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#03「アンジェリーナ」

この作品のタイトル名・サブタイトル名は、歌手の「佐野元春」さんの楽曲名を使用しています。次回以降のサブタイトル名も同様です。

文章内では歌詞は引用していません。しかし、簡単な単語は用いてます。名詞・固有名詞程度です。

  #03「アンジェリーナ」



 白黒写真の“藤田愛”は――

 少し、はにかんだ微笑みを浮かべていた。


 恥ずかしがり屋の彼女……ほんの僅かばかり目線がずれていた。レンズの中心点から外れた場所を見つめている。

 葬儀場の祭壇に飾られた“愛”の遺影……それは写真部の彼が撮影したポートレートだった。

 二人きりの写真部……そこでの彼女は‘彼’だけの天使だった。


 “藤田愛”と同学年。

 同じ写真部所属の“国重くにしげ 俊樹としき”は、先ほどから祭壇の遺影をずっと見つめていた……。

 坊主頭の髪の毛が少し伸びたヘアースタイル。詰め襟の黒い学生服姿。

 そうだ、今度は彼の目線で見ることになるのか……“愛”は理解した。


 不思議と何の感情も涌かない。彼が、自分の事を‘好きだった’と知っても……。何だろうこの感覚は? 

 傍らにはマントの男が立っている。何も喋らず、動かず、ただ自分の横に立っていた。


 その“俊樹”に同化した“愛”を突き飛ばして、茶色いブレザーの少女が入って来た。

 少女は“知美”だった……“俊樹”は、その少女の正体に気が付いていた。しかし、声を掛けられずにいた。彼とは浅からぬ因縁関係。

 やがて、少女は泣き崩れる。彼は黙ってその姿を眺めるだけだった。



 場面は変わる。


 夕暮れの神社。

 そこに併設された――錆びた遊具の並ぶ小さな公園。一人の少女が鉄棒に掴まり、バレリーナのポーズを取っていた。

 少女の正体は“愛”だった。

 小学三年生だったろうか――その頃バレエ教室に通っていたことがある。朧気おぼろげながらも僅かに記憶の奥底に残っている。

 プリマドンナを気取り――鉄棒をバレエレッスンのバーに見立てて――習い立てのポーズのおさらいをしていたのだ。


 少年は、その光景に見惚れていた。友人宅から帰宅する途中に偶然見かけたのだった。

 少女は、スラリと伸びた細い足を後ろに高く上げる。

 夕日に映える少女の横顔は可愛らしくもあるが、神々しくも思えた。

 そして、それが同じクラスの少女だと――やっと気が付いた。

 少女がチラリと自分を見た。少年の存在を認めて、恥ずかしげに俯きポーズを取るのを止めてしまった。

 少年は「マズイ!」と思ったのだろう――慌ててその場を繕おうとした。だが、思わぬ言葉が口からは出てしまう。

「あはは! バーカ!!」

 “愛”を指さして大声で笑い始めた。彼女は耳まで顔を真っ赤にして、ランドセルを抱えて慌てて駆け出して行った。


「……最悪だ」

 少年はそう思った。よりにもよって何故そんな言葉が自分の口から出たのか分からない。だが、少年はその少女に確実に心を奪われていた。

 それだけは理解出来る。


 ――翌日。

 小学校では少年“国重俊樹”は少女“藤田愛”をずっと目で追っていた。彼女は大人しくて、これまでの印象が殆ど無い。恐らく言葉も交わしていない。


 体育の授業。

 男女混合のソフトボールの試合が行われていた。対戦チームの右翼を彼女が守っていた。しかし運動神経は些か鈍いようで……高く上がったライトフライを大きくバンザイの恰好で後ろに反らしてしまう。

 左手に大きなグローブ嵌めたまま、不格好にボールを追っていた。対戦相手からも彼女のチームからも笑い声が起きる。彼女はその声が聞こえたのか、またしても顔を真っ赤にしていた。見ている自分も恥ずかしくなる。


 バレエのポーズで見せていた――凛とした立ち居振る舞い――今の彼女からは微塵も感じられなかった。少しガッカリした。だが、同時に可愛らしく感じたのも事実だ。

 確実に虜になっていた。



 場面は変わる。


 “俊樹”の自宅の部屋だった。中学二年生の現在。大きな家。立派な部屋。壁にはポスターが貼ってあった。

 女性アイドル歌手ではない。

 口の端にタバコを咥えた眉毛の濃い中年男性。

 “愛”にはどことなく見覚えがあった……そうだ、写真家の‘ロバート・キャパ’だ。


 写真部の顧問で、“愛”のクラスの担任“岡本敦子”から渡されたチケット。

 そのチケットを眺める“俊樹”。

『戦場の報道写真 ロバート・キャパと橋田信介展』

 市民館の小ホールでの催し物である。

 田舎のこの町では、こういったイベントごとは珍しい。


 ――前日。

 写真部の部室。


 “俊樹”は逡巡していた。

「彼女を誘って、二人で行ってきなさい」

 顧問の“岡本”は写真部の活動の一環として写真展の見学を勧めて来た。

「な……」

 部室で渡されたのだが、どうして二人が揃った場面で手渡さないのか。

 自分で彼女を誘わなくてはならない事態になった。

「うふふ」

 顧問の教師は意味ありげに笑う。コチラを何度も見ながら、小さな部室を出て行った。

 入れ替わりに目的の彼女……“藤田愛”が入って来る。


「あのさ……」

 “俊樹”がそう言いかけた時。“愛”はプリントされた写真を差し出してきた。

「これを見て下さい」

 同学年なのに敬語で語りかけてくる彼女。

 しかし無意識なのか、不用心に顔を近づけて来る。


 写っていたのは何気ない風景写真。川面に写る木々の景色を切り取っていた。流れる木の葉を捉えていた。そういえば、彼女の作品――人物写真は極端に少なかったと記憶している。良くて動物写真だ。

 その写真は、漁村を我が物顔で歩く……優雅な野良猫たちが写っていた。


 風景写真の判定をする。

「うん……良いんじゃない? 構図もバッチリだよ!」

 彼は上の空で答えていた。彼女の顔に見惚れていた。


 今はデジタル撮影が主流である。しかし、彼女は頑なに銀塩フィルムでの撮影に拘っていた。ニコンの'FM2' 。決して高級一眼レフではないが全てがマニュアル操作の為、写真の入門機にはもってこいの存在だった。

 どうやら父親のお古らしい。


 零細クラブ活動である。部員は二人しかいない。現像されたネガフィルムをスキャナーで取り込み、パソコンでデジタルデータに変換。そして、カラープリンターで印刷するのが精一杯の活動であった。

 部室の横には、かつてモノクロームフィルムを現像するための暗室があった。今は撤去されて久しい。単なる資材置き場と化していた。


「そっかー」

 彼女は嬉しそうに微笑み、写真を可愛らしいファイルに納める。


「明日のクラブなんだけど……」

 “俊樹”は、そう言ってチケットを彼女の鼻先に突き出す。

 彼女は丁寧に受け取り、丹念に目を通す。


「橋田信介さんは宇部市出身なんですよ……」

 窓の外を眺めて彼女はそう言った。これでも、報道写真家を目指している自分にとっては常識の範疇なのだが……。

「そ、そうなんだ」

 “愛”に合わせる。

 “俊樹”の答えに、彼女はにっこりと微笑んだ。



 場面は、再び彼の部屋に戻る。


 ベッドに腰掛けていた“俊樹”は、両手を拡げて横になる。

「これは、デートじゃないか……」

 クラブ活動の時間帯に学校から会場に向かう。顧問は引率しないそうだ。二人きりで市民館に向かい、現地解散。その後は、途中まで帰り道は一緒である。


 手を頭に持って行く。そして抱え込む。

「どうするよ……俺」

 女の子と二人きりで出かけるのは初めてだ。

 何を話せばいいんだ……。



 ――写真展当日。


 曇り空の下、学生鞄を抱えた制服姿の二人は市民館へと向かう。

 会話は殆ど無かった。

 元来恥ずかしがり屋の彼女は、終始赤らめた顔を俯け気味だった。

 市民館へ到着する。

 コンクリート打ちっ放しの壁。広々とした会場ロビーに到着する。平日の午後でもあり、殆ど人は居なかった。


 受付でチケットを渡す。係の女性は何も言わず小ホール入り口を指し示す。

 クリーム色のパーテーションで仕切られたその場所。

 まるで迷路のように見えた。


 パーテーションに掲げられた写真。

 一歩踏み入った彼女は、目を輝かせて写真に見入る。どれも有名で見知った写真ばかりだった。

 込められたテーマに従うように、彼女は細やかに表情を変えていく。

 1944年6月6日――オマハ・ビーチで写された写真。有名すぎる写真。“俊樹”は写真の‘ちょっとピンぼけ’の原因を“愛”に話して聞かせる。

 “愛”は真剣に“俊樹”の話を聞いていた。


 自分が見惚れたのは彼女の顔。そして仕草、そのどれもが新鮮に映る。

 自分を見つめる視線に気がついたのか、彼女は不思議そうに首を傾げる。

「つまんないんですか?」


 「違う!」と叫びそうになり自制する。言い訳を考えるために視線が宙をさまよう。明らかに不審な行動だ。

「もう見飽きた写真だよね……」

 一瞬、珍しく砕けた言葉遣いだった。


「……ですよね。」

 慌てて彼女は語尾を言い直す。


「二人きりの時はさ、かしこまった話し方じゃ無くていいよ……」

「うん」

 彼女は飛び切りの笑顔でそう答えた。



 “俊樹”は二人の写真家の「最期」を“愛”に話してやる。戦場で散っていった二人のジャーナリスト。彼女は長い睫毛を俯かせる。哀しげな表情だった。

「なんだか判らないが行きたくない」

 ‘キャパ’が日本から死地に向かうときに話した言葉。“愛”は繰り返していた。


 ほとんど上の空だった見学会は終わる。

 会場を後にする。

 写真部部長の責務として、クラブ活動の報告書をまとめなくてはならない。今はそれを考えている場合ではなさそうだ。


 自宅までの道のり。再び二人きりとなる。“俊樹”は、緊張した面持ちで学生服の半袖シャツの襟元を直す。

「雨……」

 “愛”が両の手のひらを上に向け、何かを受け取るような姿勢でそう言った。


 “俊樹”は慌てて、雨宿りに適した場所を探す。

 周囲を見渡している間に、雨は本降りになってきた。

 彼女は少しも慌てず、自分の学生鞄から紺色の折りたたみ傘を出した。素早く開く。手慣れた動作だった。


「傘、持ってないでしょ」

 そう言って差し掛けてきた。雨は少しも弱まりそうにない。肩を付けるように寄り添って、二人で一つの小さな傘に入る。


「相合い傘……」

 二人共、そう考えた時。気まずい空気が流れる。本当に何も喋れなくなった。

 暫く歩いた後、彼女の方から口を開く。


「小学校の時の……“金谷知美”ちゃんの事……覚えてますか?」

 唐突にその名前が出てきて、驚きを隠せない。忘れもしない……否、忘れられない小学四年生の時の因縁の転校生。



 場面は変わる。


 転校生“金谷知美”を教師が紹介する。再び、小学四年のあの場面だ。


 偶然、席が隣同士となった“藤田愛”と転校生。日を追うごとに親密度を増していく。

 “俊樹”は、自分の心の奥底に何だか解らない感情が湧き上がってくるのを感じていた。

 今考えるに嫉妬心なのだろう。そして、自分の学校での立場を利用して事あるごとに転校生に食って掛かっていた。


 父親は会社社長で市会議員をしている。母親は小学校PTAの役員だ。祖父は過去に県会議員で議長までしていた。この土地のかなりの有力者の一族だ。

 そんな自負が自分にはあった。

 だから、お気に入りの彼女が取られてしまった……そんな浅ましい感情で動いてしまっていたのだ。


 対立は激化し、一方の自分は怪我までをしてしまった。そして“藤田愛”は“知美”を庇って涙まで流したと聞いた。

 そして、最悪の結末を迎える。

 親が学校まで乗り込み、圧力を掛けた。教師達は唯々諾々と従うだけだった。結果的に居場所まで奪ってしまい――“知美”の排除――と云う自分の望む結果となった。

 翌日から彼女は、“藤田愛”は……元の暗いだけの少女に戻ってしまった。


 全ての思い出が脳裏に写し出される。蘇ってくる。


「私、‘雨女’なんです」

 相合い傘の二人。強い雨は降り続く。

 話題が不意に変わった。

「でも、あの時は雨が降ってなかった……」

 脈絡のない言葉が紡がれていく。

「この前、“知美”ちゃんからメールが来たんです。年賀状にアドレスを書いていたから……」

 彼女なりに筋道を立てて話しているようだ。しかし、意味を汲み取るのが甚だ困難である。

 時々、幼児のような話し方をする。


「そ、そうなんだ」

 “俊樹”は再び、頭の中を思考を高速で巡らせる。あの時の事を非難しているのか? 

「怒っていませんよ」

 彼女は言った。

「誰が?」

 ――そう聞きそうになって押し黙る。


「誰も悪くは無いんです。無いんです……」

 彼女はそれ以上口を開くことは無かった。


 二人の分かれ道。

 右に曲がって100メートルも行けば自宅だ。真っ直ぐ進むと彼女の家の方向。

「じゃあここで……」

 “俊樹”はそう言って走り出そうとする。“愛”は彼のシャツの袖口を掴んで来た。

「待って!」

 彼を押しとどめる。

「家の前まで送るから」

 珍しく意思を表面に押し出してきた。そんな彼女に気圧される。これでは、断ることなど絶対に不可能だ。


 家の前に着いていた。

「さよならを言うときは、雨が降っていない方がいい」

 彼女はそう呟くと、胸の前で小さく手を振った。


「じゃあ明日!」

 自宅前の“俊樹”は、大きく手を挙げて振り返した。大声で叫ぶ。

 彼女は満面の笑みを浮かべて回れ右の体勢を取る。

 彼は、ゆっくりと歩いて行く姿を……紺色の傘が時々嬉しそうに回転するのを……いつまでも見送っていた。


 ……それが、彼女を見た最後だった。



 ――翌日。

 写真部の部室に彼女は現れなかった。クラスが違うために、合同授業でも無い限り顔を合わすことは希なのだ。


「俺は何かしたのか?」

 自問自答を繰り返す。

 彼女が言っていた言葉を思い出す。


 ――「私、‘雨女’なんです」

 ――「でも、あの時は雨が降ってなかった……」

 ――「さよならを言うときは、雨が降っていない方がいい」


 彼女が‘雨女’?


 違う違う! それは自分だ! 彼女とは幼稚園からずっとクラスが一緒だった。中学二年で始めて分かれるまで、ほぼ同じ時を同じ場所で過ごしていた。


 自分の幼稚園の入園式も卒園式も……遠足も運動会も雨だった!

 それが当たり前だと思っていた。

 決して彼女だけの所為ではないのだ。



 ――週明け。

 雨上がりの道を学校に向かって歩いて行く。校門には人だかりが出来ていた。

 生徒達が口々に叫んでいる。

「生徒が落ちたって……」

「二年生の女の子……」


 嫌な予感がする。

 胸の鼓動が早くなる。

 早足で駆け寄る。

 クラブの顧問で、彼女のクラスの担任教師が顔面蒼白でグラウンドにぽつねんと立っていた。

 彼は、自分の耳を押さえる。

 ――声は否応なしに聞こえて来る。

「落ちたのは“藤田”さんだって」

 二年生の女子で“藤田”は彼女しか居ない。



 そして場面が変わる。


 “愛”は件の屋上から、学校のグラウンドを俯瞰で見下ろしている。

 大勢の人々が忙しなく動いていた。

「だから何なんですか? 何を見せたいんですか?」

 “藤田愛”は、傍らのマントの男に少し苛立った声を投げつける。


 男は無言のまま遠くに立つ担任教師を指さした。

 彼女がズームアップされる。

 空中の自分達が近づいているのだ。


「また、失敗した……」

 女性教師は悔しさで顔をゆがめていた。

 拳を握っている。

「また、失敗した……」

 同じ言葉を繰り返す。



『アンジェリーナ』は1980年発売の「佐野元春」さんデビューシングルの曲です。ハードロックを意識した曲調ですが、ピアノを多用し当時流行していたジャズと融合したスタイルなのです。

アルバムは「BACK TO THE STREET」に収録。「No Damage」や「Moto Singles 1980-1989」などにも収録されています。

『Angelina』は「天使」の意を持つ女性名。そんな彼女に、恋する思いを伝えたいと悩む少年の気持ちが手に取るように分かる曲です。

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