10 求婚
鏡の向こうにいる自分は、まるで別人だ。よくできた人形のようで、衣装に着られている感じがしてならない。そんなことを思い、マーヤは何度目かのため息をこぼす。
ここは、いつも押し込められていた部屋ではない。
そもそも、あの部屋にはもう鍵もないし、首輪なども消えた。
マーヤは自分の意思で、彼の傍にいることを望み、決めたのだから。
変わりに与えられたのはあの部屋の、隣にある空間。
そこがこれからマーヤが過ごす場所で、彼が帰ってくる場所でもある。そのうち、郊外にある別邸の一つを賜って、そこで彼と数人の使用人と暮らすのだとマーヤは聞かされていた。
しかし、過ごす場所が変わっても、マーヤの日常は変わらない。
彼女が施され続けた、王子に嫁ぐために必要なマナーやら立ち振る舞いやらは、むしろ覚悟を決めてからさらに苛烈になった。そのおかげか、それなりになったとマーヤは思う。
しかし、中身がいくら磨かれても見た目が問題だ。
妹のように可憐でもない彼女は、豪華なドレスに埋もれそうな自身の容姿を嘆く。
決して不細工ではない。しかし美人というほどでもない。巫女になれなかった巫女の姉妹である出自といい、何とも中途半端なことだ。本当に自分でいいのか、と迷いが生まれるほど。
「……でも、もう決めたし」
ぼそり、と呟いて後ろを向こうとする自分を奮い立たせる。
マーヤはもう、決めたのだ。
彼と一緒にいくと。
あの令嬢の言葉はまだ、心の中に棘のように突き刺さったままだ。生粋の貴族からするとマーヤなど、まだまだ至らないところしかない小娘。巫女の身内という以外、価値など無い。
だからこそ、がんばらないと。
彼の隣にあるに相応しい、そんなヒトにならないと。
あの時は後ろ向きに考えた言葉を、今は前に進む動力にする。
言われて悲しいなら、二度といわれないようになればいい。
「よし」
マーヤはすっと立ち上がると、ドレスを踏まないように部屋を出た。部屋の出入り口には元同僚の女性騎士が控えていて、口には出さないが目が『がんばれ』と言うように細められる。
それに小さく、目を伏せることで頷いて、マーヤは決戦の地へと向かう。
今日は、カーライルの誕生を祝う舞踏会の夜だ。
他国からの王族や、それに連なる貴族がやってくる、かなり大規模なもの。
一応、彼にはマーヤという『婚約者』がいるのは、知られているという。しかし、マーヤが貴族でもなんでもない、元騎士であるということも同時に知られている。
彼らは、きっとこう思ったはずだ。
――ならばわが子が、負けるわけが無いだろう。
娘や妹、親類の娘を伴って、彼らはここに来ているに違いない。そして、マーヤからカーライルの寵愛を奪い取ろうと、それはそれま見事に着飾っているのだろうと思う。
これまで、何度か王女に付き添う形で舞踏会を目にしたが、いつもそういうものだった。
今回もそうだろうし、むしろ激しさは増しているだろう。
「マーヤ、いけるか?」
舞踏会の会場の手前。数人の騎士と共に、兄トキが現れる。
思えば、あの日から兄とまともに顔を合わせるのは、これが初めてのことだ。騙した形になったからなのだろう、トキの様子はどこかぎこちなさがあり、視線も左右にそらされ気味だ。
「兄さん」
「……なんだ」
兄妹の間に、何ともいえない空気が流れた。
「姫様とのこと、覚悟してくださいね?」
「……」
「私は妹という存在を、とても愛しています。その頭に『義理』があっても、同じです。かわいいかわいい義妹のためなら、たとえ兄を泣かせたり傷物にしても、私は気にしませんよ」
にっこり、と意味深に笑って、マーヤは兄の隣を通り過ぎた。おそらくぐったりしただろう兄の姿を振り返り見ることはしないが、少しだけいろいろあったものが薄れていった。
ちなみに、マーヤは基本有言実行するタイプである。
兄に騙されていなくとも、マーヤはおそらく義妹のためにあれこれしただろう。
その結果、兄が手篭めにされても問題は無い、兄だし。
「今は、自分のことを最優先、と」
目の前にそびえる扉。この向こうがマーヤの戦場だ。
呼吸を整え、笑顔を顔に貼り付けて。
マーヤは扉を開くように、言った。
■ □ ■
入ってすぐに視線を集めたものの、マーヤはすぐにその他大勢として放置された。王子の婚約者ではあるが、まだ姿絵の類は広まっていないらしく、それとわからなかったのだろう。
そのままそっと壁際に移動すると、近寄ってくる集団があった。
やたら目立つ容姿の女と、彼女とぴっとりと寄り添う背の高い青年。
……のように見える、ずっと年下の少年。
言うまでも無く、女傑国を収める女王ヴィカと、マーヤの弟シルスである。
「マーヤ!」
ヴィカはマーヤを見つけるなり、駆け寄ってきた。
ゆったりとしたドレスは、いつもの彼女からは想像できない、シンプルでラフなもの。いつもはあんなに、胸元を強調した物を好んでいたのだが、一体何があったのだろう。
集まっていた人々を追い払うようにしてから、シルスもマーヤの傍にきた。
「姉さん、久しぶりです」
「シルスもずいぶん大きくなったのね」
本当に弟シルスは立派になった。
しばらく見ないうちに、一段とたくましくなっている。今でもよく見ればどことなく幼い顔つきなのだが、おそらくこの場で彼の年齢を、正確に言い当てるものはいないだろう。
少しはなれたところで、愛嬌を振りまく王女アナスタシアと、同年代だなんて。
誰も思わないわよね、と寄り添うように立つ、友人と弟を眺めた。
「それにしても幸せそうね、シルス。向こうはそんなに楽しいの?」
「えぇ、みんな優しいですし。それに結婚もしましたから」
「え? 結婚?」
「あと数ヶ月で、子供も生まれるんです」
「……え?」
にこやかに衝撃の発言をする弟は、そっと隣に立つヴィカを抱き寄せる。ヴィカは少し恥らうように頬を染め、マーヤの手を取ると自分の腹部へと導いた。
なるほど、確かにぽっこりと大きくなっている。
ふわりとしたドレスで隠れているから、目視ではよくわからないけれど。
――嘘でしょ。
絶句して友人を見ると、どこか申し訳なさそうにされた。
「ごめんなさい、マーヤ。おなかが落ち着くまで、国内でも隠していたの。お式も済ませてしまったのだけれど、この子が生まれたら身内だけを呼んだパーティを開く予定なのよ」
「こっちに来る直前に発表したんだ。ごめん、姉さんにも内緒にしてて」
「い、いいの。驚いただけ……」
まさか兄弟で一番先に結婚するのが、弟だとは思わなかった。まだ十三歳なのに。しかも相手は自分の友人で、すぐ父親になるという突然の告白に、マーヤの頭はだいぶ混乱していた。
一体、何がどうしてそうなったのか、あとでヴィカから根掘り葉掘り聞きだそう。
「それにしても――」
思わぬ再会と衝撃的な話にふらふらしている姉を、シルスはしげしけと見る。
「姉さん、どうしてこんなところにいるんです? 早く彼のところに行った方がいいんじゃ」
「彼?」
「僕の義兄になる人ですよ。カーライル王子」
ほらあっち、とシルスが指差す方にいるのは、令嬢に囲まれて身動きの取れない様子の、カーライルの姿だった。時折こちらを見てはいるのだが、一歩も進めないらしい。
おそらく、こっちを見るから、令嬢が暗黙の了解で移動を阻止しているのだろう。
そんなことをしても、何の意味も無いのだが……。
「マーヤから迎えにいって差し上げたら?」
「そう、ね……そうする」
二人から離れ、マーヤはカーライルの元を目指す。
だが、その途中、周囲の空気がざわりと変わったのに気づき、足を止めた。人々の視線が集まっているのは、先ほど自分も使った出入り口。そこには、一人の令嬢が立っていた。
かつて、マーヤは彼女が着ているドレスを、見たことがある。
正確には同じところが作っている、同タイプのドレスを、なのだが。
レースをふんだんにあしらった、まるでウエディングドレスのごとき純白のそれは、かつて第一王子の奥方が見につけていたものだ。それを着て初めての夜会に出た彼女は、そこでかの王子に見初められて、熱烈に口説かれて結婚することになったのである。
以降、そのドレスを作った店は、大繁盛。
王室の御用達にまで、名を連ねるほどになっている。
そこの、別のタイプのドレスを着る令嬢は、ここにも数え切れないほどいた。しかし同タイプをあえて着てきた令嬢を、マーヤはあの少女以外には知らない。
暗黙の了解なのか、誰もがそれを避けていたのだ。少なくとも夜会では。仲睦まじい第一王子夫妻にあやかる形で、ウエディングドレスとして使われることが多いものだと聞いている。
それをあえて身につけたエレノーラという名の令嬢は、一瞬マーヤを見た。
その目に、嘲りと、勝利を確信した光を宿しながら。
彼女は実に洗練されて優雅な足取りで、令嬢に囲まれたカーライルの元へ向かう。その同道とした雰囲気の前に、他の令嬢は波が引くように彼女へ道を譲った。
「カーライル王子、お誕生日おめでとうございますわ」
「……あぁ」
かすかに聞こえる彼の声の、低さにマーヤは恐れを抱く。明らかに、彼の機嫌は悪い。しかしエレノーラは気にならないのか、気づかないのか、笑顔を浮かべてその手を取ろうとした。
そうすることで、自分こそが彼の『妻』となるに相応しいと、周囲に示すつもりなのか。
「それをきれば、義姉上のようになれるとでも?」
しかし、その手を払いのけたカーライルは、笑みを浮かべた。
周囲を凍りつかせるような、恐ろしく冷たい微笑を。
「別にどんなドレスを着ようと構わない。けれど、そのドレスを着ていたから、義姉上が兄上に見初められたなどと思っているなら、その勘違いは致命的で愚かなことだと知るといい」
「そ、そのようなことは……ただ、わたくしは」
「あと、それは君には似合わないよ。権力を振りかざし、隠れて誰かを罵り陥れることばかり言う口と頭しかない真っ黒い身体には、同じ黒いドレスがお似合いだろうね」
「……っ」
あまりにもあんまりな言葉に、さすがの彼女も絶句する。静まり返った周囲を他所に、カーライルは自分の方を見ていたマーヤをみて、彼女がいる方へと歩き出した。
手を伸ばせば、簡単に触れ合える距離。
カーライルは黙ったまま、じっとマーヤを見ている。そういえば、このドレスは彼が用意してくれたもので、着たところを見せたのはこれが初めてだったかもしれない。
何度か試着はしたのだが、その時彼は部屋から追い出されていた。
「……マーヤ」
ぞくり、とするほど優しく甘い声で、名を呼ばれた。
戯れに角に触れられ、撫でられたときよりも、頬に熱が集まっていく。
竜にとって角は、とても敏感な場所だ。痛覚らしいものは無いが、触れられるとぞわぞわとした奇妙な感覚が沸き起こる。わき腹を撫でられるような感じ、と言うべきだろうか。
ヒトによっては『くすぐったい』というし、別の誰かは違う感想を口にする。
共通するのは、とても落ち着かなくなるということ。
時に理性すらも焼ききるほどのものを、生み出すことも多々ある場所なのだ。
そこに触れられた時と同じような感覚を呼び起こす声に、マーヤの中はかき乱される。カーライルはそんな彼女を慈しむように見て、マーヤの前にそっと跪いた。
「マーヤ。どうかこの僕と、結婚してください」
かすかに震える彼女の手を取り、そんな願いを口にする。
彼女の答えなど、もうわかっているだろうに。しかし、この場で言うのが重要なのだと、マーヤはちゃんとわかっている。この場に集まった人々に見せつけるのが、重要なのだ。
彼が求め、彼女が答える。
それにより誰も、二人の結婚について文句を口にすることはできない。なぜならば王子が自らマーヤを選んだのだから。かつて、周囲の反対を押し切って、第一王子がそうしたように。
マーヤは軽く息を吸い、しっかりとよく通る声で。
「私でよければ、あなたの傍にいさせてください、ずっと」
答えた。




