北海道弾丸旅行記 ~さらば北斗星~
2015年度末、北海道新幹線が新函館北斗まで部分開業する。それ自体は喜ばしいことであるが、何事にも副作用というものが付き物で、今度のダイヤ改正(2015年3月)で寝台特急「トワイライトエクスプレス」が廃止、「北斗星」が臨時化されることが決まった。
さて、私はブルートレインに乗ったことが無い。もはやブルートレインと呼べるものはこの二列車しかなく、この列車を逃せば二度とブルートレインに乗る機会が失われてしまうかもしれなかった。
厳密に言えば、「トワイライトエクスプレス」は車体が深緑色なので、ブルートレインとは呼ばれないが、使われている客車はブルートレインと呼ばれる列車と同じなのでブルートレインとして扱っていいと思う。
とにかく、どちらかに乗りたいわけであるが、「トワイライトエクスプレス」は大阪発なので横浜市民の私からすると乗りにくいものがある。よって「北斗星」に乗ることにした。
2015年1月2日。一ヵ月後はちょうど入試休みである。私は2月2日に上野を発つ「北斗星」で札幌に向かおうと思った。10時少し過ぎ、最寄りの小机のみどりの窓口に行き2月2日の下り「北斗星」の寝台券を申し込んだ。しかし空席無し。窓口氏に
「この時期は真っ先に申し込まないと無理」
と言われた。念のためキャンセル待ちを申し込んだが、遂に電話がかかってくることは無かった。
やむを得ず2月3日に札幌を発つ上り「北斗星」に乗る計画に変更した。1月3日、今度は10時前にみどりの窓口に行き、申込書を出す。既に先客が2名いて、ちゃんと寝台券を買えるか心配になったが、幸いにも開放B寝台を買うことができた。最重要な切符をクリアした。
次は往路の新幹線と急行「はまなす」の指定席券で、これも買うことができた。
2月2日。東北新幹線「はやぶさ31号」で東京18時20分発。東京駅で買ったチキン弁当を夕食として広げる。
短い冬の日は沈み、既に車窓は夜景である。夜は車窓が見えないと言われるが、都会なら夜景という楽しみ方もあるのではなかろうか。
関東平野を過ぎ、東北地方に入る頃になると、主要駅周辺を除き夜景は消え失せ、街頭と家の光が見えるのみになる。人はこんな不便そうなところにも住んでいるのか、と思わざるを得ない。そして、家の光一つ一つにそれぞれの生活があり、彼らと交わることはほぼ無いと言っても過言ではないのだろう。一人旅で夜、家の光を見ているとそう思う。
仙台、盛岡など主要駅に飛び石のように停まり、終点新青森には21時37分着。接続する鈍行列車で青森には21時52分に着いた。
青森駅に降り立ったのはこれが初めてである。かつてはここから青函連絡船に乗り換え海を渡っていた。ここが本州の最果て、「陸奥」である。鉄道唱歌には「昔は陸路廿日道 今は鉄道一昼夜」と歌われている。私は東京から3時間半で来た。
次に乗る急行「はまなす」は既に入線している。乗る前に編成を点検したい。これは鉄道ファンの特性とも言えるものかもしれない。
先頭はED79型電気機関車である。赤い塗装の青函トンネル用の機関車だ。北海道新幹線開業の暁には廃車になるだろう。一両目、二両目はB寝台車。ブルートレインに使われている客車と同種である。「北斗星」「トワイライトエクスプレス」廃止後にはこれが最後の客車B寝台となる。三両目は自由席。これも元々特急で使用された客車であるから、急行ではあるがリクライニングもする。座ってないので座り心地、寝心地は知らない。四両目が私の乗るカーペットカー。六両目、七両目に座席指定席が続き、最後尾はまた自由席である。指定席は「ドリームカー」という愛称が付けられていて、自由席に比べて上質な座席になっている。しかし、所詮は座席。カーペットカーの切符の持ち主からすると座って一晩過ごすのは御免である。ご愁傷様、と思う。
カーペットカーとは青函連絡船夜行便の平土間を急行列車に移したようなもので、名前の通りカーペットが敷かれている車両である。仕切りこそないものの、毛布は各席に備えられ、横になって寝られる。これで指定席扱いであるから、かなりリーズナブルだ。
「はまなす」は遅延していた奥羽本線の特急「つがる9号」の接続待ちをして5分遅れの22時23分、青森を発車した。動き出す時の、電車では感じないガクンとした振動に興奮する。一般には乗り心地が悪いものとされているのだが。鉄道好き故の、あばたもえくぼ、みたいな心情だろうか。
日本で最後となった急行列車は津軽線を行く。青函トンネル開業によって生まれた、歴史の浅い急行列車ではあるが、とにかくこれが最後の急行となってしまった。
窓から漏れる光を反射する雪しか見えない。灯火が全く見えないことから、周りは山なのだろうか。次は光のある時間帯に乗ってみたい。
蟹田で交換の為停車。旅客扱いはしない。これを運転停車と言う。単線区間の優等列車では割とあることだ。
蟹田の次の中小国から津軽海峡線に入る。トンネルが増える。トンネルに入る度に、これは青函トンネルか?と身構えるが、すぐに出口に出ることが続く。それを何度か繰り返すうちに、青函トンネルに入ったようだった。
23時17分、竜飛海底通過、23時34分、吉岡海底通過。北海道新幹線の工事で既に廃駅になったが、ホームと照明は残されていてわかりやすい。この二駅の間が海底の下と考えてよいだろう。しかし、見えるのはコンクリートの壁ばかり。海底という実感は無い。楽しみにしていた青函トンネルも入ってしまえばただの長いトンネルだった。
海峡のトンネルを抜けると、そこは「試される大地」だった。ついに北海道に上陸した。車窓から見る夜景だけでは本州との違いはわからない。特に無いのかもしれぬが、北海道と思っただけで何か違いを見つけたくなる。そのような、私にとってある種の憧れの土地だ。
函館まで起きているつもりだったが、寝た。
6時起床。札幌着は6時07分だから、時間の余裕は無い。急いで身支度をする。間に合って、定刻に札幌に着いた。
この後は函館本線を撮影する計画である。事前に調べた撮影地が厚別と森林公園の間にある。
札幌6時20分発の鈍行江別行に乗車した。早朝の下り列車だから空いている。白石までは「はまなす」で乗ってきた千歳線と並走する。最も、その頃私は支度で忙しく車窓は見ていないから、これが初乗りのようなものである。
東の空は赤くなっており、既に外は明るい。雪の積もった住宅街を行く。まとまった雪を見たのは久しぶりだ。旅行に出る数日前にも東京で雪が降ったが、そんなものとは全く違う。本州の日本海側の雪とも違うように思う。そういえば、北海道の雪は質が良いからとオーストラリアなどからスキー客がよく来るという。これがパウダースノーなのだろうか。
6時33分、森林公園着。とても寒い。後日調べて判ったことだが、このときの気温は-5℃だった。私が合宿で経験した最低気温は認識している範囲では-1℃が最低である。もっと低かった時があったかもしれないが。
駅を出るときにふとみどりの窓口を見てみると、「滑り止めの砂」を配っている。受験シーズンだからであるが、砂を売っているところも多いのに配っているとは良心的だな、と思う。
二十分ほど歩いて線路端へ。普通のスニーカーで来たが、滑ったのは横断歩道の白線でのみ一回だった。ただの雪では滑らない自信がある。
目当ての列車は8時22分に森林公園を発車する144Mである。この列車には今年の三月で引退する車両が使われている。それまで線路際で待っているわけだが、寒くて仕方がない。じっと立っていると足や手の指の先から冷えてきて凍傷か壊死でも起こすのではないかと思った。その上、列車が通過すると舞い上げる雪が降りかかってくる。新潟などでは見られない現象だと思う。これが雪質の違いか、と実感する。北海道はさらさらしている。
無事撮影を終了し、札幌へ戻る。今度は森林公園に戻るのではなく千歳線の新札幌に歩く。コンビニによってから大通りに出て一直線、30分ほどで着いた。新札幌周辺は発展していて、ホテルなども建っている。地下鉄も走っている。JRにしようか地下鉄にしようか迷ったが、JRに乗ることにした。後に考えるとこの選択は失敗だったように思う。
快速「エアポート85号」は新札幌を9時17分に発車した。途中の三駅を全て通過し、次の停車駅は札幌である。車内は混んでいて椅子は空いていない。デッキで立っていることにする。デッキは車内に冷気を持ち込まないようにする反面、乗降に時間を要するから、特急以外では使われない傾向が強い。それでも空港からだけでなく通勤客も使用する列車にデッキがついているのは、それだけ北海道は寒さが厳しいということだろう。
札幌で遅めの朝食をとり、次は札幌の地下鉄に乗ることにする。札幌には地下鉄が三本あり、全部が中間駅の大通で接続している。よって、全線に乗ろうとすると全て一往復しなくてはならない。非効率であるが仕方が無い。新札幌から地下鉄に乗っていれば、新さっぽろ~大通の片道を削減できたのだが。
まずは南北線に乗る。南北線は札幌市営地下鉄最古の路線で、1971年、札幌冬季オリンピック開催の一ヶ月半前に開業した。南北線に限らず札幌市営地下鉄すべてにいえるが、車輪ではなくゴムタイヤで走っているのが特徴である。
一日フリーパスを買い、10時15分の麻生行に乗る。JRの駅は「札幌」だが、地下鉄の駅は「さっぽろ」である。なかなかややこしい。
北12条、北18条、北24条など、元々地名の無かった北海道らしい駅名が続くが、トンネルからは北海道らしさは見られない。車窓がないと乗る楽しみも半減である。
座ってみる。リュックサックとカメラバックと荷物が二つあるので、一つは網棚に載せようと思ったのだが、網棚が無い。都営地下鉄大江戸線のように車体が小さいならともかく、そんなことはないのだから網棚があってもいいと思う。荷物を二つ持って座る。
麻生では改札を出ただけで、乗ってきた列車で戻る。今度はさっぽろで降りずに終点の真駒内まで乗る。
地下鉄では車輪とレールが擦れる音がトンネル内で反響して耳障りなのだが、この地下鉄はとても静かだ。先述の通りゴムタイヤで走っているからであるが、これはなかなか快適であった。
20分ほど走ると、地上へ出た。地上といってもアルミ合金製のシェルター内である。ここは1969年に廃止された定山渓鉄道線の廃線跡である。
自衛隊駐屯地前にある自衛隊前なる強そうな駅を過ぎて、終点真駒内に着いた。今度は改札も出ずに向かいに停まっている折り返しの列車に乗る。私が乗るとすぐに発車した。11時16分大通着。
次に乗るのは東豊線である。東豊線は1988年に開業した路線で、南北線やバスの混雑緩和を目的に作られている。
大通発11時22分の栄町行に乗車。車両は南北線に比べて古く、乗客も少ないように感じる。なんとなくうら寂しい。
12分で栄町着。乗ってきた列車は回送となり、引込み線に入っていった。東急目黒線の日吉駅のようである。将来延伸することを考えた設計なのであろう。
改札を出てみると、札幌雪祭りの案内が広告されている。雪祭りの会場の一つに栄町からシャトルバスが出ている。雪祭りは5日からなので見られない。残念だ。
同じ編成が福住行になって入線。11時39分、栄町発車。
「地下鉄のコンクリートの壁の車窓で感想を語ってよ」
と以前友人から冗談で言われたことがある。そんなことを思い出した。私はまだそこまで精進していない。ただの壁と地下駅の車窓が続くのみである。正午を過ぎてすぐに福住に着いた。札幌ドームの最寄り駅である。
福住は真駒内や麻生のように対面に折り返しの列車がいる設計だった。少し改札を出た後向かいの列車に乗り、12時08分福住発車。福が住む、と縁起のよさそうな駅での滞在時間は5分だった。もっとも、明治になって入植した和人のつけた地名であろうから、どこまで効果があるのかは知れたものではない。
うとうとしているうちに大通に着き、東西線に乗り換える。これが札幌市営地下鉄で残す最後の一本だ。
当初、先に宮の沢から往復し、新さっぽろで札幌市営地下鉄を完乗し終えてJRで札幌に戻ろうかと考えていた。しかし、宮の沢側にある琴似にもJRが通っている。朝に乗った新札幌~札幌に乗るよりもまだ乗っていない琴似~札幌に乗るほうが楽しい。先に新さっぽろを往復することにした。
大通発車12時25分。車両は新しく、LED表示板など南北線のものと同等の設備を有している。貫通路が五角形で面白い。
通る駅が小洒落たように見える。路線カラーが暖色だからか、はたまたうら寂しく感じた東豊線の後に乗っているからだろうか。
19分で新さっぽろに着いた。今日二度目の新札幌である。19分といえども、車窓がコンクリートの壁だと実態以上に長く感じる。これが地上路線で車窓を見ていると、19分などすぐに過ぎていくのだが。
またも向かいに停まっている列車に乗り込み、12時50分発車。対の終点、宮の沢までは35分である。札幌市営地下鉄では東西線が最長だ。
終点宮の沢に着く。特に感慨は感じなかった。我ながら不感だと思う。
少し戻って琴似で下車。地下鉄駅とJR駅が直結しているのだと思っていたが、少し距離があった。寒いし大通まで地下鉄で戻ろうかと思ったが、結局JR駅まで歩くことにした。
どこかで昼食をとろうと思う。と、その時、ラーメン屋を見つけた。私は札幌ラーメンだろうと思って入った。
結論から言えば、ラーメンは美味しかった。しかし、札幌ラーメンというわけではなく、あまつさえ東京に本店を置くチェーン店だった。どうも渋谷で食べられる味らしい。残念である。
古本屋を見つける。私の好物の一つは活字である。もちろん入る。もっとも、私が欲するような本は見つからなかった。
そんなこんなでJRの琴似駅に着いたのは14時半頃だった。琴似は高架駅で、駅前も発展している。
14時38分琴似発車。座席に空きは少なく、荷物を網棚に上げるのも面倒なので立っていることにした。この車両は今朝森林公園に行く時や新札幌から乗った時の車両とは違い、デッキは無く、座席もロングシートだ。東京近郊にいるようである。
札沼線と合流する桑園に停まると、にわかにビルが林立し札幌に着いた。
さて、北斗星の発車時刻まではまだ時間があるわけだが、何をするか決めていない。雪祭りを見たかったが、まだ開催期間になっていない。手軽な観光地として札幌時計台を見ることにした。
先に乗った南北線で一駅、大通で下車し、地下道の出口から数分歩いたところに時計台はあった。「日本三大がっかり名所」に数えられたりしているが、なるほどと思う。時計台の大きさに比べて周りのビルが大きすぎるのだ。これでは時計台が栄えない。童謡「この道」では『白い時計台だよ』と歌われているが、今ではすっかり目立たない。
中を見学する。札幌時計台についてはほとんど何も知らずに来たのだが、元々は札幌農学校の演武場だったそうである。そのままの場所だったら栄えたのだろうなと思う。また、日本に現存する数少ない機械式時計だそうである。これからも動き続けて欲しい。
札幌時計台を後にして、次は市電に乗る。これまで私が乗ってきた路面電車7つで、日本に路面電車のある都市は18あるから、この札幌市電で半分弱ということになる。
時計台から少し歩いて、西4丁目停留所に着いた。既に列車がおり、発車しそうである。これは旧式だが、発車待ちをしている列車は新式のLRT型である。先に発車するほうに乗ることにした。
15時32分発車。車内は混んでいて、立つのが精一杯である。流石はすすきのを走る列車と言ったところか。
西線6条あたりで中心市街地を抜け、にわかに寂れたように見えてくる。西線11条、西線16条など、札幌の市街地ではあるようだが。
道路を見てみると、アスファルトではなく石畳になっている。かつては東京もそうだったらしい。アスファルトよりも風情があっていいと思う。
電車事業所前で運転士が交代し、終点すすきのには16時17分着。道程8.41kmを45分かけて走ったことになるが、西4丁目停留所とすすきの停留所の直線距離は400m弱である。なんとも阿房らしい。
すすきのから地下鉄で札幌駅に戻る。ちょうど良い時間になった。
「北斗星」の入線を撮影する。ホームで構えると少ししてDD51型ディーゼル機関車の重連(二両連結)に牽引された青い客車が蛇のように身をくねらせて入線してきた。上野までの16時間53分の旅の幕開けである。
念願のブルートレインに乗れる時が来た。
私の指定された寝台は1号車の10番上段である。食堂車やロビーカーは遠いが、大部分で機関車の直後に当たるので牽引する機関車を間近に見られるのはよい。また、10番は客車の中央だから揺れも少ないだろう。
定期運行終了直前なので満席なのだろうかと思っていたが、予想に反して向かいの11番の寝台は上下共に空いていた。札幌で検札が来たときには、車掌氏にはキャンセルが出ているという情報は入っていなかったようである。急用か何かで寝台券を放棄したのだろうか。
寝台と通路の間には扉があり、鍵を掛けられるようになっている。四人で使えば擬似個室に出来そうだ。かつて対九州夜行に連結されていた「カルテット」のようである。
17時12分、札幌発車。滑らかに走り出す。気がつかなかった。私は食堂車へシャワー券を買いに行った。
「北斗星」のロビーカーにはシャワー室が備え付けられている。シャワー券を購入するとこれを6分間使用できる。たった6分間と思うかもしれないが、かつて「走るホテル」と言われていた頃の寝台特急「あさかぜ」にはシャワーすら無かったことを考えると、贅沢は言えない。昨夜は風呂に入っていないから、シャワーでもなんでもいいので体の汚れを落としたい。
しかし、私と同じことを考える人は多いようで、私が食堂車に着いた時には既に長蛇の行列が出来ていた。こんな時に1号車は不便である。夕食を22時からのパブタイムに食堂車で食べようと思っていたが、これでは食べられるかわからぬ。
シャワー券を買えない可能性を多分に含んだ行列は私の数人前で解消された。シャワーを浴びられないのは残念だが、仕方が無い。自分の寝台に戻る。
通路を歩いている時に気がついたが、どうもツアー客が乗っているらしい。そういえば、先の行列の外にツアーの添乗員らしき人がいたように思う。シャワー券が買えなかったのはツアー客の為なのか、そうでなくとも買えなかったのか……。
二段寝台の上段は窓から見える景色が地面だけになるのが辛いところだ。電車三段寝台だと中段と上段にも小さい窓が取り付けられていて、寝ながら外を眺められる。居住性では比べるべくも無いが、その点は羨ましい。
上段でも良い点はあって、通路上の収納を使える。空間の有効利用としてかなりよい設計だと思う。事実、後日に見たテレビ番組ではこの設計を参考にした家のリフォームを行っていた。
17時45分南千歳、18時05分苫小牧と立て続けに停車する。南千歳からは石勝線と空港支線が、苫小牧からは日高本線が分岐している。どれも寝台上段からは見えない。いずれは全て乗りたいものである。
今朝、コンビニで買ったホワイトチョコレートを食べる。ホワイトチョコレートは好きだが、どうも普段よりも甘く感じる。甘すぎて食べるのが辛いが、全部食べた。
18時51分、東室蘭発車。頑張って窓から外を覗くと、製鉄所らしき建物が見えた。チラッと見ただけなので違うかもしれないが、大きな工場であったことは確かである。室蘭へは東室蘭から支線で四駅である。
そろそろ寝台もある程度堪能したし、車窓も見たいのでロビーカーへ行く。ここで22時まで待って確実に夕食を食べようという魂胆である。
ロビーカーはそれほど混んでなく、難なく座れた。海側のソファーに座った。通勤電車のロングシートのようだ。普段の電車の席がこれほど豪華でふかふかだったらいいのにと思う。東京の電車の椅子は概して硬い。最新型の電車は一、二世代前に比べては少し柔らかくなったが、それでも硬いことには変わらない。何かの番組でパリだったかロンドンだったかの地下鉄のお偉いさんが東京メトロを視察するというものがあったが、その時も電車の椅子の硬さは酷評されていた。
列車は海沿いを走っている。北陸本線の新潟県から富山県への県境付近に少し似ている気がするが、これは夜だからだろう。見える海は噴火湾だ。
伊達紋別や洞爺など、昨年の修学旅行で訪れた地を過ぎ、長万部に着く。10分程度遅延している。
長万部からは函館本線に入る。函館本線は長万部からニセコや小樽を経由して札幌に至るが、その経路は勾配がきつく、優等列車の運転には適していない為、現在では鈍行列車しか走らないローカル線に没落している。かつては蒸気機関車の重連で勇名を馳せた急行「ニセコ」などが走っていたのだが。
窓からは単行の気動車が見える。19時42分長万部着の鈍行列車があるからおそらくそれだろう。
この辺りでロビーカーが混雑してきた。私と同じ22時からの食堂車狙いだろうか、と勘ぐっていたが、そうではなく、食堂車を予約している第二陣であった。被害妄想が過ぎていけない。彼らの夕食はフレンチのフルコースである。
函館本線は七飯から森の間で二股に分かれている。これは太平洋戦争中、増大する貨物輸送量に既存の山側の線路だと限界を迎えたため、海岸沿いに新たに線路を敷いたからなのだが、戦後もそのまま残っている。
「北斗星」は山側の線路を行く。海岸沿いの車窓からは駒ヶ岳が望めて風光明媚らしいが、今は夜なので関係ない。しかし、行きに乗った「はまなす」と経路が被るのが残念である。出来れば、どちらの線路にも乗ったということにしたかった。
北海道新幹線開通の暁には新幹線との接続駅になる渡島大野を通過し、函館が近づいてきた。新幹線の駅を建設している最中らしいが、見えなかった。
車窓から函館の街の灯を見下ろせる。これまで人家の少ない土地を走ってきたこともあってか、ある種のオアシスのように思った。函館市は人口27万人の都市である。
22時になり、食堂車「グランシャリオ」に入る。待機していた人で満席となった。相席になる。
注文をすると、ちょうど函館駅に着いた。函館で札幌から牽引してきたディーゼル機関車を切り離し、ED79型電気機関車に付け替える。食堂車のほかの客が立って見に行ったので、私も見に行くことにした。
函館から青森までは進行方向が変わるので、これまで最後尾だったほうに行く。機関車は既に連結されていて、私と同じことを思った人が群がっていた。
連結されていた機関車は私の乗った「はまなす」を函館まで牽引した機関車と全く同一のものだった。奇妙な偶然に思えるが、運用の流れからすると予定調和なのかもしれない。
21時49分、函館発車。遅れは取り戻している。隣の五稜郭までは来た道を戻り、そこから江差線に入る。江差線というものの、木古内から江刺は昨年五月に廃線になってしまった。「横浜駅に行かない横浜線」や「奈良県に行かない奈良線」などとよく揶揄される路線があるが、江差線もそれの一員にしてよいと思う。
七重浜を過ぎた頃に私の料理が届いた。今晩の夕食は「煮込みハンバーグセット」である。メニューは煮込みハンバーグ、スープ、ライス又はパン、紅茶またはコーヒーで、私はライスと紅茶を選択した。2060円也。
ハンバーグは柔らかく、米も美味しい。かつての食堂車は「不味い」の代名詞であったらしいが、今は違うようだ。食堂車が減ったからでもあるだろうが。
夕食を終え、自分の寝台に戻る。下の人はどこへ行ったのか知らないが、いない。寝る準備をしようと思う。
私の一つの考えであるが、物は本来の用途を使ってこそ楽しめると思っている。私が東京に帰ってきた後、何人かの人から「寝ずに過ごしたのか?」と尋ねられたが、それでは真に寝台列車を楽しんだ、体験したとはいえないのではないだろか。寝台列車は寝て移動するための列車である。ならば、寝台でしっかりと寝ることが本質を楽しむのには必要なのだ、と私は思う。そういうわけで、青函トンネルを抜けると私は寝た。
翌朝、朝の放送で目が覚めた。私は揺れていても熟睡できるタイプで、寝ているときに地震が起きても滅多なことでは目が覚めない。その性質を遺憾なく発揮したようだ。現在地は郡山の手前である。
着替えてロビーカーに向かう。朝食時の食堂車は予約が要らないので、食べに行こうと思う。少し出遅れている。
食堂車は満席だった。座席待ちで名前を書くとき、
「食べられない可能性もありますから車内販売などにしたらいかがでしょうか」
と言われた。もちろん待った。
6時半過ぎ、日が昇る。普段は朝寝坊なので日のではあまり見ない。だから、列車から見る日の出は格別に思えるが、普段を知らない。
地面には雪が残っているが、北海道ほどではない。もとよりそれほど雪は積もらない地域ではある。
昨夜と同じくロビーカーのソファーで待つが、なかなか呼ばれない。北へ去ってゆく貨物列車と何本もすれ違う。私の朝食タイムもあのように手の届かないところへ去っていってしまうのではないか。危機感を感じた。
黒磯を通過する。長かった交流電化区間は終わりを告げ、後は上野まで直流電化区間だ。見慣れた電車が現れ、帰ってきたことを実感する。もうすぐ旅が終わる。私よりリストが前の人が次々に呼ばれている。彼らで終わってしまうのではないだろうか。焦燥感を感じる。
宇都宮到着前、矢板のあたりだったと思うが、ついに私の名前が呼ばれた。もちろん相席になる。
「グランシャリオ」の朝食は洋定食と和定食の二種類がある。昨夜は洋食を食べたので、朝は和食にしようと思う。
食堂車で和食と洋食といえば、昔は食堂車には和食堂車と洋食堂車の二種類があったそうである。洋食堂車が一等・二等中心の列車、和食堂車が二等・三等中心の列車に連結されていたとのことだ。
和朝食が運ばれてきた。メニューはごはん、味噌汁、焼き魚、卵焼き、かまぼこ、わさび漬け、香の物、デザート、コーヒー又は紅茶となっている。緑茶が無いのが残念だが、あまり食堂車に求めすぎてもいけないと思う。
8時10分、宇都宮着。窓からはステンレスの首都圏で走っているE231系が見える。通勤電車を横目に食堂車で食事をしているのは、優越感に浸れる。
朝食の後は車内探検をした。探検というと子どものように思われるかもしれないが、探検と称するほか無いのでそうする。ようは乗っている編成の点検である。
自分の寝台のある一両目から見ていく。一両目と二両目は開放B寝台。ただし、二両目の方には一両目と違って通路との間に扉が無い。二両目のほうがより原型に近いといえる。
三両目と四両目はB寝台デュエット。二人用個室寝台である。五両目と六両目の半分がB寝台ソロで、私が最初に取ろうとした寝台である。どの部屋も扉が閉まっていて中は見えない。
六両目の残り半分がロビー、七両目が食堂車である。これは何度も見ているから、もういい。八両目はA寝台ツインデラックス、九両目がA寝台ロイヤルとB寝台ソロの合造車、十両目はA寝台ロイヤルとB寝台デュエットの合造車となっている。ツインデラックスとロイヤルは「北斗星」で最も豪華な客室で、平素からプレミアムチケットであった。シャワールームやトイレを完備し、食堂車のルームサービスやウェルカムドリンクなど、ルームサービスも受けられる。私には高嶺の花である。
十一両目は一両目、二両目と同様のB寝台開放で、最後尾が電源車となっている。
自分の寝台に戻る。することが無くなった。二度寝する。前に他の寝台に乗ったときにも思ったが、寝台列車は好きなときに横になれるのが良い。座席では味わえぬ幸福だ。
起きると久喜であった。やっぱりすることも無いので、通路の椅子に座って外を眺める。下段だったらベッドから外を眺められたのだろうが。下段が羨ましい。隣の寝台は結局上下とも人がいなかったし、下段に座ってもいいのではないかと思ったが、気が引けてやめた。
白岡、蓮田と通過する。蓮田と東大宮の間にはその筋では有名な撮影地があるが、まるで三脚の林のように撮影者が並んでいたようである。私も同類であるが、よくやるものだ。
寝台特急を衰退させた一因たる新幹線から始まり、最後の急行を経て寝台特急に乗る旅も終わりを告げようとしている。
9時32分、大宮着。京浜東北線の電車が東京圏であることを実感させる。
大宮を発車し、私の見慣れた風景の中を行く。幾本の列車とすれ違い、終点上野には10時05分着。端頭式ホームの先端にはカメラを構えた人々が群れている。私もそれに加わった。 (完)
初投稿です。読了ありがとうございました。