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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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幸せとは(2)

「いやー何とかなるもんだな! やっぱり持つべきものは友達ですわ。いやはや、松岡さまさま。ありがとさん!」


「お前の口からは誠意というものが全く伝わらないな。とりあえずお前は俺に飯を奢れ。ついでに食い散らかしやがったパインとレモンとミントの飴を買え」


「分かってるって! どうせなら今日行っちゃう? お前、部活でまた忙しくなるべ? 俺、今日はこの後なんも予定ないし」


「あー……そうだな、まあそれでもいいか。おかん、俺、今日晩飯いいわ! 明日の昼に食うから、取っといて! 清水と飯行ってくる!」


 夕刻。西日が差す頃。

 大量に抱えた宿題をどうにか終わらせた清水が帰り際に、松岡を誘った。

 松岡の母は「清水くん、またいらっしゃい」と言っていたが、松岡は「もう来なくていい」と思っていた。

 特別腹が減っていたわけでもなかったが、飯を奢ってくれるのならば、近くにできたというラーメン屋で晩飯をご馳走になり、ついでにこいつが全滅させた我が飴部隊を復活させねばなるまい。

 そう思って松岡は清水の提案に乗った。


「じゃあおばさん、お邪魔しました! また来まーす! さあ、行こうぜ松岡!」


 元気良く挨拶して清水が出ていく。それを松岡が追い掛ける。

 二人はエレベータに乗り、松岡と清水は駐輪所に停めてあった自分の自転車をよいしょと引っ張り出した。

 夏至が過ぎて久しい札幌の夏は、もう間もなく終わろうとしているのを感じた。

 日がすっかり短くなってきたし、夜になると晴れ渡っているのにも関わらず涼しい風が吹く。これが北国の冬だ。熱帯夜なんてものは基本的に存在しない。ゴキブリだっていない。


「なあ、清水」


「なんだ?」


 急いでいるわけでもないので、何となく自転車を押しながら西野の住宅街を二人は歩いていた。

 時折吹く涼しい風が、秋の訪れを予感させていた。薄着の二人には、少し肌寒いくらいだった。


「あの柴原さんって人、不思議だと思わないか?」


「あ? 梨恵さん? 梨恵さんの何が?」


「その、なんつうか、俺も上手く説明できないんだけどさ……なんか可哀想な人っていうか、そんな感じがしないか?」


 松岡がそう言うと、清水は歩む足を止め、うーむと悩んだ。ご丁寧に顎に手まで付けて、お前は考える人か。


「俺はそう思わねえ」


 しばらく考えてから、清水が言った。


「なんでだ?」


 松岡が聞く。すると、思いがけず、清水は語り始めた。







 だってよ、本当に可哀想な人って、なんか違わないか?

 俺らは、少なくても梨恵さんもそうだけど、食うのには困ってないだろ?

 梨恵さんが貧乏なのか金持ちなのか知らないけど、飢えて死ぬような思いはしてなさそうだろ?

 松岡、考えてもみろよ。俺らが住んでいる日本には、そこら中に飯屋があって、コンビニがあって、スーパーがある。腹が減ったと思えば、金さえあればなんだって買えるだろ?

 弁当だって買えるし、ジュースだって買える。金を持ってない時にどうしても喉が渇いたなら、公園の蛇口を捻れば水だって無限に出てくる。

 学校だって行ける。親が金を出して、俺らは当たり前のように学校に通ってるし、親は働いて金を稼いでる。

 例えばよ、うちで一番厳しいったら電気の丹波だけど、俺が丹波の授業で居眠りしてて、それが見つかったとしても、机蹴り上げられて怒鳴られるくらいで済むだろ? 居眠りしてたから殺されるなんてことないだろ?

 俺は別に怒鳴られたって気にしないし、次はバレないように寝るだけだし、そもそも勉強は興味ないけど、俺らは算数やら国語やらを小学校から勉強して、それなりに読み書きできて、当たり前のようにお釣りとかの計算ができるじゃねえか。

 琴工(きんこう)は頭が良い学校じゃないかもしれないけど、でも、それくらいはできるだろ? みんな購買で買い物する時も、コンビニで買い物する時も、当たり前のようにお釣りの計算するし、教科書を読むし。

 でもよ、それってすごいことなんじゃないかって、俺は最近思うようになってきたんだ。

 なしてかって言うと、俺、バイトの休憩時間とか暇だから、スマホでいろいろと世界の国々について調べたりしてたんだよ。そしたらよ、何となく貧しいんだろうなって思ってた国の生活を見て、びっくりしたんだわ。

 日本は蛇口捻れば水道水が出てきて、俺らはそれを当たり前のように飲むけど、そんなことができる国って世界ではほんの一握りらしい。知ってたか? 知らないだろ?

 アフリカとか東南アジアとか、本当に貧しい国々の子供たち見てるとよ、ユニセフとかの募金もあるけど、マジで食うのに困ると言うか、そもそも食う物がなくて、勉強したくても学校がなくて、学校があったとしても行かせる金が親にはなくて、子供たちが働かないと生活が成り立たない国ってのが、世の中には沢山あるらしい。

 それもよ、大昔に内戦とかで仕掛けられた地雷踏んで、片足もげた子供とか、そういうのもいるんだぜ? それってすごく不幸なことじゃないか? だってその子は何も悪いことしてないんだぜ? ただそこを歩いてただけなのに、突然ドカンと爆発して足が吹っ飛ぶなんて、日本じゃ考えられないだろ?

 他にもよ、南米辺りじゃ急に銃を突きつけられて、バン!って撃たれて死んじまうことだってあるんだ。

 俺は思ったね。俺は、いや俺たち日本人は、幸せ過ぎるんじゃないかって。

 だってよ、借金沢山作っちゃってどうにもならなくなった人を見たら、哀れというかバカだなあって思うけど、借金抱えてても飯を食えなくはないだろ?

 俺、よく分かんねえんだけど、自己破産ってやつ? あれやれば、何とかなるんだろ? 弁護士とか頭の良い人がなんかやってくれて、借金がチャラになるんだろ?

 したらやり直せるじゃん。自己破産したとして、また金を稼げば、家は買えなくても中古車くらいなら買えるようになるかもしれないじゃん。

 それに金がないと確かに生きてけないけど、生活保護ってのもあるんだろ? それをもらえれば、食えないことはないだろ? 貧乏で贅沢はできないかもしれないけど、飢え死にはしないだろ?

 今の日本ってよ、物も情報も溢れてて、あんまりにも幸せなもんだから、俺らはそれが実感できてないんじゃないかって思ってんだ。

 ほら、去年の九月に地震あったべ? あん時、北海道で大停電があって、すげー不自由な思いしたけど、停電したから死ぬ!ってまではいかなかったろ? 俺なんかは真っ暗な街に浮かぶ星空を見て、夜空ってこんなに綺麗なのか!って感動したね。ちょっと不謹慎だけど、ぶっちゃけ感動した。

 停電が解消されて、俺の親はしみじみ「元の生活に戻れてよかった」って言ってたけど、確かに電気が使えないと風呂入るのも大変だし、部屋は真っ暗だし、飯の準備にも苦労するけど、停電したからって死にはしなかっただろ?

 俺らはさ、恵まれ過ぎてんだよ。だから俺みたいに停電になった時、夜空を見上げて「綺麗だなあ」なんて呑気に言えるやつがいるんだよ。

 でもよ、電気が当たり前に存在するから、停電になった時にそう思うのであって、本当に電気も何も無いようなところで生活している人にとっては、夜空の星が綺麗なんて当たり前で、わざわざ「綺麗だ」なんて言わないだろ、きっと。

 そうだよな。だって毎日見てるんだから。そしてそんな土地で生活してるような人は、きっと不自由してるだろうし、もしかしたら学校に行けなくて文字の読み書きができなくて、勉強そのものをしたことがなくって、したいと思ってもできないような人たちなんだと思う。

 俺ら、歴史の授業で戦争中の日本について勉強したじゃん?

 俺、あれを見て感じたんだけど、確かに当時の人は苦労しただろうし、原爆とか空襲とかで亡くなった人は死んでも死に切れなかっただろうし、遺族は大変だったと思うけど、でもよ、じゃあ戦争してた時に日本に住んでいた日本人が可哀想な人たちだったかと言われると、俺は違うと思うんだ。

 今とはルールというか空気が違ってたんだろうし、勉強する内容も違っただろうけど、一応日本人は学校に行って、今ほど豊かではないにせよ死なない程度には飯が食えたと思うし、兵隊に連れて行かれるのを嫌がったら問答無用で街中で撃たれて死んじゃうとか、そんな物騒な社会ではなかったはずだ。

 だから戦争で亡くなった人は可哀想な人と言えるけど、戦争中に生きた人みんなが可哀想かってなると、そうじゃないと思う。

 本当に可哀想な人たちってのは、さっき俺が言った、飯が食いたくても食えなくて、勉強に行きたくても行けなくて、毎日水を汲みに何キロも歩いて、それを何往復もして、地雷なんかを踏んで死んじゃったり足がもげちゃったりする人たちを言うんだと思う。

 だから梨恵さんは可哀想でもなんでもない。あの人は幸せだと思うよ。俺だって幸せだし、松岡、お前だって絶対に幸せだよ。

 例えば梨恵さんに兄ちゃんか姉ちゃんがいて、仮にその人が昔死んじゃったとしても、梨恵さんは生きてる。元気に生きてるじゃん、今も。今日だって見たろ? 梨恵さんの心が元気かどうかは別にしても、「もう私は生きられないから死ぬね」とか、そんな感じはしないだろ?

 事故で死んじゃったら可哀想な人だけど、元気に生きてて、世界一豊かと言われる日本で生活してる俺たちは、絶対に幸せなはずなんだ。みんなそれに気付いてないんだ。

 そうだよな。だって俺らが生まれた頃には、もう洗濯機とかあったし、テレビもあったし、飯はなんぼでも食えたし、水だって出たし、幼稚園も学校もあったんだから。それは俺らの親や、さらにその前に生きた人たちが、一生懸命日本を豊かにしてくれたおかげだよな。

 俺さ、戦争中の日本よりも、戦後の日本の方が気になったんだ。歴史の小峠が言ってたじゃん。日本は驚異的な復興を果たしたって。驚異的って言葉で言うのは簡単だけど、驚異的と言うからには物凄く苦労した人がいっぱいいて、しかも日本はアメリカとかに占領されてたんだろ? 敵だった国に占領されて、ルールとか法律とかが変わって、すんげー苦労したと思うけど、俺たちが住んでる今の日本って、物凄く便利だし豊かじゃん。

 別に意味なんて持ってなくても、何となく生きてられるじゃん。街中歩いてて、突然地雷踏んで死んじゃいましたとか、ないじゃん。

 これで不幸だって言ったら、外国の人に怒られるぜ。俺らは豊か過ぎるくらい豊かな国に住んでて、当たり前のようにそれを受け入れて、普通に生活してる。それが外国からすりゃ異常なんだよ。異常なくらい便利で豊かなんだよ、日本は。

 まあ、俺は外国に行ってないから詳しいことは分かんねーけど、絶対に、俺はアメリカよりも日本の方が、ずっと安全で便利で豊かで住みやすいと思うね。

 今、俺らはラーメン屋に向かってるだろ? ラーメン屋に行く途中に地雷はないだろ? ラーメン屋に行くために、水を運ぶ必要だってないだろ? チャリに乗ってちょっと走ればすぐ着いちゃうような距離だし、クルマに轢かれたりしなければ街をうろうろしてても死んだりしないし、ラーメンを食う金だって持ってる。突然銃を突きつけられて、「金を出せ」なんて言われないべや。

 松岡よお、しつこいけど、俺らは豊か過ぎるんだよ。あまりにも当たり前に豊かな生活を送ってるから、本当の幸せってもんに気付けてないんだよ。

 災害があって初めて、自分たちの日常がいかに幸せだったか分かったって言う人を見たけど、俺は本当にその通りだと思ったね。俺たちは今、幸せなんだよ。どんな悩みを抱えていても、どんなに勉強ができなくても、彼女ができなくても、俺たちは安全に生きている。それだけで幸せじゃねえか。悩めるって幸せなことだぜ?

 これ以上を求めたらバチが当たるね。俺はそう思ってる。日本人は贅沢を知り過ぎてる。

 俺さ、東京に行きたいって言ってるじゃん? それは、お前に話したみたいにヤクルトが好きなのもあるし、可愛いねーちゃんがいっぱいいそうなのもあるんだけど、それだけじゃなくて、俺は夢があるんだ。

 学校を建てたいんだ。俺、東南アジアとかの貧しい国に、学校を建てたい。そのために金を稼いで、俺だけじゃ無理だから仲間を集めて学校を建てて、子供たちの役に立ちたい。

 考えてもみろよ。清水博樹って日本人が建てた学校ですって、永久に残るんだぜ? それってすごいことじゃないか?

 仮にその学校が閉鎖とかになっちゃっても、清水博樹が建てた学校で育った人は、清水博樹って名前を忘れないでくれると思う。いや、俺の名前なんか忘れてもいいんだ。「名も知らない日本人が建てた学校で育ちました」って人が一人でもいてくれれば、なんか生きててよかったなあって、きっと死んでからも思えるんじゃないかって感じるんだ。

 生きる意味って人それぞれ違うと思うから、松岡には松岡の目標とか夢がきっとあると思うけど、俺の夢は学校を建てること!

 お前の生きる意味なんて別に興味ねえけど、可哀想な人って言葉にちょっとカチンときちゃって、すまんな。可哀想ってのは、本当に食えなくて餓死しちゃうような人を言うのであって、梨恵さんも俺らも可哀想なんてとんでもねえ、正反対なんだよ。







 その後ラーメンを食うと、清水はいつも通り「じゃあな!」と帰って行った。

 松岡は上の空で、ラーメンの味など全く記憶に残らなかった。清水博樹という男が、どことなく偉大な存在なように思えた。

 この男は、バカでチャラくてトラブルメーカーみたいなやつだが、何か大きなことを成し遂げようとしている。それが実現するかどうかは分からないが、単なるバカではない。そう思った。

 そして松岡は、自分にそんなものはないと気付かされた。

(俺は確かに地下鉄が好きだ。愛してるかもしれない。だが地下鉄の歴史に名を刻むような仕事は、きっとできないだろう。それにそんなもののイメージがまったく湧かない)

 とっぷりと暮れ、帰宅する際、月が輝く住宅街の道中で松岡は気付いた。

 あの野郎、飴を買うのを忘れやがったな。

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