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君たちの幸せを願っている

作者: 木蓮

 明後日から冬期休暇に入る学園ではあちこちで生徒たちが集まって話に花を咲かせている。エリンもまたクラブメンバーたちとお茶会を楽しんでいる。


「今年の冬は彼の家で過ごすの。彼の一家は音楽が好きだから、年越しのパーティーに楽団を招くのですって。今から楽しみだわ」

「まあ、素敵ね。私は彼を招いておじいさまの家で過ごすわ。今年は親戚が全員集まるからいつもよりも盛大に祝うのですって。でも、お調子者のいとこたちがはりきり過ぎて何かしでかさないかはらはらするわ」

「ふふ、ゆっくり冬期休暇を楽しむのもにぎやかに過ごすのも素敵ね。エリンはどうするの?」

「私は王都に残るわ。その、久しぶりに会えるから一緒に街を歩こうと思って」

「まあ、素敵。婚約者様と過ごせて良かったわね」


 友人たちの温かいまなざしに最近婚約を結んだエリンは照れくさくなってへらりと笑った。

 エリンはノード男爵家の娘だ。大らかな両親は人懐っこい末娘を無理に貴族令嬢らしくすることもないとのびのびと育てた。エリンもまた今年入学する学園で気のあう人と出会えればいいなぐらいに考えていた。


 そのふわっとした将来はお茶会で出会った令息に一目惚れしたことであっさりと変わった。

 彼はカノン・ハノーヴァー伯爵令息。伯爵家の嫡男でエリンの1つ年下だ。会うたびに趣味の話で盛り上がり仲を深めていった2人はやがて婚約を望み、お互いの両親に願った。

 しかし、親たちは身分の差を理由に婚約を渋った。特に真剣なまなざしをしたハノーヴァー夫人は「伯爵家以上の貴族と下位貴族の生き方はまったく違う。あなたたちにそれを受けいれる覚悟があるのか」と、恋に浮かれて現実を見ていない2人の甘さを容赦なく指摘した。

 今までとはまったく異なる環境に嫁ぐ身のエリンは、重みのある夫人の言葉に自分の至らなさを感じて動揺したが、カノンが熱心に望んでくれたことで勇気をふるいたたせて願った。両親たちは2人の熱意に折れ

 ”2人が伯爵夫人が出す課題をこなし、1年後に婚約を結ぶ決意が変わらなかったから婚約を認める”

 と条件を出した。2人はその条件を受けいれた。そして、お互いを励ましあいながらこの1年間がんばり、両家から認められて婚約を結んだ。

 友人たちにおすすめのデートスポットを聞いていると、席を回っているクラブリーダーのフェリシティ・リース公爵令嬢がやってきた。


「ずいぶん楽しそうね、何のお話をしているの?」

「ごきげんよう、フェリシティ様。エリンが愛する婚約者様と過ごせて幸せいっぱいだからと、この冬の休暇中に王都中のデートスポットを制覇するそうですの。今、皆でその計画を練っているところですわ」

「えっ!? ま、待って、そこまで言っていないわ!」

「まあっ、楽しそうでいいわね。私にも聞かせてちょうだい」


 フェリシティは年ごろの少女らしく瞳をキラキラと輝かせて席に着き、聞き上手な彼女に一層テンションが上がった友人たちもおすすめスポットを熱く語りはじめる。エリンも友人たちにむちゃくちゃな計画を立てられつつあるのを忘れてついつい聞き入る。

 入学してからエリンは学園の授業に加えて、夫人から課題として出される礼儀作法や知識を覚えるのに必死にがんばったが根を詰めすぎて疲れがたまり、ある時学園内で倒れた。

 その時に助けてくれたのが王太子の婚約者フェリシティだった。彼女はもう限界だと泣くエリンを心配して事情を聞き出し「私の知る人も1人で焦って自分を追い詰めてしまった。1つ1つ確実に覚えていけばいつか自然とできるようになる」と励ましてくれた。

 そして、自分が立ち上げたクラブに誘って自らお手本となって様々なことを教えてくれた。おかげでエリンはこの1年間でこつこつと確実に身につけていき、今ではこうして友人たちと学園生活を楽しめるぐらい心のゆとりももてるようになった。


「やあ、フェリ。ここにいたんだね。私も混ぜてくれないかい?」


 王太子シリウスがやって来るとさっきまで淑女に許されるぎりぎりの範囲で猛烈なアピールをしていた友人たちはさっと淑女の仮面を被った。笑いがとまらないエリンも少し遅れて慌てて口をつぐんだ。


「あら、ごきげんようシリウス殿下。あいにくですけれど、女性たちの話で楽しんでいますの。殿下も自分のご友人のところに行ってくださいまし」


 フットワークの軽いシリウスはこのくだけた雰囲気のクラブ活動を面白がってちょくちょく参加している。婚約者のフェリシティはこれでは息抜きにならないとうっとおしがっているが、中心メンバーたちが目の保養になると喜ぶのでしぶしぶ受け入れている。エリンたち新入生にとっても気さくに話しかけてくれる優しい先輩だ。

 良いところに水をさされて不機嫌になったフェリシティはうっとおしそうに追い払う。婚約者に邪険に扱われてシリウスは寂しげに形の良い眉を下げた。


「そんな冷たいことを言わないでくれ。今日の私は遠い国からやって来た冬の妖精になって皆にプレゼントを配っているんだ。可憐なご令嬢たち、どうか私からのプレゼントを受け取ってくれないかな?」

「はあ、それならしょうがないですわね。そちらにどうぞ」


 麗しの王子様の甘い微笑みに友人たちが頬をぽっと赤く染めてうなずき、うっかり目があってしまい固まったエリンも慌ててうなずく。ちゃめっ気たっぷりに振るまう王太子に根負けしたのか、フェリシティはしぶしぶ席をすすめた。

 満面の笑みを浮かべたシリウスは「美しい婚約者殿に日頃の感謝をこめて」とフェリシティにうやうやしく小箱を渡した。全員が見つめる中で箱を開けると中にはチョコレートが入っていた。

 一流の職人たちの手によって形作られ繊細な飾りをほどこされたきらびやかな宝飾品のようなチョコレートにうっとりとため息がもれる。


「そのチョコレート……。もしかして、去年の殿下の誕生祭でふるまわれた……」


 見覚えのある美しさにエリンが思わず言葉をもらすとシリウスが顔を向ける。


「エリン嬢はよく覚えているね。そうだよ、去年の私の誕生日に城のパティシエたちが作ったチョコレートだ。もしかして、気に入っていたのかな?」

「はい。このチョコレートは私と婚約者様との縁をつないでくれた宝物です」


 1年前のパーティーでエリンはカノンと出会い、生まれて初めて目にしたチョコレートを2人で楽しんだ。今でも思い出すと舌と心が甘くなる。


「そうだったのだね。これは私が好きで作らせたんだ。喜んでもらえてよかったよ」

「まあ、そうだったのですね。そんな特別なお菓子をいただけて感謝いたします」


 まさかきらびやかな貴族たちに気圧されて隅に逃げこんだところを同じく避難して来ていた令息と気が合って珍しいスイーツを楽しんでいました、なんて言えず。内心冷や汗をだらだら流しながらも1年間猛特訓した淑女の笑みを浮かべて礼を述べると、微笑んだシリウスがエリンの元へやって来て銀の小箱を差し出した。


「君たちの幸せのきっかけになれたなんてうれしいよ。婚約おめでとう、エリン嬢。お幸せに」


 シリウスの王族特有のロイヤルブルーの瞳にまっすぐに見つめられて、エリンはふと今自分はこの国で一番尊い方の前で1人の貴族令嬢として立っているのだと思った。

 1年前のエリンは高位貴族たちの幼い頃から努力し磨きぬいた優美な振る舞いを目にし、堅苦しいことから逃げてのびのびと生きてきた自分の粗雑さが恥ずかしくてたまらなくなった。そして、今さら必死に努力してもできない悔しさと将来への不安に涙した。

 こうしてシリウスに声をかけられた時も、何もかもが完璧で美しい王太子に無作法な自分を見られる恥ずかしさと慣れない高位貴族とのやりとりへの緊張で縮こまってしまい「もっと気楽にしてくれ」と苦笑いされていた。今思うととんだ無礼をしてしまったと頭が痛い。

 それでもシリウスは安心させるようにいつも笑顔で話しかけてくれ、いつしか自然に振るまえるようになった。


(私、とても幸せ者だわ)


 これがいつかフェリシティが言っていたとおり”身についた”ということなのだろうか。

 そうならば。自分を支えてくれる友だちと家族、丁寧に教えてくれたハノーヴァー伯爵家の人たち。

 そして、落ちこむ自分を励まし成長を一緒に喜んでくれたカノン、淑女の手本として教え導いてくれたフェリシティ、いつも温かい言葉をかけてくれたシリウス。

 エリンを慈しんでくれた皆のおかげだ。


「ありがとうございます、シリウス王太子殿下。殿下の温かな祝福のお言葉とこの素晴らしい贈り物をいただけたこと、一生の宝物にいたします」


 シリウスの真心のこもった言葉にさまざまな喜びがこみ上げてきて、エリンもまた心から笑って感謝の言葉をのべた。彼は景色をそのまま映し出す水面のような透きとおったロイヤルブルーでエリンをじっと見つめるときれいな笑みを浮かべた。


「そんなに喜んでもらえるとうれしいよ。それに、このチョコレートが幸せな婚約のきっかけになったと評判になれば、皆がそれにあやかっていろいろなチョコレートを作るかもしれないしね。私の楽しみが増えたよ」


 ちゃめっ気たっぷりに片目をつぶってみせた彼は隣の友人に箱を差し出す。全員に配り終えると「では、楽しい時間を」と軽やかに去って行った。そんなシリウスの背中を見つめていたフェリシティもにっこり笑って立ち上がる。


「私もそろそろ行くわ。皆、楽しい話をありがとう。エリン、休み明けにはハノーヴァー様とのデートの話を聞かせてね」


 いたずらっぽく付け加えたフェリシティに友人たちは「もちろんですわ!」と力強くうなずき、エリンは被っていた淑女の仮面を投げ飛ばして「そんなあ」と小さく悲鳴を上げた。しかし、気合いの入った笑顔を浮かべた友人たちに喝を入れられてにぎやかな輪に加わった。


*****


「シース、気は済んだの?」

「……ああ、やっと諦めがついたよ。聞いてはいたけれど失恋とは苦しいものだね」

「それはしょうがないわね。私は絶対に叶わないと忠告してあげたのにあきらめなかったのだから」

「ぐっ。そ、それはそうだけれど。フェリ、冷たくないか?」

「かわいい後輩の婚約に横やりを入れようとした悪い王子様にかける慰めの言葉は持っていないわ。こうして愚痴を聞いてあげるだけありがたいと思いなさいな」


 幼い頃からの付き合いの婚約者に容赦なくダメ出しされてシリウスはがっくりとうなだれた。人払いをしたバルコニーに吹きこむ冷たい風も傷ついた心をひりつかせる。

 この恋は最初から叶わないものだった。でも、誰よりも自分のことをわかっているフェリシティに忠告されてもどうしてもあきらめきれなかった。


 シリウスが1学年下のエリンと出会ったのはフェリシティが作ったクラブに遊びに行った時だった。

 クラブは最初はフェリシティの友人たちが集まるお喋りの場になっていたが、だんだんとメンバーが招待した生徒たちが加わり、今ではさまざまな生徒たちが集まって思い思いの創作活動を楽しんでいる。

 優等生のフェリシティはときどき生徒たちに授業をしていて、その日はお茶会のマナーを教えていた。

 皆が未来の王太子妃じきじきの授業に真剣に取りくんでいたが、特に新顔のエリンはフェリシティの動きを1つも見過ごすまいと大きな瞳でじっと見つめ、ぎこちないながらも丁寧にまねていた。

 その熱心さに感心してそっと眺めているとフェリシティがエリンに声をかけた。すると、エリンは固く閉じていたつぼみがほころぶような可憐な笑顔を浮かべた。


 シリウスはその純粋な喜びを形にしたような笑顔に心がときめいた。そして、授業が終わった時を見はからって声をかけた。

 一緒にいた令嬢たちは自分に声をかけられた少女たちの大半がするように顔を赤らめてとびきりの笑みを向けたが。エリンだけはぎこちない笑みを浮かべていて、優しく声をかけてもむしろ怯えたように硬くなっていく。

 内心がっかりしながらもその場は下がり後にフェリシティにエリンのことを尋ねると、彼女は嫌な顔をしながらも教えてくれた。


「エリン・ノード男爵令嬢よ。1年後に仲むつまじい上位貴族の令息と婚約を結ぶ予定なの。でも、彼女が受けてきた男爵家の教育ではその家が求める基準には足りない。だから、私が令嬢教育の先輩として希望する他の子と一緒に彼女が必要としていることを教えているのよ」

「そうだったのか。フェリは教え上手だから皆うれしいだろうね。それにしても、ノード嬢は一際熱心だったね。ぜひ話をしてみたいな」


 ますます興味を持つとフェリシティは鋭い視線を向けた。


「シース、あなたに悪気はないことはわかっているけれど、念のために言わせて。

 エリンは今、婚約相手の家が求める振る舞いを身につけようと必死でがんばっている。昔、あなたと私が先生たちに厳しく叱られてくじけそうになりながらもお互いに励ましあって、こうして王太子と王太子妃の振るまいを身につけたようにね。

 ただでさえ学園の勉強に加えて高度な教育を身につけるために限界まで気を張っているのに、彼女にとっては恐れ多い存在の王太子殿下にまで気をつかう余裕はないの。あなたもエリンの幸せを願うのならばそっと見守ってあげてちょうだい」

「…………すまなかった、気をつけるよ」


 暗に「ただの気まぐれで気をはりつめている令嬢にちょっかいを出すな」と責められてシリウスは素直に謝った。しかし、険しい顔をしたフェリシティは「万が一にでもエリンの邪魔をしたら許さないわよ」と念押ししてくる。

 たった1度会ってちょっと興味をもっただけなのに邪魔者扱いされることにさすがにむっとしたが、本気で脅しの言葉を口にしている婚約者を刺激したら、かわいい後輩を守るために自分も楽しんでいるクラブを出禁にされそうだ。

 シリウスは内心の不満を呑み込んで我が子を守る母親のようにピリピリするフェリシティと粘り強く話しあい、フェリシティが一緒に参加すること、1人だけを特別扱いしているように思われないように皆に平等に接することを条件にクラブ活動を続けることを許された。


 ――今思えば、フェリシティは叶わぬ恋に焦がれる自分を心配して忠告してくれていたのだ。


*****


 それからシリウスは今まで通りちょくちょくクラブを訪れ、フェリシティや他の令嬢たちに話しかけるついでという風をよそおってエリンにも話しかけた。

 エリンは最初は怯えて小さく返事をするだけだったが、話しかけているうちに短い話をするようになった。時折、笑顔を見せるエリンに徐々に心を開いてくれるのを感じてシリウスはうれしくなった。

 しかし、フェリシティが目を光らせている前では個人的な話ができるわけもなく。お喋りを楽しむ先輩と後輩という傍目には親しいがシリウスにとっては遠い距離感がつづいていく。


 そんなある日、クラブを訪れると珍しくフェリシティが留守にしていた。

 どうやら急用で少しの間外しているらしい。これ幸いとメンバーたちに声をかけつつエリンのところに行くと、彼女は友人たちと楽しそうにお喋りをしながらハンカチに刺繍をしていた。

 声をかけると友人たちは喜んで見せてくれたが、エリンは慌てて「とてもお見せできる物ではないので」と隠してしまった。しかし、隣の友人に「自信作じゃない」とつつかれて恥ずかしそうに見せる。

 友人が言った通り、贈る相手らしいイニシャルの刺繍が銀糸で丁寧に縫いとられている。受け取る相手も自分の名前がこんなに美しく描かれたハンカチをもらえればさぞうれしいだろう。シリウスが素直に感心するとエリンもはにかんだ笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。普段から持ち歩きたい物と言われたのでついあれこれと手を加えたくなってしまって。殿下にもそう言っていただけて自信がつきました」

「こんなに心のこもった贈り物をもらえるなんて幸せ者だね。エリン嬢の大切な人なのかい?」


 シリウスがつい気になって尋ねるとエリンは困ったような顔をし、にこにこ笑った友人が口を挟む。


「ふふふっ、エリンの恋人ですわ」

「こ、恋人って……」

「もう、エリンったら恥ずかしがり屋なんだから。その気に入っているリボンだって愛しの彼からのプレゼントなんでしょう。彼の色を贈られるなんて愛されているじゃない」


 婚約を約束している仲むつまじい令息がいることは知っていたが。友人にからかわれて耳まで真っ赤になって恥じらうエリンにその存在をはっきりと見せつけられて、彼女のかわいらしい笑顔を見られて幸せだったシリウスの心は凍てつき、つづいて猛烈な怒りがこみ上げてきた。


(何であの少年が良いんだ……)


 シリウスはひそかにエリンの相手について調べ、2つ年下のハノーヴァー伯爵家の嫡男カノンの存在を知った。

 カノンは銀の髪をした愛らしい少年で聞いた話では優しく真面目な性格らしい。しかし、貴族として見れば目立つ能力も功績もない地味な令息だ。シリウスも伯爵家の嫡男だからと顔を覚えているぐらいだった。


 エリンは陽ざしをあびてぐんぐんと伸びる若葉のように、日々フェリシティの厳しい教えを吸収して成長していっている。

 彼女をずっと見てきたシリウスにはその姿が、かつて内心はどんなに辛くても表向きは凛とした顔で王太子妃の教育を身につけていったフェリシティと重なり、エリンのまっすぐで強い心に心惹かれた。

 そして、いつしか会うたびに貴族令嬢として磨かれてきれいになっていくエリンを心から愛おしくなり、その努力が正しく報われるように手助けしたいと思うようになった。

 それだけに、同じぐらいただ恋という一時の夢幻でエリンの心を手にしてのうのうとつなぎとめている、ただ運が良かっただけの少年に苛立ちが募っていく。

 ――エリンには彼女を大事にし、いつも笑っていられるような幸せを与えられる存在がふさわしいのに、と。


*****


 胸に渦巻く激情を悟られないようにいつもの微笑みをはりつけて「がんばってね」と2人に声をかけると、シリウスはメンバーに声をかけ「フェリには来たことを内緒にしてくれ」と言い残して外に出た。

 そのまま心を落ちつかせようと歩いていると運悪くフェリシティに出くわしてしまった。彼女はシリウスの顔を見るとかすかに眉をひそめたがすぐに微笑みを浮かべ、王族専用のサロンでお茶をしようと誘った。

 メイドたちを下がらせて2人きりになるとフェリシティは手ずから紅茶を淹れてシリウスに渡した。自分好みのお茶を一口飲むとようやくざわめく心が落ち着く。それを見たフェリシティは口を開いた。


「それで、何をそんなに怒っているの?」

「別に。大したことじゃない」

「エリンが手がけているハンカチならハノーヴァー様にさしあげるものよ。彼から贈られたリボンのお礼だそうよ。あの2人は本当に仲が良いわ」


 幼い頃からの付き合いの婚約者がすべてを見透かした上にカノンを褒めることに、シリウスは荒れ狂う心をおさえていた殻が割れるのを感じた。自分でも驚くぐらいに冷ややかな声が出る。


「カノン・ハノーヴァー伯爵令息はエリン嬢と婚約を希望している相手だったね。でも、2人はまだ正式に婚約をしているわけではないんだろう」

「今はそうね。でも、来年の彼の入学にあわせて婚約を結ぶつもりだそうよ」

「確かに、このまま昔の約束を守って婚約することも選択肢の1つだと思うよ。でも、私はエリン嬢だったらもっと良い選択肢もあると思う」

「良い選択肢って?」


 静かにこちらを見つめるフェリシティに、シリウスはそのエリンを囲いこむ強固な壁を壊すべくまっすぐに見返した。


「私が以前から身分問わず才能ある人材に活躍の場を与えたいと考えているのは知っているだろう。エリン嬢はその条件にぴったりなんだ。ずっと見守っていたが彼女は信頼できる人物だし、学園や君の教えを身につけていっている優秀な令嬢だ。まさに私の理想とする人物だと言い切れるぐらいにね。

 ……だから、ゆくゆくはエリン嬢を私の側近にむかえたい」


(そうだ、僕だったらエリン嬢を幸せにできる)


 初めて心に秘めていた望みを口にしてかっと熱くなる。その湧きたつ熱に浮かされて、シリウスは表情を消して聞き入るフェリシティにありったけの想いをぶつけた。


「もちろん彼女が性別や身分を理由に不当な扱いを受けないように私が後ろ盾になるし、彼女の希望もきちんと聞いてできうる限り叶える。僕も君と同じくエリン嬢の成長を見守ってきた。だから、彼女にはその努力と身につけたものに見あう幸せを掴んでほしいんだ」


 フェリシティはシリウスの意見を呑み込むように一度きゅっと目をつぶり、口を開いた。


「そうね、あなたの考えはわかったわ。私と同じぐらいエリンの幸せを願っていることも。

 ……その上で私は反対するわ。エリンはカノン・ハノーヴァー様の婚約者になることが彼女の望み。私もその努力が叶うように手助けするわ」


 予想はしていたが、誰よりも信頼するフェリシティに拒絶されてシリウスは歯がみした。

 それでもエリンを側近にするには王太子妃の彼女の協力も必要だ。何とか説得を試みる。


「フェリ、想いあう2人を応援したくなる気持ちはわかる。でも、私たちは貴族だ。優れた素質があるのならばそれを役立てて家と領地を富ませるのも私たち貴族の義務だ。

 君には悪いが、噂を聞く限りハノーヴァー伯爵令息はエリン嬢の相手にはふさわしいとはとても思えない」


 無意識に漏れ出した憎しみを打ち消すようにフェリシティは穏やかだがはっきりとした声で告げた。


「いいえ。それは違うわ、シース。

 エリンが努力しているのは愛するハノーヴァー様と一緒に生きたいから。そして、ハノーヴァー様もまたエリンを愛し、彼女の心に寄りそっている。

 今、私とあなたが目にしているエリン・ノード男爵令嬢はカノン・ハノーヴァー伯爵令息と2人で作りあげた姿。そして、エリンの本当の幸せ(笑顔)も愛する彼がいるから生まれるのよ」


 声は優しいのにどこか寂しげに微笑んだフェリシティは角砂糖をとって紅茶に入れた。

 透きとおった紅茶にさらさらと溶けていく砂糖にシリウスはなぜか銀の刺繍のハンカチを大事に手に持つエリンを思い出した。


 ――ありがとうございます。ついあれこれと手を加えたくなってしまって。


 つい先ほど目にした時にはあんなに心ときめいたエリンのまぶしい笑顔が今はなぜかシリウスの心をぎりぎりとしめつける。その苦しみを吐き出すようにシリウスは口を開いた。


「そうか、君の考えは良くわかったよ。どうやら私たちは意見があわないようだね」


 シリウスは立ちはだかるフェリシティをにらみつけた。


「だったら、エリン嬢に提案して決めてもらおう。君も彼女自身が決めたことならば良いのだろう?」

「……ええ、いいわ。ただ、1つお願い」


 シリウスがうなずくとフェリシティは物憂げに口を開いた。


「もうじき開かれる学園祭にはハノーヴァー様が来るわ。だから、エリンにその提案をする前に2人に会ってちょうだい」

「わかった」


 フェリシティがまだカノンの肩を持つことは腹立たしいが話でしか知らない彼を知りたい。うなずいたシリウスは先ほど見たエリンの心からの笑顔を思い浮かべた。

 ――いずれこの国の頂点に立つ王太子の自分ならば、ただの伯爵令息のカノン・ハノーヴァーよりももっとたくさんの幸せを与えられる。そうしたら、彼女はきっと――。

 なぜか痛む心をなだめるようにシリウスは自分に強く言い聞かせた。


*****


「エリン、この発注書の確認お願い」

「それは私がやっておくよ。ローラ嬢に手を貸してあげて」

「ありがとうございます、殿下!」


 ぺこりと頭を下げるとエリンは大慌てで自分に助けを求める友人のところに走って行った。

 フェリシティのクラブは学園祭に出す展示会の準備に追われている。リーダーのフェリシティが全体の指揮をとり、シリウスと中心メンバーたちが担当エリアのメンバーたちに指示を出している。

 シリウスはエリンを部下に指名した。明るい性格のエリンは率先してテキパキと動き回り周りからの信頼を得ている。まさに頼もしい右腕だ。活き活きと働くエリンの姿にシリウスは学園祭が終わったら彼女を側近に迎えようとひそかに決意を固めた。


 学園祭当日。朝からそわそわしているエリンが気になって友人に尋ねると「久しぶりに恋人と会えるのが楽しみでしかたないですわ」とほほえましげに教えてくれた。シリウスはその名前に苦いものがこみ上げてきたが、フェリシティとの約束どおり本人を見極めてやろうと気を取り直した。

 エリンに連れられて挨拶にやって来たカノン・ハノーヴァー伯爵令息は噂通り普通の少年だった。

 念のために親しみをよそおって探りを入れるも、あからさまに緊張しているのが丸わかりで、会話もあたりさわりのないものばかり。シリウスは思っていたよりもずっと平凡なカノンに失望した。


 しかし、フェリシティはカノンの緊張をほぐすように優しく話しかけ、他のメンバーもカノンを微笑まし気に見守る。フェリシティに「エリンから良く話を聞いているわ」と言われるとカノンはにこりと笑い、エリンもうれしそうに笑う。

 そのカノンを見つめる優しい笑顔にシリウスはなぜかまた心がじくじくと心が痛みだすのを感じた。

 やがて話が終わるとエリンはカノンと一緒にクラブを出て行った。おそらく2人で校内をまわるのだろう。その仲むつまじい姿に痛みが増していく。


 エリンがカノンに向ける笑顔は自分にむけるものとは違う熱のこもったもので、彼女が彼をどう思っているのか一目でわかる。つまらない男のくせに誰からも好かれるエリンの心をとらえて離さないカノンへの苛立ちがつのり、近くにいた生徒に適当な言い訳をして2人の後を追う。

 学園を初めて訪れるカノンはいかにも物珍し気な様子であちこちを見回してはエリンに話しかけ、エリンはそんな彼に楽しそうに寄り添っている。その満ち足りた表情にシリウスは深い傷の出血が止まらないように心が激しく痛むのを感じた。


(何でそんなにあの少年が良いんだ……)


 痛みに苛まれながらもそれでもシリウスは2人を追いかけた。

 2人はひとしきり見てまわると人気のない裏庭のガゼボに向かった。少し遅れてそっと近づくと2人は寄り添って座っていた。その親密な空気に「ここにいてはいけない」と本能が訴えるが、2人に集中していた耳は容赦なく声を拾い上げる。


「すごい盛り上がりだったね。エリィはどれが気に入った?」

「ぜんぶ楽しかったけれど、あのお土産を買ったお店、他の物もおいしそうだったわ。ね、あとでまた見に行ってもいい?」

「うん、いいよ。エリィはまたきれいになったけれどそういうところは変わらないなあ」

「き、きれいって。カーンにはそう見える?」

「うん、王太子殿下と王太子妃殿下に挨拶した時のエリィはすごく堂々としていてかっこよかった。夜会に参加しているご令嬢かと思った」

「えへへ、そう言ってくれるとうれしいな。私のマナーが良くなったのは先生たちと学園の皆が助けてくれたおかげよ。それにね」


 エリンは今日もつけている銀のリボンにそっと触れた。


「あなたにもらったこのリボンのおかげで『カーンも一緒にがんばっている』っていつもがんばれるんだ。私がこうやって成長できたのはカーンがいつも応援してくれるおかげだよ」


 エリンの愛のこもった声にシリウスの心の中で何かが壊れた。

 ――エリンはカノン・ハノーヴァー様の婚約者になることが彼女の望み。エリンの幸せは彼がいるからこそ生まれるのよ。

 今まで自分を守るためについていた嘘がバラバラになって剥がれ落ち、いつかのフェリシティの言葉が響き渡る。


(そんなこととっくにわかっていたさ……)


 ――本当はとっくに気づいていた。自分はエリンに恋をしていて傍にいてほしいのだと。

 けれども、王太子である自分が望めば男爵令嬢のエリンは本心をねじ曲げて従わざるをえない。そうすれば、エリンの笑顔()は永遠に失われてしまうだろう。

 シリウスの恋は決して叶わない。だから、これ以上エリンへの想いが膨れあがって手に負えなくなるうちにあきらめなければいけない。頭ではそうわかっていても心は嫌だと泣き叫びつづけていて、その苦しみから逃れるために”王太子の自分が男爵令嬢のエリンの努力に報いることが彼女の幸せを叶える”と思いこんで現実から逃げていた。


(……フェリの言う通り、エリンはカノン殿といるのが幸せなんだな)


 エリンの幸せな笑顔とカノンへの愛の言葉に、エリンへの想いで満たされていたシリウスの心はからっぽになっていく。にじむ視界の中でエリンとカノンが笑いあっている姿が見え、そのまぶしさにこらえきれなくなったシリウスは2人に背を向けて歩き出した。


*****


「シース」

「……フェリ」


 人のいない裏庭をぼうっと歩いているとフェリシティがやって来て、シリウスの顔を見るとくしゃりと顔を歪めた。淑女の仮面を被る前、無邪気に遊んでいた幼い頃の表情になぜか無性に安心する。


「探していたのよ。さあ、行くわよ」


 どこか怒ったようなフェリシティに連れられて大人しく王族専用のサロンに向かう。フェリシティは2人きりになるとシリウスの好きな紅茶を淹れた。その優しい味に心がほんのりと温まる。


「その様子だときっぱりとふられたのね」

「……ああ。君の言う通りだったよ。エリン嬢はハノーヴァー殿が好きで彼といることが幸せなんだね」

「そうね。……まあ、最初から勝ち目はなかったのによくがんばったとは思うわ」


 フェリシティの皮肉混じりの褒め言葉にシリウスは苦笑した。誰よりも身近な存在の彼女はいつだってシリウスのことをよく見ていて、まっすぐな言葉をぶつけてくる。だから、シリウスも思っていることを尋ねた。


「もしもだけれど。僕が王太子ではなかったらエリン嬢は僕を選んでくれたかな」

「そうかもしれないわね。まあ、ハノーヴァー様はいつもエリンを愛しているとそれは熱心に伝えているから、彼を上回るぐらいにアピールしないと気づかれもしないだろうけれど」

「ははは、辛辣だね」


 カノンはエリン(愛する少女)を見つめてまっすぐな言葉をかけている。きっとその優しさがエリンの心を満たし、辛いことがあってもひたむきに努力を続けようという励みになっているのだろう。

 周りに本心を悟られないようにとり繕っている自分にはできないことだ。その心のままに振るまえる姿がうらやましく、同時に自分には決してできないと痛感する。


(僕はエリン嬢の表面しか見ていなかったんだな……)


 シリウスが恋したのは努力して作り上げたエリン・ノード男爵令嬢の姿。カノンが愛しているのは心からの笑顔を見せあえるエリンという1人の少女。

 ――そして、エリンは「一緒にがんばろう」と手をさしのべるカノンと生きることを望んでいる。

 恋心が抜け落ちて胸にぽっかりと開いた穴が痛んだシリウスがうつむくと、フェリシティは手を伸ばしてミルクの入ったポットを引き寄せて紅茶にミルクを入れた。そして、淡々と話しだす。


「シース、いずれ貴族たちの頂点に立つ私たちは本心のままに振るまうことはできないわ。特定の個人への好意や嫌悪をあらわすこともね」


 そして、スプーンでぐるりと紅茶をかき混ぜ、透きとおった赤とミルクの白を合わせてとまろやかな茶白色に変えていく。


「けれでも、皆と同じ学生という仮面を被っている今は、いつもよりも少しだけ自分の心に素直でいられるわ。私がクラブでは普通の令嬢のように過ごしているようにね。

 だから、あなたにもそうしてほしいと思っている。私のクラブはそのために作ったのだから」

「またクラブに行ってもいいと?」

「ええ、私は気に入らないけれど皆、あなたが来ると喜ぶし。それに、後輩たちにとっては優しくて頼もしい先輩がいるとやる気が出るみたいよ。

『殿下がいつも温かい言葉をかけてくれるので、とてもうれしいし励みになる』とね。

 ……まあ、見目麗しい王太子殿下様は貴族たちの憧れの存在だそうだし、がんばっている誰かのお手本になるのも”幸せ”の手助けになるじゃない」


 フェリシティの言葉にシリウスは目頭に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。


「そうか、僕にもできることがあるんだね」


 王太子のシリウスはエリンにこの想いを伝えることはできない。けれども、彼女の夢を叶える応援はできる。

 エリンの幸せな笑顔が思い浮かんで目から涙があふれる。フェリシティは呆れたような優しい笑みを浮かべた。


「そうよ。あなただからできることもね」


*****


 それからもシリウスはクラブに参加しつづけた。

 フェリシティのおかげでシリウスも少しだけ力を抜いて振るまえるようになり、メンバーたちには「殿下は意外と天然で面白い方なのですね」と褒めているのか呆れているのか微妙な評価をされている。けれども、その分メンバーと素で話しあえるようになってクラブ活動がもっと楽しくなった。

 にぎやかな日々はあっという間に過ぎ、気づけば学園は冬期休暇をむかえた。


「ねえ、シース。去年、あなたの誕生祭でチョコレートを出したでしょう。クラブの子たちへのプレゼントに用意できないかしら?」


 クラブメンバーたちをねぎらおうとサプライズプレゼントを用意していたフェリシティに頼まれてシリウスは快く引き受けた。

 ――そして、皆の喜ぶ顔を楽しみに配ってまわり、エリンの心からの笑顔(自分へのプレゼント)を得た。


「フェリは昔からエリン嬢とハノーヴァー殿のことを知っていたんだね」

「ええ。2人で子どもみたいに夢中でチョコレートを食べていたわ。すごく楽しそうだったから印象に残っていたのよ。……ふふっ、あの無邪気な子たちが1年でずいぶんと成長したわね」


 フェリシティは我が子を見守る母親のような笑みを浮かべた。その優しい顔に幼い頃の面影を見つけてふと懐かしい思い出がよみがえる。

 王家でただ1人の男子のシリウスは王太子になることが決まっていて、周りからの期待を重荷に感じていた。その重みに気づいて分かち合ってくれたのがフェリシティだった。

 優しいリース公爵家の人々の愛情をたっぷりとそそがれて育ったフェリシティは明るく前向きな少女で、シリウスが落ち込んでいるとすぐに気づいて助け起こしてくれた。

 ある日、シリウスは父にもらった隣国から取り寄せたという珍しいチョコレートを「一緒に食べよう」とお茶会に出した。食べたフェリシティは目を丸くしにっこりと笑った。


「わあ、おいしい。ありがとう、シース」


 フェリシティの喜ぶのがうれしくてシリウスも笑った。


「喜んでくれてよかった。父上が隣国から取り寄せたんだって」

「隣国にはこんなにおいしいものがあるのね。いつか行ってみたいな」

「フェリがそう言うなら父上に頼んでみるよ。そして、技術を持ち帰ってチョコレートがこの国でも作れるようにがんばるよ」

「ふふ、そうね。一緒にがんばりましょう」


 その後、2人は周りの協力をとりつけて安定して原材料を仕入れられるようにし、チョコレートの開発に取り組んでいる。

 このできごとは「自分がつまづいても手をさしのべてくれる仲間(フェリシティ)がいる」とシリウスを安心させてくれた。そして、好きな人と喜びを分かち合えることはとても幸せなのだと知った。


(そうか、幸せはいろいろな形で作れるものなんだ)


 ――自分はこの国を背負う王太子として人々に”幸せ”が生まれるようにがんばろう。そして、何よりもいつも傍にいて想いを分かち合ってくれるフェリシティを大切にして、彼女が笑顔になれるようにしよう。


「フェリ、いつも僕を助けてくれてありがとう」

「あら、どうしたの急に」

「うん、カノン殿を見ていたらさ、大切な人にきちんと言葉で伝えるのは素敵(幸せ)なことだなって思ったんだ」


 フェリシティはにっこりと笑った。その美しい笑顔は見慣れているはずなのになぜかまぶしくて心がどきりとする。


「ふふ、シースもいつの間にか成長したのね。何だかいつもよりもかっこよく見えるわ」


 シリウスもまたフェリシティに笑いかけた。


「それはきっと君たちのおかげで幸せを知ったからだよ」


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