タイヤ交換(2)
「昭和って時代はいろんな人の思惑とか野望とか、そう言うもんが混在してたと思ってる。少なくとも前半はそうだったと言えるだろうな。昭和天皇が戦争を始めたって主張する人もいるが、俺は違うと思う。確かに昭和天皇が日本の……当時は大日本帝国って名前だったが、その日本の一番偉い人だったのは間違いないがな」
「じゃあ誰っすか? 総理大臣とか?」
飴を口に入れ仮締めを終えて、ジャッキを緩めながら八木は尋ねた。
「総理大臣も噛んでたかもしれんが、俺は軍部だったと思ってる。当時の日本軍が、戦争をしたくて堪らなかったんじゃねえかってな。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦……お前も歴史で習っただろうが、日本はずっと勝ってたから、勝つことに慣れちまって、次の戦争だって中国に喧嘩を売れば勝てる。そして中国の一部を、当時台湾や朝鮮半島は日本の領土だったんだが、同じように日本にしちまおうって目論んだんじゃねえかって」
「へえ、韓国と北朝鮮が日本だったのはなんか知ってましたけど、台湾もそうなんすね」
リアの冬タイヤのナットの本締めを行いながら、八木が相槌を打った。
台湾は意外と知られていないが、半世紀にも渡って大日本帝国の支配下にあった土地である。
「おう。台湾も日本だった。ついでに言えば、戦争中なら香港やシンガポールだって日本領になってた時もある。つまり日本は身の丈に合わない領土や資源を望んで、どんどん野望ばかりが膨らんで、いろいろと頑張ったがそんなことをしていたら、当然周りから良い目で見られないわな」
「ですね。イキってたってことっすよね」
一台目のライトバンの左側のタイヤ交換が終わり、右側へと二人は移動していた。
イキっていたという表現が正しいかはともかく、確かに当時の日本は何かを勘違いしていたのではないかと高橋も思った。
「そうかもしれないな。そんな野望を持って中国を攻める日本を見て、面白くないと思ってた国があったってことだな。この辺はなまら複雑だし、俺も詳しいことは分からんが、第二次世界大戦というのが、連合国と枢軸国って二つの勢力に分かれていたことは知っているか?」
「連合国は聞いたことありますが、枢軸国ってなんか初耳っすね。勉強したはずなんすけど」
クルクルと右リアのタイヤを締めていたナットを緩めながら、八木は考え込んだ。そうか、あっさりと教えるようになっているから、連合とか枢軸とかよく知らんかもしれんよなと高橋は思った。
「今の歴史の授業は俺も知らないが、日本は枢軸国だった。日本の他はまだナチス・ドイツって名前だったドイツと、ムッソリーニってオヤジが独裁していたイタリアが主な仲間だ。連合国はアメリカを筆頭にソ連……今のロシアだな。中国……これは今の台湾政府だが、難しい話になるから、中国だと思え。そしてイギリスとフランスがメインだ。日本とドイツとイタリアが、アメリカとソ連と中国とイギリスとフランスを相手に大喧嘩を始めた。ざっくりだがこれが第二次世界大戦だ。あ、飴もう一つ要るか?」
「あ、貰います。すんません。ナチスは聞いたことがありますね。ヒトラーでしたっけ。あのチョビヒゲのおっさん」
飴を素手で受け取り、八木はジャッキアップを始めた。
そう、ナチス・ドイツはアドルフ・ヒトラーが指揮していた国である。
「結論から言っちまうと、お前も知ってる通り日本は負けたんだよ。負けたってことは、つまり枢軸国が負けたってことだ。ドイツは日本よりもちょっと早い段階で負けて、イタリアはもうちょっと前に負けて、イタリアはムッソリーニが全部悪かったってことにして、ちゃっかり連合国に寝返ったやつらだが、まあイタリアってそういう憎めない国らしいな。負けてからもイタリアは国内が混乱して大変だったらしいが。枢軸側として最後まで戦ったのは日本とドイツだ。そしてドイツが負けてからも日本は戦い続けた。これは諸説あるらしいが、負けるって分かってたのに戦い続けてたのは、昭和天皇のせいなんかじゃないと思うぞ」
「じゃあ誰のせいなんすか? 戦争教育ってやつっすか? それをされてたのは知ってますけど、その教育を受けた国民のせいっすか?」
右リアの夏タイヤを外しながら八木は聞いた。
「確かに当時の日本は教育でも軍国主義を貫いていたが、国民みんなが悪かったとは言えないだろう。新聞とかも煽っていたから同罪と言えば同罪だが。俺は軍部や政治家のお偉いさんが、誰も責任を取りたくなかったからだと思っている」
「ええ!? そんなの自分勝手過ぎません? だって戦争を始めたのって、その軍部の人らが身の丈に合わない物を求めたのが原因なんでしょ? それなのにいざ始めて負けそうってなったら、みんな逃げるんすか?」
そんなことが許されていいのか!と八木は憤慨した表情を浮かべて高橋を見た。高橋は真剣な表情で続けた。
「そうだ。そんな自分勝手が許されてしまう時代だったんだ。国民には勝った勝ったと嘘の情報を流して、本当はもう沖縄戦も負けて、硫黄島の戦いも負けて、どうやっても勝ち目はなかったんだ。制空権も制海権も握られて、日本の空と海は全て押さえられていた。こんな状況で勝てるわけがないし、お偉いさんはもちろん知っていた。それでも負けを認めてしまえば、責任を取らされることになる。下手すりゃ極刑……つまり死刑だ。だから誰も責任を取りたくなかった」
「そんなの酷過ぎますよ。じゃあ原爆落とされたり空襲で焼かれたり、戦場で死んじゃった人たちはどうするんすか。死んでも死に切れませんよ」
八木は止まっていた手を動かし始めた。右リアの冬タイヤを装着していた。。
「お前の言う通りだ。そうやって犠牲になった方々を思うと本当に胸が痛むが、実際に誰も責任を取りたくないから戦争は長引いてしまった。誰かがもう参りましたって言えば、原爆だって落とされずに済んだかもしれないのにな。そして負けた日本は連合国に占領された。GHQって聞いたことあるだろ?」
「ああ、GHQなら習いましたね。マッカーサーってダンディな人が偉かったやつでしょ?」
八木の手は右リアの冬タイヤのナットを仮締めしていた。高橋が続ける。
「そうだな。あのパイプを咥えたマッカーサーが来て、昭和天皇と会ったんだ。昭和天皇って、今の国民からすりゃ信じられないが、当時の日本人からすれば神様みたいな存在だったから、それはそれは大変なことだったらしい。で、昭和天皇は、どこまで本当なのか定かではないが、戦争の責任は全て私にありますから、国民だけは何とか生かしてくださいと、マッカーサーに頼んだらしい」
「昭和天皇、カッコいいっすね」
ナットの仮締めを終え、八木はジャッキを緩めた。
「そうだな。そんな昭和天皇を見てマッカーサーは感動したらしい。昭和天皇が命乞いするのなら、見せしめに処刑する案すらあったらしいんだから、おっかねえよな。でも昭和天皇は命乞いどころか、自分は死んでも良いから国民だけは生かして欲しいと、そう仰ったと俺は習った。だからマッカーサーも昭和天皇を引き立てるって言い方は変だが、男同士の約束ってやつだろうな。負けた国の言うことなんか絶対に聞くつもりはなかったと思うが、とりあえず日本人を餓死させないようにはしようとしてくれた。そう勉強した」
「やばいっすね。敵だったんですもんね、マッカーサーは。その敵だった人を感動させて、自分は死んでも良いから国民は助けてくれなんて、なかなか言えませんよ。今の政治家だってそんなこと言えるのかな」
ううむと高橋は唸った。
確かに有能そうな政治家は沢山いるが、自分の命を捨ててまで日本国民を救う覚悟がある人材など、果たしてどれほどいるのだろうかと思ったからだ。
「まあ、これは俺の考えだから何とも言えんがな。そうだったんじゃねえかなと思ってるだけだ。それから先は、お前も知っているだろうが日本は復興する。これは朝鮮戦争って戦争がお隣で起こったもんだから産業が急速に発展したのもあるんだが、皮肉なもんだよな。自国の戦争で失った金を外国の戦争で儲けるんだから。でも、実際そうやって日本が復興した面もある。もちろんそれだけじゃないぞ。八木、お前がどう思ってるか知らねえが、日本って国は侮れないんだ。修学旅行ではどこ行った?」
「俺は広島とかに行きましたね。あと京都も」
右リアのナットの本締めが終わった。次は右フロントへと二人は移動していた。
「京都はほとんど空襲がなかったと聞いているが、大空襲があった東京も、原爆を落とされた広島も長崎も、今はすっかり綺麗な街並みになっているだろ? これは日本人が自力で復興したんだよ。一生懸命になって働いて、日本を豊かにしようとした世代の人たちがいて、新幹線を造ったり、首都高を造ったり、オリンピックを開催したり、みんな懸命になって働いた。ようやく北海道にも新幹線が通ったが、バブルが弾けてなければもっと早かっただろうな」
「ああ、俺も北海道新幹線乗ってみたいっすねえ。新函館北斗までが遠いっすけど。つうか考えてみりゃ、焼け野原だったんですもんね、日本のほとんどが。それが何年だ? 七十年? そんくらいとかでここまで大都会とか作って、豊かな国になったんですね」
右フロントのナットを緩めながら八木は続けた。JRが好きなこいつなら、確かに北海道新幹線は乗りたいだろうな、と高橋は思った。
「確かに日本はアメリカに守られてるという一面もあるがな。だから全部が全部、日本が単独でやったとは言い切れないが、それでも日本はすごかったんだぞ。それから俺もあんまり覚えてねえけど、バブル景気っていう浮かれまくった景気の時代が来た。これが昭和のほぼ終わりに来たんだ」
「バブルは俺も知ってます。弾けて平成の大不況が始まったんでしょ?」
ナットを緩め終わり、ジャッキアップを始めながら八木が返した。それに高橋が頷いた。
「実際には平成に入ってちょっとしてから弾けたんだが、昭和を象徴とする景気だったと俺は思うね。日本という国が存亡を懸けて戦った時代を、バブルという最高潮の景気を迎えて終わった。それが昭和だ。つまり軍部が勝手に始めた戦争に負けてコテンパンにされたけど、そこから立ち直って、一気に豊かな国になったのが昭和だ。ざっくりとだがな」
「そうなんすねえ。じゃあ平成ってほとんど変化がなかったんじゃないすか? だって平和で豊かな日本は昭和の内に出来上がったんでしょ?」
ジャッキアップを終えてタイヤを入れ替え、ナットの仮締めを始めながら八木は答えた。高橋はうんうんと頷いた。
「その通りだ、八木。俺は平成の時代の方が遥かに長く生きているが、昭和に今の基礎は既に出来上がっていた。だが平成になって大きく変わったこともある。まず一つは、お前も仕事で使っているパソコンだ。これは昭和の時代にもあったが、今みたいに何でもできるような優れものじゃなかった。それにお前がよくサボりに使うスマホ。これだって九十年代に入って携帯電話が普及し始めたのが、そもそもの始まりだ。お前が生まれるちょっと前に、IT革命って呼ばれる革命が起こったんだよ。今まで手作業でしなきゃならなかったもんを、機械がやってくれるようになった」
「ああ、IT革命なら言葉だけなら知ってますね。あれっすよね、スマホとかパソコンとかそういうのがどんどん普及して、便利になった時代ってことっすよね」
八木の言葉にそうだと高橋は頷いた。右フロントの本締めも終わり、一台目は終了だ。
二台目の左フロントタイヤに移った。
「だから平成は単に不況で、何にも変化がなかった時代かと言われればそれは違う。昭和の終わりに国鉄がお前の大好きなJRに変わって、平成になってからは郵政民営化もあった。IT革命もあった。そして格差社会と呼ばれるようになり、昭和と比べて確かに貧乏人……まあ俺らもそうだけど、貧乏人と金持ちの人とは格差が広がったとも言えるな。それから何よりも一番は……」
「災害、ですよね?」
左フロントのナットを緩め、ジャッキアップを始めた八木が続けた。高橋は頷く。
「まさにそれだ。平成とは災害の時代だった。もちろん事件や事故は沢山あったし、災害だけが起こった時代ではない。それは確信を持って言えるが、平成という時代は災害にどう立ち向かうか、俺たちはこの災害の多い日本って国で、一体どう生きていくのか。それを問われた時代だったと思う。去年の暮れにお前も見たろ? 今の上皇陛下が声を震わせながら、平成が戦争をすることなく終えられるのに感謝していると述べられた。俺はそれを聞いて心が震えたな」
「俺もっす。ちょっと感動しちゃいました。天皇陛下……いや、今は上皇陛下か。上皇陛下が、ああして声を震わせるのなんて想像もしてませんでしたから」
二人は深く頷き合った。平成三十年の終わりに当時の天皇陛下……今の上皇陛下は、声を震わせながらお言葉を述べられた。
そしてその内容は、平成という時代は災害が多発したこと、日本国の象徴として生きてこられたこと、戦争がなかったことなど、日本国民への感謝の言葉が続いていた。
「上皇陛下には感謝しないとな。陛下は国民に感謝の言葉を述べられていたが、感謝しなければならないのは俺たちの方だ。令和になって皇太子さまが新しい天皇陛下に即位された。いいか八木。俺みたいなおっさんはこれからどんどん衰えて、いずれロートルになる。だけど新時代も平和で豊かな日本でいられるように、俺も頑張るつもりだ。だからお前たち平成世代も、これからの日本を背負って生きていけよ」
「はい! 分かりました、高橋さん! ありがとうございます!」
八木は深々とお辞儀をした。高橋も何となく申し訳なくなり、互いにお辞儀をし合った。
生まれてきた時代は違っても、これから生きていく時代は同じ、令和という新時代である。
そしてその新時代は我々が作っていかなければならないのだという、そんな自覚が八木にも芽生えつつあるのを、高橋は見た。
高橋の歴史観が正しいかどうかは別にしても、確かに昭和の日本は戦に敗れ、そこから這い上がってきた時代と言えるだろう。平成は先人たちが作った基礎を発展させてきた時代であり、同時に大不況や大災害と戦ってきた時代でもある。
それから二人は令和がどんな時代になるか期待し合い、いろいろなことを語り合いながらタイヤ交換とワイパー交換は終わった。
「この間、即位……なんちゃらの儀ってありましたよね」
お疲れさんと高橋が温かい缶コーヒーを奢ってやると、八木が話した。
「ああ、即位礼正殿の儀か。休日になったな」
「ええ、それです。あれに世界中から偉い人が集まったって聞いて、俺ちょっと嬉しかったんです。世界地図で見ればちっこい日本に、世界中から集まってお祝いしてくれるんだなって。台風の関係でパレードは延期されちゃいましたけど」
「そうだな。そういう尊敬される国で在り続けるためにも、俺たちは頑張ろうぜ。社長が言ってたじゃないか。私が生まれた平成という時代を名前として残したいって。平成電業がデカい会社になれるかはともかくとして、平成電業で頑張って仕事して、やっぱり日本って素敵だねって世界から言われるような存在で在り続けようぜ」
高橋が言うと八木は笑顔を見せた。茶髪は全然似合っていないが、まだ幼く可愛らしい顔だと高橋は思った。




