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5 甘い夢に落ちていく

 あれは、まだ幼い頃だ。

 当時、かの領主の傍で働き武勲を挙げた父は、城へと呼ばれた。勲章を与え、褒美を与えるためなのだと聞いて、私はねだりにねだってついていくことになった。

 始めてみた大きな町はすごくて、お城の中はまるで夢のよう。

 そこで出会った。

 きっと、私しか覚えていない出会い。

 カーライルという名前の、すてきなお兄さん。

 迷子の私をいろんな場所に連れて行ってくれた彼は、実は本物の王子様で。繋いだ手の温もりや感触を今も覚えているし、あの日、手に触れられて昨日のことのように思い出した。

 少し年上の王子様。

 ずっと、私は好きだった。

 あこがれていた。自分ではそうでもないと思っていたけど、やっぱり私は、彼に会いたくて剣を握ったのかもしれない。もっともらしい理由を、後からゴテゴテと飾り付けたりして。


 でも、今はわからない。

 あの頃は確かに、好きだったように思うけれど、今は……。

 ただ、傍にいられないという、思いしか。



   ■  □  ■



 荷物はそう多くない。

 マーヤは数日かけて必要な荷物を、一つ一つ選び出した。まずは数日分の着替えと、いくつかの薬の類。それから路銀。あるいは売って路銀に換えられそうなもの。

 そこそこ長く伸ばした髪も、切ってしまおうかと思った。

 でも、そういえば昔あの人に褒めてもらったっけ、なんて思うと、マーヤは髪を切るという行為を諦めた。別に今すぐでなくても問題なんてないから、言い訳をくっつけて。

 次にやったのは根回しだ。

 マーヤは親しい同僚や友人にだけ、国を出ることを伝えた。友人は寂しがって思い留まるように言ったが、同僚は彼女が令嬢方に何をされているか知っているから、止めなかった。

 そこで、彼女は初めてみんなに心配をかけていたと知り、少しだけ泣いた。

 その足で城に辞表を叩きつけ、王族一家――の、カーライル以外に事情を話した。ただしその理由というのは着飾った建前のようなもので、それとなくいつか戻るようなことも告げる。

 そうすれば、これは一時の『旅行』だと、思ってもらえると考えたからだ。

 でなければ特に王女アナスタシアが、彼女を縛ってでも止めようとするから。

「姫様、兄さんを頼みます」

「わ……わかった、わ。ぜったい、わたしと彼の結婚式には帰ってくるのよ!」

 涙目で告げられたほぼ確定した未来の話に、マーヤは笑ってうなづいた。

 笑って、うなづけたと思う。

 そしてマーヤは城を出て、一度城下にある家へと戻った。荷物は簡単なもので、すぐにでも出発することができる。そう思って戻ったのだが、なぜかそこに仕事中の兄がいたのだ。

 リビングに入ろうとしたところを、彼に台所へとさらわれる。

「兄さん、どうしてここにいるんですか」

「悪い、王子がいる」

「え……」

「お前が出て行くことを、一応は気づかれてはいないが、もしここで相手をしないと感づかれるかもしれないな。王子が帰るまで、できれば出発は諦めてほしい」

 ぼそぼそ、と引っ張り込まれた台所で交わされる会話。そっとリビングを伺えば、庶民のような格好をしたカーライルが、平然と読書をしている姿があった。

 王族方に報告に向かった時に彼がいないことを喜びつつも少し怪しんだが、どうやら兄を引き連れてお忍びのお出かけ中だったようだ。あの様子では、マーヤのことは知らないようだ。

 しかし、マーヤが家に戻ったことは気づかれている。

 背後からさらわれたので、とばたばと暴れてしまったからだ。あれで気づかないほど節穴の王子ではないと思う。そして兄の言うとおり、ここで逃げ出せば絶対に怪しまれた。

 ここは、兄の言う通りに相手をするしかないようだ。

「王子、お忍びというものは周囲の迷惑です」

 できる限り、いつものように。

 他愛のない小言をいくつか口にしながら、差し出されるまま、促されるまま、マーヤはその赤い液体を飲み干した。飲みつつ、これでは今日の出発は無理だと、ため息を小さくこぼす。

 それにしてもこのワインは、どうしてこんなに甘いのに。

 どうして、現実は苦いばかりなのだろう。


 ――なぜ尋ねないの?

 どうして仕事がある日なのに、こんなところにいるのかと。


 人前で大胆にも告白してきたくせに、そんなことも気にならないのか。やっぱりあれは令嬢方にうんざりするかなにかして口から飛び出しただけの、ちょっとした冗談だったのだ。

 ひどい人だ。

 こっちはそれでどれだけ苦しみ、辛かったのか。

 ひどい、ひどい。

 もてあそぶなら別の人にしてください。

 私はあなたの、都合のいいおもちゃじゃないんだから。

 心の声に、すまないね、とわびる声がする。わびてどうにかなるわけじゃないと、やっぱり心の中でマーヤが反論してみれば、それにもわびる声が返ってきた。

 声と一緒に帰ってくるのは、優しい指先。それからやわらかいものが肌を這う感触。

 これは、少し変だな。

 そう思ったのが、いつのことだっただろう。

 いつの間にかマーヤの意識は、どこか深い場所にじんわりと沈んでいた。

 身体一つ動かせない彼女の傍で、二つの気配が動く。


「さて、運ぶか」

「……」

「あとで謝罪する機会は与えるから、そう睨むなよ。妹もあげるし」

「いらん」


 遠くから、かすかに兄と王子の声がした。マーヤは何の話だと問いただそうとするが、唇は細かく震えるだけで、喉はぴくりとも反応しない。身体が、まるで泥に沈んでいくようだ。

「マーヤ、君に罰を与えないといけないね。僕から逃げるなんて、許さない」

 罰なんてしらない、逃げ出させたのはあなたのほうだ。

 と、ぼんやりした頭で考えたのが、最後の瞬間。

 そして彼女は知ってしまった。

 第二王子カーライル。

 彼が、すべての元凶だった。

 あの噂を意図して流し続けたのも、それを武器にするように肯定しながらマーヤが目をつけた相手を遠ざけ、時には自分に群がる令嬢をけしかけるようにして去らせたのも。

 そう気づいたのは、いつか王女にアドバイスしようと冗談で考えた作戦――すなわち酒と薬のあわせ技を喰らって意識を失い、首輪と薄い素材の服もどきを着た状態で目を覚ました朝。


「もう逃がさないよ。マーヤはずっとここにいるんだ」


 そういって、首輪に繋がる鎖を握る、彼を見た瞬間だった。

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