上司と部下(1)
列車表示アイコンが消えた。
JR北海道の指令センターから、高取のスマホに連絡が入った。
青木が立ち上げた「列車追跡アプリ」は、七月末に試作機である列車用発信機と指令センター用送受信サーバー、そして指令用の監視端末がそれぞれのメーカーから届き、何度かの社内試験を経て、JRの計らいもあり、ようやく札沼線の普通列車の往路一本で試験が開始されたのは、お盆前の八月八日のことであった。
その後、何度かの試験走行を繰り返し、順調に進む日もあれば表示が消えてしまったり、なぜか列車アイコンがあいの里教育大駅から札幌駅にワープしたり、様々なバグが重なった。その都度、高取と青木は深夜まで会社に残りバグを直し続けた。
休日も平日もなかった。何しろJRは年中無休。土日だって当然試験はある。ただ、お盆の時期の試験は避けてくれと依頼されたので、八月十一日から十八日までの一週間は試験を中止した。高取も青木も、ちょうど夏休みが取れたと喜んだ。
八月十九日の月曜日。仕事再開と同時に試験は再開したが、今度は札幌駅から列車アイコンが全く動かないと言われた。これは困ったと思ったら、GPSを受信させるための機能をプログラムで停止させていただけだった。青木のチョンボであった。
また、試験車両が突然、変更になることも度々あり、昼過ぎに走る予定だった車両が夕方になったり、朝のラッシュを過ぎたすぐになったりと、JRの列車管理とは複雑で、その時その場で変更していくものだということも、高取と青木は思い知った。
そして夏の暑さが残る九月二日、月曜日。
プロジェクトを立ち上げて二ヶ月半ほど掛かって、札沼線の普通列車、それも通学ラッシュを避けた昼時に走る、比較的閑散とした列車一本の試験が未だに安定せず、これは長丁場になると高取も青木も思った。
その試験も、「たまには私も見てみたい」とわざわざ朝山課長も運転台に同乗してくれて、高取と朝山課長が試験用アプリをインストールしたスマホとタブレットを片手に、高取らは列車を社用車で追い掛けつつ、朝山課長は列車内でタブレットを見つつ、指令員はアプリの監視端末を見つつ、アプリの画面と列車運行状況が上手く連動しているかを確認し、列車在線位置はずれていないか、遅れ時刻の表示は正確であるか等を確認していたのだが、札幌駅を発車した普通列車・北海道医療大学駅行きは、札幌から桑園に到着し、桑園から札沼線へと分岐したまでは良かったのだが、次の八軒駅に停車した途端、列車アイコンの表示が消えたと助手席の高取から聞かされ、青木はまたバグか……と思った。
「消えた。そんなバカな、どうして消えるんです?」
「知るかよ。確かに俺のスマホでも消えた。あ、電話。朝山課長だ。もしもし、システムワークスの高取です。ええ、ええ。アイコンですよね。消えましたよね。すみません、バグかなんかだと思います。八軒を出た後に表示されるかどうかの確認をお願いします。はい、すみません」
「ああ……やっぱり朝山課長も」
「まあ、俺と指令の画面で消えるんだから、そうだろうな」
青木はやれやれ……と首を振った。
この程度の不具合は度々あるから仕方ない面もあるが、よりによって朝山課長が乗った日に、札沼線へ入って早々に消えてしまうとは思わなかった。トンネルもないエリアなのに、これでは先が思いやられる。
八軒を発車した列車を青木が運転するライトバンが追い掛ける。高取もスマホの画面を見る。
どら焼きなんかを齧っていて呑気なもんである。分けてくださいと言うと気前良くくれるが、今はそんな気分ではない。列車が消えた。なぜだ。なぜだ。青木はそればかりを思っていた。
「あ、表示された。変なの。駅過ぎてちょっとしたら出てきたわ。あれ? おい、遅れが+99とかになってるぞ。ありゃ、また電話だわ。もしもし。やあ朝山課長、今度は遅れ時刻ですね。いやあ参りましたね。すみません、せっかくご乗車頂いているのに、うちの不手際で。多分、GPSを掴めてないとかよりも、アプリのバグじゃないかと思うんですがね。今はどうです? あ、タブレットで+0に戻った? うーん、表示させるロジックが、何か崩れているのかもしれませんね。あ、指令からも電話入りました。多分、おんなじ内容ですよね。ああ参ったなあ。とりあえず追い続けますので、よろしく頼みます。はーい」
ダメだこりゃ。青木は運転席で思った。
駅に着いたら消えて、ちょっとしたら表示されて、その表示画面で+99では、到底使い物にならない。一ヶ月近く試験をしているのに、こんなアプリは欠陥品である。これでは井上社長が朝山課長に一杯奢らされてしまう。
しかしなぜだ? 社内試験では大丈夫だったし、社用車に発信機を付けて試しに走らせてみたが問題なかったのに、なぜ列車に取り付けた途端、ここまで不具合が頻発するようになったのか?
指令センターにある送受信サーバーが悪さをしているのでは?と青木は訝しんでいた。
疑惑が残る問題のサーバーは、朝山課長の手配でJR社員が直轄で取り付けてくれて、社内試験でも特に問題なく動いていたので、その後は手付かずのままである。しかしこうも不具合が続発すると、車両の発信機だけが悪さを続けているのではない気がする。
NTTドコモの回線を使って通信しているため、システムワークスの社内から直接サーバーにアクセスしてプログラムを書き換えたりはしたが、指令センターへの入場はなかなか許可が下りないため、肝心の現物に触れられていなかった。
高取もそれは気になっていたらしく、「親機はどうなのかな……」と先日呟いていた。その時はかりんとうを食べていた。
「あーあ、こりゃダメだわ、青木。今日は失敗だ。だってほれ、見てみ。列車、いなくなったなあと思ったら札幌にいやがる。朝山課長、あの人なんか持ってるなあ。よりによって乗った日が、一番酷いバグだわ」
新川の駅を出た途端、列車アイコンがふっと消え、札幌駅に戻ってしまった。
青木が運転する社用車は線路沿いをひたすら追い掛けているのだが、当然列車は線路の上にいるし、ワープするわけがない。
今日は当たり日である。朝山課長が乗ってくれたこともそうだが、今までは単純に列車アイコンが動かないだとか消えただとか、大抵は一日一件で「なんだろうね?」で終わっていたバグが、今日だけで三種類も出てしまった。
アイコンが消えるわ、遅れ表示はおかしいわ、おまけにワープするわでは、朝山課長も頭を抱えているだろう。この分だと次は列車が点滅するかもしれない。
列車を追い掛けながら青木は頭が痛くなった。朝山課長も、高取の言葉を借りれば「持っている人」だろう。
なんたってバグのオンパレードである。不具合だらけのこのアプリを見てどう思っているだろうか。こんなものは使えないから中止だと言われても、文句は言えないな……そう覚悟した。
「ありゃ、今度は列車がまたワープして、あれ? おいおい、なんだよこれは、逆走してるぞ。なんだってんだよ本当に。朝山課長よお。あ、電話来た。もしもし? いやあすみません。今日は散々ですわ。いつもはもうちょっとまともに動くんですが、本当にすみません。ええ、一応終点の医療大までは追い掛けますので、引き続き監視をお願いします。はい、どうも」
(これはダメだ。今日は大失敗だ。あーあ朝山課長、怒ってなけりゃ良いなあ。普通の人なら「こんなものは使い物にならない」と一蹴されるだろうけど、朝山課長は優しいから何とか継続させてくれないかなあ。せめて指令に入れてもらえれば、現物の不具合とか確認できるんだけどな……)
青木はそんなことばかり考えながらクルマを走らせた。やがて列車は札幌圏を出て石狩太美付近になり、表示も安定するようになった。一体何なんだろうこれは。札幌付近は魔境なんだろうか。青木は首を傾げた。
終点の北海道医療大学駅に到着するのは十三時二十三分であった。定刻通り遅れなくJRは運行したのに、肝心のアプリは+8と表示されていた。何が+8なんだよと、スマホを眺めて高取は笑うしかなかったようだ。今日の暴走っぷりには、さすがの高取もお手上げだった。
駅の駐車場で待っていると、駅舎から朝山課長が出てきた。首を傾げている。そりゃそうだ。こっちも同じなんだから。
とりあえずと、二人は朝山課長が乗ると聞いたから背広姿で……青木はいつも背広姿だが、ライトバンを降り、一礼した。
「お疲れさまです、課長。今日は申し訳ありませんでした」
青木が頭を下げる。下げるなんてもんじゃない、腰を痛めるんじゃないかと思うほどの礼をするもんだから、朝山課長は「ほっほ」と笑った。
高取も頭を下げたが青木ほど礼儀正しくなく、軽く一礼しただけで、朝山課長はそんな二人を笑顔で迎えてくれた。
「いやいや、新しいシステムに不具合は付き物ですよ。こんな程度では挫けません。あなた方もそうでしょう?」
朝山課長は本当に優しい人だと青木は思った。しかし青木は若干挫けていた。無理なんじゃないかな……と思っていた。
高取は天然パーマの頭を掻きながら、「まあ、そうですねえ」なんて言っているが、本心ではもう毎晩のように遅くまで残って、やれ列車番号がおかしいだの、方角がおかしいだの、そもそもマップの出来が良くないかもしれないだの二人で話していたので、お互い鉄道を見るのも嫌になっていた。青木は札沼線沿いの道路も完全に覚えてしまった。
佐藤くんとのドライブで彼がこの道を選ぼうとしたら、僕は絶対に止めると、青木は決意していた。
JRのが順調に行けばと、リスの育成ゲームを片手間に始めたのだが、これは企画中止になりそうだった。ペンギンゲームと基本的にほとんど変わらないし、井上社長も「JRのアプリが終わってからでいいんじゃないか?」と言っていた。
社長はこの展開が読めていたのだろう。そんな易々と新しいシステムが動くわけないだろう。何を甘ったれているんだ。リスのゲームの企画書を青木が提出した時、禿げ頭を光らせながら、あの細い目は言っていた。
高取は青木よりも経験豊富だからか、大体こうなる予想が付いていたらしく、発信機を担当したメーカーの川上という人に「お前の作ったもん、おかしいんでねえのか」と笑いながら電話していた。
送受信サーバーのメーカーの寺田さんは、現物を持って来た時はそれはそれは物腰の柔らかい人だったが、いざサーバーが悪いんじゃないかと電話で高取が言い始めると「そんなはずありません!」と若干怒ったらしく、高取も釣られて「だったら中を開けて調べてみてくれよ!」と怒った。
朝山課長はどうやら折り返しの列車で帰社するようだったが、「我々の社用車で帰りますか?」との高取の案にあっさりと同意し、太ったおっさん二人と細いお兄さん一人を乗せ、アンバランスになったライトバンは桑園のJR本社へ向け走っていた。
「こうもバグが続くと、何がおかしいのか分からなりますね。あ、どら焼きいかがですか?」
「おお、いいんですか? ではお言葉に甘えて。うむ、これはなかなか、美味しいどら焼きですね。ああ、そうでしたね、何が悪いかでしたね。ううむ、なんでしょうねえ。GPSで追う分には、問題なさそうなんですが」
太ったおっさん二人がどら焼きを食べながら話す。
そうだと青木も同調した。朝山課長の言う通り、GPSを掴む機能は問題ないはずだ。アプリを作る際、最も簡単だった部分だし、他の速度情報やら遅れ情報やらのプログラムに比べれば単純なものだ。
元々がカーナビのシステムをほぼ丸パクリしているのだから、このシステムでダメなら世の中のカーナビはみんなダメになる。
クルマに比べれば列車の動きなんて単純だ。青木は最初そう思っていたが、鉄道はそんなに甘い世界ではなかった。
柴原と行った夏祭りの日を思い出した。
もう彼女ともなかなか会えていない気がする。毎週金曜の夜、発寒中央駅近くにあるバーを訪れる習慣は欠かしていないが、それでもその後はすぐに帰宅しているので、二人だけで会う時間というものが、ほとんどないに等しかった。
青木は小さくため息をついた。高取と朝山課長はどら焼きの話で盛り上がり、鉄道やらアプリの内容などそっちのけで、呑気なもんだと思った。
まあ、うじうじと考えていても解決しないだろうし、どら焼きの話でもして気を紛らわせないとやってられないか……と、青木は気を取り直して運転に集中した。
三人を乗せたクルマはJR本社に到着した。
「いやあ、わざわざすみません、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ試験にご同行頂き、ありがとうございました。次はちゃんと動くようにしますので、またよかったら乗ってみてください。それでは」
高取と朝山課長が話していた。
青木はお辞儀し、二人はJR本社前から白石にある北海道システムワークスへと戻った。




