3 彼の告白
結局、噂の出所がわからないまま、数日。
マーヤは、出逢いたくない存在と再び出くわした。
第二王子カーライル――と、彼と結婚することを夢見ている令嬢十数人の団体である。真昼間からよくもまぁ、と思いつつ、マーヤはその感情を心の奥のほうに押し込んで対処する。
別に、かの王子が女を侍らせているのは、珍しいことではない。
以前彼は、兄を相手にこんなことを言っていたくらいだ。
『私はどうせ王位に縁はないし、他所に行く気もない。そうなると、残るのはそれなりに有力な存在と結婚することだ。中途半端な立ち位置にも、中途半端なりの利用方法がある』
それに兄は、自分を利用するな、と言っていたと思う。
二番目といえど王族に群がる連中は、それなりに存在しているらしい。加えて第一王子である兄に側室を取る気がないとなると、完全にフリーである彼に狙いが集中する。
そうすることで、いろいろと探っているそうなのだ。
よからぬことをたくらんでいそうな貴族や、あるいは他国の王族を。
『そういう人身に絡む駆け引きを、兄上は特に苦手としていらっしゃるからね』
適材適所だ、と笑う姿に、一度はときめきのようなものも感じた。まだまだ幼い、六年くらい前の話になる。兄が城で騎士を始めて、自分もその道に進もうと思っていた頃だった。
兄の忘れ物を届けに行った先で、出逢った『王子様』。
きらきらでステキで、マーヤにも優しかった。こんな人が結婚相手なら、誰もが幸せになれるだろうなと思い、一端の乙女のように心を高鳴らせていた。
騎士を目指した動機の中にも、彼目当てというのが幾ばくか含まれたのは間違いない。
――夢見がちだったのよね。
まるで、今もほわほわしている妹リシェリのように。
本人が言ったようなたくらみも、確かにあるのだろうけれど。マーヤが成長して知った姿から判断できるのは、両手に収まらぬ花を侍らせるのが好きでたまらないのだろうということ。
どう見てもあれは、遊び人というやつだ。
彼に何かしら気のある令嬢は気にならないだろうが、マーヤのようにどうでもいいと思っている立場から見ればただの軽薄な、死んでも結婚なんぞお断りというタイプである。
いずれ彼も結婚するのだろうけれど、心からその相手を哀れんだ。
「おや、誰かと思えば妹殿の護衛騎士じゃないか」
「こんにちは王子。兄がさきほど、探しておられましたよ」
「トキが? ……ふむ、仕事と一緒にシアを押し付けたのが気に障ったかな」
それは激怒どころではないと思う、と心の中でつぶやき、おそらく、と声に出す。普段はちゃんと仕事をしている人だが、どうにも時々こうしてハメを若干はずしているのがよくない。
おかげで兄は苦労するし、マーヤは気まずい心境になる。
どうにかならないのだろうか、この兄妹は。
「ところでマーヤ、君に話があるんだけど」
「はぁ……姫様のことですか?」
「いや、君のこと」
と、カーライルは令嬢を置いて間合いをつめ、なぜかマーヤの手をとった。
決してやわらかいとはいい互い、荒れ気味の手を撫でる。
「女の子なのだから、もっと肌を大事にしないといけないよ」
「わ……私は、騎士ですから」
「そもそも、なぜ騎士になったんだい? 別に侍女とかでもよかっただろうに」
言われ、マーヤは戸惑う。まさか本人を前に、あなたが目当てでした、なんて口が裂けても言えるわけがない。そういう性格でもないし、あえて言うほどの理由でもないし。
やはり、巫女ではないというのが、一番の理由だろう。
「私は巫女ではないので、ならばこうして人の役に立とうと思っただけです」
「……そして、女性としての幸せは捨てた?」
「す、捨ててません!」
まだ、とか細く続いた声を、彼は聞きとめただろうか。
しかし縁談らしい縁談も、浮いた噂一つない王女付きの女性騎士。年齢はまだ一応若い範疇に入るのだが、それでも行き遅れに片足のつま先を突っ込んでいるのは間違いない。
しかし、その元凶といっていい相手に、そういう風に言われるとさすがに苛立った。
誰のせいで、異性との縁が薄くなったと思っているのか。
どうせ、何もわかっていないのだろう。マーヤは自分付きの騎士の妹で、自分の妹に仕える若い騎士で。自他共に認めるマジメな性格が面白いのか、からかうおもちゃのようなものだ。
案外面白半分で、あの噂を流しているのは彼ではないかと思う。
だとすれば年季の入ったからかいで、一発殴っても許される気がした。
「そう。じゃあ……僕はどうかな」
「は?」
「え?」
王子の言葉に、二種類の疑問の声が上がる。
最初のがマーヤで、次が令嬢の一人だ。
その場にいる誰もが、カーライルの言葉の意味がわからなかった。何を言ったのかは理解しているのだが、ただの音としてしか頭の中に入ってこない。
「あの、王子? 何をいっていますの?」
最初に声を発したのは、一人の令嬢だった。例の、領主の姪である。名前は知らないが、しょっちゅう城に通ってきては、カーライルやアナスタシアに媚を売っているので顔を覚えた。
彼女は王子の腕にすがり付いて、猫が甘えるような声を発する。
「あれはただのバケモノですわ。そんな言葉を言っていい相手ではありません。よくて一夜の遊び相手といったところではないのかしら。ねぇ、皆さんもそう思いますでしょう?」
「え、えぇ……そう、ですね、ねぇ?」
「王子、早くその手を離してくださいまし、あなたの手が穢れますわ」
令嬢が繋がれた二人の手を、引き離すべく触れかけた時。
「汚らわしいのは、そうやって人を侮辱するのを趣味とする君達の方だ」
「お、王子!」
冷たい声で言い、カーライルは令嬢の手を振り払う。
彼が示した明確な拒絶に、令嬢は軽く涙目になっているように見えた。
「マーヤ。僕は本気だ。この際だからはっきり言おう。君さえよければどうか、僕と結婚してくれないだろうか。僕の好みはね、媚を売るしか能がないバカじゃなく、君のような」
そう、君のような――と、カーライルはマーヤの指先に口付けて。
「凛として強く、美しい人が好みだ」
「え、あ……あの」
「僕は君だけを愛している。この気持ちに偽りはない。……返事はまた今度でいい。何年も待ったからね、そこは急かさないよ。ただ僕は本気だから、それだけはわかっておいてほしい」
カーライルはすべて言い終わってしまうと、なぜかマーヤの手を引いて歩き出す。ここに残すと面倒だからねと笑って、アナスタシアの部屋の前での別れ際に頬へと口付けを残した。
わけがわからないマーヤはただ、とんでもないことになったことだけを。
例の噂にひどい尾ひれがついたことを、理解していた。
■ □ ■
一方、残された令嬢の団体は。
「ど……どういう、ことですの?」
「わかりませんわよ!」
「なんであんな、女の癖に剣を握る野蛮なものが……っ」
うろたえながらも涙目になる彼女らを、とても冷ややかな目で見る令嬢がいた。
エレノーラという名の、国でも数本の指に入る名家の令嬢である。
彼女は竜が大嫌いだった。大好きな叔父がこちらにこなくなった元凶で、その心を掴んで離さない要因だからだ。ましてや、ただ竜というだけで、竜の巫女というだけで大事にされる。
その竜に、身分などない。
親のいない孤児だ。
そして、先ほどの騎士の妹で、姉妹揃ってエレノーラに煮え湯を飲ませてくる。たかが平民の分際で貴族令嬢にたてつくなど、傅かれることしかしらないエレノーラには許しがたい。
――バケモノのくせに。
小さな声でつぶやかれた低い声に、さめざめと泣く令嬢方は気づかない。その瞳に、覗き込むだけで震え上がるような、怒りと嫉妬の炎がゆれていることなど、気づくこともない。
唯一、その殺意ともいえる感情に気づいた人物がいた。
彼女自身ではなく、その身内でもなく。
エレノーラが欲してやまぬカーライル本人であると、彼女はまだ気づかない。