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1 巫女の姉妹は苦労する

「身の程知らずですわよね、あのマーヤとかいう騎士は」

 そう囁かれる声に、マーヤはぼんやりと、心の中で同意を示した。別にこそこそと、聞こえるようで聞こえないような声で言わなくても、誰より自分がわかっていることだったからだ。

 身の程知らずなのだ。

 マーヤという名の自分がいるには、今の立場はあまりにも。

 いや、正しくは。


 ――リシェリという可憐な巫女の、巫女ではない姉如きが立つべき場所では、ないのだ。


 マーヤ、そしてリシェリ。それからトキという兄と、シルスという弟。この四人には形こそ異なるが大体同じような位置に硬くて立派で、少しだけ触られると困る『角』がある。

 彼ら四兄弟が、『竜』という種族の血を引く証だ。

 竜には三種類いる。

 一つは男だ。

 もう一つは精霊との対話ができる力を持つ、巫女と呼ばれる女だ。

 最後が、その巫女になれなかった女。

 マーヤは巫女になれなかった女で、妹のリシェリは巫女となった女。別にそれは、それ自体は面倒でもなければ、身の程知らずと陰口を叩かれる類ではない。基本的には。

 だけど、姉妹なのがよくない。

 妹は巫女なのに、なぜ姉は巫女ではないのか。

 同族である竜のみならず、人間もそういう目でマーヤを見、判断する。竜の女は、子孫繁栄的な意味合いでとても大切にされて、マーヤも家族にはそれなりに優しくはされて育った。

 しかしそれは、いつか生まれるだろう巫女をはぐくむ母になるからだ。

 ここで足をさらに引っ張るのは、マーヤの現在の職業。第一王女に仕える騎士。それが彼女の立場であり、役目であり、ゆえに男性との接点などほとんどないに等しいものだったのだ。

 せいぜい兄やその部下と少し話をする程度で、兄以外の彼らはみんな既婚者である。

 巫女の姉妹を持ちながら、巫女ではなく。

 新たな巫女に繋がるだろう子を、作ろうとしない女。

 これは、竜の中でもっとも忌み嫌われる存在であった。


 しかし声の主がマーヤを罵る理由は、別のところにある。

 マーヤ自身、悩まされているある王子の奇行だ。

 その王子、名をカーライルというが、この国の第二王子だ。年は兄より一つ下で、すでに成人を迎えているのだが、未だに浮いた話しか出てこない。つまり遊びまくっているわけだ。

 かつては婚約者もいたそうだが、彼の素行に泣き喚いて破談になったらしい。

 以来、彼は勝手気ままに女性を侍らせては、その中の気に入った誰かを寵愛する日々。

 どういうわけか、そこにマーヤが加わっていた。

 正確にはいつの間にか加えられていたというべきなのだが、どっちにしろ彼女からすると大変迷惑な話でしかなく、ただでさえ普段からきつい風がその威力を増していた。

 嫌われるよりはマシだろうと、初期に流されたのが運のつき。

 今ではすっかり『カーライル王子の女』扱いで、異性もロクによってこない。

 挙句に、こういう陰口である。

「だいたい姫様も姫様ですわ。あんなのの何がいいのだか。王子も、それから陛下も。身分も何もないし、竜として使い物にならない女に、どうしてああも気を配るのかしら」

「お嬢様こそ姫様のお傍に相応しいのに、嘆かわしいことです」

「よっぽど『バケモノ』が珍しいのかしら。わたくし、怖くて近寄れませんの」

 くすくす、と侍女相手に笑う令嬢を、マーヤは知らない。

 ただ、彼女の家名には覚えがある――どころではなかった。

 それはかつて亡き父が仕え、妹を預けているあの領主と同じだったから。

 おそらく親戚か何かなのだろう。確かこちらに兄がいると、聞いたこともある。彼の兄ならあれくらいの子供がいても不思議ではないと思いつつ、遠く離れた妹の現在を少し憂う。

 実を言うと、マーヤは件の領主をあまり知らない。

 ほとんど接点もなくて、妹を預けるのに最後まで反対もした。結局、兄の説得の前に折れてしまったわけなのだが、今になって後悔がよぎる。あの時、強引に連れ出せばよかった。

 今度、兄に相談しなければならない。

 あんな姪だか何だかがいる男に、いくら恩があっても妹を任せることはできないと。

 これ以上、自分への陰口を聞くのも面倒だ。

 マーヤはそっとその場を去る。

 あの程度はまだまだかわいいもので、慣れっこだ。巫女になれず、結婚する意思の薄い彼女の外聞は元から悪い。そこに王子を狙う令嬢の嫉妬が加わったぐらい、何てこともない。

 だけど。

「どうせ相手などいないもの」

 こんな中途半端な女を、もらう物好きなどいるはずがない。

 すでに結婚適齢期である十八となったが、もちろん縁談など一つとなかった。友人である女傑国の若き女王ヴィカと同じく、どうも『騎士』というだけで敬遠されているようなのだ。

 最近など、そこに王子の寵愛という要らないものまで憑いて、どうしようもない。

 加えて弟はその女王の下にいるし、妹は辺境を加護する可憐な巫女。

 そして兄は。


「待ってトキ! 今からそこに行くわ!」

「……え?」


 敬愛する王女の声に慌てて上を見ると、自室の窓から身を乗り出した彼女がいた。膝丈ドレスがかわいらしい、まだ幼い少女。この国の第一王女、アナスタシアである。

 マーヤの位置からは見えないのだが、おそらくその視線の先に兄トキがいるのだろう。

 問題は、あの状況から考えられる未来が、一つしかないことだ。


「えーいっ」


 というかわいらしい声と共に、アナスタシアは窓枠を蹴った。

 同時に、周囲の風がぶわりとうねる。三階にある部屋から飛び降りた王女の身体が、ちょうど二階の窓の高さまで落ちたぐらいのところで、彼女の身体は一匹の竜に抱かれた。

 艶やかで、深いワインのような色合いの赤い鱗の竜――あれが、トキだ。

 マーヤは慌てて二人が舞い降りる、城の中庭へと向かう。

 駆けつけてみれば、幼い王女に甘えられるトキがいた。

「ひ、姫様!」

「あらマーヤ、どうしたの?」

「なんて無茶をするんですか! あなたは死にたいのですか!」

「ねぇきいた? マーヤはトキが、わたしを抱きとめられないといっているわ。トキはこの国で一番の騎士で、わたしの竜。そのトキだから、わたしは安心して飛び降りられるのよ」

 そもそも飛び降りるな、とぼそりとつぶやいたのは、当事者の片割れ。


 ――もっと大きな声で言ってください、だからストーキングされるんですよ兄さん。


 などと思いつつ、マーヤは兄にへばりつく姫を回収した。



   ■  □  ■



 お付きの侍女と二人係でこんこんと王女に説教をし、マーヤはふらふらになりながら彼女の部屋を脱出した。どうやら、勉強中にトキを見つけ、飛び降りたらしいのだ。

 おかげで家庭教師の女性は気を失い医務室に運ばれるし、城の中は大騒ぎだ。

 ただ一人、楽しんでいるのは。

「シアがまた面白いことをしたんだって?」

「王子」

 笑いながらやってくるのは、この国の第二王子。

 つまり、先ほど飛び降り騒動を起こした王女アナスタシアの兄。

 つまりは、マーヤを悩ませる現況であるカーライルである。

 王子といえど上には優秀すぎるくらい優秀な兄がいて、妹もあれで意外と切れ者という微妙につらい立場にある人物だ。どことなく、マーヤと似ていないこともない境遇である。


 しかし、彼はマーヤと違う。

 そんな兄妹に負けず劣らずの頭脳を持ち、剣術も申し分なく。

 いずれは王女しかいない他国に、婿養子に行くだろうとされているほどだ。一時期はあのヴィカに、という話すらあった。本人はこの国を離れたくないようで、断っているというが。

 断れるなんて羨ましいと、別にそう思わないことはないけど。

 勝手に親近感を抱いていた手前、それが覆ったマーヤにとって彼は、どうしようもなく自身を苛立たせる存在だった。苛立たせるし、己の矮小さを思い知らせてくる存在だ。

 極力関わりたくなど、なかった。

 自分が、とても惨めに思えてしまうから。

 なのになぜか、こうして時々彼はマーヤに会いに来る。

 そして囁かれるのだ、陰口が。できそこないのくせに身の程知らず。仕事もしないで王子に色目を使う、多種多様な意味で使い物にならないバケモノ。……全部この男のせいなのに。


 どうしてか、マーヤは彼を拒絶しきれない。

 拒絶しているポーズは取れど、それを強く行使できなかった。


 やはり、まだ胸の奥にくすぶっているのだろうか。憧れとしか言いようのない、恋と呼ぶにもおこがましいものが。まるで彼との接点を喜び、これを逢瀬だと叫ぶかのように。

 だから、彼の女だとかいう、お互いに不名誉な噂まで流れたのに。

「そのようなことを言っていると、また揚げ足を取られますよ」

「妹の死を望む非常な兄、とか?」

「わかっているなら」

「僕は自分の部下を信じているからね」

 まるで、兄を信じないのかといわれているようだった。マーヤは返す言葉を無くし、そのまま小さく頭を下げるとその場を去ることを選ぶ。不敬だと言われそうだが、どうでもいい。

 むしろ、不敬とされてクビにでもなった方が楽だった。

 王女のことは好きだし、第一王子やその奥方、幼い子供、そして国王陛下や王妃も、好きだと思っているし、離れたいとは思わない。兄もいる。長くここにいたいと、望んではいる。

 そこにこの人物が加わるだけで、どうしようもなくなるのだ。

 けれど今の場所にしがみつく限りは、カーライルとの接点は決して消えることはない。

 職を捨てて、国すら捨てなければ消えないだろう。

 いっそ、女傑国にでも行こうか。あそこには結婚しない女性も多い。役に立たない男は結婚する価値はないという言葉があって、中には子供だけ授かって、なんて猛者もいるほどだ。

 あの国なら結婚するよう言われないだろうし、職のあても見つかるだろう。

 そんなことを思う彼女は、自分の背中に突き刺さる視線の熱さ、鋭さに気づかない。



 これはマーヤが、十八歳になって間もない頃。

 逃げ出そうと思えば、まだ何とか逃げ出せたと思われる時期の話である。

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