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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
3/11

喫茶ロマン

「おう、おはよう」


 休み明けで眠い目を擦りながら、通学路の西野屯田(にしのとんでん)通りで信号待ちをしていると、後ろから清水の声が聞こえた。


「おっす」


 振り返って短髪の松岡が返事をした。二人とも学ラン姿が様になっている。

 琴似(ことに)工業高校に通う彼らは、決まって朝に適当な場所で合流して、学校へ向かう。

 自転車通学も二年生になれば慣れたもので、桜の季節が目前になった札幌はぽかぽかと暖かかった。

 良い天気だ。見上げれば空には雲一つなく、太陽が新しい命を勇気づけるように輝く。

 短い挨拶を交わした後は無言で学校へ向け、自転車を走らせる。これもいつものパターンである。


「なあ、松岡」


 新道沿いの信号に引っ掛かったところで清水が声を掛けてきた。

 茶色に光る短髪が学ランとは不釣り合いで、本人が目指しているであろう方向とは逆に、芋っぽさを醸し出しているのだが、本人にそれは言えなかった。


「なした?」


「今日良い天気だな」


「そうだな」


 つまらん会話なら付き合うつもりはなかったので、適当な返事をした。

 新道は相変わらず交通量が多く、高架上の高速道路からもクルマの走行音が聞こえた。通勤ラッシュを迎えているためか、どのクルマも心なしかイライラしているように見える。


「なあ」


 冷めた態度の松岡に気付いてか、清水がぐぐっと自転車越しに近寄ってきた。

 眠そうな目には、小さな目やにが付いている。よほど眠いのだろう。大きく欠伸をかき、伸びをした。


「なんだよ、気持ちわりぃな」


「今日サボらね?」


 一見チャラそうでいて授業態度は悪くない清水にしては、珍しい提案だった。

 確かにこの気持ち良い天気で、気乗りしない月曜日の朝なら、少し魔が差しても不思議ではないかもしれない。


「サボるって、どこ行くんだよ」


「んー……そうだなあ。あ、あそこいいな。発中(はっちゅう)の近くに、モーニングやってる喫茶店あるんだよ。朝飯食ってねーし、旨いらしいから付き合ってくんね?」


 発寒中央駅近くに喫茶店があることは松岡も知っていた。

 だが、近くを通り掛かることはあれど寄った試しはないし、高校生がモーニングを頼むのもなんだかシュールな気がした。


「な? いいだろ。コーヒーくらいは奢るからさ。バイト代入ったばっかだし」


 何となく渋る松岡を、清水は強引に急かした。

 ここまで言うのなら、この天気と週明けの怠さに免じて、こいつのワガママに付き合うのもいいだろうと思った。


「しゃーねーな。分かったよ。したら行くべ」


 こうして、めでたく松岡と清水は欠席扱いとなった。







「うんめー! このトースト! お前も食うか?」


「要らん」


 喫茶ロマンに着いたのは、西野屯田通りから逸れて、函館線沿いの道を走ってから、十分足らずであった。

 発寒中央駅からほど近い古ぼけた雑居ビルの一階に構えており、外観とは裏腹に店内は清潔であった。

 学校をサボった清水はすっかり舞い上がっているらしく、なんでもなさそうなトーストを、この世にこんな旨いものがあるのかと言うような表情で貪っている。

 松岡はそんな清水を尻目に、ホットコーヒーを啜りながらぼんやりと店内を見渡した。

 電気工事関係の人間だろうか。社名までは読めないが、グレーの作業服を着た男が新聞片手にトーストを頬張っていた。その様子はどこか晴々しく、この天気のおかげなのか、それともなにか良いことでもあったのだろうか。

 清水はようやくトーストを食べ終えると、ふぅっと大きくため息をついてコーヒーを飲んだ。


「俺、一度やってみたかったんだよ」


「何を?」


「こうやって、喫茶店で飯を食うってこと」


 松岡は苦笑した。喫茶店で飯を食いたいのならば、何も朝早く学校をサボってまで実行するような内容でもあるまい。


「ずいぶんと小さい野望だな」


「小さなことからコツコツと、だろ?」


 松岡からの低評価に、清水は担任の小西先生が口酸っぱく言う台詞を返してきた。

 喫茶店でモーニングを楽しんだところで彼らの欠席は消えないし、むしろ小西先生の教えに反している気もしたが、面倒なので松岡は黙りを決めた。


「これからどうするつもりだ?」


 松岡が聞いた。朝食を終えたと言っても、まだ八時を少し回った頃合いである。

 清水は放課後の定番になっている、新川のキャッツアイにでも行くつもりかもしれないが、あいにく十時にならないと開かない。

 踏切の音がウィンドウ越しに聞こえる。快速エアポートが汽笛を鳴り響かせながら走り去っていった。


「そうだなー。ま、ここにもう用事はないし、どこかへ遊びにでも……」


 清水が伸びをしながら店内を見渡すと、何かを見つけたように固まった。

 まさか担任教師がいるはずもないが、念のため松岡も警戒して清水の視線を追った。

 そこに座っていたのはロングヘアの女性だった。文庫本を読みながら、モーニングのトーストとホットコーヒーを食している。

 まさか……と思ったが、清水の目の色が変わったのを見て、松岡はうなだれた。

 この男は面食いである。そして妙な自信と、ほとんど成功しないナンパ術を持っている。要するに、あの正体不明の女性とお近付きになりたいのだろう。


「お前、まさか」


「ああ。あれはなんま美人だぜ。見たことねえくらい」


 ダメだ。

 清水を置いて帰ろうかとも思ったが、何となく自分が保護者になった気がして放っておけなかった。


「俺はちょっとトイレに行ってくる。松岡、いいか、待ってろよ。すみません、コーヒーお代わりください! 二つで!」


 ただでコーヒーが飲めるなら付き合ってやらんでもないが、思いがけず清水が本気だったことは、松岡を混乱させた。

 彼女が何者かはさておき、高校生なんか相手にしてもらえないだろう。

 あの亜麻色の髪を持つ女性は、見たところ三十歳手前。まつ毛が長く、ぱっちりとした二重まぶた。

 端整な顔立ちは優しさを感じたが、一回りも離れた子供にナンパされても、困惑されるか笑い飛ばされるのが関の山だ。

 はぁ、と小さくため息をついた松岡だったが、清水のサボりに付き合ってしまったのが運の尽きか。


「おし、待っててくれたな! してよ、どうやって声掛ければいいかな?」


「お前本気で言ってるのか? あの人は俺らよりずっと年上だぞ」


「年なんて関係ない! ここで出会えたのも何かの縁だぜ」


「したって、どうするよ? あの人はまだトーストも半分くらい残っているし、俺らは追加のコーヒーだけ。学ラン姿でいつまでも居座ったら、店にも迷惑だぜ」


「うーむ……」


 清水は腕組みして考え込んだ。勉強にもこれくらい悩めばいいのに、こいつはつまらんことにはよく頭を使う。

 松岡は初っ端からお近付きになろうなんて思っていなかった。

 あれだけの美女が一人身とは思えなかったし、あまりじろじろ見るのも失礼だろう。

 清水はその点、おかまいなしに女性を凝視している。一重まぶたの横顔が、妙に幼く見えた。


「よし、決めたぞ!」


 向かい合った顔を寄せて清水はにやけながら言った。

 何を決めたのか知らんが、こんな表情で近付けば、女性は絶対に引くか逃げていくだろうと思うと、松岡は笑いをこらえるしかなかった。


「あの人が出るタイミングを見計らって俺らも出る! そんで、そこの道でアタックだ! 松岡は余計なことすんなよ」


「へーへー。分かってますよ」


 決めたも何も、店内で接近するわけには行くまいし、清水が本気でお近付きになりたいのなら、それがベターであろう。結果は見えているが。







 十分ほどしただろうか。

 女性は読んでいた文庫本を手提げ鞄にしまうと、残っていたコーヒーを飲み干して席を立った。

 清水は待ってましたとばかりに後を追う。松岡はうんざりと鞄を持って立ち上がった。

 会計を済まし、店を出ると春の陽気がさらに増していた。

 道端に生えているツクシが、誇らしげに空へ向かって伸びている。その周りには、競い合うように仲間たちが背を伸ばしていた。


「あ、あの、すみません!」


 上ずった声で清水が女性に話しかけた。

 亜麻色のロングヘアが春風に揺れる。映画のワンシーンのように美しい。


「はい?」


 彼女の髪のように、透き通るような声だった。

 振り返った細い身体を見て、胸はあまり大きくなさそうだ、と松岡は思った。

 淡いブルーのジーンズに白いシャツ、黒いジャケットを羽織っていた。


「どうかしたの?」


 声の主が年下ということもあってか、女性の声はホッとした声になった。

 横目に清水を見ると、脂汗など浮かべてまるで戦地へ赴くようである。こんなに緊張していては、相手も何事かと思うだろう。


「あ、あの! 一目惚れしました!」


「…………」


 笑ってはいけない。これは清水のいいところでもあるからだ。

 こいつはフラれることには慣れているが、純粋無垢と言うか、とにかく突っ走る癖がある。まるでイノシシのようであるが、だからこそ、裏表のないさっぱりとした付き合いにもなる。

 あまり他人に興味がない松岡が清水と親しくなれたのも、誰にでも平等に、彼らしさを表現する姿勢が大きかったのかもしれない。


「あらあら……ふふふ」


 女性は上品に微笑んだ。ただの同伴者の松岡ですら、その美貌に目を奪われた。

 清水のようにナンパこそしないが、彼女の笑顔には誰もが感動を覚えることだろう。


「お、俺、清水っていいます! 琴工(きんこう)に通う、清水博樹です! 博樹の字は、博識の博に、大樹の樹の字です!」


「そう。博樹くん。ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ」


 あっさりフラれた。

 松岡には分かった。彼女の「気持ちだけ受け取る」のは、日本人の麗しき拒否の文化である。

 無視をされなかっただけ、マシだと思うべきだろう。


「あ……あ、あの……」


「ごめんね。私、行かなきゃならないところがあるの。それに……」


「それに……?」


「ふふっ。博樹くん。チャック全開よ」







 清水の恋愛物語は三十分で終わった。大急ぎで自転車に乗り込むと、ダッシュで逃走してしまったからである。「すみません、失礼します」と挨拶し、その姿を追う松岡を見て、彼女はどう思ったのだろうか。

 フラれたことはあまり気にしていない様子だが、チャック全開を指摘されたのは致命的に恥ずかしかったようで、いつも喜色満面な清水にしては珍しく、しばらく俯いていた。


「まあ、元気出せよ。お前がフラれるのなんていつものことだべや」


 松岡は大して役に立たないフォローを入れた。清水はまだ若干ダメージが残っていたようだが、やはり立ち直りも早かった。


「そうだな。よく考えたら、あの人より綺麗な人、いるよな?」


「あ、ああ。そうだな」


 松岡も同調したが、あんな美人が発寒の片隅に存在していたことに、少なからず衝撃を受けていた。

 朝からのナンパ劇になんだか疲れてしまった二人は、とぼとぼと自転車を押しながら、二車線の新琴似通りを歩いていた。


「なあ、話は全然変わんだけどよ」


 突然清水が切り出した。顔色はいつもの調子に戻っている。


「来年、俺ら就活だの進学だのだべ? 松岡はなんか決めてんの?」


「あー……いや、俺はまだ何も考えてねーな」


「そっか……」


 先ほどまでとは打って変わって、やけに真面目な話になってきたことに違和感を覚えた。清水はまっすぐに前を向いている。

 何か目標があるのだろうか。迷いのなさそうな表情だった。


「お前はどうすんだ?」


「俺か? 俺は北海道を出る。東京に行きたい」


「東京に?」


 東京の名を出すのを見て、彼がスワローズのファンだということを思い出した。

 しかし、たったそれだけの理由で東京を目指すのだろうか。スワローズの試合を観たいなら、札幌ドームでも良いではないか。

 神宮球場で観戦したいなら、観光がてら旅行でも楽しめる。


「俺、大学とか専門とか、勉強に興味ねーんだわ。学校出たら東京で働いて、今度こそ可愛いねーちゃん見つけて、結婚して……って人生設計よ。どう?」


 どうと言われても松岡には返しようがなかった。清水の人生は清水が決める。

 彼らはもう、自分の人生を自分で決める頃合いに来ているのだ。いつまでも、親や先生が決めてくれるのを待つ年齢ではないことを、松岡は静かに思い知らされた。


「そうか。俺は……まだ分かんねーけど、残るかな、札幌に」


 松岡はぼんやりと答えた。

 清水の耳にそれが入ったのかどうか、自分のこれからについてメラメラと燃えているらしい。表情から強い覇気が伝わってきた。


「松岡! 映画観ようぜ」


「映画?」


「ああ。なんでもいいや。なんか、ここにいてもつまらんし、発中(はっちゅう)の駅から列車に乗って、街に行こうや。シネマフロンティアにさ」


 悪くない提案だと思った。どうせこの辺りをフラフラしていても、補導されるか帰宅するかである。

 ぼんやりと何もせず補導されるなら、街にでも繰り出して遊んでいた方が幾分マシだろう。


「よっしゃ、したっけ行くべ!」


 清水は歩道をUターンすると、発寒中央駅へ向かって自転車を漕ぎ出した。

 急に全速力になった。


「おい、待てよ」


 松岡は慌てて追い掛ける。

 こんな日がずっと続く。松岡はそう思っていたが、清水はもう先を見据えている。

(自分も何か、目標を立てよう。進学にせよ就職にせよ、北海道で生きよう。清水は東京で、俺は札幌で、それぞれ生きていく。きっとそんな未来が待っている)

 松岡は自然と笑顔になっていた。


「ああ、気持ちいいなあ松岡! 最高だわ、札幌の春は!」


「そうだな、清水」


 高校二年。

 暖かな日差しが降り注ぐ美しい北海道で、彼らの人生を占う時間が始まった。

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