上司と部下(4)
高取に礼を言い、青木は三階にある休憩室へ向かった。
畳張りの和室で、小さな液晶テレビと押し入れがあり、テーブルが置かれ、座布団が敷かれている。
(よかった、誰もいない。問題は、出てくれるかどうかだな……)
青木は柴原に電話を掛けた。
『……もしもし?』
柴原の声がした。彼女の美しい亜麻色の髪がまぶたの裏に浮かんだ。
「ああ、梨恵か? ごめんな突然。今、大丈夫かい?」
『うん、大丈夫だよ。ちょっと外だから、うるさいかもだけど』
「ありがとう。あの、夏祭りの日に会った岡本さんって人と連絡が取りたいんだけど、連絡先って分かるか?」
『岡本くんの? ……ごめん、智ちゃん。私、岡本くんと特別親しいってわけじゃないし、分からないわ』
青木はがっくりとうなだれた。
(そうか、頼みの梨恵が知らないと言ってるなら、もうどうしようもないか……)
『もしもし? 智ちゃん、大丈夫?』
「あ、ああ、ごめん。大丈夫だよ。ええと……そうだなあ。じゃあ岡本さんってどこで働いてるか分かる?」
『岡本くんはJRだけど』
「JRの、どこ?」
『あ、そっちね。えっと……どこだっけ。名前が出てこないわ。北海道新幹線の……奥津軽……奥津軽……いまべつ! そう、奥津軽いまべつって言ってた気がする!』
「奥津軽いまべつだね! ありがとう! ごめんな突然。助かったよ」
『ううん、大丈夫。お仕事頑張ってね。またね』
電話が切れた。そうだ、奥津軽いまべつ駅だ。北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅。
確かに岡本はそう言っていた。奥津軽が一体どこなのかは検討も付かないが、駅と言うからにはお客様窓口みたいなものがあるだろう。
そう思いスマホで調べてみると、電話番号が出てきた。ここだ。藁にも縋る思いだった。ここに掛けてそれでもダメなら、もう諦めるしかないかもしれない。
祈るような気持ちで、青木は奥津軽いまべつ駅に電話を掛けた。
『お電話ありがとうございます。奥津軽いまべつ駅、駅長の東が承ります』
「もしもし? お世話になっております。わたくし、北海道システムワークス株式会社の青木と申します」
声が上ずった。まさか駅長が出るとは思わなかった。
『北海道システムワークス様……お世話になっております。ご用件は何でしょうか?』
若干怪しんでいる風に東駅長の声が聞こえた。
まあ、そうだろう。こんな小さな会社名が、青森の地に届いているわけないし。
「あ、あの、岡本さんっていらっしゃいますか?」
『岡本ですか。申し訳ありません。岡本は本日休みでして』
あちゃー。こりゃ無理だ。縁もないならもうダメだ。青木はそう思った。
『もしもし?』
黙るこちらを不思議がり東駅長が続ける。
「あ、ああ、すみません。そうですか、お休みですか……」
『ええ、申し訳ありません。あの、岡本にどういったご用件でしょうか?』
電話を切ろうと思ったが、東駅長に聞かれたので、一応説明しようと青木は思った。
「はい。実は弊社では、御社の列車在線位置を表示するアプリを開発しているのですが、不具合が多く、指令に設置させて頂いている装置の状態を確認したいと思っているのです」
『列車の在線位置を……それはスマートフォンとかで、ですよね。函館支社ですか?』
しまった、と青木は思った。
考えてもみれば、北海道新幹線が延びるのは新青森から新函館北斗までの間。これは多分本社の管轄内ではない。東駅長の言う、函館支社の管内なんだろう。
「いえ、函館ではなく、札幌の指令なんです。札沼線で試験を実施させて頂いてまして……」
『左様ですか。そうなると本社管内になりますね。弊社には三つの支社がございまして、担当エリアが異なるものですから、札幌圏については何とも申し上げにくいですね』
東駅長は大変物腰が柔らかく、青木の説明を興味深そうに聞いてくれた。
その姿勢が嬉しく、つい電話を切るタイミングを逸してしまったため、青木はもう全部話してしまえとやけになった。
「そうですよね、申し訳ありません。ただ、その札幌の本社管内にある指令に入り、装置の状態を点検させて頂きたいのですが、かなり専門的な物になりますので、その装置のメーカーと弊社の社員が立ち入りたいのですが」
『はい』
「指令の場所が分からず、立ち往生しているのです。弊社はJR様の協力会社ではない、一ソフトメーカーでありまして、協力会社の方を経由しようにも伝がなく、困り果てておりまして。電気部の方にご協力頂いているのですが、指令の場所は教えられないと言われておりまして……」
『はあ……そうだったのですね。ううんそうですか、札幌指令ですか……少々お待ち頂いてもよろしいですか?』
「は、はい、すみません」
東駅長は保留ボタンを押したらしい。エリーゼのためにが流れる。
どれくらいそうしていただろうか。もう切ってしまおうか。切って「ダメでした」で終われば簡単なのに、青木はなぜか自分が持っているスマホを握り締めて離せなかった。
『お待たせして申し訳ありません。あの、電気部の誰が、御社に協力しておりますか?』
ややしばらくして、東駅長が尋ねてきた。
「通信課の朝山課長という方です。ご協力は頂いているのですが、指令の場所は機密事項だからと……」
『ああ! 朝山ですか! かしこまりました。そうですか、朝山が……。ううん確かに、指令の住所は機密事項になるかと思いますが、担当が朝山なら、許可を得ることができるかもしれません』
「え?!」
青木はスマホを落としそうになった。
なんだって? どこにあるかもよく知らない駅の駅長さんが、朝山課長と繋がっている?
『ええ。朝山と私は、以前一緒に仕事をしていたことがございますので、ある程度の無理は通ると思います。あの、ちょっとお時間を頂いてもよろしいですか? 朝山と話してみますので、御社……システムワークス様の、お電話番号を教えて頂けますか? それと、担当の方を』
「あ、ありがとうございます! はい、担当はわたくし青木で、電話番号は……」
まさか、であった。
何となく柴原と訪れた夏祭りの会場で知り合った岡本が勤務する、奥津軽いまべつという、遠く遠くの辺境の駅で駅長をしている人が、列車追跡アプリに興味を示してくれて、おまけに朝山課長と繋がっていて、何とかならないか話してみてくれるらしい。
縁か……これが縁と人脈か。
柴原梨恵という女性と付き合っていなければ、決して知り合うことのなかった岡本という男を経由して、東駅長に辿り着いた。
そして、その東駅長は朝山課長と繋がっていて、何とか指令に立ち入れるように取り計らってくれるらしい。なんでだ、どうしてJRの社員はみんなそんなに親切なんだ。青木は目頭が熱くなった。
「おう、戻ったか。あれ、なした? 目赤いけど、別れ話でも切り出されたか? ああ違うのか、なあんだ。へへへ。で、どうだった?」
「大成功ですよ、高取さん。僕が電話したのは奥津軽いまべつっていう、新幹線の駅なんですけど、そこの駅長さんが朝山課長と仲良しらしくて、何とかなるかもしれません」
「マジかよ、やるじゃねえかお前! そういうのだよ、俺が言ってるのは! そうか、そういや朝山課長言ってたもんな。昔、駅の電話とか弄ってたって。鉄道の通信屋は駅の電話とか、列車の無線とか、いろんなもんを相手に仕事してるらしいけど、その奥津軽なんちゃらって駅の駅長さんが、昔、朝山課長のお世話になってたとしても、不思議じゃないよな。逆もあるかもしれないしな。駅員が通信屋のお願いを聞くことだってあるだろう。持ちつ持たれつなんだろうな、鉄道の世界も」
「そうですね……。それにしても、まさか僕の恋人の知り合いから、こんなに話が飛躍するなんて……」
「青木。それが縁ってもんなんだよ。それにその人脈は、お前しか持ち合わせていなかった。俺はお前の恋人を知らないし、ましてその恋人の知り合いなんて全く知らない赤の他人じゃねえか。お前、すげえよ。運も実力の内だよ。電話を待とうぜ」
それからしばらく二人はプログラムの確認等を行っていたが、夕刻頃に突然電話が鳴り、他の女性社員から「青木さんに、JRの方から電話です」と来たときは、遂にか……と青木は腹を括った。
「もしもし、青木です」
『やあ青木さん、お疲れさまです。電気部の朝山です』
東駅長かと思えば、朝山課長だった。電話越しにふうふう言っているのが伝わった。
「朝山課長、いつもお世話になりすみません」
『いえいえ、なんもですよ。ところで青木さん。どうやって東さんとお知り合いになったのですか?』
単刀直入に朝山課長は聞いてきた。
(そうか、東駅長は、あの後本社に電話してくれたのか。そして話してくれたのだろう。僕らがどうしても指令に乗り込みたいって旨を)
青木は静かに感謝した。
「たまたま奥津軽いまべつ駅に知り合いがいたのです。その方とお話しようと思ったのですが、お休みだったので……それで、東駅長が話を聞いてくれました」
『そうですか。いやはや困りましたね。東さんからの頼みとなれば、私も無下に断れませんね。ううん、本当はあまりよろしくないのですが、私が立ち会うという条件で良ければ、そのサーバーのメーカーとあなた方とで、指令へ行きますか?』
(来た! 朝山課長が立ち会ってくれるなら安心だ! やっと、やっと本丸、指令に乗り込める!)
青木は勇んだ。
「はい! 是非よろしくお願いします! 実は金曜日にメーカーが来るのですが、朝山課長の予定は大丈夫ですか?」
『金曜日ですか? ああ、この日は空いてますね。そうですね……十時頃に、桑園の本社で待ち合わせますか。そこから私がご案内して、立ち合いさせて頂きます。ええと青木さんと、高取さんと、メーカーの方は何名ですか?』
「メーカーは一人で来ると思います」
『かしこまりました。では来客三名で指令に予約を取っておきますので、何とか手配しましょう。今回は特別ですから、機密事項になりますから、くれぐれも内緒にしてくださいね。では、失礼します』
電話が切れた。やった! やった! やった!
知らぬ間に青木はガッツポーズなんかを決めていた。とうとう手繰り寄せた、この細くて長い紐を!
「どうだった?」
高取がチョコクッキーを齧りながら聞いてきた。
「ばっちりです! 金曜の十時、JRの本社で待ち合わせです! 寺田さんにも伝えてください!」
「よっしゃ、よくやった!」
その日の青木はすっかり舞い上がってしまい、指令にある送受信サーバーについて高取と話したり、プログラムに不備がないかをチェックしたのだが、頭に残らなかった。
自分が何か巨大な仕事をしてしまった気がしていた。JRが「ダメ」と言って教えてくれなかった場所に、とうとう辿り着いたのだ。
その後、水曜日、木曜日と列車追跡は続けたが、相変わらず不具合が発生し、軽微なバグはその都度直していったが、遂に本当の不具合は究明できず、やはりサーバーが何らかの悪さをしているだろうと木曜の夕刻に高取が結論付けて、久しぶりに残業をせずに帰った。
九月六日、金曜日の朝。
(これから指令に乗り込んで、そこで寺田に中身を確認させて、不具合の大元を見つけ出し、絶対にシステムを生かしてやる!)
青木は燃えた。それを尻目に、一応お邪魔するからとネクタイは締めていないものの、相変わらず似合わない背広を着込んだ高取は煎餅を齧っていた。
始業のベルが鳴った後、高取と青木は資料やノートパソコンなどの道具を準備して、ライトバンに乗せた。そろそろ出発すればちょうど十時頃に桑園へ着くだろう。
「ではいつも通り僕が運転しますので、キーをください」
青木がそう言うと、高取は「ダメだ」と首を振った。
「え? 高取さん、運転したいんですか?」
妙だなあと思った。高取は運転が上手だが、進んでするタイプの人間ではないからだ。面倒くさがって、いつも後輩の青木が運転するのが二人の仕事の仕方だった。
それが今日に限って、自分が運転すると言う。どうしたんだろう急に。
「違う」
ガムを噛みながら高取が短く返す。
「違うって、じゃあどうして?」
青木は首を傾げながら尋ねる。
「お前は会社に残れ」
「は?」
意味が分からなかった。
なぜこの期に及んで残らなければならないのか。
(まさか高取さんは、手柄を横取りするつもりなんじゃないだろうか。そんなことをする人だと思わなかったが……)
青木にはそうとしか考えられなかった。
「高取さん、どうして……」
青木が聞くと、高取は噛んでいたガムを包み紙に出して返答した。
いいか、よく聞け。
お前が指令に行きたい気持ちはよく分かる。
どんな所なのか気になるだろうし、実際に寺田を連れてサーバーを触ったりして確認したいだろうし、責任感みたいなもんもあるんだろう。お前はプロジェクトのリーダーだからな。
だけどな、JRの指令がどんなところかは俺も知らねえが、俺みたいなデブと、お前と寺田は細いとしても、俺くらい立派な体格の朝山課長と四人で、そんなにデカくもねえサーバー囲んであれやこれやと作業していたとするだろ。それじゃ指令員の邪魔になるだろ?
それに何より大事なのは、これから俺らが行こうとしてるのはJRの頭脳みたいなとこだ。
そんなところで万が一、まあなんもねえとは思うが、万が一サーバーが大暴れして、列車運行が停止したらどうする? 札沼線だけじゃなくて、千歳線やら函館線やら、ドル箱路線まで止めてしまったらどうする?
誰が責任を取ると思う? 朝山課長か? 朝山課長も責任は問われるだろうな。だって朝山課長が招き入れた客がやらかすんだから、何かしらの形で罰則みたいなもんはあるだろう。でも朝山課長はクビにならないだろ、多分。
じゃあ実際にサーバーを弄る寺田か?
いや、寺田でもないだろう。だって寺田は俺らの仕事の協力者として指令に行くんだから、なんかあっても「そんなの知りません」で通せば逃げられる。
じゃあ誰になるか。分かんだろ?
お前だよ。リーダーのお前が責任を取らされちまうんだ。お前が責任者として作業するんだから、万が一列車を止めたりしちまって、JRから損害賠償みたいなのを請求されちまったら、キャリアが浅いお前なんか真っ先にクビになるぞ。
お前は真面目で頑固なやつだから、何か起これば「高取さんは関係ありません、僕の責任です!」って言い張るんだろうけど、もしもそうなっちまったら、社長もさすがに庇いきれないぞ。
いいか青木。お前はまだ若い。これからもっともっと伸びる。俺はそう思ってる。そんなやつが、わざわざ危ねえところに行く必要はない。こういうのは、年長の俺が責任を取らなきゃならねえんだ。
なんもなく無事に帰ってきてやるから、お前はリスのアプリでも作って待ってろ。
必ず原因を見つけてやる。寺田の野郎をぎゃふんと言わせてやるから、黙って待ってろ。いいな。
これは、上司の高取から直々の命令だ!
呆然と見送る青木を尻目に、高取が運転するライトバンは走って行ってしまった。
その後オフィスに戻った青木は、言われた通りリスのアプリを制作しつつ、連絡を待った。待っても待っても、連絡はなかった。
いつもの十二時四十分になった。青木はスマホに入れた試験用アプリを見る。列車アイコンが表示される。
列車は確実に走った。桑園に到着し、分岐して八軒方面へ走り、そのまままっすぐ、確実に走っていた。
+0。遅れはなかった。それどころか初めて一切の不具合がなく、あいの里教育大を越え、石狩太美を越え、石狩当別に入っても、確実に列車アイコンは表示された。
とうとう終点の北海道医療大学に着いた。十三時二十三分。定刻通りの到着で、遅れは+0だった。
システムは復旧した。
指令に入った名も無きエンジニアたちが、復旧させたのだ。何らかの不具合の種みたいなものを発見し、無事に復旧させた。
青木は念のため、JR北海道のホームページを開いた。札幌圏のダイヤは乱れていなかった。
「ありがとうございます……高取さん」
そう呟くと、青木は目頭が熱くなった。
自分たちが作ったアプリの試作品が、完成を迎えようとしていた。令和元年九月六日、金曜日の昼下がりであった。
(そうだ、今日は金曜日だ。今日は梨恵に会える。彼女に会って感謝を述べなければ、そして報告しなければ。とうとう我々のプロジェクトが、やっと形になりそうだということを。土日の試験を経て問題なければ、井上社長に最高の報告ができる……)
ペンギンゲームをベースとしたリスのアプリは、完成しようとしていた。




