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メイドの品格

作者: 広河陽

 最初、ヒトミはメイドになる気がなかった。


「ハウスメイド募集 来週金曜面接 希望者は当支所に来られたし ルナシティオフィス公邸管理部」


 ルナタウンのアドコラムにそんな文字だけの役所らしい地味な貼り紙が貼り出されたのは、金曜の朝より後にちがいない。朝にヒトミがそこを通った時には、そんな貼り紙を見た記憶はないから。

 金曜日の夕方、ヒトミは友だちのミカと一緒にそこを通った。貼り紙を見たミカはすっとんきょうな声を上げる。

「これよ、これ、まさに私のための仕事じゃない!?」

 ミカはルナタウンからルナシティへの玉の輿をねらっている、と日々公言している。

 ルナシティには月と地球を当たり前に行き来する裕福な人々が住む。重力も地球と同じくらいに調整されて快適だ。

 一方、ルナタウンにはそれほど裕福でない、おそらくは一生を月で暮らしていくだろう人々が住んでいる。もちろん重力調整も充分ではない。

 ルナタウンの住人がルナシティの住人と知り合うには、ルナシティで働くのがいちばんだが、ルナシティがルナタウンで求人をするのは年に何回もない。

 このハウスメイドの募集は、ミカにとって願ってもないチャンスなのだ。

「私、この面接を受ける」

 やっぱりなぁ、とヒトミは声に出さずにつぶやいた。そこまでは日常茶飯事、想定範囲内のこと。しかし、ここからが想定範囲外だった。彼女の平穏な生活は次のミカの一言で破られる。

「だから、ヒトミも一緒にメイドの面接を受けて!」

 こうしてヒトミはあまり気乗りがしないまま、メイドになるための面接を受けることになった。

 

 月曜の昼、ヒトミがひとりでアドコラムの前を通った時にはその貼り紙はもうなかった。

 誰かがはがしたのだろう。理由は競争率を減らすため。残念ながらルナタウンではよくあることだ。

 次の金曜日、ヒトミはルナタウンの中心部にあるルナシティオフィスの支所にいた。もちろんハウスメイドの面接を受けるために。隣の図書館にはよく行くが、シティオフィス支所に入るのはこれが初めてだ。こういう機会がなければたぶん一生、入ることはなかっただろう。

 面接はすでに最終段階に入っている。最初、30人ほどいた希望者は、今はヒトミを入れて3人。待合室に並べられた椅子にそれぞれ座っている。

 ミカは面接が始まる時からいなかった。寝坊したのだろう。いつものことだ。

 ヒトミは他の2人の顔をちらっと見た。2人とも緊張して硬い顔つきをしている。自分もそんな表情をしているのだろうか。気になって、ヒトミは壁にかかっている大きな鏡を見た。そこに映る自分をしげしげとみつめる。

 白い襟、白い袖口、白いレースのすその黒のロングワンピースに、すそと肩ひもにひかえめにフリルがついたエプロン。そして頭には白いレースのカチューシャ――いわゆるメイド服、それが今の姿だ。

 面接を受ける前にこの服に着替えるように言われた。この服を見た時、ヒトミは正直、安心した。彼女が想像していたメイド服にはもっとフリルがついていたりスカートの丈が短かかったりした。よく考えれば、シティオフィス公邸のハウスメイドには短いスカートも必要以上のフリルも必要ないのだけれど。

 鏡に向ってヒトミは笑顔を作る。無理に力んで作った笑顔ではなく、ふっと自然に出てきた笑み。いい感じに緊張が解け、と力が抜ける。

 と、部屋の扉が開く。入ってきたのは、グレーのスーツをいかにもキャリアといった具合にカチッと着こなした30代後半くらいの女性だ。胸のプレートには「公邸管理部長 アキノ・A」と書いてある。

 もし採用されたら、この人が上司になる――ヒトミはそう予感する。

「最終の試験では紅茶をいれてもらいます」

 試験を受ける3人に、アキノから掌におさまるくらいの大きさの缶が手渡される。開けると、中に入っていたのは紅茶の葉。葉1枚のそのままの大きさではなくカットされている。

 ちょうど昨日読んだ、紅茶の本のある1ページの写真をヒトミは思い出す。

 これは、BOP、ブロークン・オレンジ・ペコー。

 この大きさの葉なら、たしか3グラムの葉を3分間蒸らせば美味しい紅茶ができる。面接対策に図書館で猛勉強した成果だった。

 そうこうするうちに最終面接は始まる。アキノに1人ずつ名前を呼ばれて、扉の向こうの部屋に入っていく。

 ヒトミは最後になった。名前を呼ばれて部屋に入ると、ポットやティーカップといった紅茶をいれる道具が置いてある。ポットを手にするとヒトミはまっすぐ水道に向かう。蛇口から出したばかりの水をポットに入れ、コンロに火をつけた。

 時間を計るための道具にと、砂時計が2つ置いてあった。それぞれ5分、2分と書いてある。ヒトミが使おうとしていた3分の砂時計はない。いつも左手首にしている腕時計は、最初に着替える時に言われて、外している。

 どうしよう。

 ヒトミは焦り始めた。時間を計る方法を早く思いつかないと湯が沸いてしまう。沸かしすぎた湯は空気が逃げて、紅茶が美味しくできない。

 改めて砂時計を見る。5分と2分。

 そうだ、とヒトミは思いついた。

 まず、5分と2分の2つの砂時計を同時にひっくりかえす。そして2分の砂時計の砂がなくなるのを見計らってお湯を入れれば5分の砂時計の砂が落ちきる時に3分になる。

 ヒトミは2つの砂時計を両手に持ち、同時にひっくり返す。砂が落ちるのをじっと待った――しかし。

 何か、おかしい。

 最初は気のせいだと思った。自分の感覚ではとっくに2分は過ぎているのに、まだ砂時計の砂がなくならない。

 思わずヒトミはつぶやく。

「そっか、ここはルナタウンなんだ」

 気のせいではないと今ははっきりと言える。そう、ここ、ルナタウンでの美味しい紅茶のいれ方は――。


 紅茶をいれて部屋を出ると、廊下だった。その先には装飾された重々しい扉が見える。ティーカップを載せた銀のトレイを持って、ヒトミは静かに廊下を歩いていく。

 廊下の途中に、先に試験を受けた人が立っていた。暗い顔をしている。彼女はヒトミを見るとため息をついた。

「こんなに時間をかけて紅茶をいれて……あなたもきっと失格よ。私、濃いって言われたもの」

 ヒトミは笑顔になる。鏡に向けたのと同じ、自然に出てきた笑顔だ。

「さあ、まだ、わからないわよ」

 廊下を行き着いた先にある扉をヒトミはノックした。

「失礼します」

 扉を開けると、正面の大きな机には50代くらいの真面目そうな男が座っている。おそらくは公邸の主だ。男の隣にはアキノが立っている。

 会釈してヒトミが部屋の中に入ると、アキノが彼女に向って歩いてきた。ティーカップをトレイから持ち上げ、アキノは中に入っている紅茶をひと口、含む。

「ヒトミ、あなたは合格です。用意しておいた砂時計は使わなかったみたいね」

 やっぱりあれは「ひっかけ」だったのだ。

「はい、あの砂時計はルナシティ用ですよね? ルナタウンでは重力の加減でシティよりゆっくり砂が落ちるんです。だから、あれでは正確な時間が計れません」

 男が、ほう、と感心したように息を吐き、口を開く。

「時計なしに、どうして時間が計れたのですか?」

 ていねいな問いかけだった。主人がメイドにこんなふうに優しく問いかけるなんて。ヒトミにとっては意外だった。

 ヒトミは男の目をまっすぐに見すえて言った。

「勘です。私、この面接のために何度も紅茶をいれる練習をしました。だって、メイドが美味しい紅茶をいれられなかったら、メイド失格ですから」

 彼女の答えに男とアキノが笑みを浮かべた。

 この人たちのためになら、楽しく働けそう。そう思うヒトミもいつしか笑顔になっていた。


Fin.

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