコメだってさ」
カルピスを飲みながら、シンは前もって準備されていた企画書という名の台本を読み上げる。
「なんでミステリーはなしなの?」
「作者に考える頭がないんだろ」
ヒロの疑問に明快な回答を示すA。シンもそれに同意した。
「なんたって最低限のキャラ付け以外丸投げした作者だからね」
作者がこの会話を聞いているのを知っていながら、勝手な推論で頷き合う三人。
「型破り過ぎよね。普通は設定もストーリーも勿論キャラクターも、全部ある程度決まってからその作品の微修正や味付けのためにやる会議なのに」
「あとシンが最初に言った通りキャラクター同士の顔合わせのためな。もしこれが小説家や漫画家の間で流行ったら、世も末だよな。創作活動を生業とする職種の門が、フランスの凱旋門並みに広くなりそうだ」
「なんである職種につく難しさを、狭き門とかって言うんだろうね。門なんだから広さより大きさで表現されるべきだと思うんだけどな。――っと、話し戻すけどさ、ストーリーを僕達で決めるなら、ミステリーの謎解きを考えるのも僕達だよね。作者さんの頭は関係ないんじゃない?」
「きっとそこまで考えが回らなかったのよ。馬鹿だから」
とうとうヒロが直接的な罵倒をしたところで、映写機から反応があった。
『君ら三人の代替え案が手元にあるんだが?』
「「「すいませんでした!」」」
あからさまな脅しに三人が一斉に頭を下げる。所詮は創られたキャラクター。創作者の権限という名の真理には屈するほかない。
「で、どうしますか? 僕的にはアクションとかやってみたいなぁ。悪い奴を格好良く倒すのとか、楽しそうで憧れるし」
「シンがヒーロー? ないない。シンには強いヒロインに振り回されながら、情けなく後をついていく少年役がお似合いだよ」
「じゃあ私が強いヒロイン? わぁ。想像しただけでドキドキしてくる」
「ま、シンが戦うより現実的だろ」
Aの妥当案に、シンは唇を尖らせながら物申す。
「そんな事ないよ。いまは能力さえあれば、冴えない主人公だって戦える時代なんだから」
「冴えないって自分で認めちゃったわね」
「だけどそういう主人公って大抵重い過去とか背負ってるぞ。能力を誤って使用して家族を殺しちゃった、とか。そういうシリアスな感情の表現がお前にできるのか?」
「うっ……。確かに難しいかもしれないけど、やればなんとかなるもんじゃない? ほら、僕のこんな性格だって重い過去が原因だった。みたいな感じで」
「そうなると私のキャラ位置はどうなるのかな? 何も知らずにシンを支える一般人の女の子? シンと一緒に戦う女戦士? あえて絶対に結ばれる事のない敵側の宿命のライバルとか?」
「そこら辺はもっと詰めなきゃなんとも言えないな。とりあえず、能力系路線で進めてみるとして、悪役でも出してもらうか?」
「そうだね。作者さーん、お願いします」
数分後、机の並びが二対二の対面の形に変わり、シンの隣の席に黒い兜と鎧を身にまとった、一世代昔の悪のドンとしか表現できない、あからさまな悪役が現れた。
「うわぁ。こりゃまた古典的だな」
「時代錯誤もいいとこね」
「名前は『ドン』にしよ。じゃあドン。自己紹介をお願い」
安直な命名をし、適当に話を進めるシン。
振られたドンは一つ咳払いをし、眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「まず一つ。俺様の格好が古典的なのも時代錯誤なのも作者のせいだ。文句は俺様じゃなく作者に言え」
「俺様だって。引くわね」
「あぁ。人気投票になったら主要キャラなのに三十五位とかになるタイプだな」
「この……」
ドンが拳を握り震わせるのを見ながら、シンは頬杖をついて不機嫌そうに眉をひそめた。
「そんな事よりなんで座る位置がこれなの? 普通ヒロの隣には僕が座るべきじゃない?」
いまの並びは、シンの隣にドン、正面にヒロ、その隣にAという座席である。本来なら主人公であるシンの隣には、ヒロインたるヒロがいるべきである。
「なんか作者の悪意を感じざるを得ないんだけど」
「細かい事気にするなよ。それが主人公の器か?」
「親友との三角関係ってのも面白そうよね。その場合、恋愛メインの話になりそうだけど」
「そんな事って……」
言い合う三人をよそに、シンの心無い一言で傷付くメンタルの弱いドン。その脆い姿は、悪役として派遣されたとは思えない程弱々しかった。
「ともかく、ドンの意見を聞こうぜ。能力系のアクションだったら、どんな話がいいと思う?」
「俺様が思うに、単なる勧善懲悪のアクションは現代っ子にはウケないと思うんだよな。悪役にも確固たる正義があって、その正義と主人公の正義が相容れないものだから戦うってのが、時代のニーズに合ってるって考えるわけよ」
「「「おぉ」」」
見た目からは想像もつかない思慮深そうな発言に、三人から思わず感嘆の声が漏れる。
「でもドンにそんな配役こなせるの? 言っちゃ悪いけど、世界征服しか頭にないような特撮の馬鹿なボスみたいだよ」
シンの疑問に、ドンはチッチッチ、と人差し指を振る。
そして深刻そうな顔になると、いきなり声の調子をガラリと変えた。
「なぜお前らには分からない! この世界がいまのままである限り、人は個性というものを出して生きていく事などできないんだ! だから俺が、俺様が変えてやる! 自分が自分らしくあれる世界に! 真の意味で人が自由に生きられる世界を、俺様が創ってやる!」
唐突に目の前で行われた迫真の演技に、三人は目を丸くして呆然と拍手する。
ドンも満更でもない様子でそれに応えた。
「意外とスペックが高いのね」
「いまの悪役はただ悪いだけじゃやっていけないからな」
ヒロの賞賛に、リアルな悪役事情を語るドン。
どの業界も厳しい世の中なのである。
「じゃあアクションにする場合は、ドンの意見を採用して正義と正義の戦いみたいにしよっか。能力とかはどうする?」
「能力物ってのは世の中に多く出回ってる分、目新しさが重要になるな。その点じゃ、火とか水とかの五行は使い古されて新鮮味がないから却下だ」
「主人公がチートな能力を持つのもアウトね。時を操るとか不死身だとか。主人公の能力が最強過ぎると、敵側の能力を創りにくくなるわ。おかしなパワーインフレも起こりやすいし」
「ラスボスである俺様と対になる能力ってのは、王道だが割と受けると思うんだが?」
「それならラスボスよりもライバルとかの方がいいと思うな。ラスボスって登場頻度が最後に片寄るからさ」
あぁでもないこうでもないと、著作権を気にして具体例となる作品名を出さずに議論を重ねる四人。
一時間も議論を続けた末、結局シンの能力は決まらなかった。
「こりゃアクションは無理だな」
「そうだね。能力物がこんなに難しいなんて思わなかった」
「これ以上考えると、シンが本当に私の後ろにくっついてくるだけの主人公になりそう」
「おいちょっと待て。アクションでないなら、俺様の役目は……」
青ざめたドンの発言に、ドン以外の三人が交互に視線を通わせる。
「きっとまた会えるよ」
「じゃあねドン」
「悪い」
別れの言葉を口々に告げられ、ドンが何か言おうと口を開く前に、ドンと机が消失してさっきまでの三角形の座席に戻る。
「じゃあ推奨されてるもう一つのジャンル、ラブコメについて話し合おっか」
「お前、ドンが消されたっていうのにあっさりしてんのな」
「だって気にしてても仕方ないでしょ」
「ある意味、シンのそういう感傷に捕らわれないところとか、主人公に向いてるのかもね」
ため息まじりに苦笑するヒロ。シンは相変わらずの笑顔で話を進めた。
「ラブコメって事は、僕が女の子に囲まれてハーレム状態って事だよね。これは男の夢だなぁ」
「最低ね。私こんな男のメインヒロインやらなきゃいけないの?」
「まだいいだろ。俺なんて、こんな男がハーレムしてるところを隣で見てなきゃいけないんだぞ」
「こんな男こんな男って、僕に失礼じゃない? 一体僕をなんだと思ってるんだよ」
「つい二時間前適当に創られた主人公」
「創作物」
ヒロとAのぐうの音も出ない真実にいじけ、人差し指で『の』の字を書き始めるシン。
それを無視して、ヒロとAは気の進まないラブコメ話に戻る。
「いまのラノベって、全部似たような展開ばっかの安易なラブコメが流行ってるけど、あんな感じでいいのかな?」
「いや、そこで流されちゃ単なる逃げだろ。それに安易って言っても、人気になるだけの理由があるはずだしな」
「確かに、一理あるわね。――ラブコメなんだから、個性的な女性をいっぱい出す必要があるわよね。ツンデレやクール系女子は必須として、あえてヤンデレを出すのってどうかしら?」
「おっ、それはありだな。ヤンデレの女の子を出すだけでかなり物語の幅が広がりそうだ。良く知らないが、ヤンデレが出るラブコメってのは多くなさそうだし……」
「ちょ、ちょっと待ってよ。ヤンデレの女の子なんて出したら、僕が刺される事が目に見えてるじゃないか」
不穏当な会話に慌てて割り込むシン。しかしそんなシンを見る二人の目は冷たい。
「物語のためよ」
「ハーレムなんて役得があんだから、そのくらい我慢しろよ」
「そんなぁ……」
容赦ない二人の言葉を受け、机に突っ伏するシン。
二人はそんなシンに全く構わず話を進める。
「だけど女の子の個性で新鮮味を出すのは結構難しいぞ。最近この手のラノベはニーズがある分多く出回ってる」
「ツンデレだけでも強気キャラ・元気キャラ・冷静キャラって色々あるもんね。どんな話にするか決めて、そこからヒロインを創っていく方がいいかしら?」
「メインヒロインはお前としても、それを食うくらいの個性的なキャラを二・三人考えてからの方が話は展開しやすくないか?」
「うん。確かにそうかも。あと私の設定も少し変えた方がいいんじゃない? このままじゃ、ちょっとキャラが弱いと思うのよね」
「あと色気も弱いよね」
「作者、水」
要求と同時に出現した水を、シンの顔面にぶっかける。その際シンの机にあった台本も濡れたが、作者の創作者権限によりすぐに元の状態に戻る。
「作者さーん。僕も濡れる前に戻してくださーい」
天に向かって放った言葉も空しく、いつまで経ってもシンの身体はびしょ濡れのままだった。
「キャラ替えか。根本は変えないにしても、抵抗はないのか?」
「あれ、僕全スルー?」
「二時間前に創られたばかりだもの。多少の変化くらいさらっと流せないようじゃ、物語なんて創れないわ」
「そっか……」
Aは少しだけ考え込んだが、やがて顔を上げ天井を見上げた。
「作者さん、ヒロのキャラをもうちょっと強くっていうか、濃くっていうか、とりあえず変えてください」
Aの言葉を切ると同時にヒロが消失し、シンとAの机が対面に並び替えられる。
「げ。Aと二人っきりとか、ハーレム想像してただけに萎えるわぁ」
「お前ホント、親友設定の俺と仲良くしておこうって考えはないのな」
「主人公なんて総じて自分勝手なもんでしょ」
「絶対お前ハーレムは作れてもハーレムエンドは迎えられねぇわ」
「えぇ! なんで!?」
「自分の胸に訊け! つーかハーレム作らせてやるだけありがたく思え!」
そんなやり取りをしている内に、机の配置が元に戻り、ヒロが帰ってくる。
だが再び見たヒロの姿に、二人は目を瞬かせた。
「あの、どちら様で?」
「え、えっと、ヒロイン役のヒロです。キャラを少し変更してきました。改めてよろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げるヒロ。短かった髪は腰まで流れ、眼差しの強かった瞳は穏やかな光を宿している。
「別人じゃねぇか! なんだこのあからさまなヒロイン交代は!」
「ストライク!」
「は?」
いきなり親指を立てたシンに、Aは目を丸くする。
「ホントにこの子が僕のヒロインになるの? やったー! 完全にドストライクなんだけど。直球ど真ん中なんですけど! この子の他にも二股三股かけ放題なんでしょ! 僕主人公に生まれて本当に良かった! 神様作者様ありがとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
発狂したかのように喜び猛るシンを見て、Aは思った。
――この話、もう駄目なんじゃねぇか?
それからの会議は、シンがひたすらにヒロを口説きに掛かり、それをAが諌めたり、ただただヒロが怯えていたりといった感じで進んだ。いや、進んだという表現は的確ではないだろう。完全に停滞した。
時間制限が決められていなかった事が災いし、話しが決まれば思う存分いちゃつけるとシンを説得するまでの数時間、シンは好感度低下にしかつながらないナンパを敢行し続けていた。
ようやく会議の体裁が戻ったものの、シンはどんな風にいちゃつくかについてしか発言せず、ヒロは前までの様子が嘘のようにおどおどと何も話さず、まともに話を考えているのがAしかいない状況で、結局会議は無駄に長引いた。
最終的にまとまった話も、シンの頑なな提案を受け入れざるを得なかった(それでも八割方却下した)、見ていて苛立つラブコメになってしまった。シンは喜色満面でウキウキしているが、ほぼ百パーセントこの話は没だろう。その時にAは主人公の代替えを提案するつもりだった。正直シンがいては出来上がる話も潰れてしまう。話の質を考えるなら、主人公は変えるべきだろう。少なくとも、この会議の場には出席させるべきではない。
そう思い、Aはまとめた話を記載した企画書をシンに手渡す。こういうのはやはり、主人公が渡すのが一番だろう。
「作者さーん。原案できましたー」
喜色満面の笑みと共に、手に持った企画書を振りながらシンは天井に話し掛ける。
しかしシンの手から企画書が消える事はなく、代わりに映写機に文章が表示された。
『他の会議で話はもう決定したから』
「「「……」」」
無情な一文に、三人は石化して黙り込む。
「なんじゃそりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
シンの絶叫が響き渡る。
「こんな会議でもオチはつくんだな……」
シンの叫びを聞きながら、Aは物語というものの深さを実感した。