#02「グッドバイからはじめよう」
この作品のタイトル名・サブタイトル名は、歌手の「佐野元春」さんの楽曲名を使用しています。次回以降のサブタイトル名も同様です。
文章内では歌詞は引用していません。しかし、簡単な単語は用いてます。名詞・固有名詞程度です。
#02「グッドバイからはじめよう」
遺影の前で泣きじゃくるブレザー姿の少女。
「“金谷”さん……」
“愛”は、声を掛けようと考えた。そのぐらいに少女の姿は痛々しかった。
でも、無理な事だと理解している――
自分は幽霊と同じ存在なのだ。
その少女は再び大きく叫ぶ。
「何で死んだんや! お前らのせいか?」
立ち上がり、同じく参列している生徒の肩口を掴む。
“藤田愛”の小学校時代の同級生“金谷 知美”は、同席していた中学校の教師達に――やんわりとだが取り押さえられる。少し離れたパイプ椅子に座らされた。
担任の“岡本敦子”の姿も見える。後ろ姿だった。
知美は項垂れたままだった。小さな声で呟いている。
「なんでや……なんでや……」
そこで舞台が切り替わる。
今度の舞台は小学校だった。この教室には見覚えがある。見渡すと一番前の席に四年生の自分がいた。
自分自身の視点は教室の一番後ろにある。席に座っている10歳の己の視点ではない。教室の最後部でマントの男と並んで立っていた。自分達はあくまでも傍観者なのだ。見るだけしか出来ない。
教室が酷く小さく狭く感じた。体の成長した自分を実感する。
教師が入ってくる。その隣に少女がいた。教師は教壇の隣に少女を促す。
「ハイ、こちらね“金谷”さん」
転校生だった。だが、少女の格好はあまりにも異様だった。
この小学校には制服がある。女子は濃い灰色のジャンパースカート。その下に、白いシャツを着ている。しかし、転校生の少女は私服のままだった。しかも、見るからにみすぼらしい服を着ている。元は白いブラウスなのだろうが、黄色く変色し所々に茶色いシミがある。赤いスカートには継ぎはぎの跡があった。今時には珍しいまでの格好だ。
何日もお風呂に入っていないのだろうか、転校生の顔は垢にまみれていた。
四年生の児童達はあからさまに嫌った顔をしていた。
でも、何処吹く風。転校生はボリボリと頭を掻いている。
教師は、あまり上手ではない字で、チョークで黒板に「金谷知美」と記した。
「ハイハイ、皆さんお静かに! 大阪から転校してきた“金谷”さんです。今日から皆さんのお友達になります」
教師はパンパンと手を叩き、皆を注目させてそう言った。
「えー! 何でだよー」
男子児童の一人があからさまに不服だと声を挙げる。教師はそれを無視し“藤田愛”の隣――空いている席に転校生を座らせた。
席替えの時に教壇に近い席は敬遠された。おとなしい自分が半ば強制的に押しつけられたのだ。同時に空席も自分の隣に置かれた。
いつの間にか、10歳の自分と同化している。“愛”は小さな椅子に座っていた。
途端、教室が広く感じた。
転校生は席に着くと、にっこり笑って握手を求めて来た。笑った顔は前歯が一本欠けていた。
「“金谷知美”や、“トモ”ちゃんて呼んでいいよ。“自分”名前なんて言うん?」
自分? あぁ私の事か……。
「“藤田愛”……です」
慎重に手を握り握手に答えた。
「じゃ、“愛チン”やな! 今日からウチら友達や!」
“知美”は力強く握り返して来てそう言った。勝手に愛称を付けられていた。
“愛チン”――始めてそう呼ばれた。あだ名も始めてだった。
教科書の無い“知美”は“愛”と机を付けて授業を受ける。実際、学校に来た時は彼女は手ぶらだった。筆記用具さえ持っていない。“愛”は予備に持っていた新品のノートとシャープペンシルを貸し与える。
休み時間。
“知美”は自分を解放してくれなかった。色々な話題を一人で捲し立てていた。昨日見たテレビの話題を何度もしてくる。お笑いには一角の意見の持ち主なのだそうだ。
こちらの地方では、テレビ局の数が少ないのを嘆いていた。
関西ローカルのお笑い番組は全滅だった。
余所のクラスの男子連中が話を聞きつけたのか、彼女を見物に来ていた。自分たちは完全に見せ物だ。廊下から笑い声が聞こえる。“知美”を指さして嘲笑している様子だった。
「何や? 自分ら、ウチに用事あるんか? 用があるなら聞くで!」
彼女は廊下の一団にドスの利いた関西弁で声を掛ける。男子達は蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
放課後、“知美”が一緒に帰ろうと言ってきた。“愛”は自宅の住所を告げる。
「途中まで一緒やん! 帰ろ帰ろ!」
強引に約束を取り付けてきた。手を握って来る。
帰り道。
川沿いの道を歩く。彼女は落ちていた小枝を拾い、道端に生えている雑草を斬り付けながら元気よく歩いていた。
小さな橋を渡る。田んぼのあぜ道を進んでいた。
一軒だけ取り残されたかの様に家が建っている。
「ここや、オンボロやろ」
少女は古びた家を指さした。確かに今にも崩れそうな――みすぼらしい家だった。
震度5以上の地震が来れば、倒壊は確実だ。
そうだった。近所の子供達には「お化け屋敷」とまで称されていた家だ。
「ウチによってく? 入り入り」
断ろうと思った。しかし、強引に家の中に招き入れられる。
ガタガタの引き戸を開けて家の中に入る。照明も無く、暗い玄関だった。
靴を脱ぎ家に上がる。踏み込んだ板が大きな音を立てた。
腐っているかも知れない。踏み抜きそうで怖かった。
慎重に足を進める。
カビ臭い家の中を進んでいると、居間の中央に老婆が佇んでいた。少し驚く。
そう云えば、この「幽霊屋敷」には‘鬼婆’が住んでいると……。
老婆は座椅子に腰掛けテレビを見ていた。時代劇の再放送だ。こちらを向きニッコリと微笑んできた。歯が全くなかった。
入れ歯が外されて、湯飲み茶碗に漬かっていた。
狭い居間を突き抜けてボロボロの襖を開ける。ここも立て付けが悪い。
学習机が置いてあった。机の傍らでは、幼い男の子と女の子が錆びたミニカーと汚れた人形とで遊んでいた。
「姉ちゃんお帰り!」
「ねえたんおかえり!」
姉の“知美”の帰宅に気付いた二人が一緒に挨拶する。
「ただいまぁ~」
幼い妹の頭を撫でてやる。“知美”は学習机の横の椅子に座った。
「友達の愛チンや」
おチビちゃん達に紹介されて恐縮する。友達だなんて……。
「よ、よろしく」
丁寧に頭を下げる。
「遠慮せんと座って、座って」
そう言われ、“愛”は湿った座布団に腰掛ける。
「ほら、お客さんに飲み物。飲み物」
妹の背を押して、送り出す。
数分後、小さな妹がお盆にグラスを二つ乗っけて持ってきた。よろけながらで非常に危なっかしい。弟の方は中断していた遊びの続きをしている。
「どうぞ……」
妹はお盆を差し出した。
グラスを受け取る。アニメのキャラクターが印刷された安っぽいグラスだった。
「ねえたん。どうぞー」
姉の方もグラスを受け取る。途端に妹はお盆を持ってソソクサと居なくなった。
「これでも、お客さん用なんやで……‘尼’の酒屋のオッチャンがくれたヤツや。いつもは父ちゃんの飲んでたカップ酒のコップやで――」
そう言って乳白色の飲み物を一口飲み干す。“愛”も少しだけ口に含む。
「――薄いやろ、あはは! これでもいつもより濃い方やで、お客さんには出血大サービスや!」
“愛”は一緒に笑う。たぶん笑顔が引きつっていただろう。
「友達を家に呼んだのは、始めてなんやで。‘尼崎’の時も含めてなぁ――」
‘なぁ’と話を向けられて妹が歯を見せて笑った。前歯が2本無かった。
一刻も早く家に帰りたかった。だが、知美の弟妹は“愛”を中々解放してくれない。
「あんな、ウチなぁ……漫才師になる……」
妹はたどたどしくも、何度も何度も同じ話を自分にしてくる。
――夕方5時。
『夕焼け小焼け』のメロディが流れてきた。兄妹は音楽に合わせて歌い始める。
「あの……」
“愛”はそう言いかける。
「“愛チン”帰るんか?」
“知美”がそう言ってきた。自分は何度も頷く。
「おチビらの相手ありがとな!」
意外と簡単に解放してくれた。サバサバした性格だ。
玄関を出る。
家族総出で見送りに現れた。
「バイバイ」
そう言って全員が自分に手を振って来た。老婆も入れ歯を入れて笑っている。
“愛”は恥ずかしくなった。顔が赤くなる。
「さ、さよなら」
そう言い残して、後ろも振り返らず足早に立ち去った。右手は強く握ったままだった。
次の日からも憂鬱な時間が続く。元来、自分は人が苦手なのだ。授業中も休み時間も給食の時間も……“知美”は“愛”にベッタリだった。トイレにまで付いてこられた時は辟易とした。もう嫌だった。
帰宅時間だけは心落ち着く時間が欲しいのだ。“愛”は子供なりにも一計を案じ彼女を出し抜く。攪乱作戦に成功した。
知美がトイレに行った隙に、自分も行くフリをして足早に学校を出る。
学校からかなり離れた場所。“知美”が自分を呼ぶ声が聞こえた。“愛”は無視を決め込み彼女を置き去りにして帰宅を急いだ。
――次の日。
“知美”は学校の制服を着て登校してきた。しかしパリパリの新品などでは無い。誰かのお下がりなのだろう。四年生の彼女の体には大きすぎるのだ。
「何だその服! 誰のお古だよ!」
その制服に男子の一人がネチネチと嫌みを言っていた。実家は自営業で金持ちの子だった。サイズの合わない服のことを散々と突っ込んでいる。
“知美”は完全無視を決め込んでいた。“愛”は遠慮して立ちすくんでいる。
「おはよう! 愛チン」
自分を手招きしてくる。
「何だよ! 無視すんなよ!」
坊主頭の男子は“知美”の肩を強く押す。しかし彼女は笑みを浮かべたままだった。
チャイムが鳴り担任教師が入ってくる。
「ちぇっ!」
男子は舌打ちし、不満を漏らしながら自分の席に着いた。
休み時間。
あの坊主頭は二人の仲間を連れてきて知美に絡んできた。
「知っているんだよ! あの幽霊屋敷がお前ん家なんだって!」
「お前! 大阪から夜逃げしてきたんだろ? 母ちゃんが言ってたぞ!」
「お前! 風呂入ってんのか? 頭臭いぞ!」
三人で囃し立てている。
しかし“知美”はニコニコとして笑っていた。まさしく、蛙の面に何とやら……。
その堂々とした態度に男子達は圧倒される。それ以上は言ってこなかった。
“愛”は彼女の強さに感心した。自分の立場ならば到底耐えられなかっただろう。
“愛”はその日、“知美”と一緒に帰ることにした。
「昨日は急いでいたからごめんなさい……」
「ええねん。ウチ心配したんやで、愛チンに嫌われたかと思った」
彼女の言葉は自分の心を抉ってくる。でも不快では無かった。
「家に寄ってくやろ? チビらも心配してたで」
笑顔で“知美”に応える。
午後5時の音楽を合図に帰宅する。今回も彼女と祖母、弟妹が玄関の外に出て見送ってくれている。
「バイバイ! バイバイ!」
元気よく手を振っている。
「バ、バイバイ」
まだ恥ずかしくて、胸の前で小さく手を振るだけだった。
――次の日。
今度は“知美”を“愛”の自宅に招く。
リビングキッチンのテーブルに座らせる。
「すげー! 豪邸やな!」
目を輝かせてそう言った。そんなことは無い。こぢんまりとした家だ。豪邸と形容されるのは些か言い過ぎだと思う。
「どうぞ……」
母親がミルクティーを差し出す。意味深に“愛”にウィンクしてきた。学友を家に招いたことは何度かあるが、全て勉強会などの名目があった。
純粋に友人を呼んだのは始めてだった。
「綺麗なお母さんやな……」
“知美”が感心した声をあげる。
「そんな事ないよ……」
母親を褒められて、むず痒い思いをした“愛”だった。
二人は取り留めのない会話をする。主に“愛”が聞き役だったが、母の”陽子”も時々会話に加わってきた。最後には母と“知美”が仲良く笑い合っていた。
自分とは違う、人なつっこい母の特徴だった。
“知美”の帰宅時。
母と二人で玄関にて見送る。二人して手を振った。
“知美”は何度も振り返り、大きく手を振り返す。
「バイバーイ!」
大きな声でコチラまで呼びかけている。
“愛”の小学校は集団登校をしている。
“知美”からは一緒に行こうと何度も誘われた。“愛”自身は、近所の上級生が到着してから家を出る方を選んでいた。
この日は、上級生がいつもより遅れて到着する。六年生の一人が寝坊したのだ。
教室に到着すると騒がしさに驚いた。“知美”が昨日の坊主頭の男子と取っ組み合いのケンカをしていたのだ。
机や椅子が倒れて、派手な音を立てている。
“知美”は馬乗りになって男子を押さえつけている。顔が真っ赤になっていた。酷く激高している。始めて見る“知美”の姿――感情に流されている。
「母ちゃんに謝れ! 弟に謝れ! 妹に謝れ!」
口角泡を飛ばし、彼女は男子を罵っていた。
「うるせえ! お前の母ちゃんリヤカー引いてゴミ拾いしてるだろ! 俺の父ちゃんが見たんだ。 それに弟も妹も幼稚園に行ってないだろ! この貧乏人! 大阪に帰れ!」
男子も負けずに言い返す。
「ゴミ拾いの何が悪い! 立派な仕事や!! 貧乏で何が悪い! お前に迷惑掛けたか? それからなー! 住んでたのは尼崎や! 兵庫県! や!!」
私達の住んでいる‘市’は観光を大きな生業としている。‘市’から委託されたパートタイムの人達が、道路脇のゴミ拾いなどの清掃活動をしている。
正論を返されて男の子は押し黙る。そして、教師が入ってきた。騒ぎは一旦収まる。
しかし、争いは深く静かに続いていた。
昼休み。
給食の時間。
担任教師は午後の授業の準備とかで、教室に不在だった。それを良い事に、男子児童の何人かが“知美”を取り囲む。朝に“知美”に言い負かされた男子が中心になっている。
「お前の制服は先生の子供のお古なんだってな!」
「お前の母ちゃん、夜は飲み屋に勤めてるんだろ!」
「お前の父ちゃん警察に捕まって刑務所入ってるんだろ!」
少年達は残酷な言葉を投げつける。本当なのか嘘なのか判別出来ないことも混ぜこぜだ。
カレーライスを食べていたスプーンを置く。“知美”が立ち上がった。隣の席の“愛”は彼女のタダならぬ雰囲気にオロオロするばかりだった。
「ウチの悪口はええ! ええか! 家族の事を悪く言ったヤツは殺してやる!」
“知美”の目は吊り上がり、顔は真っ赤になっていた。
いきなり騒動の中心の男子に飛びかかる。床に押し倒した。その時、後頭部をしたたかに打ち付けたのか激しい音がする。坊主頭の男子は「ギャッ」と小さく悲鳴をあげた。
容赦なく“知美”はその子を殴りつける。男子の方は遂に泣き出した。
取り巻きの連中は、ようやく“知美”を引きはがそうとする。しかし、彼女は止めずに強い力で殴り続けている。
やむなしと思ったのか、周りの男子は“知美”の脇腹を寄ってたかって蹴り上げ始めた。転がってしまった“知美”を容赦なく足蹴にしている。
「せ、先生を呼んで!」
教室の誰かが叫んでいた。少年達は更にエスカレートしていき際限がなくなってきた。
“知美”は蹲って呻いていた。
「止めなきゃ!」
“愛”は気が付くと“知美”の上に覆い被さっていた。少年達の足から彼女を庇っていたのだった。
大人しい自分に、こんな事が出来たのかと自らに感心してしまう。
「やめてください!」
自分でも思ってもみないほど大きな声が出た。一瞬、彼らの動きが停止する。
「謝ってください! か、“金谷”さんの家族の事を何で悪く言うんですか!」
普段目立たない自分が珍しく声を荒げていた。その事実が彼らを押し黙らせる。
「何やってるの!」
教師達が慌てて飛び込んで来た。しかし、担任教師は何を思ったのか被害者の筈の“知美”を無理矢理立たせた。手を引いて教室から連れ出して行ってしまった。
坊主頭の少年は他の教師に付き添われて教室を後にする。
他の男子達は何事も無かったかの様に解散しようとする。“愛”は怒りの感情に突き動かされた。両手を広げ、彼らの前に立ちふさがった。
「何だよ!」
目の前の男子が叫ぶ。
「先生に全部説明して下さい。そして“金谷”さんに酷いことを言ったのを謝って下さい」
“愛”は彼らの胸元を掴んで、一人一人にそう言った。
「う、うるさい!」
「キャッ……」
彼女は一人の少年に突き飛ばされて転んだ。運動神経の鈍い少女は、受け身も取れず床に激しく頭をぶつける。意識を失った……。
気が付いた時は、保健室のベッドの上だった。
傍らでは、心配そうに“愛”を見つめる“知美”の姿があった。
「聞いたで……ゴメンなぁウチのせいで……あ、起き上がらんでもええで」
ベッドから体を起こそうとする自分を制し、彼女は話を続ける。
「あいつらの言ってることは嘘じゃない……父ちゃんが捕まったのはホントやねん。でもなぁ理由があるんや……」
昼休みの喧騒に包まれている校庭。
良い天気だった。
それを保健室の窓から眺めている“知美”の姿。
「父ちゃんは騙されたんや。それを確かめに行っての暴力沙汰や……ウチも気ィが短いからなぁ~さすが父ちゃんの子供や……」
半ばあきらめ顔の“知美”は、そう言って“愛”の頭を撫でてくれた。
その後、“愛”の母親と“知美”の母親が学校に呼ばれた。
“愛”は母に付き添われ、病院で検査を受ける事になった。そして、“知美”の母は厳重注意を受けて娘を家に連れ帰った。“知美”にボコボコにされた少年は即病院行きだった。
病院から帰ると、“知美”が母親と一緒に自分の家に挨拶に来ていた。“知美”の母は派手な感じはあるが、たいそう若くて美人だった。菓子折の“ういろう”を差し出して平謝りである。母親は地元がこの町で、今住んでいる家は彼女の祖母……“知美”の曾祖母が借りている家なのだ。
「ウチのバカ娘が迷惑掛けてホントすみません」
娘の頭を押さえつけて、深くお辞儀をさせていた。何度も何度も謝らせる。
「ほな、また明日学校でな! バイバイ!」
今までしおらしくしていたのが嘘のよう――。“知美”は元気よく笑顔で手を振ってきた。
「バ、バイバイ……」
いつもの様に胸の前で小さく手を振った。
――翌日。
“知美”は学校に来ていなかった。
そして朝の会。
担任教師から告げられた言葉に“愛”は耳を疑った。
「“金谷”さんは、都合により引っ越すことになりました。引っ越しの準備で挨拶は出来ませんが、皆さんによろしくと言ってました……」
担任教師は厄介払いが出来てなのか――清々とした表情を浮かべていた。
そして、クラスメイトの反応も冷ややかだった。“知美”と悶着を起こした男子連中は当然と云った顔をしている。
そのまま1時間目の国語の授業が始まった。
授業が終わり休み時間になる。“愛”は直ぐさま学校を飛び出した。向かう場所は決まっている。
学校をサボるなんて初めてだった。“知美”の家に息せき切って駆け付けた。
彼女の家族は引っ越しの準備をしていた。トラックに荷物を載せている。
「何や来たんか。学校はええのん?」
悪びれることなく“知美”はそう言った。昨日のことは嘘だったのか?
「何で引っ越すの!」
自分でも思った以上の大きな声が出た。もしかすると他人に対してこんなに感情的になったのは始めてなのかも知れない。
“知美”は“愛”に駆け寄って話をしてくる。他の家族は黙々と引っ越し作業を続けていた。幼い弟妹も一緒である。
「ウチが悪いねん。ウチが怪我させた子がおったやろ……その子の親が、ばあちゃん家の大家やねん……」
「で、でも何で引っ越しを……」
珍しく彼女に食い下がる。こんなに執着したのは本当に初めてだ。
「この家古いやろ。建て替えるから出ていってくれ――って昨日の夜言われたんや……」
例え、大家の命令といえど横暴である。しかし、当時幼かった“愛”には理解出来ていなかった。そして、あの子の父親はこの地域では実力者で名が通っている。市会議員もしているのだった。
「でもな引っ越すのは隣の町や、“愛チン”とはいつでも会えるやん!」
そう言って彼女は頭を撫でてくれた。
引っ越しの荷物は思ったより多くはなかった。古いタンスが数竿と学習机が目立つぐらいか……“知美”の母親が運転席に乗り込む。車の窓から顔を出す。
「ウチの娘と友達になってくれてアリガトな」
そう言って、エンジンを掛けた。
“知美”の家族も乗り込む。“知美”は、曾祖母と幼い弟妹が乗り込むのを手伝ってやる。
“知美”が手をギュッと握ってきた……最後の握手だ。
強く握り返す。
「じゃあな! “愛チン”」
“知美”はそう言って最後に車に乗り込む。“愛”は、何か言わなくては……強い思いにかき立てられ、窓際に駆け寄る。
「と、友達だから……」
“愛”の声は涙でかすれていた。
「いつまでたっても友達だから……」
友人の言葉を、涙を流しながら頷いて聞いている“知美”。
車が動き出した。
“愛”は、大きく手を振って彼女達を見送った。いつまでもいつまでも……車が見えなくなっても手を振り続けていた。
「……バ、バイバイ……バイバーイ!」
そして場面が転換する。
葬儀場。
白い棺はゆっくりと霊柩車に運び込まれていた。黒い外国製のリムジンタイプだった。
そのそばで遺影を持つ父親……。
母親は……母親はいなかった……。
霊柩車に乗り込む父と、数人の親族。
「バタン」
大きな音を立てて観音扉が閉じられる。
呆然とパイプ椅子に座っていた“金谷知美”はその音に気が付き、慌てて葬儀場を飛び出して来た。
雨は依然降り続いている。
傘を差している学生服の暗い色の集団が道の両脇に一列となり、霊柩車とそれに連なる車列を見送っていた。長い長い列だった。クラスメイトだけではない。全校生徒総出なのかも知れない。
クラクションが長く鳴らされる。
棺の少女の無念を知らせる様に……。
“知美”は、その様子を眺めながら車に向けて小さく手を振っていた。“愛”と同学年の男子が優しく傘を差し掛けていた。そうだった、この男の子は……。
“知美”は小さく呟いた。
「と、友達だから……いつまでたっても“愛チン”は友達だから……バ、バイバイ……」
雨に滲む車の赤いテールランプ。
それを見送りながら、“知美”は何時までも何度でも手を振り続けていた。
『グッドバイからはじめよう』は1983年発売の「佐野元春」さん10thシングルの曲です。アルバム「No Damage」や「Moto Singles 1980-1989」などに収録されています。
別れの曲なのですが、シャイな男性の直向きな思いが伝わってきます。弦楽器が多用された伴奏は、荘厳な印象を聞く者に与えます。
調べたところ、「佐野元春」さんが亡くなった祖父に向けて作った曲なのだそうです。
妙に、納得してしまいました。




