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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
6/11

焼き鳥おみち

「いやーいい試合だったな! やっぱり中田は頼りになるわ!」


「父ちゃん、中田もそうだけど、今日は大田もよかったよ!」


「そうだな! 大田と中田がいればファイターズも安泰だな! わっはっは!」


 高橋親子が気分良く発寒中央駅から出てきたのは、十八時を回った頃合いだった。

 桜もすっかり散り、新元号を迎えて春から初夏へと季節が移ろうとしていた札幌は、夕暮れ時もまだ暖かく、心地良かった。

 十三時に試合開始のデーゲーム・ファイターズ対ライオンズは白熱した打撃戦となり、最終的には八回裏にファイターズ四番の中田が決勝打を放ち、八対七でルーズヴェルト・ゲームを逃げ切った。大田は三打点の活躍を見せていた。

 札幌市営地下鉄・東豊線の福住駅から地下鉄さっぽろ駅へ降り、そこから函館線に乗り換えて発寒中央駅へと帰ってきたところである。

 高橋が息子の大夢を連れて札幌ドームへ行くのは、月に一度の楽しみだった。

 ぎんなん通りの雑貨屋で出会った不思議な老婆に諭されてから、高橋は妻に転職したい旨を話すと、妻はなにかを悟っていたように了承した。その瞬間、高橋は憑き物が落ちたように穏やかな気持ちとなった。

 転職はあっという間に終わった。退職願を出して僅かばかりの退職金をもらい、元よりオファーを受けていた会社に形だけの面接を受けると、あっさり採用が決まった。同じ電気工事関係の会社だったが、給料は二割減り、待遇は五割増しだった。

 あれ以来、一切の博打を断った高橋は休日となれば家族サービスに勤しみ、家族で発寒のイオンモールへ行ったり、小樽へドライブしたりと、忙しくも充実した日々を送っている。

 高橋親子は、平成十六年に北海道へ移転してきたファイターズを熱心に応援していた。

 高橋の妻は野球にまったく興味がない人だったので、チケット代と往復の交通費、それと飲食に使ういくらかの金を渡してくれるだけで、札幌ドームへ足を運ぼうとはしなかった。

 勝った日は焼き鳥おみちで祝勝会をする。負けた日はとっとと帰って反省会をする。それが彼らのルールだった。

 今日も高橋は、ゲームセットの瞬間に妻へ「勝ったよ」とだけメッセージを送り、すぐさま「了解」と返事が着た。

 要するに酒を飲んで帰るから、飯は要らないという話である。

 ファイターズの野球帽を被った大夢が笑顔を浮かべる。勝った日に父親と食べる焼鳥が、大夢にとっても楽しみだったからだ。


「いらっしゃい! おや、高橋さん! おお、ヒロくんも来たのかい! 今日はいい試合だったねえ」


 焼き鳥おみちの暖簾をくぐると、店主の尾道が威勢良く迎えてくれた。

 思えば彼があの雑貨屋を紹介してくれなければ、自分は今でも博打に行っていたかもしれないと想像すると、ある意味では恩人と言えた。

 もっとも、高橋が尾道にどんな店だったかを説明したことはなかったし、当の尾道も、後日幸せそうにしている高橋の姿を見ると、それ以上を聞こうとはしなかった。


「こんばんは、おみちさん!」


 カウンター席によいしょっと座った大夢が元気良く挨拶すると、恰幅のいい尾道はにっこりと笑みを浮かべて、「いつものね?」と確認を入れた。高橋は頷いた。

 至福の時であった。贔屓のチームが勝つと、どうしてこんなに酒が旨いのだろうと高橋は不思議に思う。オレンジジュースの入ったコップを持つ大夢と乾杯を交わすと、球場で散々飲んだはずなのに、冷えたビールが五臓六腑に染み渡った。

 高橋はネギマを頬張り、大夢はモモを齧った。

 焼き鳥おみちはこのところ盛況で、今日も奥のテーブル席は家族連れで埋まり、他のカウンターも高橋親子が来店したことにより、ほぼ満員御礼状態であった。忙しそうに尾道が串を焼く。厨房の奥では尾道の奥さんが他のアルバイトと一緒になって煮物なんかを作っていた。


「父ちゃん、なしていつもネギマなの?」


「これが一番美味しいからだよ。脂っこ過ぎないからな」


 ふうんと大夢は頷いた。子供にとっては、なぜ肉と肉の間にわざわざ葱を挟まなければならないのか、理解し難いのかもしれないと高橋は思った。

 別段、高橋も絶対にネギマでなければならない理由はなかったのだが、肉だけだと少しくどいので、葱が挟まっていた方が食べやすく感じていた。年を取ったのかもしれない。

 二人だけの祝勝会はつつがなく続いた。高橋はよく飲み、大夢はよく食べた。

 小さなその身体に、よくもそんなに入るなと尾道を驚かせるほど、大夢は焼鳥が好きだった。モモもムネも皮も、何でもよく食べた。父と違い、砂肝だけは苦手だった。


「いらっしゃい! あら、あんたは」


 いい感じに酔っ払った頃、尾道が来客を迎えたのを高橋は何となく見た。若い女性だった。一人で、どこか上の空みたいな感じであった。

 古い焼鳥屋には似つかわしくない、美しい女性であった。見たところ、恐らく三十手前といったところで、亜麻色の髪が美しく、紺地に白い花柄の長袖ワンピースを着ていた。


「お席、空いてますか?」


 透き通るような、上品な声だった。声を聞いて大夢も女性に気付いたらしく、顔を舐めるように見つめている。まだちっちゃいが、こいつも男だなと高橋は思った。


「ええ! 空いてますよ! 高橋さん、隣、いいかい?」


「ああ、大丈夫だよ。どれ、ちょっと大夢の方へ寄るか」


 女性は高橋の隣に着いた。焼鳥屋の中に、女性の香りがふわりと漂った。いい匂いだった。


「すみません、失礼します」


 生ビールとモモを頼むと、女性は高橋親子にニコッと笑顔を見せた。大夢は顔を赤らめてもじもじしている。


「こ、こんばんは……」


 大夢が挨拶した。高橋も「こんばんは」と続いた。

 どこかで見たことがある顔な気がする。以前、どこかですれ違った気がしたのだ。

 とはいえ、彼女もこの付近に住んでいるのなら、いつかどこかですれ違っていたところで何ら不思議はないのだが。


「こんばんは。ファイターズのファンなのね」


 笑みを浮かべて女性が言った。大夢が「はいっ!」と元気良く返事をしたので、女性も高橋も笑った。


「どうだったの? 今日は」


「勝ちました! 八対七で! ね、父ちゃん!」


「ああ、そうだな。遅くなりましたが、どうも、高橋と申します」


「こちらこそ、ご挨拶が遅くなりすみません。柴原です。お隣、失礼しますね」


「いえいえ、なんもなんも! よかったら、乾杯いかがですか? ファイターズの勝利に」


「ふふふ。いいですよ。では、乾杯」


 三人で乾杯を交わした後、柴原と名乗った女性はビールを飲み、モモを齧った。

 その一つ一つの動作すら、華麗に見えた。重ね重ね、全く焼鳥屋に似つかわしくない。


「しばはらって、芝生の方? それとも、柴犬の方?」


「犬の方です。柴に、原っぱの原」


「柴原さんね。昔、ホークスにいたなあ。柴原っていい選手が」


 高橋の言葉に、柴原は一瞬きょとんとした様子だったが、すぐに笑顔を返した。

 高橋は酔いが回ると、すぐに野球のことを話し始める癖があった。相手が知ろうが知るまいが、一人で高橋といえば高橋由伸が、岩村といえば岩村明憲が、といった具合に。

 今よりも少し前の世代ばかりなので、高橋が上機嫌に選手のことを語っても、大夢はよく分からないのだった。

 この柴原という女性も、それほど野球には明るくないと見えた。ファイターズが云々という話は、大夢の野球帽を見て球場帰りだと察したのだろう。

 上機嫌で酒を呷る親父と、一緒になって焼鳥を頬張る息子。うん、どう見たって球場帰りの二次会組である。


「そうなんですか。柴原さん……同じ苗字だと、ちょっと親近感が湧きますね」


「お? そうでしょ、そうでしょ! 私も同じなんですわ! わっはっは!」


 柴原が言うと、高橋が同調して「昔はファイターズにも、高橋信二ってよく打つキャッチャーがいましてね」と続けざまに話した。酔っ払い親父相手にも、柴原は不快感を全く示さなかった。

 大夢はジュースと皮のお代わりを尾道に注文した。


「この辺りにお住まいで?」


 ひとしきり野球談話を終えると、高橋が尋ねた。

 柴原は「ええ」とだけ返し、大夢は「オレらもこの辺に住んでます!」と元気良く続いた。


「そうですか。柴原さん、なんかあなたとは、初めて会った気がしませんな。どこかでお会いしませんでした?」


「さあ……どうでしょう。私はここのお店に来ることは、滅多にありませんから……」


 柴原は最初のモモを食べ終えると、次はネギマを注文した。忙しない尾道に声を掛けるのを躊躇っていたのが見て取れたので、高橋が「尾道さん、注文!」と助け舟を出した。


「すみません、高橋さん。ありがとうございます」


「はっは。なんもなんも。これだけ賑わっていたら、注文もしづらいでしょう」


 高橋はデレデレと鼻の下を伸ばした。大夢は若い女性と話す父親が新鮮に感じ、そろそろ腹も膨れてきた頃合いだったが、「帰ろう」と言い出せずにいた。

 しばはら、と名乗る不思議な女性に、大夢も興味を持ったのだった。柴の漢字はまだ習っていないが、原は分かった。巨人の、原辰徳監督の原か、と一人で納得していた。

 この辺り、父の血を色濃く継いでいた。


「野球は観ないんですか?」


「ええ、あまり……日本シリーズとか、オールスターとかは、たまにテレビで観ますけど」


「そうですか……残念だなあ」


 高橋は本気で残念がった。

 もっと野球について語りたかったのである。柴原が二杯目のビールを注文した。この際も、高橋が尾道に「注文だよ!」と呼びかけた。


「私は野球に疎いのですが、兄が野球をしていました」


 二杯目のビールに口を付けた後、柴原が切り出した。


「ほう? お兄さんがいらっしゃるんですか」


「ええ……。今は、遠くへ行ってしまいましたが」


「遠く……道外ですか?」


「もっと、もっと遠くです」


「そうですか……まあ、きょうだいってのはどこかで繋がっていますから、また会えますよ」


 高橋はもう何年も顔を合わせていない一つ上の姉を思い出した。

 横浜に行って結婚した姉は、十年前に彼女の結婚式で会った以来、年賀状のやり取りくらいしか交流がなく、大夢に至っては顔と名前が一致していなかった。

 高橋にとっても、姉の顔は年賀状にプリントされた家族写真くらいしか浮かばなかった。


「そう……ですよね。きっと、いつか会えますよね」


「ええ。そういうもんです。必ず会えます」


 うんうんと、一人で納得して高橋は上機嫌にビールを飲んだ。もう四杯目だった。嫁から「飲み過ぎ」と怒られそうである。


「お兄さんのポジションは?」


 高橋の問いに、柴原は「えっ」と小さく動揺を見せた。初めて彼女が言い淀んだ姿だった。


「兄は……ショート、だったと思います。確か、三番でショートだったと」


「ほう! それはすごい! 花形ですなあ!」


 どうやら柴原の兄はかなり昔に野球を辞めてしまったらしい。妹がこれだけ悩んで、ようやくポジションと打順が出てくるのだから。

 それにしても三番ショートは、高橋の言葉を借りると「すごい」ことである。

 野球という競技で最も難しいとされるショートを守り、且つクリーンアップの三番を打てる選手なら、高校や大学でも野球を続けていれば、もしかしたらドラフトで指名されていたかもしれない。


「右打ちですか? 左打ちですか?」


「え? ええと……確か、右打ちだったかと……」


 高橋の問いに柴原は一瞬考えたが、そう答えた。「右投げ右打ちの三番ショート! ファイターズなら田中幸雄という選手がいましたよ。昔々ですがね」と高橋は機嫌良く笑った。


「素晴らしい才能をお持ちだっただろうに、野球を辞めるなんて勿体ないですなあ」


 高橋はつくづく思った。この世の中には、才能やセンスがあるのに挫折したり、故障したりして選手生命を諦めてしまう人材が多い。本当に勿体ない。

 もし、柴原の兄がプロに入っていたと仮定しても、なにかの切っ掛けで諦めて、引退してしまうのだろうか。


「そうですか? ありがとうございます……きっと、兄もその言葉を聞いたら、喜んでくれると思います」


 柴原は微笑みながら返した。二杯目で若干酒が入ったのか、頬が赤くなっていた。めんこいリンゴのほっぺだなあと、高橋は思った。


「うん、うん。お兄さんに会うことがあれば、伝えてください! 野球好きの親父が、とても惜しんでいたと」


「分かりました。必ずお伝えしますね」


 柴原は笑った。美しい笑顔だった。この世の女性の中で、いちばん美しいのでは?と感じるほど。

 大夢がぼちぼち退屈そうにしていたので、高橋は潮時だと思った。

 もう少し柴原について知りたかったが、あまり深入りするのも失礼だろうし、一人で来店したからには静かに飲みたかったのかもしれない。

 強引に誘ってしまったかと、若干の反省をした。


「じゃあ柴原さん、うちらはこれでお暇します! 尾道さん、お勘定!」


「へい! 高橋さん、ヒロくん、またおいでね!」


 勘定を払うと尾道がにこやかに言った。高橋は「おうよ!」と笑い、大夢は「はい!」と、やはり元気良く続いた。

 高橋は帰り際、柴原に一声掛けて行こうと思った。自分の野球談話に付き合ってくれた礼を言いたかったのだ。


「柴原さん、今日はありがとうございました! 楽しかったです! また、そのうちここで会いましょ! ほら、大夢も挨拶しなさい」


「あ、ありがとうございました! またね、お姉さん」


「こちらこそ、ありがとうございました。またね、ひろむくん。元気でね」


 最後まで、柴原は上品だった。どこからどう見ても、焼鳥屋には似つかわしくなかった。







「父ちゃん、見て。月がきれいだよ」


「おお、本当だな」


 自宅までの帰り道、高橋親子は月を見上げた。半月が優しく輝いていた。

 高橋はふと、柴原のことを考えた。いつかどこかで、やはり会った気がしたのだ。あの亜麻色の髪には見覚えがあった。かすかな記憶であるが、確かだった。

 しかし、いつかまでは定かではなく、記憶の片隅に残っている程度だった。


「大夢、帰ったら風呂に入って寝るか」


「うん! 父ちゃん、今年はファイターズ優勝できるかな?」


「どうかな? 大夢がもうちょっと小さかった頃、優勝したんだけどなあ」


「あんまりおぼえてないやい」


「だよなあ。また、ドーム行こうな」


 星がまたたく夜空に浮かぶ、金色の月明かりに照らされながら、幸せな親子の会話が続いていた。

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