上司と部下(3)
大きな前進がないまま翌日を迎えた。この日はいつものTシャツにジーンズ姿で高取は出社した。
今日は朝山課長も立ち会わないし、僕たちだけだから問題ないけど、クールビズとはいえワイシャツに背広のズボンを履いている自分とは、何だか不釣り合いと言うか、変なコンビに思われそうだなあと青木は感じた。
「指令に電話したけど、今日もいつも通り、十二時四十分に札幌駅を発車する列車だ」
「分かりました。今日もよろしくお願いします」
「おう。まあ昨日ほど酷くはないだろ。ありゃ朝山課長が持ってきたんだよ、きっと。あの人持ってるんだよ。俺は昨日嫁さんに怒られたよ。いい加減さっさと帰れって。そりゃそうだよな、一応新婚なのに土日も関係なく留守なんだから、イライラもするわな」
そう言う高取を見て青木は申し訳ない気持ちになった。
そもそも自分が列車追跡アプリなんて無茶な企画を持ち出さなければ、高取はきっと定時とは言わなくても普通に夜には帰り、奥さんの作ったご飯を食べて、普通に生活していただろう。
最近はひたすら毎日列車を追い掛けて、無益とは言わないがあまりにも結果が出ない日々が続いている。
クルマ通勤の高取は別として、青木は行きも帰りもJRなんだから、終電間近の空いた列車でガタンゴトンと揺られるだけでため息が出た。
「あ、そうだ。寺田の野郎、あいつ昨日連絡寄越さなかったよな。まだ朝だからいるかな……どれ。もしもし、システムワークスの高取と申します、お世話になってます。寺田さんいらっしゃいますか? あ、はーい」
今日は、どうやら寺田はいるらしい。
まだ始業前だし、機械メーカーに勤める人たちはあっちこっちに出向いて、いろいろな装置を直したり確認しなきゃならないそうだから、朝に捕まえるのが一番手っ取り早いだろう。
「おお寺田。久しぶり。元気か? それでよ、例のシステムなんだが、お前んところに予備の基盤とかってあるか? ああ、あるんだ。いやな、別にお前の作ったもんを疑うわけじゃねえんだけど、発信機もソフトも、あんまり問題なさそうなんだわ。それでよ、技術者のお前に来てもらって、ちょっと中を開けて様子を見て欲しいと思ってるんだよ。金ならちゃんと払うからよ、何とか頼めないか? 明々後日ならいい? そうかサンキュー。金曜な、金曜の何時頃だ? とりあえず終日大丈夫か。そりゃ助かるわ。じゃあ予備基盤とか、諸々持ってきてくれや。ただ前も話したけど、サーバーはJRの指令にあるから、向こうさんの許可下りてからになるから、ちょっとまた掛けさせてくれ。今日は外出か? 夕方には戻るんだな。分かった。ありがとう」
高取は頑固な寺田をイライラさせないように、気を遣いながら電話しているのが見て取れた。
どうやら金曜日に来てくれるらしい。予備の部品とかも持ってくるらしいし、寺田は用心深いので、多分ソフトを書き換えるためのパソコンとかも持ってくるだろう。問題は場所である。
これが一番の難題と言えた。まるで分からない。まさかJR北海道の本社に電話して「指令ってどこですか?」と問い合わせるわけにいかないし、仮に聞いたところで答えてくれるはずがない。
大企業を相手に商売するのはこういう問題があるのか……と、青木は頭を抱えた。
「青木、とりあえず寺田は大丈夫だ。あとは場所だな。どうするかね、朝山課長にどうしてもお願いしますって泣きつくかね?」
「ありがとうございます。朝山課長に泣きついてもいいですが、散々迷惑掛けてるのにこれ以上を求めるのは、なんか悪い気がしません?」
「お。お前も分かってきたじゃねえか。そうだよ。俺も朝山課長に頼る気なんて最初からなかった。恩を売るのは良いけど、あまりこちらが買いすぎるのは良くない。いずれしっぺ返しにあうからな」
「そういうもんなんですか。ううむ、それにしても困りましたね。僕たちにとって唯一の知り合いというか理解者は朝山課長ですから、そのパイプを自ら塞ぐことになりますね」
やれやれと二人して首を振った。本当にJRという会社は謎である。社員は沢山いそうなのに、あまり公に「私はJR社員です」と言っている人を見たことがない。
そういう方針なんだろう。必要以上に自分からアピールしないように、教育されているのだろう。そしてそれは正しいと青木は思った。
ヤクザがJRに悪さをするなんてことはないだろうけど、例えば得体の知れない国の関係者がJR社員に接近して、酒を飲ませていろいろな情報を盗んで、そこから指令だの本社だのの機密事項が漏れてしまったら、下手をするとテロとか戦争とか、そういうのに巻き込まれかねない。
「青函トンネルは軍事用だ」と、青木は自衛隊オタクの父から教わっていた。青函トンネルを走る貨物列車に、自衛隊の戦車とかを乗せて北海道へ持ってきたりできるらしい。なるほど、そう言われると青函トンネルの情報があまり漏れてしまうと、日本の国防にも関わってくる気がする。
それに比べてシステムワークスなんて平和なもので、やれペンギンを育てるゲームだの、リスを育てるゲームだの、当たり障りのないというか、そもそも役に立つのかどうかすら怪しいアプリばかり作っている。
たまにゲームがヒットしてそこそこの売り上げを記録したりするが、このまま大当たりがなく、小さな当たりをちょこちょこと飛ばすだけの会社なら、面白くはないだろう。
そう思って青木は列車追跡アプリを開始したのだが、これは大失敗に終わるかもしれないと思い始めていた。
JR北海道まで巻き込んで、井上社長にも頼り、メーカーにもお世話になっているのに、やっているのはいつも失敗に終わる列車との鬼ごっこ。
「おい、青木」
「はい? どうかしました?」
「お前失敗するだろうなとか、そう思ってただろ」
「え、なんで分かったんですか。そんなに顔に出てました?」
「まあ面を見ても分かるけど、お前考え込んでるだろ。いいか、考えても考えても良い案が出ないことなんて沢山あるし、上手くいかないことだって腐るほどある。だがな、笑え。笑って仕事しろ。難しい顔すんな。俺はこんなに難しい仕事してんだぞって胸を張れ。俺が前にやったペンギンのゲームなんて簡単そのものだったじゃねえか。あれなんて毎日定時に帰れるし、売れてるかどうか別にして楽勝だったろ? でも終わってから、やった!とか、俺が作ったんだ!とか、そういう達成感みたいなものは、あんまりなかっただろ? あのペンギンがいくらか売り上げたとしても、うちを支えるほどの稼ぎ頭かって言われたら、全然そんなことない。ショボいゲームじゃねえか、つまんねえし。だろ?」
高取の言う通りだった。確かにペンギンのゲームは楽勝だった。絵を描いて、育てるための育成プログラムを組み、実際に機能するか確かめる。
バグは当然しこたまあったし、手直しも掛かったが、それでも予定通り六月末に配信できた。
しかしだからといって、ペンギン好きな柴原に「こんなのができたよ」と紹介する気にはなれなかった。
そもそも高取が企画したからと言うのもあるし、高取の言う達成感みたいなものが得られなかったからだ。何となく作って、何となく売った。そんなゲームだから売り上げも何となくだったし、そうだろうなとも思えた。
それに比べて列車追跡アプリは、成功するかどうかは不明にしても、もしも成功すれば、こんなに便利なものを作れました!と胸を張れるだろう。
柴原にだって、早速ダウンロードさせてモニターしてもらうつもりだ。難しい仕事には違いないが、やり甲斐はある。難しければ難しいほど、燃えている自分がいる。青木は気付いた。
(そうだ、笑うんだ。笑って仕事するんだ。高取さんがいつも口酸っぱくして言っている、笑って仕事をする時が、今は来ているんだ。だから笑わなければならない。思えば高取さんはどんなに結果が悲惨でも、ニヤニヤしながら「ダメだこりゃ」とか言ってクッキーを齧っていたが、自分はどうだろうか。難しい顔をして、周囲の空気まで暗くしていたのではないか。そんな空気では上手くいくもんも上手くいかないだろう)
「分かりました、高取さん。笑って仕事します。今まですみません。僕、高取さんの前でも、朝山課長の前でも、難しい顔ばかりしてたかもしれません」
「おう、笑おうぜ。仕事なんて、所詮は生きるための暇潰しだ。笑って楽しくやらないと損だ」
高取が言い終えると、始業のベルが鳴った。
点呼を終えると、高取と青木は再びプログラムを相手に悩み、昼は早飯し、十二時に会社を出て、いつもの列車追跡試験を開始した。
試験はぼちぼちだった。札幌を出た列車は桑園に行き、桑園から分岐して八軒方面へ行く。遅れ時刻は+0のままで、運行状況も良好だ。
しかし今度は石狩太美で一瞬、列車表示が消えてしまった。石狩太美を越えると再び列車表示は回復した。
その後点滅を繰り返しながらも、もういつもの光景だからか指令が連絡してくることもなく、二人でチョコレートでも齧りながら「今日もダメでしたね」なんて話していた。
帰社後、高取は「今日は良い方だったな。今日乗ってくれりゃ良かったのに、課長も」と言って青木を笑わせた。本当に朝山課長はついてないと言うか、持っている人である。
昨日に比べれば可愛い不具合だった。しかし列車が消えたり点滅したりするからには、何らかの問題があるのは確かだった。
ソフト面かとも思えたが、既に改良に改良を重ねて、一体今のバージョンが何番目なのか誰も把握していないくらいだった。これ以上弄りすぎると、かえって深みに嵌まる。青木にはそんな予感がしていた。
「うーん、困ったな。明々後日には寺田がうちに来るが、肝心の装置がねえんじゃどうしようもねえな。例えばJRに一回外してもらって、ここへ送ってもらうって手も一応あるが、ここで動いたとしても指令で動いてくれないと意味がねえからな。指令に直接出向いて、そこで作業させてもらうのが一番良いと俺は思っているんだが、お前はどう思う?」
「僕も同感です。実際、社内試験では全然問題ありませんでしたし、もう一度ここへ持ってきて不具合が出たとして、それを直してまたJRの直轄に付けてもらうのは、なんか申し訳ないですし、上手くいく保障なんてありませんからね」
「だよな。どうせやるなら、現地でやらないと意味ねえよな。環境も違うだろうしよ」
高取はふうとため息をついてコーヒーを飲んだ。右手にはマグカップを、左手にはドーナツを持っている。ティータイムだろうか。
ううむ、それにしても本当に困った。指令に行きたい。何とか指令に辿り着かないことには、このプロジェクトは解散せざるを得なくなる。
損害は装置代と、せいぜい社用車のガソリン代くらいだから、井上社長は「まあしょうがないねえ」と許してくれると思うが、次に青木がプロジェクトを任されるのがいつになるのかは分からない。あいつはまだ若くて任せられないと思われてしまうかもしれない。
(ならばどうにかこうにか、伝を探らなければならない。高取さんの知り合いは教えられないと言っていた。高取さんという巨大なパイプをもってしても、ダメ。井上社長は台湾旅行中……。誰かいないか? 誰か……例えば梨恵とか? いやいや何を考えてるんだ、僕は。梨恵は休職中だし、そもそもJRの仕事をしてないじゃないか。うん? いや、いるな……。夏祭りで会った人。名前は……確か岡本といったっけ。あの人はJRの社員だったな。新幹線の仕事をしてるとか言ってたけど、あの人はどうだろう。でも新幹線の駅員に頼ったところで、何とかなるもんだろうか。梨恵と同級生なら、二十九歳ってところか。自分とそんなに変わらない。なんか遠い駅名だったし、青森に勤務してるような人だけど、果たして何とかなるだろうか)
青木はううむ……と唸りながら悩んだ。脳裏に、福耳のない恵比須さまみたいな顔をしていた岡本が浮かんだ。
あの岡本に、井上社長の福耳を付ければ完全に恵比須さまだなと思い、ふふっと笑った。
「高取さん。あの、僕……いるっちゃいるかもしれません。友達ではないんですけど、知り合いが」
「あ? なんの?」
「JRのです。ただ、遠くと言うか、新幹線の仕事をしている人らしいので、札沼線の話なんて相手にしてもらえないかもしれませんけど」
「ふーん、新幹線のね。頼ってみれば? だってもう手詰まりじゃん、俺ら。ソフトを直すことはできても、サーバー本体を弄れないから。JRの協力会社を巻き込んでも良いかもしれんけど、それってかなり金掛かるだろうから、さすがに社長もいいよって簡単に言ってくれないだろうしさ」
「ありがとうございます。ちょっと休憩室に行ってもいいですか?」
「休憩室? なんだ、具合でも悪いのか?」
「いえ、そうじゃないんですけど、僕の……その、恋人の友達なので、ここではちょっと……」
青木が言い淀むと、高取はぶっとコーヒーを吹いて大笑いした。
「そうか。なら、ここじゃねえ方がいいかもな。いいよ行ってこいよ。どうせ今は誰もいないだろ」
「ありがとうございます! これで無理なら、もう手詰まりです」




