夏祭り(2)
「あら、見てあの人」
不意に由美子が言った。
何だと思い同じ方向を見ると、亜麻色のロングヘアが美しい白いワンピース姿の女性が、眼鏡を掛け、Tシャツ姿の細い男性と一緒に、輪投げをして遊んでいた。
後姿なので顔までは見えない。どうも輪投げは入らないらしく、横で見物している眼鏡の男が笑う。恋人同士だろうか。
年は自分とそんなに変わらなさそうだ。
「綺麗な髪ね。亜麻色と呼ぶのかしら」
「そうだなあ」
適当に答え、岡本夫妻は何となく、導かれるように輪投げの屋台に近付いた。
「やった! 入った! ほら、智ちゃん! 入った! 入った!」
女性の声がした。聞き覚えのある声だった。
トモちゃんと呼ばれた男性が「よかったね」と笑う。年は近いはずなのに、どこか二人は初々しくて、岡本夫妻はクスクスと笑った。
ふと女性がこちらを見た。目が合う。
一瞬、女性の目が見開いた。それはきっと岡本もそうだろう。あいつは知っている。春に喫茶店で再会した、柴原だ。
「岡本くん……?」
「柴原……」
岡本が近付き、お互いに「なんでお前がここにいるんだ?」という顔を浮かべる。
それぞれの連れは、思いがけず知り合いだった二人を見て、少し困惑している。
まさか春に会った柴原と、こんなところで再会するとは思ってもみなかった。
とはいえ柴原がこの近くに住んでいるのなら、恋人と夏祭りを楽しむのは別に不思議なことではないかもしれないが、向こうからすれば青森で勤務する自分がなぜここにいるのか、不思議でならないだろうと、岡本は奇妙な縁を感じた。
「帰ってきたの?」
「あ、ああ……たまたま休みが取れたもんでね」
「そう……。そちらは奥さま?」
「ああ、そうだよ。俺の嫁さんの由美子だ」
紹介されると仕方なさそうに由美子は挨拶をし、柴原も挨拶を返した。
柴原の連れは困惑した表情を浮かべていたが、岡本の顔を見るとお辞儀をした。岡本も続き、礼儀正しい男だと思った。そうか、こいつが柴原の彼氏か。
「ゆみこさん。綺麗な方ね。あ、こっちは、私の恋人の智ちゃん……青木です」
「ど、どうも。青木智実と申します」
「どうも岡本です。岡本洋。柴原とは、中学の頃の同級生なんです」
「ああ、そうだったんですか。道理で親しげなわけだ」
青木と名乗った柴原の彼氏は納得がいったようだった。
そうか、ともみだから、ともちゃんか。確かに中性的な顔立ちだが、可愛らしい名前だ。あの大人しい柴原が、彼氏をちゃん付けで呼ぶなんて、新鮮だなあと岡本は思った。
「札幌のお生まれなんですか?」
当たり前のことを青木が聞く。岡本は「はい」とだけ答えた。
「岡本くんは、JR北海道で働いてるのよ。そうだ、智ちゃんが作ってるアプリも、JR関連よね!」
嬉しそうに柴原が語る。
何と、俺が勤めているJR関連のアプリを作っているとな? それは興味深い……岡本は細い青木の方を見た。
「そうなんですか! 実は、僕はアプリを開発する会社で働いてるんですが、今、JRさんの列車在線位置を表示するアプリを作ってまして」
「へえ、そうなんですね! 俺は青森にある北海道新幹線の、奥津軽いまべつって駅で勤務しているんですけど、列車在線位置を表示するってどんな感じなんですか? 新幹線用にするとか?」
「新幹線ですか! すごいですね! ……それが僕の開発しているアプリは、今はまだ札沼線で試験中で、これもバグが多くて、なかなか上手くいかなくて。列車って思ったより難しい動きをするんですね。僕はてっきり、決められた線路を決められた速度で走るもんだと思ってましたが、急停止することもあるし、予定と違う編成の車両が走ることもありますから、驚きました」
「ああ、そうなんですね、札沼線かあ。あそこも医療大学より奥は来年廃止になるとか言ってますね。しかしどういうメカニズムで動いているのか、興味がありますね。もしかしたら、いずれは新幹線の在線位置なんかも掴めたりします?」
「どうでしょうか。新幹線の車両に、僕が開発しているアプリの装置を取り付けられれば使えるかもしれませんが、青函トンネルがありますからね。僕が開発しているのはGPSを使うので、青函トンネルで急停止とかがなければある程度、追跡可能ですが。あと、携帯電話の回線も繋がらなきゃなりません。ドコモさんなんですけど」
「うーむ、難しそうな仕事をされていますね。ドコモの回線は、青函トンネルの中なら使えると思いますが、他の新線区間……と俺らは呼んでいるんですけど、要するに新しい区間のトンネルは、ちと難しいですね」
男らが鉄道について盛り上がっているのを、由美子と柴原は呆然と眺めていた。
お互い、「まさかこんなところで、同じような仕事をしている人と会うとは……」と困惑していた。
輪投げはあと三本残っていたが、なかなか柴原が投げないので、屋台の親父が「姉さん、あと三本だよ! 早く投げて!」と急かすくらいだった。
柴原は慌てて投げたが見事にすべて外れて、「一本だけ入ったから、景品はこれね!」と女の子の人形をもらった。
「それにしても、柴原……さんとお付き合いしている方がJR関連のお仕事をされているなんて、奇遇ですねえ」
「そうですね。梨恵……柴原さんとは、五ヶ月くらいお付き合いさせてもらってるんですけど、まさかこんなところでJRの社員さんに会うなんて、思いもしませんでした」
青木がうんうんと頷く。それを見て岡本も頷く。
男たちはすっかり鉄道話で意気投合してしまい、それぞれの連れがそろそろイライラし始めていることに全く気が付いていなかった。
妻の由美子が「ちょっと」と岡本を小突き、岡本は初めて、自分たちがかなり長いこと語り合っていたのに気付いた。
「いやあ、長々とすみません。鉄道ファンではないんですが、何しろ鉄道で飯を食ってますんで、そういう話を聞くと気になりまして」
「いえいえ、こちらこそ初対面なのにすみません。いろいろと新幹線のお話も聞けて楽しかったです。ありがとうございました」
青木がそう言うと、穂香と麻美が走ってきた。
どうやらくじ引きでオモチャが当たったらしく、穂香ははしゃいでいた。
「パパ! ママ! みて! おにんぎょ! おにんぎょ!」
どれと岡本夫妻がのぞき込むと、小さなペンギンのぬいぐるみが当たったらしい。
大切そうに抱きしめる穂香を見て、岡本は胸が一杯になった。なんて可愛いんだろう、俺の娘は。
麻美は走り回る穂香に付き合わされて疲れたらしく、ゼイゼイと息を切らしていた。
柴原たちも岡本の娘に興味を示したらしく、どれどれと眺めていた。
「わあ、可愛いわね。コウテイペンギンの雛ね」
柴原が言った。こいつはペンギンに詳しいんだろうか。
声を掛けられた穂香は不思議そうに柴原と、その恋人の青木を見る。
由美子に「だあれ?」と尋ねる。由美子は「パパのお友だちよ」と紹介していた。
「こんばんは。お名前は?」
しゃがみ込み、穂香の目線に合わせて柴原が尋ねた。
少し警戒していたようだが、「ほのか」とだけ答えた。
「そう、ほのかちゃん。可愛い名前ね。岡本くんが付けたの?」
「あ、ああ。まあな。ほれ穂香。こんばんはって、挨拶しなさい」
「こんばんは……」
「ふふふ。こんばんは」
柴原は変わったと思った。
以前、喫茶店で会った時は、どこか影があると言うか、余裕がなさそうだった。
この青木という男が、柴原を支えているのだろう。
青木は眼鏡越しに優しい瞳を浮かべながら、ニコニコと笑っている。由美子と麻美も、穂香を見て同じく笑顔になっている。気が付けば岡本も微笑んでいた。幸せな時間が流れていた。
「じゃあ、俺らはそろそろ失礼するよ。またな、柴原」
あまり長く一緒にいるのも、何だか二人の邪魔をしている気がしたので、岡本は別れを切り出した。
ここで別れたら、もしかしたら、今度こそ二度と会わないかもな……何となく、そう思った。
「ええ、岡本くん。また会えて嬉しかったわ。またね。奥さまもありがとうございました。あ、それと……」
立ち上がった柴原が別れの挨拶をし、何かを手提げ鞄から取り出した。先ほど、輪投げ屋からもらった、女の子の人形だ。
「ほのかちゃん、これ、あげるね。また札幌に遊びに来てね。私は梨恵っていいます。いつかまた、一緒に遊ぼうね」
再びしゃがみ込み、柴原は人形を穂香に手渡した。恐る恐るといった感じに、右手で穂香は人形を受け取った。
右手に女の子の、左手にペンギンの人形が握られた穂香を見て、柴原はニッコリと微笑んだ。
綺麗な笑顔だと思った。由美子と麻美ですらその笑顔に見惚れた。
「りえ! りえ! ありがとー! またね!」
「こら、梨恵さん、だろう!」
馴れ馴れしく呼び捨てにする穂香を、父親の岡本が叱った。穂香はベーっと岡本に舌を出す。
「りえさん! またね!」
「うん、またね、ほのかちゃん」
柴原が去っていく。青木と一緒に。
しかしその姿は以前とは確かに違った。何か言葉では言い表せないが、幸せというものを、彼女は見つけたのではないか。
彼女のうつ病があれから治ったのかまだ治療中なのか、それは分からないが、生きるという行為に対し、なにか意味を見つけたのではないか。
あのまっすぐな瞳はそう言っていた。あの青木という男のためなのか、それとももっと別な何かなのかは分からないが、彼女は変わった。岡本はそう確信した。
「綺麗な人だったねー。お兄ちゃんもあんな人と知り合いなんて、なかなかやるじゃん」
「あいつはただの同級生だ。別に親しいわけでもねえよ」
「でも本当に綺麗でしたよね。青木さんって人も優しそうだったし、お似合いだわ」
「りえさん! おにんぎょさん!」
四人は賑やかな帰宅途中だった。
確かに、由美子の言う通り、あの二人はお似合いだと岡本は思った。
柴原がもしも、また精神的に苦しい時期が来たとしても、あの青木という男が一緒にいてくれるなら安心だろう。
(あれ? 何を安心してるんだ俺は。柴原は俺の恋人でも何でもないのに。俺の嫁さんは由美子。愛する女は由美子だけだ。それにしても由美子も美人だが、負けないくらい柴原も美人だった。前に会った時よりも、さらに美人になった気がする。あれが恋する乙女というやつなんだろうか。ううむ、あの青木ってやつがちょっとだけ、羨ましい。なんちゃって。俺の愛する女は、やっぱり由美子だ。俺は由美子と穂香のために生きているんだ)
岡本は一人で考えてニヤリと笑った。麻美はそんな兄を見て「気持ちわりぃ……」と呟いたが、岡本は気付いちゃいない。
「おつきさま! まんまる!」
穂香が指差す。みんな揃って見上げる。
「あれは、満月じゃないね。でも、綺麗だね」
麻美が笑いながら穂香に言う。由美子も笑顔で月を見ている。岡本も月を眺めた。
明後日には青森へ帰る。当分札幌には帰ってこないだろうし、ましてや柴原と会うことも、もう無いだろう。
だがこの空の下。例えば今、同じように月を見上げて、幸せそうに微笑んでくれたなら、俺は何だか幸せな気がする。岡本は願った。
柴原に恋をしたのではない。柴原が、あの大人しくピアノしか取り柄のなかったような柴原が、あんなにも優しそうに穂香に対して話し掛け、青木と仲睦まじくしているのを見ると、何か自分まで救われたような、そんな気がしたのだ。
(幸せになれよ。絶対に、絶対にだ。頑張れよ、青木。頑張れよ、柴原。お前らも家族になっちまえ。そしたら今よりももっともっと、ずっとずっと、幸せになれる)
岡本はそう思った。いつしか口笛を吹いていた。
子供盆おどりだった。
札幌の短い夏が、終わろうとしていた。




