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#05「彼女はデリケート」

この作品のタイトル名・サブタイトル名は、歌手の「佐野元春」さんの楽曲名を使用しています。次回以降のサブタイトル名も同様です。

文章内では歌詞は引用していません。しかし、簡単な単語は用いてます。名詞・固有名詞程度です。


  #05「彼女はデリケート」



「愛! どうしたのー?」

 朝の食卓に着いた“藤田浩一”は、階段下から二階の娘に呼びかける妻の姿を見つめている。

 昨晩はあまり眠れなかった。週が明けた月曜日。仕事上のトラブルを抱えていて憂鬱な朝だった。


「まだ、寝ているのかしら……」

 ゆっくりと階段を上り、娘の部屋に向かう妻。

 そういえば先週末から様子がおかしかった……昨夜の電話の最中に、話しかけて来た娘を遮ってしまった。それが心に残っている。


 電話が鳴った。

 階段の下で電話器のディスプレイが電子音と共に派手に光っている。又、仕事の件だろう……うんざりとした表情で対応する。


「ハイ、“藤田”です……」

「娘さんのクラスの担任の“岡本”と申します……」

 意外な相手に驚く。

「娘さんが、“愛”さんが……学校の屋上から落ちたんです」


「…………」

 言葉が出なかった。相手が何を言っているのか――それが理解出来なかった。


「あなたー! “愛”が居ないの……」

 階段の上から妻が呼びかけてきた。

 あぁやっぱり……。

 だから言ったんだ……こんな結末は予想できたんだ……俺にそっくりなんだ……アイツは……



 場面は変わる。


「先輩! “愛”と留守番お願いしますね」

 妻が言い切った。

 “愛”は若いと思った。新婚の父と母だ。

 今の家の玄関先だった。まだ新築の匂いがする。

 今度は父親の目線となる。


「先輩は止めてくれよ……」

 1歳の“愛”を抱き、玄関で妻の“陽子”を見送る。

「先輩は先輩ですよ……“愛”ちゃんはお土産まっててね」

 娘の頭を撫でて、旅行用の小型のキャリーバッグを引っ張り妻は颯爽と出て行く。


 妻は、彼女の母親“有村ありむら 素子もとこ”と一泊の旅行に出かけたのだった。九州は別府――温泉旅館のペアチケットに福引きで当選した。遅い母の日のプレゼントだそうだ。

 これまでも妻が不在の時はあった。しかし、その時は義母が娘の面倒を見てくれたのだが……今は、二人共が不在なのだ。


 “浩一”の不安そうな心持ちを察したのか……娘の“愛”がいっそう不安な面持ちでこちらを見つめている。

 そっくりなんだ……顔は妻にそっくりなのだ。だが、性格は自分に似てしまったらしい……なんてことだ。


 ついに娘が泣き出した。

 泣きたいのはコッチの方だ。

 妻から渡された、この土日にやるべき事柄が書かれたメモを見返す。

 泣き止まない時には――

 マニュアル通りに、古びた縫いぐるみを娘の鼻先に突き出す。


 ピンク色のネズミの縫いぐるみ。それはバレリーナの格好をしていた。

 泣き止んだ“愛”――

 不思議そうに縫いぐるみを見つめていた。

 縫いぐるみを振って見せる。喜ぶ訳では無いが……真剣に目で追っていた。


 少し落ち着いたので、娘の食事を用意する。とは言っても、あらかた妻が下準備をしてくれた。温め直すだけなのだ。


 レンジで温めた離乳食を与えながら、ほ乳瓶のミルクも時々飲ませる。今は切り替えの時期なのだ。

 ベビーチェアーで極めて大人しくしている。こういった場合には手が掛からないのだが……。

 娘は、朝食は既に食べている。早めに切り上げようとするが、ぐずり始めた。

「はいはい、大好きなヨーグルトでちゅよ……」

 知らずに幼児言葉を使っていた。そんなことには構っていられない。

 スプーンでフルーツ味のヨーグルトを小さな口に運ぶ。

 喜んでいるようだ。頻りに両手を振っている。


 そんな姫様は、コックリと居眠りを始めた。ベビーベッドに寝かしつける。

 極めて慎重に運ぶ。起こさないように……起きないように。


 その時、洗濯機がやっと仕事が終わったとばかりに大きな音を出して主張をする。

 少し驚く。娘はよく寝ていた……安心をする。


 洗濯機は役目を終えた。洗濯物を干すのはバトンタッチされた自分の役目だ。

 ドラム式の洗濯機から、乾燥に掛ける物以外を取り出しスイッチを押す。タオルとバスタオル、幼児用の毛布が回り始めたのを暫く眺める。そして、洗濯物の詰まったバスケットを小さな庭先まで運ぶ。


 自分のシャツやらパンツを干し、子供の肌着をたくさん吊していく。残ったのは妻の下着だ。ネットから取り出して、洗濯ばさみに吊していく。この作業はどうにも慣れない。

 恥ずかしげに顔を背けながら黙々と作業に没頭していた。


 洗濯物干しの大任を終えた。直ぐに別の役目を思い出す。

「おしめ……おしめ……」

 寝ている娘の紙おむつの中に指を入れる。濡れていないことに安堵する。

 そうこうしているうちに自分が空腹感を覚えていた。

 もう、お昼の時間なのだ。

 台所で手を丹念に洗う。


 冷蔵庫から取り出した作り置きのサンドイッチを頬張る。ただ写っているだけのTVを漫然と眺めていた。

 画面の中では見知らぬ芸人が人々に笑われている。

 気怠い午後。


 トーストに甘い卵焼きが挟まった、変わったサンドイッチだった。

 スライスされた胡瓜と一緒に、ケチャップとマヨネーズをブレンドしたオーロラソースが掛かっている。

「意外と美味いな……」

 その時突然、娘は火が付いたように泣き出した。食べかけのサンドイッチを置いてベビーベッドに駆け寄る。



 場面が変わる。


 中学校の応接室。

 “藤田浩一”は革のソファーに深く腰掛けていた。

 相対するのは中学校の教頭である。彼は恐縮しながら、薄くなった頭をしきりに撫で上げていた。

 傍らには担任教師の“岡本”と、校務員の“三村”が立っていた。


 教頭が重い口を開く。

「屋上にあったお嬢さんの鞄の中には‘ソレ’を匂わせるような物は発見できなかったんです」

「‘ソレ’とは何ですか……? まさか娘が自殺をはかったとでも?」


「いえいえ、当方としてもそのようなつもりでは……」

 額から大量の汗を拭きだしていた。ハンカチで頻りに拭っていた。

「あの――」

 見かねた“岡本”が口を挟む。

「――最近のお嬢さんの……“愛”さんの……様子がおかしかったのは事実です。ですが、それと今回の件とを直接的に結びつけるつもりはありません。あくまでも事故として処理させて頂きます」

 教頭の本音を苦しくも代弁する。それがひしひしと感じられた。

 本来は指揮を執るはずの校長が出張中なのだ。


「では、そちらの管理責任が問われますが……」

 “愛”の父親が発言すると、全員が一斉に校務員の方を向く。

「え? あぁ……お、屋上の鍵ですが……た、確かに職員室の棚に掛けてありました……」

 “三村”は少しどもりながら話す。

「そうじゃないんです。鍵の在処ではなく、屋上の入り口のドアに鍵が掛かっていたのか? いなかったのか? それを確かめたいんです」

 “浩一”は、落ち着いた口調で“三村”を問い詰める。

 仕事上で身につけた話術だった。

「いや、あの……」

 今度は“三村”の方が大汗をかき始めた。


「屋上は一般の生徒は立ち入り禁止です。授業やクラブ活動で使うときはありますが、基本は鍵が掛かったままです――」

 “岡本”が苦しそうに発言する。

「――鍵の管理は……管理は、はっきり云って完璧ではありません。職員室に人が居なければ誰でも持ち出しが可能です」

 担任教師は真実を告白する。

 教頭は驚いて彼女を見る。担任自身、事実は事実として報告しようと考えていた。


「最初から鍵は開いていた……」

 応接室の隅にいた“愛”は、一人呟いた。隣のマントの男の表情は見えない。


「では誰が開けたのですか? 娘が屋上の鍵を開けて、その後に元に戻したというのですか?」

 “浩一”の語気が強くなる。

「いや……」

 校務員の“三村”が話し出そうとして押し黙る。

「どうぞ……続けて下さい」

 “岡本”が発言を促す。

「その朝。校門と学校の玄関の鍵は開けましたが、職員室を始めとして各教室の鍵は掛かったままだったですな」

 校務員は断言する。

「え?」

 とは“岡本”だった。


「あたしは――その後、体育館の鍵を開けに行ったんですよ。クラブの早朝練習で使いますからね……」

 細かく思い出しながら発言している。

「バレー部ですね」

 “岡本”が答える。

「ええ。その後、校舎横の花壇に水をやっていたら……急に雨が降り出したんです。水やりは必要無くなったんで、ホースを裏の方に片付けていた」

 ホースを巻き取る動作をする。

「それは何時頃です?」

 今度は、“愛”の父親が質問する。


「まだ、7時前でした。50分ごろですかな……」

 壁の掛け時計を見つめていた。

「“三村”さんが私の家に来たのは7時10分頃でした」

 “岡本”の証言と合致する。

「そうです! あたしゃビックリしましてね……ドスンと大きな音がしたんで運動場の方に向かうと、花壇の横に女の子が……お嬢さんが、落ちていた――」

 大きな身振り手振りで状況説明を続ける。

「――学校から持たされた携帯電話で救急車を呼んだんです。で、校長先生の携帯に電話を掛けたんですが電源が入ってないとやらで……」


 第一発見者は“三村”だったのだ。

「で、“岡本”先生の家が直ぐそばなんで、慌てて駆け込んだのです」

「そうですか……」

 “浩一”はようやく納得したようだ。“愛”の父親に電話が掛かってきたのは直ぐ後の7時20分頃だった。



 場面が変わる。


 火が付いたように泣き出した娘を前に、うろたえる新前の父親。本格的な育児に直面したのは、これが初めてである。

 おむつが濡れているわけではない。ほ乳瓶を差し出すが口を付けない。再び同じ縫いぐるみを差し出すが、全然泣き止まない。


 ベビーベッドから抱き上げて優しく抱える。背中をポンポンと叩きなだめようとする。少し声のトーンが落ちたが、ぐずっているのは変わらない。


 妻への電話を考えたが、その前にメモを取り出して熟読する。娘を抱いたまま読み始めると、“愛”は短くゲップをする。

 同時に小さく長く、可愛いオナラをする……これが原因だった。


 娘が泣き止み安堵したのか、父親は意を決して娘のほほに頬ずりする。無精髭を嫌がり再びぐずりだす“愛”。

 元の木阿弥である。

 再度、ネズミの縫いぐるみを鼻先に付きだしてご機嫌を取る。


 部屋の隅にいた“愛”は、一連の様子を眺めていて赤面する。

 それは、若い姿の父親の今まで見たことのない一面だった。




 場面は再び応接室。

 映画のカットバックの手法のように、目まぐるしく入れ替わる。


 別の教師が呼ばれていた。最後に校舎の屋上を使用した時の責任者だ。美術部の顧問だった。


 屋上の扉は特殊な鍵だった。ドアノブの両方にシリンダー錠があり、勝手に屋上に入れ無くする一方、屋上からの侵入者が校舎内に入れないようになっている。


 美術部が屋上からの風景をスケッチするために鍵を使用したのだ。

「鍵は使用したらノートに記入してますが……」

 持ち出しの責任者の名前を記入しているのだが、教師に頼まれた生徒が記入せずに持ち出したケースも考えられる。

 そのことを教頭が説明して、校務員の“三村”に同意を求める。

「あぁ! これですね」

 そう言って“三村”は鍵の束を見せる。

「こちらは、全ての教室や出入り口の鍵なんですわ」


「鍵は二組あるわけですね」

 “愛”の父親の質問に“三村”は大きく何度も首を上下させ頷く。

「戸締まりの最終チェックは誰が行ったのですか?」

 この質問には、学校関係者は全て黙り込む。

 結局は、当日の朝に扉の鍵が掛かっていたのかは不明だった。


「あの、こちらを……」

 担任教師の“岡本”が娘の学生鞄を父親に差し出す。

「手紙やメモなどは入っていませんでした」

 父親は愛おしそうに鞄を胸に抱える。



 場面は戻る。


 午後の柔らかい日差しが、眠りこける父と娘の二人に降り注いでいた。父親の方はひとまずの安堵感からかソファーに横になった途端、眠りに落ちたのだ。


 遠くで電話の呼び出し音が鳴っている。


 起き出して、玄関脇の階段下の電話の受話器を取る。

 現在とは違う電話機だった。

「今、着いたの~コッチは良い天気よ」

 妻からだった。

「そちらの様子はどう?」

「いや! 大変だった……」

 妻からの質問に矢継ぎ早に答える。寡黙な夫が急に饒舌にしゃべり出したので、電話の相手は圧倒されていた。


「落ち着いて下さいよ先輩! あはははは」

 電話の先で笑い出した。“浩一”は少しムッとして抗議する。

「しっかりお留守番頼みますよ……ね、‘パパ’」

 電話は切れる。

 ‘パパ’と呼ばれて少しばかり照れてしまう。そうだ父親になったんだ……こんなところで納得してしまう。


 眠っている娘の顔を見つめる。中学時代に近所の赤ん坊の世話を小一時間ほど任されて辟易としたことがあった。小さな子供は苦手だと思っていた。否、他人は全て苦手だった。

 しかし、目の前にいる赤ん坊は紛れもない自分の血を引いた娘――肉親なのだ。


 マシュマロのように柔らかそうな頬に指を触れる。それをちっちゃな手で払いのけようとしていた。思わず“浩一”の顔が緩む……誰にも見せた事の無い表情だった。


 それを、部屋の傍らから優しい表情で見つめる“愛”。自分はこんなにも両親から愛されていたのだ。

 マントの男が気になった。横目で見る。変わらず寡黙さを貫き通している。


「自分が父親になるなんて、思ってもみなかったんだよ――」

 唐突に娘に語りかける父親。

「――君のお母さんと出会って――結婚するなんて――夢にも思っていなかった――」

 本心の吐露だった。

 優しく語りかける。それに応えるように、赤ん坊の“愛”もにこやかな表情に変わる。

「――そうだ……」

 そう言って父親は、階段下の小さなクローゼットから銀色の箱を取り出してきた。精密機器を収納するアルミ製のバッグ。それを手に提げてベビーベッドの横の床に腰掛ける。

 蓋を開ける。沢山の吸湿剤に囲まれた中から、新品の一眼レフを取り出す。


「あ、あのカメラ……」

 “愛”が写真部で愛用している写真機だった。

 ニコンの'FM2'。

「こういう場面で使わないでどうするんだよ……」

 ゴム製のエアーブローでホコリを取り去って、85mm f1.4の単焦点レンズをマウントに「カチリ」とセットする。そのまま台所の冷蔵庫に向かう。冷蔵庫ドアのポケットからコンビニの白い袋に覆われた包みを取り出す。

 袋の中から緑色の小さな箱を一つ取り出して封を開けた。35mmのカラーネガフィルム。白い半透明のフィルムケースから緑色と紫色のツートンのカラーリングのフィルムを取り出す。カメラにセットする。


「ISO400だから――1/250秒のf4.0ぐらいかな……室内だし」

 ストロボは無いので明るめに手動で設定する。娘の顔に焦点を合わせシャッターを切る。

 途端、“愛”が泣き始めた。今度は確信してカメラをテーブルに乗せる。娘のおむつを開く。

「やっぱりな……」

 汚物の入った紙おむつを捨て、娘のおしりを赤ちゃん用ウエットティッシュで丁寧に拭き取る。

 その様子を黙って見つめる、中学生の“愛”は頬を赤らめていた。


「そうだ!」

 新しい紙おむつを用意したのだが、その手を止めて肌着のホックを外していく……

「チョット……何するの……」

 “愛”の顔はみるみる真っ赤になってくる。赤ん坊の自分は、ゆで卵の殻を剥くようにあっさりと裸にされていく。

 陽光差し込む窓の横。フローリングの床の上にチョコンと座らされた自分……。背中越しではあるが、オールヌードの娘を熱心に写真に収める父親の図がそこにあった。

「は、恥ずかしいから、や、やめてよ……」

 思わず叫んだ時、ヌードモデルの自分が父親の方に振り返る。そこでシャッターが切られた。

 構図に見覚えがあった。自分のアルバムに貼ってあった写真。それを思い出して微笑む。

 写真の自分と同じに柔らかい表情だった。



 ――翌日。


 母親の帰宅。

 父娘が揃って玄関で迎える。


「おー♪ “愛”ちゃん大人しくしていたかな? 先輩は、不満そうな顔だけど……」

 そう言って、お土産の入った紙袋を夫に向けて差し出す。

 替わりに娘を受け取って、愛おしそうに抱きしめる。

「お、お帰り」

 “浩一”は恥ずかしげに紙袋を受け取る。

父娘おやこ二人きりは楽しめたかな? ね、‘パパ’!」

 夫と娘の頬に、代わる代わるキスをする。


『彼女はデリケート』は1982年発売の「佐野元春」さんの6thシングルの曲です。

「大滝詠一」さんのアルバム「NIAGARA TRIANGLE VOL.2」への参加曲でもあります。

「No Damage」や「Moto Singles 1980-1989」などにも収録されています。

ポップな曲調で、若かりし頃の「佐野元春」さんの熱気が感じられます。ツイスト・アンド・シャウトな曲です。

気まぐれな女の子に振り回される、男の子の曲なのです。


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