異世界に落ちたけど、とても幸せな生活だった。 と、そこで終わったなら良かったのに
庭に植えられた木々に深緑が増え始め、そろそろ夏を迎える頃。
ふわりと吹いた風が青いドレスの裾を揺らす。
長いため息が漏れた。そういえば私の世界では、ため息をつくと幸せが逃げる、なんてよく言われていたな。それを思い出してさらにため息。
「どうしよう……」
考えるのは二年後の身の振り方について。
考えれば考えるほどため息が出るだけで、ちっとも良い案は浮かばない。
私はリサ。数年前にこちらの世界に落ちてきた。所謂異世界トリップってやつだ。トリップどころではなくほぼ永住確定なのが笑えないところだが。
しかしながら、幸い落ちた所は心優しい子爵家で、当主様達は温かく私を保護してくれた。突然落ちてきたなんてどう考えても不審人物なのだが、なんでも先々代の当主様の奥方が私と同じ日本から来た方だったそう。ちょうど娘が欲しかったのと優しく笑い、礼儀作法や様々な知識を教えて下さった。内政チートとはいえないようなささやかなものだが、私も日本の知識を活用してお手伝いなどをして、ただ飯食いにはならないよう精一杯努力した。
異世界に落ちたけど、とても幸せな生活だった。
と、そこで終わったなら、私はこうもため息をつかないのだが……。
私はこの屋敷の次期当主となられるエドヴィン様に嫌われているようなのだ。
というか嫌われている。確定だ。
当主様が「養子にしたい」といえば「やめろ」とキツく睨みつけ、私が笑っていたら、忌々しげに「目に毒だ」と言う。
仕方ないだろう。私が最初落ちてきたのは、エドヴィン様の上。
つまり私、のしかかってしまったのだ。エドヴィン様に。
しかも、パニックだった私は謝りもせず、ただただ泣きわめいて。……分かってる。そ、そこまで重くなかったよね!? と半泣きで訴えてくる乙女心があっても、流石に第一印象が最悪な自覚はあるんだ。
そんなエドヴィン様が当主になったらこのままの、のびのびした生活は出来ない。
とは言っても溜め息の原因はエドヴィン様に追い出される! というものではない。エドヴィン様はとても出来た人なので、私的な感情で私を追い出したりはしない……と思うし。
エドヴィン様は女性が本当は苦手なのにいつも笑顔で接したり、考えなしに送られてくる迷惑なくらいの花束も捨てたりせず、私に挿したり色々無駄にしないよう頑張っているし。現当主様達と同じとても優しい人なのだ。……ただ、私が嫌われているだけで。いや、嫌っている私のことも何かと助けてくれる。良い人なのだ。
しかし、何度もいうが、私はエドヴィン様が当主になったら今のままの生活は出来ない。見目も麗しいエドヴィン様は当主になったらすぐに結婚するだろう。
問題はエドヴィン様の奥様だ。同じ年頃の女が屋敷にいる。しかも、使用人とは違った扱い。不安になると思う。
そして、そのまま結婚生活に亀裂が入ってしまったら?
私の所為だ。そんなの耐えられない。私は当主様達も使用人の皆もエドヴィン様も大好きだ。幸せになって欲しい。亀裂が入った結婚生活なんてはたして幸せと言えるだろうか。私ならいえない。
だから私はエドヴィン様が当主になるまえ、いや、結婚する前にこの屋敷を出て一人で生活しなければならない。
その方法と手段が思い浮かばなくて、私は溜め息をついているのだ。
※ ※
庭でぼんやりとこれからのことを考えていると顔をしかめたエドヴィン様が籠に花を入れてやってきた。淑女らしく立ち上がって礼をする。
「エドヴィン様。ご機嫌よう」
「花を飾る。さっさと来い」
私の挨拶はあっさりと無視された。……うん。もう慣れた。さっと、背を向けたエドヴィン様に付いていく。
花を飾るというのは、屋敷にではなくて私にという意味だ。
別に着飾る目的ではなくエドヴィン様宛に大量に届いた花の活用術その1である。ちなみに活用術その2では押し花になって私の私物として贈られる。色々と怨念などが混ざってそうな愛の深い言葉を持った花達なので怖くないと言えば嘘になるが……。見た目だけなら綺麗なんだ。無駄にするなんて出来なかったんだ……! ああ素晴らしき日本の勿体ない精神! くそう。
送られてきた怨念たっぷり、いや深ーい愛情たっぷりの花を使わせることに申し訳なく思っているのか、なぜかいつもエドヴィン様直々に髪に編み込んでくれる。使用人顔負けの手先の器用さだ。流石エドヴィン様。全てにおいて嫌みなくらい完璧だ。……本当に嫌みなくらい!
か、勘違いしないでよね! べ、別に妬んでいるわけじゃないんだからね!
……ああ、妬んでるとも!
と、冗談はこのくらいにして、やはりエドヴィン様は完璧な紳士だと思う。こうやって嫌っている私にでも歩調を合わせてくれる。
ぼんやりと見つめると突然エドヴィン様が振り返った。射殺さんばかりの形相である。
「な、なんだ?」
まさか、ただ見ていただけですとは言えない。私は頬に手をあてて、たおやかに眉を下げる。
「申し訳ありません。エドヴィン様。少し考え事をしていてもうお花を飾る時間だったのですね」
「……なにか不満があるのか」
「……えっと?」
Why? 残念ながら理解力が乏しいのでエドヴィン様の言葉の意味が分かりかねる。
「その。お、お前が考え事をするなんて。なにかこちらの待遇に不満でもあるのかと聞いている!」
「いえ! 不満なんてありません。まっっったくありません」
私としては手を煩わせてしまったことを詫びたかったのだが、考え事という単語に反応したのか。あわてて否定する。こんなに良くしてもらって、不満なんて毛ほどもない。
「ならいい。か、勘違いするなよ。抱え込まれて、被害を増大させたら困るってだけだ!」
「はい」
勘違いなんてしませんよー、嫌っている相手が心配してくれるなんてお花畑な脳内はしていない。
部屋につき、エドヴィン様は長い指で編み込みを施し、花を差し込んでいく。
惚れ惚れする程見事なグラデーション。センスというものも備わっているようで。ちっ、イケメンめ。憎たらしい。……おっと失言。流石エドヴィン様ですねと言っておこう。
「……美しいな」
エドヴィン様からほぉっと漏れた溜め息。ええ、ええ。美しいです。自画自賛ならさなくてもエドヴィン様の花飾りは完璧ですよー。そう思いにこにこしているとエドヴィン様と目が合った。ハッとするエドヴィン様。
「い、今のは、花に対して言ったんだ!」
「はい。存じ上げております」
心配しなくても勘違いなんてませんよ。
エドヴィン様は「お前もそこそこ見られるようにはなった」とそこそこを凄く強調しながら部屋を出ていった。
……うん。エドヴィン様、人としては良いんだけどね。腹が立つな!
※ ※
今日は私もエドヴィン様も苦手な舞踏会である。
普段は楽な格好でたいして着飾っていない私だが、もうそれはそれはレースやフリルのふんだんに使われた華美なドレスを着ている。……なんでだろうね。平凡な容姿で磨いてもそんな光らないのに使用人たちは喜々としていた。
「流石プロの技だな。その、に、……似合っている」
ものすっごく忌々しげに似合っていると言われましたー。いえい。
「わぁ、ありがとうございますー」
とりあえず棒読みで喜んでみせる。
エドヴィン様はエスコート役をして下さる。私を養子に迎えてくれれば当主様でも良かったんだけどなぁ。妻帯者がエスコートするのはよろしくないらしい。で、仕方なくエドヴィン様がしてくださった。正直私は別の人に頼めないかなぁと思ってたんだけど、エドヴィンの女除けに頼むよと言われれば是としか答えられない。
でもなぁ。
メモ用紙も挟まりそうな程顔をしかめたエドヴィン様を見やる。
「エドヴィン様、あの無理なさらないで下さいね?」
「な、なにがだ」
「手、なんですけど」
しっかりと握って下さるが、嫌いな女の手など握りたくないだろう。はなしてもいいのに。そう言うとばっと手を離された。
「こ、これは別に……!」
「わかっていますよ。嫌いな女の手をわざわざ握っていて下さりありがとうございます」
「……は?」
なぜか間抜けな顔、こほん。驚いた表情で私をまじまじと見つめるエドヴィン様。
「嫌い……? お前が俺を?」
いや、なんでそうなる。人の話きいてたか?
「エドヴィン様が私を、です」
「な、ぜだ」
は? 分かんないとでも思っていたんだろうか。逆に驚くぞ。
「そりゃ、表情みていれば分かりますよ。そこまで馬鹿じゃないです」
え、それともなに。きゃ、エドヴィン様ったらツンデレー☆ とかやっていればよかったんだろうか? ……ないわー。
そんなこんな考えているうちにエドヴィン様はがっしりと私の腰をつかむとずるずると会場を出て、休憩室まで引っ張っていった。
私も椅子に座らせ、自分も座ると忌々しげに口を開く。
「べ、別に……嫌い、では、ない。お、お前をみるとつい暴言が口をつくだけだっ!」
「や、ですからそれを嫌いっていうんですって」
むしろ他に何という。
「ち、ちがうっ」
違いませんよ。なにを言ってんだ。
……は! もしかしてエドヴィン様、人を嫌いになった経験がない!? おぼっちゃんだもんな! それならばわかる。エドヴィン様のまわりには出来た人間しかいなかったのだろう。そこに突然わいてきた自分の汚い感情……。認めなくないのだ。
私は慈愛の目を向けた。
「エドヴィン様、初めての感情で戸惑っているのですね……」
「……ああ」
エドヴィン様は気まずげに同意した。やっぱりそうか。私は優しく笑って続ける。
「人を嫌うというのは、汚い感情ではないですよ? 誰しももっているもので、」
「待て、何の話をしている」
私の諭す言葉はばっさりと切られた。しかし、私は辛抱強い子だ。負けないぞ。絶対にエドヴィン様に私を嫌いだと認めさせてみせる! ……言ってて何だがかなり虚しい決意だな。
「嫌いじゃないと言っているだろう!」
「大丈夫です。エドヴィン様、分かっていますから」
「絶対分かっていない! ……あぁ! くそっ」
エドヴィン様は、頭をかきむしると私を見つめて口を開いては閉じ開いては閉じする。
「……そ、その」
「はい」
嫌いと言える瞬間まで私は待ちますよ。しっかりと瞳を見返し、待つ。
「す、………………好き、なんだ」
…………。
………………。
……………………は?
エドヴィン様はそれだけ言うと扉を開け走り去った。顔は、真っ赤だった。
いや。わかっているんだ。
汚い感情をみとめたくなさすぎて、変な思考回路になってしまったんだと。
でも、なんだろうか。この頬の火照りと、嬉しいと思ってしまうこの感情は。
続きません(笑)
と、いいつつ書きました( >_<) ノリが少し違いますがよろしければ…
ちなみにエドヴィンはちゃんとアプローチしています。リサの頭に挿したお花は送られてきたものを使っているのではなく、ちゃんとエドヴィンが買ってきたもの。送られてきたものは丁寧に処理しています。
そしてエドヴィンが女性嫌いなのに笑顔で接しているのは、リサが女性に優しくない人は嫌いといったから。……健気な奴なんです。