8 花嫁に相応しいのは
彼女が知らないカーライルの日常は、ほんの少しの変化が起きていた。
たとえば、彼は常に数人の騎士を同伴し、令嬢達をできるだけ遠ざけるようになった。彼女らはそれでも城に来ては、遠くから彼を見ているのだが、彼は視線を向けることすらしない。
今も、声をかけたそうにしているが、騎士の眼光の前に近寄れもできないでいる。そのために彼は騎士の中でも、特にこわもてと呼ばれる者を選りすぐった。
とはいえ、それでも近寄ってくる令嬢はいる。
「カーライル王子」
それが、このエレノーラという、彼がもっとも嫌う少女だった。
どこが嫌いかあげると一日かかりそうだが、一つをあげるならその考えが気に入らない。自分は王族に名を連ねるに値すると、選ばれし者と信じきっている態度が気に障る。
確かに、彼女の家はそれ相応の名家だ。
そう思っても仕方がない程度には、名の在る家に生まれている。
けれど、所詮その程度だ。先祖が築いたものの上にすわり、笑うことしかできない小娘。
挙句に自らの足で立ち上がろうとする、彼女を侮辱するなど。
「エレノーラ嬢、何か用かな?」
腹の底で煮えたぎる感情を抑え、カーライルは笑顔で応対する。今日のエレノーラは、最近流行のブランドのドレスと、それから宝飾品で自らを豪奢に飾り立てていた。
似合ってはいるが、カーライルの好みではない。
それに、同じブランドのものを、以前義姉が見につけていたのを覚えている。
所詮は後追いというだ。
「例のバケモノを、囲っていらっしゃるそうですわね? いけませんわ、王子の名に傷がついてしまいます。早くたたき出さないと。あの程度の女は、あなた様には相応しくないですわ」
「その『バケモノ』というのは、もしやあのかわいらしい竜への言葉かな」
「だって、ヒトならざる姿に代わるなんて、バケモノと言わずして何といいましょう」
わたくしは怖いですわ、と瞳を潤ませるエレノーラ。
何も知らない男なら、コロリと騙されそうだが。
――いい加減、見慣れて見飽きて、どうでもいいんだよ。
さて、とカーライルは思う。この世間知らずのワガママ娘は、竜――竜族という種がどういう存在で、世界でどういう風に扱われているのか、わかっているのだろうかと。
確かに恐れる人間は多い。
しかし、世界のほとんどで彼らは受け入れられ、それなりの扱いを受ける。巫女などはどこの国へ行っても神の如く崇められ、場所によっては彼らの言葉が国を動かすという。
そういう場所に彼女を連れて行ったら、数分とて命はないだろう。
バケモノなど口にすれば最後、埋葬できる遺体が残っていればよいという感じだ。
――いくら名家でも、これでは育ちが知れるな。
カーライルは、いつもは隠す冷笑と嘲りを、心の底から浮かべ彼女に見せた。さすがに笑みの種類が違うことに、世間を知らぬ愚かな娘でも気づくことはできたようだ。
「あ、あの」
「失礼。竜や彼女への侮辱に、どういう罰を与えればいいのか考えていた。ここはやはりある国の法律を参考に、全身の皮膚でもはがそうか。それが嫌ならば、あるいは――」
わずかに逃げようとする、その腕を掴み。
「頭がおかしくなるまで、犯罪者のいる牢に入れて差し上げても構わない」
「王子、さすがにそれは」
「そうだね。おかしくなったら『面白くない』し、罰にもならない。痛みは、それを痛みだと感じている時間を長くしなければね。簡単に壊れたら意味もない、加減してあげよう」
にこやかに告げられる、ある種の死刑宣告に。
「わ、わたくし……ちょっと、用事が」
失礼しますわ、とエレノーラは真っ青になって走り去る。
少しやりすぎたかなと思うが、彼女の言動からするとこれで帳尻があうだろうか。親に泣きついたところで、娘の発言を聞けばこちらにあれこれ言っては来ない。
「エレノーラ、君はもう少し世界を知るといい」
見えなくなった背中に、二度と見なければいいのにと思いながら、彼は笑う。
しかしこれまでの様子から考えれば、あと一回か二回は見なければならないだろう。たとえばカーライルの誕生を祝う舞踏会には必ず、絶対にその姿をのこのこと晒すに違いない。
実に面倒なことだが、いっそその場でさっきの発言をしてくれればいいと思う。
「この国は竜を祭る国の一つでね。バケモノなどと呼べば首が飛ぶ時代もあったんだよ」
ほんの数十年前、彼の祖父が即位していた頃の時代はそうだったと。以前教わった内容を思い浮かべ、その時代に彼女が生まれていなかったことを、その時代が続いていないことを。
心底残念だと、カーライルは思った。
■ □ ■
エレノーラは王子から逃げ出し、屋敷へと帰った。
――わけではなく、馴染みの侍女を呼びつけ、ある場所へと向かっていた。
「薄汚いバケモノのくせに、王子に何を吹き込んだのかしら……っ」
向かうのは、彼女が欲してやまない王子の、自室の隣にある寝室。そこには最近、一人の女が囲われているのだという。その特徴は、エレノーラが嫌うバケモノと一致した。
最近見ないと思ったあのバケモノは、王子の囲い者になっていたのだ。
身の程を知って消えたと笑っていた自分の、何と滑稽なこと。
これで王子は自分の物と、勝ち誇った己の無様さが悔しくてたまらない。それ以上に、バケモノの分際で自分を押しのけたことが、憎たらしくて、殺してやりたかった。
しかし、あの場所にいる限りそれは叶わない。
ならばあの場所から、引きずり出す。
「なぜお前如きが、ここにいるのかしら!」
侍女に扉を開けさせ、部屋の中に入る。
さすが王族の、あの王子の寝室といった内装に、似つかわしくない一人の女。これ見よがしに首輪などを身につけて、似合いもしないドレスを着せられたバケモノが窓際にいる。
「え……エレノーラ、さま?」
「お前、誰に断ってそこにいますの? そこはわたくしの場所なの。お前がいていいところなどではないのよ。姉妹揃って、そこまでわが一族に迷惑ばかりかけるのね、気に入らないわ」
彼女が慕う叔父は、地方領主をしている。そこには、そこを加護する巫女が、竜の巫女などと呼ばれるバケモノがいて――この、自分を蹴落とした女の妹だと聞いた。
この女は、妹がこちらの世話になっている分際で。
その本家の娘に害を与えたのだ。
さすがに妹のことを出されるとは思わなかったらしい。女――マーヤという名らしい竜のバケモノは明らかにうろたえて、視線を揺らし、か細い声で何かを言う。
「リシェ……リシェリは、関係ないです」
「出来損ないのバケモノに、得体の知れないバケモノ。あぁ、なんておぞましい!」
バケモノ、バケモノ、と連呼するたびに、女の表情が暗くなる。それが、エレノーラにとってはこの上なく嬉しい反応で、もっともっと暗くなれ、惨めになれと言葉を連ねた。
背後に立つ侍女が、そろそろ、と呼ぶ声がする。
どうやら時間切れらしい。確かにここで他のモノに見つかったら意味はない。速やかに立ち去らなければ。これ以上カーライル王子に、失敗した姿を晒すことなど許されないのだ。
足元で山となっていた鎖を掴み、思いっきり引く。
椅子に座っていた女は前へ引かれて、無様に床へと崩れ落ちた。
苦しげにうめくのも聞かず鎖をさらに引き、エレノーラは最後の言葉を吐き捨てる。
「よく覚えておくことね。お前達のようなものは、いつでも叩きだせるのよ! 妹が平穏に暮らし続けたいと願うのならば、わが一族に平伏して逆らったりしてはいけませんわ!」
――何かあったら、お前もお前の妹も叩き潰して上げますわね。
そんな言葉と、勝ち誇った笑みを残して、エレノーラは部屋を出る。
ここまで言っておけば、もうあの女は王子の下にはいられまい。これで妹を見殺しにするようなことをすれば、次はそこを指摘して引きずり落とす。徹底的に叩き潰す。
「ですが、あの方がこちらの言うことを聞くでしょうか」
「おじ様のこと? 問題ないわ。おじ様はわたくしのいうことなら、聞いてくださるもの」
心配そうな侍女に笑い、エレノーラは屋敷へと戻す。自分が王子に見初められ、この手を取られて求婚される舞台のための、ステキな衣装を用意するために。
そう、花嫁に相応しいのはこの自分。
あんなバケモノなどでは、断じてないのだ。