目覚めたら横に看板**エッセイ村へようこそ秋の新嘗祭
「てやんでぃ、なんだいあのヘボ課長!!」
と、居酒屋でくだを巻いていたところまでは何となく覚えてる。一緒に飲んでた同僚たちも、それなりに酔っ払って私の悪口雑言に唱和していたのも。
で、今。
朝になって目が覚めたら、ちゃんと自分のアパートの部屋で、自分のベッドで寝ていた。ただし、スーツのままで。
「―――ああ、もうこりゃクリーニングだなあ」
ぼやきながら起き上がると、手に何かが当たった。
おそるおそる視線を落とすと、そこには黒板があった。ほら、喫茶店の店頭なんかに置いてある、メニューやメッセージを書いてあるあれ。
「またやっちゃった」
私はがっくりとうなだれた。
そう、私は泥酔すると、帰り道で看板を持って帰ってしまう変な酔い癖を持っているのだ。これで何度目だろう。
飲むのは地元の飲み屋街と決めているので、持って帰ってくるのはその飲み屋街の店のものばかり。素面に戻って平身低頭返しに行くと、最初は怒られていたものの今ではどの店舗も「しょうがないなあ」という風情で私を生暖かい目で見るようになってしまった。
今日は小さめの看板で良かった。
以前、店頭に店長の等身大立像人形が飾ってある居酒屋の、その立像が朝起きて枕元に立っていたときは心底びびった。確かにあれも看板の一種だな、うん。
30kg近くあるそれを引きずって返しに行ったときは、足があるんだから自分で歩いて欲しい、と人形に対して理不尽な恨み節を聞かせたものだ。
その次の週末。
今日こそは泥酔しないぞと心に誓っていたにもかかわらず、失恋した親友のやけ酒につきあわされた私は、やはり3軒目くらいから記憶がない。遮光カーテン越しのうっすらとした光を眺めながら、私は必死に現実逃避していた。
だって、私の横にはぴったりと密着して男が寝ていたから。
「―――おはよ、樹里」
「ひいいいいいっ!!」
驚いてオソロシイ叫び声を上げてしまった私に、彼は「ひどいなあ」と柔らかな笑みを浮かべる。当然というか驚くべきことにというか、私たちはお互い裸で、ええ、夕べ何があったかを如実に物語っております。
「本当に覚えてないの?」
ちょっと傷ついたような彼の言葉に申し訳なさがこみ上げる。
「あ、いや……なんとなく、その、断片的に覚えているというか、ですね、ええとでも、どうしてこうなったかとかは覚えてないというか」
「だろうねえ」
彼はくすくすと笑った。
「大体、泥酔するたびに記憶なくしてるみたいだからねえ」
「へ?」
「だって、樹里、毎週どこかの店の看板奪っていくじゃない。で、翌朝になって返しにいくでしょ?そのときは奪っていったときのこと、全然覚えてないみたいじゃないか」
ー―――どういうことでしょうか。なんでそんなに詳しく知っている、この人は。
そもそも、彼が私のことを知っているということに驚いている。
彼は駅前のカフェ&バー『ケリー』のウエイター・新田哲弥さん。
『ケリー』は駅前のカフェだ。昼間はおしゃれなカフェとして、夜は小洒落たバーとして営業している人気店で、私も何度か利用している。イケメンのウエイターを揃えていると評判のこの店でも、新田さんは1,2を争う人気のウエイターだ。かくいう私も新田さん推しだったりする。
パニクっている私に新田さんはにっこり笑って昨夜の顛末を話してくれた。
なんでも私は正体がなくなるほど泥酔したとき、どの店でも勝ったら看板を頂戴する、という条件で店員に飲み比べを持ちかけるらしい。
なんだそりゃ。道場破りか! 全く記憶にないぞ!
自他共に認めるザルというか網すら張ってない枠とまで言われる私は連戦連勝、勝利の雄叫びを上げつつ看板を引きずって帰る――ー―というのが、駅前飲み屋街の週末の風物詩と言われているらしい。翌朝には私が申し訳なさそうに返しに来ることはわかっているので、どの店も文句をいわないのはそれが理由だそうだ。
「っていうか、有名だから、樹里が飲み比べ始めると客が見に来るんだよ。飲み比べしてる店は客が大入り満員で儲かるからね、むしろ歓迎してるんだよ」
ーーーースコップ。今すぐ私にスコップをください。
穴を掘るんだ、深くて暗い穴を!! 二度と出てこられないように!!!
「で、その光栄な店に夕べは『ケリー』が選ばれてね。酒量には自信のある店長が相手したんだけど、全く歯が立たなくてね。
でもいざ看板を持って帰ろうとしたら、うちはほら、電飾の看板が壁面に埋め込んであるでしょ? 持って帰れないから、じゃあ看板店員の俺を持って帰るって言い出してね、お持ち帰りされたってわけ」
大喜利か!!!
ていうか、何やってんだ私! 新田さんのことは確かにいいなあと思ってたけど! ていうか、ずっと好きだったけど!
だめだもう再起不能だ。失恋確定だ。どうやら夕べは仲良くしたらしいけど、こんな酒癖の悪い女、引く手数多の新田さんが相手にするわけがない。あまり覚えていないのが残念だけど、一晩相手にして貰ったことを思い出に生きていくしかないんだと、人生最大の恥と失恋のショックで頭から布団をかぶって出てこられなくなってしまった。
せっかく隠れていたのに、新田さんがすこしだけ布団をめくってのぞき込んだ。ちらりと見えたその顔は、私をあざ笑っているかと思ったら、予想外に優しい笑顔だった。
「樹里、今日は看板は店に戻さなくていいよ」
うれしそうなその声色に少しだけ顔を上げると、布団をはぎ取られてぎゅっと抱きしめられる。
「樹里が勝ったんだから、『ケリー』の看板は樹里のものだよ。持ち帰られて嬉しい看板もいるってことで」
そう言って優しく唇を奪われた。
実は前から樹里のことが好きだったんだ、って耳元に響く低音に、私はどうやら飲み比べには勝ったものの看板には敗北したことを悟ったのだった。
<fin.>
キーワードは【酔っ払い】でした。




