胸の中の星☆プラネタリウム番外編
「プラネタリウム〜巡る恋の物語」(なろうママの会)にゲスト参加させていただいていたもの。
「じゃあ、お疲れ様でした!乾杯!」
全員で一斉にグラスを掲げて唱和する。グラスがガチンとぶつかる音がして、テーブルを囲む全員がほっとしたような笑顔になる。
「いや~、やっと学校の春休みが終わったな!これでしばらくは日中は暇になるかな」
ビールのジョッキをあおりながら、わたしの斜め前に座っている中島さんが笑った。たしかに、学校の長期休暇中はかき入れ時だ。学校が始まると、学校の時間帯は科学館も静かになる。中島さんは、プラネタリウムの技師さん。いつも機械の調整や点検に余念がない、職人気質のおじさんだ。
「おう、林ちゃん。林ちゃんもそろそろ大学の授業が始まるんだろ?」
突然話を振られて、あわててにっこり笑った。
「はい、明後日から講義が始まるんです」
「そっか、じゃ、バイトに来られるのはまた夕方からになるんだな」
「いいえ、もう3回生ですから、講義の時間数はずいぶん少ないんですよ、うまく間を縫ってシフト入れられたらって思ってます」
ビールは苦くて苦手なので、チェーン店の居酒屋独特の薄くて甘いジョッキ入りのサワーを飲んだ。
20歳になって、ずっとアルバイトしている科学館の職員の皆さんと飲みに行くことができるようになった。数年間続けていることもあって、職員の皆さんにはかわいがっていただいている。いまや、美空さんも遠野さんも私の同僚だ。
高校を卒業した私は、自宅から通える場所にある国立大学に入り、天文学を学んでいる。相変わらずの天文フリークぶりで、親も苦笑気味だ。
「そういえば、今日は美空さんはいないね。おやすみだったかねえ?」
中島さんの隣で日本酒をちびりと飲みながら佐伯さんが言う。佐伯さんは事務専門の職員だ。
「ああ、前田君、だっけ?例の年下の彼氏。彼が大学に戻るんで、見送りに行ってるよ」
私の隣に座ってる女性職員の牧さんが答える。
そう、この春休み、先輩は美空さんに会いにこちらに戻ってきていた。私も高校のときの仲間と一緒に会ったけど、なんだかオトナっぽくなっててびっくりした。
科学館にも来てくれた。
正直、先輩のことは今でも好きかといわれるとたぶん好きだ。でもその気持ちは、高校のあの頃のような抑えがたい衝動ではなくて、ちょっとツンとした香りを忍ばせた思い出に変わってきている。
美空さんと先輩、二人が仲良く話しているところを見ても、もう嫉妬に焼き焦がされることはない。寂しいけど、ちょっとだけつらいけど、先輩が幸せになってくれるならいいのかな…と、整理がついてきた感じだ。
先輩はあと1年大学が残ってるので、これが終わったら地元に戻ってくるらしい。もちろん、就職の第一希望はうちの科学館だ。来年の新卒募集、するのかな?
きっと、募集がなければ募集が出るまでどこかの企業で働いて、って考えてそうな気がする。うん、ありそう。
「あといないっていえば、遠野さんか」
「遠野さんは出張ですよ。つくばの天文台に」
「へえ!いいな、仕事とはいえうらやましい」
遠野さんはあれから1年間アメリカで研修して戻ってきた。ますます磨きのかかった知識で、すばらしい解説をしている。私は売店の売り子なので、投影中こっそり説明を盗み聞きしたりしている。
「うらやましいっていえばさ、遠野さんの…」
「ああ!なんて言ったっけ?そう!ライアさん」
「ずいぶん熱心らしいよね。結構頻繁に休みとっては遠野さんに会いに来てるって」
そう!なんと、遠野さんがアメリカ留学中、同じチームでやっていたアメリカ人の女性に惚れられちゃったらしい。アストライアさん(通称ライアさん)っていう、金髪碧眼のものすごい美人で、アメリカ人だけあって恋愛にもものすごく積極的。うちの科学館まで来たこともある。
でも、遠野さんはそういう気はないらしく、少し迷惑そうにしていた。
「今は恋愛よりも仕事に集中したいから」なんて言いながらも、ライアさんが来日すると空港まで迎えに行ったりしている。まんざらじゃないんじゃないかな、と私は見ている。
「まあ遠野君は優秀だからな。NOAOに引き抜かれて渡米して、ライアさんと結婚…なんてことになっても、俺は驚かないよ」
中島さんが言うと、みんなどっと笑った。
ひとしきり食べて飲んで、ふと見るともう10時を回っている。
「すみません、私そろそろ帰りますね」
親と同居してる私は、一応門限11時を言い渡されていて、そろそろ出ないと門限に間に合う電車に乗り遅れてしまう。会費を払おうとしたら、館長や中島さんたちに「いいよいいよ」と言われておごられそうになったけど、押し問答の末、二千円だけ受け取ってもらって店を出た。
地方とはいえ大きな駅のそばだ、夜の街の明かりは煌々としていて私の好きな星空は見えない。曇ってはいないので、ベルベットのような漆黒の中に冴え冴えとした月がぽかんと浮かんでいて、数えるほどの星が見えた。駅から電車に乗って家の最寄り駅まで帰れば、もうちょっと見えるかな。
この季節なら、天頂付近にはしし座、ちょっと北に視線を動かせばおおぐま座の北斗七星が見えるはずだ。しし座には三つ子の銀河があるんだよね。この間、写真集で見たなあ…
「林さん!」
後ろから呼ばれて足を止めて振り向いた。ちょっと天然パーマ気味の黒髪にメガネ、ひょろっとした身長の高い男性。ああ、科学館の同僚の及川さんだ。
「及川さん」
「よ…よかった、追いついた」
「どうしたんですか?皆さんと飲んでたんじゃ」
「う、うん、これ忘れ物」
及川さんはそういって、整わない息をもてあましながら小さな紙袋を差し出してきた。
あ、私のだ。読みかけの本を入れてたんだった。
「すみません、わざわざありがとうございます」
「どういたしまして。ところでさ、送るよ」
及川さんがにっこりと笑った。
「え!いいですよ、こんな時間ですし」
「こんな時間だから送るんだよ。女の子一人、帰せないよ」
押し問答の末、送ってもらうことになった。
電車で3駅のって、そこから家までは徒歩だ。といっても、10分かからないけど。正直、割と暗い道だから、送ってもらえるのはありがたい。
並んで歩きながら空を見上げ、天文談義に花を咲かせていた。
及川さんは穏やかな人だ。解説員の一人で、要は美空さんと遠野さんの後輩になるのかな。知識はとても深く、穏やかな語り口調で解説をする。わかりやすくかみ砕いて説明するのが上手なので、子ども向けのプログラムで好評を博している。
「でね、この間写真集で見たんですよ、しし座の三つ子銀河。すごく不思議な光景ですよね」
「うん、僕も去年写真撮ったよ、三つ子銀河」
「え!見たいなあ」
「いいよ。そしたらさ、林さんのポケベルの番号教えてくれる?」
「いいですよ。及川さんのも教えてください」
そういって番号を交換して、ほどなく家に着いて及川さんと別れた。
自分の部屋に入ったとき、ふと机の上の写真立てに目が行った。高校のあの頃、天文部のみんなで撮った集合写真。今よりもちょっとだけ幼い笑顔の私と先輩が、皆の輪の中で笑っている。
でも、もうこの写真を見るのがつらくてたまらない私はもういない。あの頃の想いはもう昇華されて、私の胸の中に小さな輝く星になってしまってある。
もう、大丈夫。
きっといつか、私も新しい恋をして、胸の中の星……大切な思い出たちを増やしていくのだろう。
星団や、銀河のように。
ピリリリリリ……
寝支度を調えて部屋の電気を消そうとしたら、ポケベルが鳴った。
「だれ?こんな時間に」
鞄からポケベルを出してディスプレイを覗き込んだ。及川さんからだ。
名前のあとに表示された本文を見て、私はそこから目が離せなくなった。
<キミガスキ ツキアッテクダサイ>
…そして、新しい星は、そう遠くない未来にあるのかもしれない。




