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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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七夕

 今日は七夕だ。ふと柴原は思った。

 八月七日。水曜日。

 基本的に日本で七夕と言えば七月七日を指すが、札幌を含む北海道の多くでは、七夕と言えば八月七日である。昔、全国放送のニュース番組で「今日は七夕ですね」と七月七日にキャスターが言うのを見て、柴原は違和感を抱いていた。柴原や多くの道民にとって、七夕とは八月七日を指していた。

 七夕祭りと呼ばれるような大々的な行事は札幌で聞いた覚えがなく、何となく短冊にお願い事を書いて、大人からお菓子をもらう日。

 七夕が来るともうすぐお盆で、お盆が過ぎれば一気に涼しい風が吹くようになり、夏が終わり、学校が始まる。それが彼女にとっての七夕であった。

 柴原はグレーのスウェットに黒いTシャツというラフな姿で家に籠っていた。白いガラステーブルに乗せた愛用のラヴィに向かい、新しい小説を作ろうと試みていたが、一向に筆が進まない。お散歩をしてみたり、発寒中央駅から札幌都心方面へと出掛けてみたり、色々と試しているが、これだというネタが浮かんでこない。

 キーボードをガチャガチャと叩いてみるが、何だか取っ散らかった文章が続くだけで、話は筋が通らず、いつも挫折した。書いては消し、書いては消しで、デスクトップ上に「小説」と書かれたテキストファイルが作られていたものの、開いても無地の白いページが表示されるだけであった。

 七月の初めに青木よりドラゴンボールの二次創作を提案されてから、柴原は用事がない日は家でパソコンに向かい、小説を書いていた。しかしドラゴンボールの話も無事に終わり、次に何を書こうか悩んでいたのである。

 伊藤先生の「あなた自身が新しい物語を作るのです」という言葉が頭の中で何度も響いた。

(ああ、私は本当に文才がないんだなあ。スランプって言葉があるけど、あれは実力がある人が陥るもので、私は実力がないんだ)

 柴原は亜麻色の髪をわしゃわしゃと掻いた。ダメだ。ちっとも出てこない。


『今日は七夕ですね。そもそも、なぜ北海道の大部分では八月七日が七夕かと申しますと……』


 適当に合わせていた夕方のローカル番組が七夕について説明していた。柴原はぼんやりとそれを眺めていた。

(七夕。七夕について書いてみるとか? すっごく短編になるけど、一話完結で書いてみるとか? でも何を? 七夕って、そもそも何をするんだっけ。小さい頃、短冊にお願い事を書いた気がするけど、何を書いたっけ。覚えてないなあ。智ちゃんに相談してみようかなあ……)

 柴原は子供の頃の記憶を辿ろうとしたが、七夕についてはっきりと思い出せなかった。そもそも七夕の短冊を飾るのは、薄の木なのか柳の木なのか、それすら危うかった。北海道に竹林はないから、竹は使っていなかった気がする。

(ああ、それにしても、自分の部屋はどうしてこうも散らかっているんだ。暑いし部屋は散らかっているし、話は何も出てこないし、イライラするなあ……)

 七月に入っても気温が上がらず、今年は冷夏になるのではと危惧されていたが、要らぬ心配だったらしく、札幌は三十度を超える真夏日が度々記録されていた。さすがに三十五度を超える猛暑日は滅多に無いが、最近は昔に比べて夏は暑いし、冬も何となく暖かくて湿ったベタ雪が多い気がする。

 柴原の狭いアパートは相変わらず散らかっており、小さな扇風機が一生懸命に風を送るが、温い風が汗ばんだ額を撫でるだけで、涼しいとは言えなかった。

 柴原はぼんやりと兄が死んだ夏を思い出した。七夕が近くなるとあの日を思い出す。思い出したくない、正確には心が封印してしまった記憶なのに、この時期に思い出すのは、兄の命日が間近に迫るからであろう。

 兄は平成十年の八月十日に死んだ。今よりは涼しい夏だった気がするが、あの日は暑く、カンカン照りだった。親に言われたので午前中は夏休みの宿題をふたりでやり、昼にインスタントラーメンを仲良く食べて、午後に兄は「野球行ってくる!」と一言残してバットとグローブを持って出て行った。それっきり、兄は帰ってこなかった。兄は冬の生まれだったから、まだ十歳だった。

 兄は野球がとても上手だった。少年野球のチームではショートを守り、六年生を差し置いて三番を打っていた。

 野球をする姿を何度か見たことがある。彼が描いた放物線は、外野手の遥か遠くへ飛んでいく。ホームランだ。近所の小さな公園だから、ホームランを打つとすぐに道路まで打球が飛んで行ってしまう。


「こら! 危ないだろ!」


 と、トラックを運転しているおじさんが怒る。兄は「すみませーん!」と謝りながらも、ちょっと誇らしげにしている。他の選手たちが打ってもせいぜい外野の間を抜けるくらいなのに、兄の打球は鋭いスピンを描きながら遠くへ飛ぶ。

 そんなに身体が大きかった記憶はない。むしろ小さい方だった。兄より大きな人は沢山いたし、兄より力持ちに見える人も沢山いたのに、彼の打球は素人目にも質が違った。

 守備をする時もそうだ。他の内野手が何でもないゴロを捕球し損ねたりするのに、兄は正確に捕ってファーストへ送る。その送球は矢のようで、ファーストミットがバシッと良い音を立てる。

 兄はきっと野球の才能があったのだろう。プロ野球中継も、ドラゴンボールの日以外はよく観ていたし、円山球場に父と野球を観に行って、有名な選手からサインももらっていた。

 厚別にある実家には、その選手と、父と、ピースした兄が写った写真が、今もサインボールと一緒に飾られている。

 柴原は、いつの間にか七夕のことではなく、兄のことを考えているのに気付いた。兄はあの八月十日の直前、七夕の日に、なんと書いてあったっけ。

 私と一緒に、何かを短冊に書いていた……そうだ、「プロ野球選手になりたい!」だ。「きっとなれるよ」と私が言って、「おう!」と笑っていた。私は、なんて書いたんだっけ……。柴原は目を閉じた。







 ねえ、お兄ちゃんは? お兄ちゃんはなして寝てるの?


 お兄ちゃん、起きて、起きて。ゲームしようよ。マリオしてよ、マリオ。


 お兄ちゃん? ねえ、お兄ちゃんってば。


 お母さん、お兄ちゃんが起きないの。なしたんだろう。


 お父さん、お兄ちゃんを起こしてよ。


 ねえ、どうして二人とも泣いてるの?


 お兄ちゃんが、死んだ? ウソつき!


 お兄ちゃんは死なないもん! 帰ったらいっしょにマリオで遊ぼうって、やくそくしたもん!


 お兄ちゃん、起きてよ! 早くマリオしようよ!


 ねえ、お兄ちゃん、お兄ちゃんってば!


 お母さんのバカ! お父さんのバカ!


 お兄ちゃんは死なないもん! 死んでなんかないもん!







 いつの間にか眠っていたらしい。昔の夢を見た。兄が死んだ直後の夢を。

 棺に入った兄は、まるで生きているかのように綺麗な顔をしていた。トラックに撥ねられて死んでしまったのに、見た目はそんな傷はなく、静かに眠っているようだった。

 私は「帰ったら一緒にマリオやろうな!」と言っていた兄が死んだことを受け入れられず、混乱して両親を泣かせてしまう。

 幼いながらも、きっと心のどこかで理解はしていたんだと思う。兄が死んでしまったことや、二度と一緒にゲームができないことを、本当は分かっていた。

 だけど、理解はしても受け入れられなかった。あまりにも唐突で、残酷過ぎた。

 元気に野球をしに行った兄が、今は冷たくなって棺の中で眠っている。その目が開けられることは、もう無い。決して甦るはずがないのに、私はそんな兄を揺り起こそうとする。

 それを見て母はシクシクと泣き、父も涙を流している。普段、無口だが頼れる父が涙を流す姿を見たのは、後にも先にもそれが最後だった気がする。

 親族が集まって来る。「あの康太くんがねえ……可哀想にね……」とか、叔母さんが言って泣いている。みんな等しく涙を流している。私だけが涙を流せない。兄の死を受け入れられないから、涙を流すことができない。

 お通夜が行われる。ぼんやりと私はそれを眺めている。兄の遺影が飾られている。ユニフォーム姿で、満面の笑みでピースしている。

 お坊さんが読経している。花が飾られている。私は遺影の兄を見つめている。何が行われているのか、よく分からない。

 お兄ちゃんが遠くへ行ってしまった。でも、きっと帰ってくる。必ず帰ってきて、マリオを一緒に遊んでくれる。今はちょっと眠っているだけ。

 必ずいつもみたいに「ただいま!」って帰ってきて、お母さんが「また靴を脱ぎ散らかして……」って怒って、そんな風に兄は帰ってくる。そう信じていた。

 告別式の時、兄の棺にはユニフォームが入れられた。サインボールを入れようとした父を、私が制止した。

 「それはお兄ちゃんの宝物だから、ダメ!」と声を張り上げた。お父さんはそれを見て、少し困った様子で、「それならお前が持っていなさい」と私に手渡してくれた記憶がある。

 火葬されて骨になった兄を見ても、何も感じなかった。遺骨となった兄が、兄であるとは到底信じられなかった。

 だってあんなに元気だった兄が、綺麗な顔をしていた兄が、骨になって出てくるわけないもの。

 みんな無言で箸を渡している。兄と私で夕飯のおかずを箸と箸で渡した時に、「それは遺骨を渡す時にすることだから、やってはいけません!」と母から強く怒られた記憶がある。遺骨の意味が分からなかったが、とにかくやっちゃダメだということは私にも伝わり、素直に「ごめんなさい……」と謝った。

 そんなしてはいけない行為を、みんなしている。悲しそうに涙を流す人もいるし、呆然としている人もいる。私の両親は、涙も枯れ果てたのか、呆然と……というか、淡々と物事を進めていた気がする。

 それから少ししてお盆になった。お盆は死者が帰ってくると祖父から教わっていたから、そうか、お兄ちゃんはもう帰ってくるんだ!と喜んだが、兄は帰ってこなかった。

 夏休みも終わろうという頃、私は父から預かったサインボールを眺める。まだ習っていなかったが、兄の名前は読めた。

 柴原康太くんへ。そう書かれたサインボールを見つめていると、走馬灯のように兄との記憶が甦った。そして、心付いた。兄は死んだ。もう二度と帰ってこないと。

 私はわんわんと泣いた。

 「お母さん! お兄ちゃんが、お兄ちゃんが死んじゃった! お兄ちゃんが死んじゃった! もう帰ってこないんだ! お兄ちゃん、帰ってこないんだ! うわあん! お兄ちゃん! お兄ちゃん!」と母に泣きつくと、ようやく少し落ち着きを取り戻しつつあった母が泣き崩れた。

 梨恵。お兄ちゃんは、天国へ行ったのよ。お兄ちゃんはね、必ず梨恵を見守っててくれるから、大丈夫。大丈夫だから。

 そう言いながら母は泣いた。私は兄がいなくなってしまったことと、母を泣かせてしまったことに、泣いた。泣いて泣いて鼻水まみれになって、それを拭おうともせず泣き続けた。

 帰宅した父は泣きじゃくる私に、「そのサインボールは、お兄ちゃんの宝物なんだろ? なら、大事に取っておきなさい。いつか梨恵が天国へ行く時に、お兄ちゃんに渡してあげなさい」と、優しく頭を撫でてくれた。

 その日は確か、ご飯も食べないで眠った気がする。まもなく始業式だった。

 学校に行くと、学友たちはどこで聞きつけたのか兄が死んだことを知っており、「大変だったね」とか「元気出してね」だとか言ってくれたが、私は上の空だった。

 そんな言葉は、私の耳に届いていなかった。私は「兄を失った可哀想な子」になってしまったのが嫌で、無理やり笑って見せたりした。

 だいじょうぶ。だって、お兄ちゃんは私の中にいるから。そんな風に学友たちの同情の目をかわした。

 子供というのは残酷で、「しばはらの兄ちゃん死んじゃったんだって!」と男子が騒ぎ、それを見た女子が怒り、担任の先生が叱った。

 だが、私にはそんなことはどうでもよかった。兄が死んだ。もう戻らない。もう帰ってこない。その現実だけが、私を支配していた。

 どんな慰めの言葉も私の心には響かなかった。担任の先生に休み時間に呼ばれ、何を言われるかと思えば「大変だったな、柴原。お父さんとお母さんのためにも、頑張って生きるんだぞ」と諭され、私はぽかんとしてしまった。

 お父さんとお母さんのために生きるってなんだろう?と思ったからだ。

 お父さんとお母さんは、兄を失って悲しんでいる。それを私がどう頑張っても、埋めることはできない。兄の穴は私は埋められない。兄は兄で、私は私だからだ。

 私が死んでしまえば、確かに両親は悲しんだだろうが、兄が死んだ悲しみを私が生きることによって埋められるかと言えば、それは違う気がする。

 今となってはあの先生の言葉も、何となく意味が分かる気がする。要するに、これ以上両親を悲しませないようにと、言いたかったんだろう。不憫に思ってくれたんだと思う。

 子供は残酷だが、忘れるというか風化するのも早いので、一ヶ月もすれば私の兄のことなど誰も触れず、普通の生活を取り戻していた。

 私はある日、テレビに繋げられたままだったプレステに入っているゲームソフトを取り出した。ファイナルファンタジーだった。兄がドラゴンボールと同じくらい愛したゲームソフトだ。

 そのディスクをそっと掴み、本来あるべき場所……即ち、ゲームのケースの中へしまった。

 特に何かを考えたわけではなかった。ただ、そのまま放置されているゲームソフトを見て、いつか兄に渡す時が来るかもしれないからと、そう思って片付けた。

 あのプレステとファイナルファンタジーのソフトが、その後どうなったのか、私には思い出せない。

 中学の卒業を間近に迎えた時、唐突に両親から「引っ越すから」と言われた。

 私は「ふうん」と軽く思ったが、兄との思い出が詰まったこの家を引き払ってしまうのかと、ふと思った。兄の物はほとんど片付けられていたし、兄がいた面影は仏壇付近にしか残っていなかったのに、いざ引っ越しの日を迎えると、私はさめざめと泣いた。

 何年も経って、とうとう兄と過ごした家まで失ってしまったと、そう感じた。

 西野の家から厚別の新居までは、高速道路で行った。

 厚別区は、母方の実家があるため何度も行ったことがあったのと、進学する高校がそれほど遠くないのもあり、不便はしなかった。

 むしろ、小学校時代の友人に鉢合わせる機会がほぼ無いので、気楽であった。

 小学校の頃の私を知る友人は、どこか私に遠慮していると言うか、腫れ物に触れるような感じで接してきたので、私としても申し訳なかったし、中学に上がっても小学時代を知る学友から聞いたのか、「お兄さんがいたんだって?」と言われるのが嫌で、私は無口で大人しい人間になっていた。小学校の頃から習っていたピアノだけが私を支えてくれた。ピアノを弾いている時だけが無心になれた。

 高校は気楽なものだった。小中学校時代の学友はほとんどいないし、親友と呼べる人もできた。阿部瞳ちゃんだ。

 瞳ちゃんは、高校を卒業して大学へ行き、その後内地へ渡ってしまった。今もたまに電話したり、年賀状のやり取りもあるが、瞳ちゃんは結婚して古田瞳と名前を変え、小さな息子さんもいる。

 旦那さんは東京で知り合った和歌山出身の人らしい。そんな感じだから、お盆やお正月に帰省することも滅多になくなってしまったし、もう何年も会えていない。

 その後、短大を出た私は保育士となり、習っていたピアノは仕事に生かされたが、昨年にうつ病となり、今は休職している。

 そんな私が、兄を亡くして二十一回目の七夕を迎えた。

 そうだ。兄は死んでしまったけれど、もしも生きていれば、今はプロ野球選手になっていたかもしれない。

 兄をモデルに主人公を作って、その人をプロ野球選手にする話を作ったら、面白くならないだろうか。

 題名は「IF」。これしかない。もしも兄が生きていれば、きっと兄は高校でも野球を続けていただろうし、北海や駒大苫小牧といった強豪校に入って、甲子園に出ていたかもしれない。

 プロ野球のチームのスカウトが甲子園に出場した兄を見て、ドラフト会議で指名される。そして、プロ野球の世界に飛び込んで、最初は二軍で一生懸命鍛えて、やがて一軍で出番が来るようになり、ショートのレギュラーを奪取するのだ。

 そうだ。私はIFを書こう。兄が生きていたというIFを書いて、私の中で兄を生かし続けよう。

 そうすれば智ちゃんと会う度に思う、「この人はお兄ちゃんに似ている」という気持ちから、脱却できるかもしれない。

 智ちゃんのことを兄を通してではなく、真の恋人として、見ることができるかもしれない。

 そうだ。思い出した。私はあの七夕の日、「お兄ちゃんのねがいがかないますように」と書いた。

 兄は笑った。「バカだなあ。他人の願いを書くやつなんて見たことないぞ」と笑っていた。

 私には夢と呼べるものが無かった。ケーキ屋さんになりたいとか、お花屋さんになりたいとか、そういうものがなかった。

 今は兄の願いを叶える時が来たのだ。IFという物語を作り、兄を甦らせ、プロ野球に挑戦させるんだ。

 兄をモデルにした主人公は、プロ野球に入ってからもいっぱい苦労するけれど、確実に一流選手としてのキャリアを積み上げていく。そんな主人公には妹がいる。私がモデルだ。

 そうだ。これを書いて、智ちゃんに読んでもらおう。でも智ちゃんは鈍いから、私に兄がいたことなんて、気付いてくれないだろうな。

 ま、いっか。その内、智ちゃんにも話せる日が来ると思うから。

 そうしよう。あ、お腹空いてきたな。カレー、ダメになってないかな?

 兄の命日には実家に帰ろう。お兄ちゃんに会いに行くんだ。

 そうだ、今年の七夕、短冊は……ないから、このメモ用紙に。







『兄の物語が書けますように』

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