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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
4/11

帰郷者

 発寒中央駅に降り立った岡本洋は、確かに地元へ帰ってきたのを感じた。

 駅舎に上がれば漂う懐かしいパンの香り、繁華街・琴似の隣接駅なのに垢抜けない街並み。コンビニすら桑園発寒通りまで出なければ辿り着けない不便さが岡本を安心させた。

 二十九歳。青森県で知り合った六つ年上の妻と、一歳九ヶ月になった娘がいる。

 岡本は高校卒業後にJR北海道へ就職したが、札幌出身であるにも関わらず函館支社管内をたらい回しにされ、最終的に辿り着いたのが、平成二十八年三月に開業した北海道新幹線で唯一の青森地域・奥津軽いまべつ駅であるのだから、ひょっとして自分は道南か青森の出身なのでは?とあらぬ疑いをかけてしまう状態だった。

 商業高校を出ている彼は、事務仕事をやらされるものだと思って気軽にJRを受けたのだが、最初に配属されたのは長万部(おしゃまんべ)駅であった。

 営業職の経験が一切ない彼が、突然駅員をやらされるとは完全な誤算であったが、岡本は他人に寄り添える人材であったらしく、地元の乗客や助役、駅長からの評判は上々で、函館駅、五稜郭駅、函館支社と経て、現在の職場へ配属されたのだった。


「やっと帰ってこれた」


 激務というわけではない。在来線の函館駅や五稜郭駅と比べれば、設備も新しく、何より新幹線で最も秘境と呼ばれる奥津軽いまべつ駅の勤務は、今までの職場と比べれば暇と言っても過言ではなかった。

 しかし真面目な彼は年休を取ることに抵抗を持ち、まだ幼い子供がいるからと札幌への帰省を躊躇った。

 やがて余し続けていた年休を消化するように副駅長から進言され、妻に相談したところ「たまには両親に顔を見せておいで」と背中を押してくれたので、後ろ髪を引かれる思いで新青森駅から北海道新幹線はやぶさ九十五号に乗り、新函館北斗駅でスーパー北斗七号に、そして札幌駅からいしかりライナー・ほしみ行きに乗り換え、五時間九分の長旅を終えた彼は、父に贈る田酒(でんしゅ)の一升瓶が入った重たいスーツケースを若干疎ましく思いながら、ひいひいと発寒中央駅を出た。

 桜の季節を間近に迎えた札幌は快晴で、まるで彼に「お帰りなさい」と言っているようであった。春の日差しは心地良く眩しかった。

 朝の九時に新青森を出て、地元への到着が十四時過ぎとは、札幌延伸は一日も早い方が助かるな……と岡本は苦笑した。

 それにしても、どうしたものだろうか。両親に迎えは不要と伝えてあるので、駅に誰もいないのは予定通りであるが、このまま西町の実家へ歩いて行くには、ボストンバッグにスーツケースと荷物が多すぎる。

 長旅に疲れたのもあり、どこかで一服したい気持ちもあった。車内販売が廃止されてしまった現在、コーヒー一杯を買うのもキヨスクかコンビニを強いられる。

 札幌へ向かう特急列車から噴火湾を見た時、岡本は客室乗務員が押すワゴンがあった頃を懐かしんだ。

 少し南へ歩くと、古ぼけた雑居ビルがあった。そういえばこんな建物があった気もすると古い記憶を辿っていると、お誂え向きに喫茶ロマンと書かれた店が見つかった。これはいい。


「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」


 扉を開けると、愛想の良いウェイトレスが受け付けてくれた。

 左胸の名札には「長澤」と記載されていた。


「ええと、アイスコーヒーをブラックでお願いします」


 外観こそ古いビルだが、店内は清潔と言えた。昼下がりの今は客足も鈍いらしく、彼以外の客は老人が一人、文庫本を老眼鏡越しに読み耽る姿があるのみだった。

 暑くはないが、ガタンゴトンと何時間も揺られた身体は、ホットではなくアイスコーヒーを求めた。昔から彼はアイスを好んで飲んでいる。


「どうぞ」


 受け付けてくれた長澤がコーヒーを持ってきてくれた。

 早速一口。ちょうど良い苦さと冷たさが、乾いた身体を癒してくれた。

(旨い。旨すぎる)

 岡本は心の中で大きく唸る。

 今まで飲んできたコーヒーでも一番と言えるくらい旨く感じた。

 それはきっと列車による長旅と、親族へのお土産があれやこれやと詰まった大荷物のせいであろう。何年も札幌に帰っていなかったので、今回は一週間と長い休暇を使い、改めて親族へ近況を伝えつつ、あわよくばただ酒にありつこうと岡本は思っていた。

 会社ではのんびりとした姿を見せつつ、実は計算高い一面もあるのが岡本洋という男であった。







 少しすると、旅の疲れがどっと出てきた。

 改めて地元に戻ってきた安堵感からか、コーヒーを飲んでいるのに睡魔に襲われていた。

(いかん、いかん。こんなところで居眠りこいてる場合じゃねえ)

 ペチン!と両頬を叩き、岡本は気を引き締めた。その様子を見た長澤は、こっそりと笑った。

 のんびりと遊びに来ているのは確かだが、久しぶりの札幌を、一秒でも楽しまなければ損であると思ったからである。

 そんな矢先、扉の鈴が鳴った。来客だ。

 はて、どんな人が来たのだろうと窺ったところ、ロングヘアの女性だった。亜麻色の髪が美しく輝いている。

 ボーダーのカットソーと緑のワイドパンツ姿の女性はホットコーヒーを頼み、席に着く際に岡本と目が合った。その時、岡本の脳内に電撃が走った。

 彼女が美人だったからではない。見覚えのある顔だったからである。


「お、お前……もしかして、柴原か?」


「え……まさか、岡本くん?」


 中学校のクラスメイト、柴原梨恵だった。

 ピアノが得意な以外、あまり目立たなかった彼女が、今はずいぶんと綺麗になって、偶然にもこの喫茶店で鉢合わせた。

 縁というものだろうか。中学の卒業式以来だから、十数年は会っていなかったことになるが、お互いすぐに誰か理解できた。化粧をして髪を染めても、顔立ちにはやはり当時の面影が残っているものである。

 岡本は近況を話した。高卒でJRに入社したこと。函館方面を転々として現在は青森に住んでいること。家庭を持ったこと。

 柴原は岡本の話を熱心に聴いていた。その仕草や、ふとした時に見せる笑顔が、美しく思えた。

 自分の話を聴く姿を見て、「こいつは昔から、他人の話を聴くのが好きだった」と記憶が蘇った。


「……とまあ、そんな感じで帰省したんだけどさ。まだ実家帰るったって時間も早いし、列車に揺られ続けたもんだから疲れちまってよ。ここで一服してたのよ」


「ふふ。そうなのね」


 岡本の話が一段落した。かれこれ二十分近くは話しただろうか。

 柴原は嫌な顔一つせず、真摯に耳を傾けてくれた。それが嬉しかったからか、懐かしい顔を見て嬉しかったからか、岡本は酒も飲んでいないのに、珍しく饒舌になっている自分に気が付いた。


「それで……俺は年休とか使って、今日ここに来たんだわ。お前は今何やってるの? 今日は火曜日だよな? なんか変則的な仕事かい?」


 他意はなかった。ただ単に、柴原がなぜ平日の昼下がりにこんなところにいるのか。それを疑問に思ったのだった。

 柴原は一瞬難しい顔をしたが、微笑みながら透き通った声で語り始めた。







 岡本くん。本当に久しぶりね。こうして話すの。

 私、中学の頃の友達ってあんまりいなかったから、あなたとここで会えるなんて思ってもみなかったわ。まさかJRで働いてるなんて知らなかったし、卒業式の日も、あなたと話した記憶がないわ。ごめんね。

 私は今、休職中なの。

 イヤね。求職じゃないわよ。休職。お休みしている方。

 妊娠? あっはっは。そう見えるかしら? 太ったのかなあ。残念ながら、違うわ。

 私ね、うつ病なの。

 えって顔してるわね。そうだよね。そう見えないと思う。私だって、自分が今もうつ病だってどこかで信じられないもの。

 でもさ、去年は毎日死にたいって思ってた。本当よ。自殺未遂まではいかなかったけど、深夜に街を徘徊してクルマに轢かれるのを待ってたりね。暗いところで、わざとこうやって伏せるの。

 何度かおまわりさんに見つかって職務質問もされたわ。怪しい女がいると思ったんでしょうね。私からすれば、大きなお世話だったんだけど。

 病気になった理由?

 さあ、それは分からないわ。私、高校を卒業してからは短大に入って、保育士の資格を取ったの。

 保育園で働きたかったのよ。ピアノもそれなりに弾けたし、子供も好きだったから。

 職場環境だって悪くなかったわ。人間関係もそれなりに良かったと思う。でも、きっとなにか、どこかで無理をしていたのね。

 ある日突然、風邪みたいな症状が出たの。頭が痛くて、咳が出て、鼻水が止まらなくて。

 だけど、それはただの風邪だと思って勤務を続けてたんだけど、全然治らなくってさ。内科の先生も薬を出してくれたんだけど、全然効かなくて。

 それからちょっとして、仕事中に書類を眺めていたら、文字を読めなくなったの。

 読めなくなったは語弊があるわね。正確には、「読めるんだけど意味が分からない」って感じかな。頭に入ってこないの。

 え?って思った。私、どうしちゃったんだろうって。

 してさ、他の先生が言うのよ。「あなた、顔が全然笑ってないわ。子供たちが怖がってる」って。

 私は笑ってたつもりだったんだけど、笑えてなかったって。

 そこからかな、何かおかしいなって思ったのは。毎晩仕事場で怒られる夢を見たわ。毎晩、私怒ってた。

 ふふ。変でしょ。夢の中で怒ってるの。疲れるのよ、寝ながら怒るのも。

 私が怒るなんてイメージが湧かないかしら? 中学時代は、自分で言うのもなんだけど大人しかったから、仕方ないかもね。

 ある日ね、職場に行けなくなったの。

 身体が拒否するの。頭では行かなきゃ、行かなきゃ……って焦っているんだけど、身体は正直にできてるのね。行くな。行くなって止めるのよ。

 そこでやっと、自分が精神的に病んでいることに気が付いたの。この近くに伊藤心療内科ってあるんだけど、二週に一度、月曜日にそこへ通ってるの。昨日も診察を受けてきたんだけど、あんまり良くなくってさ。

 元気そうに見えるでしょう? 私も、もう元気だと思うんだけど、仕事に戻るのってとても難しいんだって。

 今? え、交際してるかってこと?

 ふふ。何さ、その質問。そうね、いるっちゃいるわね。気弱で内気で頼りないけど、優しい人が。

 その人と、週末に通っているバーがなければ、私の生活は成り立たないかもしれない。お酒は飲むなって言われてんだけど、私って昔からお酒大好きだから、それを我慢する方がダメな気がして。ちょっと言い訳がましいかしら?

 そういえば、昨日は高校生の子にナンパされたわ。笑っちゃうよね。私なんてもう、三十近いおばさんなのに。

 岡本くん。私、あなたのこと、ついさっきまで存在すら忘れていたのに、こうして会うと分かるものね。

 十数年会わなくても、人間ってなかなか他人のことを忘れられないのね。きっと心の片隅に、こびりつくようにして残るのよ。良い人も、悪い人も。

 良いことも悪いことも。人間は忘れるって言うけど、私は嘘だと思うわ。今でも職場の夢見るから。

 今日は彼と会うの。十九時に琴似で待ち合わせしてる。ここに来たのは偶然、ちょっと時間が空いたから読書でもしようと思って。

 あなたと会えて嬉しかったわ。ずっと昔、もう二度と会わないだろうなって思ってた人と会うと、なんだか不思議な感情が出てくるわね。

 そろそろ日が暮れてきたわね。私、行かなきゃ。

 琴似の駅でぼんやり待つのが好きなの。彼は白石で働いているんだけど、列車の音がする度に彼が来たのかな?ってワクワクするの。子供みたいでしょ?

 岡本くん。お話聞いてくれてありがとう。札幌、楽しんでね。もう会うことはないかもしれないけど、元気でね。

 私、中学の同窓会とか呼ばれないし、行くつもりもないから。

 ひっそりと暮らしていたいの。結婚とか、そういうのはこれから考える。まずは病気を治さなきゃ。







 会計は岡本が持った。コーヒー一杯が二杯に増えた程度、なんてことはなかった。

 別れ際に「またね」と柴原は言った。

 柴原が発寒中央駅へ歩いて行く。辺りはいつの間にか夕暮れ時を迎えており、高校生たちが続々と駅から出てきた。二度と会うことがないかもしれない彼女の後姿を見て、たまらず岡本は叫んだ。


「柴原! お前、なまら綺麗になったよ! その、彼氏が羨ましいよ! お前、色々大変だと思うけど、負けんなよ! 絶対、絶対負けんな! 親になれ、柴原! そしたら生きる意味ってもんが、きっと見つかるから! 幸せになってくれ!」


 柴原は振り返って笑顔を返した。夕陽に亜麻色の髪がよく映えた。


「ありがとう」


 声は聞こえなかったが、柴原は確かに言った。彼女の声は、美しい音色のように、岡本の脳に流れ込んできた。

 岡本はタクシーを拾った。実家に帰って親父と酒を飲もうと思った。今日はしこたま飲んで、久しぶりに札幌を楽しもうと誓った。

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