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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
7/11

ささやかな誕生日(1)

 五月も下旬に差し掛かった平日、柴原と青木智実はJR琴似駅近くのびっくりドンキーで夕食を楽しんでいた。

 二人とも揃ってレギュラーバーグディッシュの百五十グラムを頼んだ。

 昔から柴原は、これがいちばん美味しいと思っていた。チーズが乗っかったものや、目玉焼きが乗っかったものも頼んだことはあったが、それはそれで美味しいものの、何だか蛇足のような気がした。ハンバーグ本来の味を楽しみたいと思ったのだ。

 青木と知り合って半年になろうとしていた。正式な交際が始まったのは確か三月中頃だから、ちょうど二ヶ月を終えようとしたくらいである。

 告白してきた青木のどもり具合が面白くて、ついつい笑ってしまったのを覚えていた。


「ご馳走さまでした」


 会計は青木が払った。

 柴原は気乗りしなかったが、「こういう時は男の僕が出さないと」と譲らないので、やむなく従った。毎度おなじみの光景だった。休職中の柴原のことを、少し気遣ってくれているのかもしれない。お金のことなら心配要らないのに。

 夜風がハンバーグで火照った身体を冷ましてくれた。仕事帰りの青木は濃紺の背広を、ちょっとした夕食と言えどデートの日だからと、柴原は茶色のブラウスに白いパンツで春のコーデをしていた。あまりオシャレというものに興味のない柴原にとって、精一杯の服装だった。


「ちょっと、ゲオに寄ってもいいかな? 観たい映画のレンタルが始まったはずなんだ」


「うん、いいよ」


 青木の提案に頷く。二人はそのまま駅前を通り過ぎ、ゲオへと向かった。

(レンタルビデオ店なんて言い方はもう古くなったのかしら。今はレンタルDVDだとか、レンタルブルーレイだとか、そんな呼び方が正しいのかな……)

 柴原はぼんやりと思った。

 VHSが廃れてずいぶんと時間が経った。昔は当たり前だった大きくて黒いビデオテープが、薄く平べったい円盤に変わった時、まだ中学に上がったくらいだった柴原は違和感を覚えると同時に、少しの力を加えると簡単に割れてしまうのではないかと恐れたものだった。

 映画鑑賞が趣味だった父はソニーのβビデオデッキも持っており、一回り小さなビデオテープは小学生の頃、友人に珍しがられた。

 そんなDVDがあっという間に普及して、今や全世界で共通の規格になっている。今はブルーレイなんていう、もっと綺麗で鮮明な画質のディスクも出ている。次はどんなものになるんだろうと柴原は想像を膨らませた。

 新作映画のコーナーを見た青木は、残念そうに首を振った。どうやら、全て貸し出し中のようだ。話題の新作映画なんて、たかが一泊二日や二泊三日しか借りられないのに、どうしてみんな飛びつくのかしらと、不思議でならなかった。

 もう少し待てば地上波で放送されるかもしれないし、旧作として安く一週間借りることだってできる。

 話題作りのために、お金と時間を無駄遣いしている気がした。柴原は地上波で放送されたものを録画すればいいと思っていたし、映画館に通う習慣もなかった。父の影響はあまり受けなかったようだ。


「さあ、帰ろうか」


 時刻は二十時を少し回っている。左腕に着けたSEIKOの腕時計を見やり、青木が促した。

 柴原は、ここにはゲームソフトもあるのかしら……と思った。


「ちょっと見ていきたいものがあるの。いいかしら?」


「うん? いいよ。見てみようか」


 青木が快諾してくれたので、柴原は店内の案内表示板を頼りにゲームコーナーへ向かった。

 Xbox、ニンテンドースイッチ。名前は聞いたことがあるが、現物は見たことも触ったこともないようなゲーム機がずらりとガラスケースに並び、どれも法外な値段で売られていた。

(私が知らないだけで、ゲーム機というのはこういう値段なのかもしれないわ。それにしてもゲームをするために、三万も四万も出すのかしら。これに数千円のゲームソフトを買うなんて、世の中のゲーム好きはどうかしてるわ)

 柴原は無言で呆れた。


「ゲームなんてするんだ?」


 背後から青木の声が聞こえた。


「いいえ……」


 お兄ちゃんがやっていたの。胸の中で柴原は続けた。

 小学五年生で死んだ兄の話は、まだ青木にしていなかった。

 お涙頂戴みたいな展開になる気がして嫌だったのと、どうしても柴原にとって青木は死んだ兄のような存在に思えて、話した途端に青木は兄ではなくなり、兄の存在そのものが記憶から抹消されてしまうのではないかと思っていた。


「ふうん。お、これは新作だね。ドラゴンクエストⅪ。知ってる?」


 遠い昔に兄が遊んでいたゲームだ。今でもテレビでCMがよく流れている。兄が生きていた頃は、ドラクエを解くために兄妹揃って考え込んだものだった。

 他に柴原が知っているのはスーパーマリオと、ぷよぷよと、テトリスと、ピカチュウが出てくるポケモンが思い付く程度だった。

 青木はゲームをするんだろうか。繁々とソフト売り場を眺める横顔を見る。


「智ちゃんは、ゲームするの?」


「智ちゃんはやめろって……。僕は、ゲームはもう卒業したかな。高校を出たくらいから、あんまり興味がなくなった」


「あはは。ごめん。そうなのね」


 彼は智実という名が気に入っていないようだった。

 なんでも青木の両親は、彼が生まれる直前まで女の子だと確信を持っていたらしく、最初は智美と名付けようとしていたらしい。しかし産まれてみると青木の下腹部には男のそれが付いており、顔を見合わせた両親は暫し悩んで、最終的に青木の父が独断で「智美の美の字を実るにすりゃあ、男でもいいべ」と適当に決めてしまったらしい。

 どことなく中性的な顔立ちの青木に智実という名前は良く似合っていると思ったが、当の本人は今でも父を恨んでいるらしく、「もう少し男らしい名前にしろよな」と先日バーで飲んだ時に愚痴をこぼしていた。マスターも柴原も笑った。

 ふと陳列棚を見ると、ファイナルファンタジーというゲームソフトがあった。英語で書かれていたがすぐに判別できた。

 兄が昔、遊んでいたゲームだからだ。「今度の誕生日プレゼントは何がいい?」と母に聞かれ、「FF! FFの最新作がプレステで出るんだ!」とはしゃいでいた姿を思い出した。

 彼はその最新作を遊ぶことなく天国へと旅立ってしまった。

 えふえふ。えふえふ。ファイナルファンタジーだから、えふえふ。そう教えてもらった記憶がある。

 兄がゲームをするのを眺めるのが、幼い柴原の楽しみだった。兄はとっても強くて、どんなに大きなモンスターでも簡単にやっつけてしまった。そしてストーリーも終盤に差し掛かると、「こうなるのかあ……」と感嘆の声を上げていた。

 RPGの物語を理解するにはまだ幼過ぎたので、どんな展開だったかまでは思い出せなかった。しかし、今もこうしてファイナルファンタジーが遊ばれていることを知ると、柴原はなんとなく嬉しいのだった。


「お、FFかい? 懐かしいなあ。FFはⅦが一番好きだったなあ」


 パッケージを手に取ると、青木は慈しむように眺めた。眼鏡越しに見える瞳が綺麗だなと思った。


「これは最新作だね。プレステ4で遊べる」


「プレステって、四つもあるの?」


 きょとんとする柴原を見て青木は笑った。


「本当にゲームを知らないんだね。そうだよ。プレステはもう四つ、世の中に出ている。そのうち五つ目も出るんじゃないかな」


 信じられない気持ちだった。柴原の中でプレステはプレステだった。そのプレステに2があり3があり、今では4があるという。

 さらに聞けばポータブルだとか、ヴィータとかいうものもあるんだとか。なんだそれは。ポータブルは小さいんだろうなと何となく分かったが、ヴィータの意味が分からなかった。

 しかもあろうことか、今時の若者は「プレステ」なんて呼び方をせず、「PS」と略すらしい。ぴーえす。追伸みたい……と柴原は思った。


「私、小さかった頃にあったグレーのプレステしか知らなくて。あとは、ロクヨン……だっけ。黒いやつ」


「ああ、ロクヨン。あったね。懐かしいなあ。よく遊んだよ」


 青木から懐かしそうな笑みがこぼれた。

(お兄ちゃんが死んだ後、あのプレステはどうしたのかな。私が入ってたCDのソフトをケースに戻して、棚に片付けた記憶がある。でもその後、本体を見た記憶がない。売ってしまったんだろうか。それとも、今でも実家のどこかに眠ってるんだろうか。もし売られてたとすれば、ゲーム好きで大切に使ってくれる人の手に渡ってて欲しいな)

 柴原は静かに祈った。


「僕は、サウンドノベルが好きだったんだ」


 青木が言った。あまりに唐突だったので、柴原は持っていたソフトのパッケージを落としそうになった。

 サウンドノベル。さうんどのべる。何だろうそれは。


「聞いたことないかな? かまいたちの夜とか、弟切草とか」


「あー……弟切草は、なんか映画であったよね。かまいたちの夜も、聞いたことある気がするわ」


 たどたどしく柴原は答えた。サウンドノベルとは何だろうと考え込んでいた。

 確かに弟切草という邦画が昔公開されていた記憶はあった。山奥の洋館にカップルが迷い込む……といった話だった気がするが、ビデオで両親が観ていたのを遠巻きに眺めていただけなので、どんな物語かまではよく知らなかった。かまいたちの夜はテレビドラマをやっていた気がする。


「そうだね。懐かしい。サウンドノベルって言われても、ピンとこない感じだね。サウンドノベルってのは、こう画面に絵とか写真が表示されて、文字が流れていく、いわば見て遊べる小説なんだ」


「見る小説……?」


「そう。そして、途中に選択肢が出てくるんだ。あっちへ行くとか、こっちへ行くとか、そういうやつ。それで、間違えるとバッドエンドになっておしまい。グッドエンドになるには、正しい手順でゲームを進めていかなければならない」


「なんだか難しそうね」


「そうでもないよ。コントローラの上下と、ボタンをちょっと押すだけさ。ま、本当のエンディングを見るのは難しいし、全部のエンディングを見るってなるとかなり時間が掛かるけどね」


 へえ、と柴原は得心した。

(世の中にはそんなジャンルの小説もあるのか。サウンドノベルというくらいだから、音楽や効果音も付いているのだろう。確かかまいたちの夜は、山奥のペンションで殺人事件が起こる話だった気がする。私なら、ゲームが下手っぴだから、きっと殺されるバッドエンドになるだろう。人生においても、もし智ちゃんに殺されるバッドエンドなら、それが一番幸せなのかもしれない。うつ病が治って、仕事に復帰することがグッドエンドならば、うつ病に悩まされて仕事に戻れない今は、バッドエンドなんだろうか……)

 とりとめのない考えが頭をよぎった。


「梨恵、そろそろ帰ろうよ。もう二十一時を過ぎたよ」


 はっとした。思いがけず長い間、ゲーム売り場にいたらしい。

 苦笑いを浮かべて柴原は持っていたぷよぷよのソフトを陳列棚の元の位置に戻し、二人は足早に琴似駅へ向かった。

 琴似駅から発寒中央駅へは一区間である。切符の価格にして二百円。

 青木は発寒中央駅から白石駅までのキタカ定期券があるから改札をスルーできるけれど、柴原はいちいち券売機で切符を購入しなければならなかった。面倒だが、キタカを持っていなかったし、多分他のポイントカードなどに紛れて失くしてしまうから欲しいとも思わなかったので、大人しく百円硬貨を二枚入れた。

 十月に施行される消費増税では、この区間も値上げするんだろうか。二百円だから手軽なのに、二百十円とかになったら嫌だなと柴原は考えた。

 帰りの車内は酔っ払った客が何人か乗っていると見えて、若干アルコールの臭いが漂っていた。たった二分の乗車なので、席は空いていたが二人は扉付近の手すりに掴まり、ぼんやりと車窓を眺めていた。

 暗い夜空に住宅街の灯りが見えた。

 札幌って、なんにもないよね。ぽつりと柴原がこぼすと、青木は曖昧に頷いた。

 発寒中央駅に着いた。青木は柴原を送って帰る。彼の家は全然反対側の、南方面なのに。これも、いつもの習慣だ。

 駅からぎんなん通りを北へ、徒歩十五分程度のところに、柴原のアパートはあった。新道を超え、そのまま真っすぐ北へ。ごくごくありふれた対面通行の道路だ。

 微妙な遠さがちょうど良く、いつも会話は弾んだ。どうでもいい内容ばかりを話す。例えば、先日作ったカレーが腐った上に焦げてしまったとか、隣の若い大学生が可愛い彼女を連れているのを見ただとか。青木はそんな他愛のない話に、いつもうんうんと付き合ってくれる。


「じゃあね。おやすみ、梨恵」


「ありがとね。智ちゃん。おやすみなさい」


「だから智ちゃんはやめれって……したらね」


 柴原が住む一〇三号室の前で二人は別れる。バイバイと手を振る柴原に、青木は照れ笑いを浮かべてバイバイと手を振り返す。

 扉を開けて家に飛び込むと、雑然とした空間が広がり柴原をうんざりさせた。

(二人で会っている時はあんなに幸せなのに、どうしてこの家はこんなにも私をダメにするのだろう)

 着ていた服を全部脱ぎ捨て、下着姿になってベッドに倒れこんだ。シャワーを浴びて薬を飲んで、歯を磨いて寝る。今日しなければならないことは、あとはそれだけ。それすら億劫だった。

 柴原の部屋は、玄関を入ってすぐ右側に風呂とトイレがあり、脱衣所に全自動洗濯機が置いてあり、左側に小さなキッチンがあり、その奥に七畳半ほどの洋室が一間あるだけの、1Kの狭苦しい空間だった。

 何度か行ったことがある青木の部屋も似たような造りなのに、向こうはずっと広く綺麗だったと思う。

 自分の部屋は、どこか陰鬱で、暗く、気分を落ち込ませる。それは多分、物が多くて片付けの仕方が下手くそなのと、若干日当たりが悪いせいであろう。そうだ。そうじゃないと納得がいかないと、柴原は思い込むことにした。

(早くお風呂に入ろう)

 やっと決意して、柴原はのろのろと風呂へ向かった。

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