親友
ピンポン、ピンポン、ピンポン。
休日の朝、けたたましく玄関のチャイムが鳴る。
誰だと思い青木が寝ぐせ頭で顔を出すと、そこには親友の佐藤浩介が立っていた。
少し出たお腹と黒い短髪に、伸びた無精髭。汚らしいように見えて、清潔感のあるファッション。いつもの彼だった。
外はキラキラと夏の日差しが降り注ぎ、遠くには手稲山の電波塔がくっきりと見え、空気が澄んでいるのを感じた。
「やあやあ、おはよう青木くん」
いつも通り、陽気な声で挨拶してきた。彼の髭はいつから剃っていないのだろうか。
「やあ、誰かと思えば佐藤くんじゃないか」
佐藤と青木は高校時代からの付き合いで、社会人となった今も、特にアポを取ることもなく突然来訪したり、キャンプへ行ってみたり、サッカー観戦に行ったりと、内気な青木にとっては数少ない本音をぶつけられる存在であった。
彼らは喧嘩らしい喧嘩をした試しがなく、仮に口論になっても、お互いに「君はずいぶんと自己中だね、青木くん」などと、ふざけ合い、笑いながら過ごすような仲だった。ローカルの深夜番組に強い影響を受けていると言えた。
「どうしたんだい? 連絡もなく失礼じゃないか」
「まあまあ、何を言いますか青木くん。今日はほら、こんなに天気が良い。ならばドライブでもいかがと思いまして、レンタカーを! チャーターいたしました!」
佐藤が大袈裟に言うと、なるほど確かに白いコンパクトカーが停まっていた。二人で遠出するのなら十分だろう。
「つまりあれかい? 君は突然、僕の貴重な休日の朝に押しかけてだ、レンタカーを準備したから、どこかは知らんが拉致しようと、そう考えているのかい?」
「まあ、そうなりますなあ」
二人は大笑いした。
青木は急いで寝ぐせを直し、寝間着から普段着へ着替えた。佐藤の思い付きでレンタカーの旅をするのは彼らの趣味であり、企画担当と勝手に意気込む彼に巻き込まれながらも、それはそれは楽しい時間で、まるで高校時代に戻ったかのようであった。
「早くしようよ青木くん」と急かす佐藤に、「君が突然やってきたんだから、そんな勝手なことを言うんじゃないよ」と笑いながら青木は答えた。
「さあ、乗ってください青木くん。僕のワインディングロードを走ろうではないか」
「そうだねえ佐藤くん。君はところで、どこへ向かうつもりなんだい?」
「それはちょっと言えませんねえ。どこに辿り着くかを言ってしまっては、この企画をする意味がなくなる。そう思いませんか青木くん?」
「いやいやいやいや。僕はね、君が突然押しかけたこともそうだが、こんなコンパクトカーに乗せられてね、ゆっくり過ごそうと思っていた休日を何だか分からん理由で連れて行かれてね。せめてどこに行くかを聞こうとしたら、それは答えられないなんて不条理ってもんじゃないかい?」
二人のいつものやり取りだった。目的地もはっきりせぬまま、下手をすれば佐藤すら目的地を決めぬまま、思うがままにクルマを走らせる。
そして道中、二人はやれ「腹が減った」だの「喉が渇いた」だの「疲れた」だの「帰りたい」だの、自由にぼやくのである。誰にも強要されていない旅なのに、まるで後ろにカメラマンかなんかが乗っていて、撮影されているようなトークを彼らは繰り広げるのだ。
佐藤がギアをドライブに入れ、クルマは発進した。
青木が住むアパート沿いの、二車線の桑園・発寒通りを少し走ると、左折した。発寒中央駅へ向かうぎんなん通りだ。一車線の対面通行で、焼鳥屋やいつも金曜日に通うバーがあり、通勤時にも歩く青木にとっては馴染みのある道だ。
「おやおやあ? 青木くん、見てごらん。綺麗な人が歩いているよお?」
運転席から佐藤が言う。どれどれと隣から青木が見てみると、柴原だった。亜麻色の髪を輝かせながら、発寒中央駅方面へと歩いている。アースカラーのワンピース姿が目を引いた。
まさか佐藤にあれは恋人だと言えないので、青木は適当に「あれは別嬪さんだねえ」と褒めた。
彼女はどこへ行くんだろうと青木は思った。方角からして、自宅方面のようであるが、好天なのでお散歩だろうか。ドラゴンボールの話は書き終えたと言っていた。
新しい物語を作るために、いろいろと考えてるの。どんな話になるかは分からないけど、お散歩したりちょっと遠出したりして、何か閃かないか試しているの。
先日会った時に柴原はそう言っていた。今はお散歩をして、近所に住む野良猫のヒナにでも会い、新しい物語についていろいろと思案しているのかもしれない。
彼女の趣味が少し行き詰ったとしても、やっていて楽しいと思えるのなら、自分にとっても幸せだと青木は思った。
佐藤の運転するクルマはその後、高速道路の高架に沿う新道に入ると、休日で混雑した道をのろのろと進みながら、東へと向かった。一体どこへ向かっているのか不思議に思ったが、楽しそうに運転する佐藤を見ると、これ以上問いただすのは無粋だと思った。
二人のドライブは無言になる時間が度々ある。男だけが二人でずっと話しているわけはないし、ドライバーの佐藤は運転に集中し、同乗する青木は助手席から何となく風景を眺める、そんな気持ちの良いドライブだった。
二人を乗せたクルマは高速道路の高架下から逸れて、左折した。国道275号線だ。取り締まりが多いことで有名な二車線道路で、月形や当別の方へ延びる道である。
国道275号線を走ると、途中、豊平川を超える。豊平川は札幌でも屈指の大きな川で、毎年花火大会も開かれる。
今年もそろそろそんな時期かと青木は思った。眺めてみると、川沿いを親子連れが歩いていたり、小道でジョギングしている人がいたりと、のどかで平和な光景が広がっていた。草野球を楽しんでいる人々もいた。
途中、青い看板が出てきて道道と分岐する交差点があり、佐藤は迷わず右折した。一体どこへ行くというのか。
「佐藤くん佐藤くん。そろそろ札幌の郊外に出てきたけど、君はあれかい? ずいぶんと遠くに行くつもりかい?」
「はっはっは。まあまあ、黙って乗っていればいいんだよ、君は」
「黙ってって、もうすぐ江別じゃないか。江別に用事があるのかい?」
「いやいや、江別なんて近所じゃないか青木くん。まだまだ、遠くへ行くよお」
二人はそんな会話を続けながら、クルマは東の江別市へと向かった。
江別市は札幌の隣町で、ベッドタウンとして栄えており、人口はおよそ十二万人ほどである。江別に入った二人のクルマは、途中国道に出た。国道12号線だ。
青木が勤める北海道システムワークスが12号線沿いなので、ひたすら走ればこんなところまで繋がっていたっけと、青木はぼんやりと考えた。
それからクルマはひたすら前進した。石狩川沿いを走る。石狩川は北海道でも最大級の川だ。
広い川面はキラキラと輝き、いつの間にか江別の街も超えて、クルマは郊外へ向かっている。12号線をひたすらまっすぐ行けばどこに辿り着くんだっけと、青木は思い出した。
(そうだ、旭川だ。この国道12号線をずっとまっすぐ行けば、旭川に辿り着く。そうか、旭川に向かってやがるな、こいつ)
「佐藤くん。まさかとは思うけど、このクルマは旭川に向かっていないかい?」
「はっはっは。当たりだよ、青木くん。このクルマは旭川に向かっている。僕が醤油ラーメンを食べたいからだよ」
旭川といえば、旭山動物園と醤油ラーメンである。旭川に住んだことがない青木はその程度の知識しか持ち合わせていなかったが、確かに美味しい醤油ラーメンを食べたいのなら、旭川へ行くのが手っ取り早いだろう。
「醤油ラーメンを食べたいと君は言うけどね、そんなにラーメンが食べたいならインスタントでも食べればいいじゃないか。なぜ僕はこんな旅に付き合わされなきゃならないんだい?」
「インスタントなんて、いつでも食べれるじゃないか。やっぱり本場だよ、青木くん。旭川は遠いし、一人で行くのはつまらないからねえ」
「いやいやいやいや。そんなに旭川が遠いと思うなら、JRを使えばいいじゃないか。クルマよりもずっと速いし、どうしてもクルマで行きたいと君が望むなら、高速に乗ればすぐだよ? ひゅーんだよ、ひゅーん」
青木の言う通りである。札幌と旭川を結ぶ特急列車は沢山走っているし、道央道を使えば、札幌と旭川は目と鼻の先と言える。実際に旭川から札幌まで、高速やJRを使って買い物へ来る人だって珍しくない。
それをわざわざこんな下道で、取り締まりも多いところを走るなんて、まったくこいつは物好きだと青木は思った。
「ひゅーんと着いてしまったら青木くん、景色が楽しめないじゃないか。僕はね、こういう国道とかを走って、景色を眺めるのが好きなんだ。景色を見ながら好きな道を走るのはドライブの醍醐味じゃないか」
「景色景色って言うけど、君はさっきから前ばかり見ているじゃないか。そりゃね、運転している君が右や左にばかり集中されたら危ないから勘弁だけど、景色を楽しんでるようには思えないね。なんたって、ほら。前のトラックに対して、君はさっきから、おせえな、とろいなと文句ばかり言ってるじゃないか。これがドライブの醍醐味だってのかい?」
「そうだよぉ青木くん。とろいトラックが走っていてもいいじゃないか。確かに道は混んでるし、道中は疲れるけど、それが楽しいじゃないか」
まあ、確かに佐藤の言う通りである。高速やJRを使った旅も楽しいだろうが、こうして二人で駄弁りながら走るのには、国道がいいのかもしれない。レンタカー代以外の金がほとんど掛からないし、移りゆく景色が楽しい。
江別を過ぎると国道は函館線沿いになり、岩見沢市を越え、美唄市に入り、美唄を超えると一旦コンビニで休憩した。
国道12号線は日本一長い直線がある道としても有名で、この美唄から深川市までのおよそ三十キロは、カーブが全く存在せず、ひたすらまっすぐ進む道が続く。
コンビニの前で青木はコーラを飲み、佐藤はサイダーを飲んだ。佐藤が盛大なゲップをしたので、青木は大笑いした。国道はビュンビュンとクルマが走っていく。
休憩を終えると二人は再び旭川を目指した。途中、砂川市、滝川市を経て、深川市に入った。旭川はもう目前だ。
旭川に入ると、既に時刻は十三時半を回っていた。気が付けば、ずいぶん長いこと揺られていたらしい。二人は下調べも全くせず旭川に入ったものだから、ラーメン屋を探すのに苦心した。
初めから目的地を知らなかった青木は仕方ないとして、そもそも今日のドライブを計画した佐藤が何も決めていないのだから呆れた話だが、これも二人の遊び方である。
あてどなく旅をして、適当に見つけた店に入る。当たりなら「美味しかったねえ青木くん」と満足げに笑みを浮かべ、外れなら「なんだあの店は! 潰れればいいんだ! ねえ青木くん?」と同意を求める。それが佐藤と言う男で、二人の楽しみ方であった。要するに行き当たりばったりの旅をするのが、二人の趣味なのである。
「お、ほらほら、あそこのラーメン屋はまだ開いているよ! あそこにしよう! 腹も減ったし!」
「おお、そうだね佐藤くん! そうしよう!」
佐藤が指差す方向にラーメン屋があった。暖簾が出ているから、昼過ぎの今でもまだ営業しているのだろう。
駐車場は狭かったが、佐藤は簡単にバックで停めると、二人はいそいそと暖簾をくぐった。
「いらっしゃい!」
ラーメン屋の店主が二人を迎える。昼を過ぎた店内は閑散としており、二人以外には数名の家族連れと中年男性がいるのみだった。二人は仲良くカウンター席に座り、「おすすめの醤油ラーメンってありますか?」と佐藤が尋ねた。
「おすすめ? おすすめかい? そうだねえ、焦がし醤油だね」
店主がそう勧めてきたので、二人は迷わず焦がし醤油ラーメンにした。食が細い青木は普通盛にしたが、佐藤は大盛を選んだ。
程なくして醤油ラーメンが出てきた。うん、美味しい。黄色い太縮れ麺に黒いスープがよく絡む。醤油ベースのスープは濃厚そうだがくどくなく、あっさりとしていた。
二人はあっという間にラーメンを平らげ、店を出た。十四時半を過ぎている。
「美味しかったねえ青木くん。さてさて、運転を交代だ」
これも、いつものことだった。目的地に辿り着き、目標を達成したら帰路は青木が運転する。青木は佐藤からキーを受け取ると、エンジンを掛けた。
「帰りはぁ、高速を使うよ青木くん」
「なんだって? 高速だって?」
「そうだよお青木くん。もう僕は腹も膨れたし、早く帰って眠りたいんだ」
「いやいや待ってくれよ。そりゃ君は国道でね、眠くなったら面白い話をしろだの、やれ喉が渇いただの、しょんべんがしたいだの文句を垂れていつでも休憩できたけど、僕はなんだい? 君の方針に従って高速に乗ったとしてだ。僕が眠くなったら君は助けてくれるのかい? どうせラーメンも食って腹も膨れて、高速の揺れが心地良いもんだからぐーぐーぐーぐー眠るんだろうけどね? 僕はそんな中、このクルマを無事に返すために起きて運転をしなければならないんだよ? しかもその高速代は、どうせ君と折半なんだろ? あれかい? 僕は君のドライブの帰り道を運転するためだけに付いてきた、専属ドライバーなのかい?」
「そうなるねえ」と大笑いする佐藤に続けて青木も笑った。車内は大爆笑だった。
こんな下らない遊びを、三十を過ぎた男二人で続けている。思えば社会人になり、お金を稼ぐようになってから、二人は少しずつ移動距離を延ばすようになり、今日の旭川往復など可愛いもので、時には函館往復だったり、稚内を日帰り往復するという、無茶が過ぎる企画を次々と佐藤は持ち込んできた。
それでも二人は楽しかった。喋りながら、時には喧嘩しながら、ぼやきながら、ひたすら走るのだ。
キャンプをした時も同様で、酒を飲むとすぐに顔が赤くなる佐藤を「ゆでダコみたいだね。タコみたいな顔してるからね君は」と青木がからかい、佐藤は「そういう君はイカのようだね。細くていつでも白い顔をしているじゃないか」と怒りながら笑う。
二人が居酒屋などで会うことは、滅多になかった。二人は何となくクルマで合流し、何となく行動し、何となく楽しむ。お互いに顔付きこそ老けたが、中身は高校生の頃から、まるで変わっていない。
「じゃあ、僕は寝かせてもらいますよお、青木くん」
「おいおい、まだ高速に乗ったばかりじゃないか佐藤くん。もう寝るってのかい? 僕は眠いんだよ?」
「それは僕も同じだよお青木くん。僕は眠くて仕方ないんだ。だから寝る。君は運転をするんだよ」
「とんでもない旅じゃないか。君は行きたい所へ行き、食べたい物を食べ、寝たい時に寝れるけど、僕はそれすら叶わないんだよ?」
「まあいいじゃないかあ。ああ揺れが気持ちいいなあ」
そう言うと佐藤は座席のリクライニングを倒し、すっかりくつろいでいた。気持ち良さそうに目まで閉じやがって、本当に寝るつもりだなこいつ。
二人を乗せたクルマは旭川鷹栖インターから道央道に乗り、札幌へと向かっていた。
恐らく一時間半もすれば札幌の新川インターに着くだろう。そこから青木の自宅へ寄り、レンタカーの半額と燃料代を渡し、佐藤はレンタカーに乗り自宅のある手稲方面へと帰る。
ふと柴原の姿を思い出した。ぎんなん通りを歩いていた柴原は、今は何をしているんだろうか。
(彼女は、恐らく僕たちが近くを通ったことになんて気付いていない。家に向かうのか駅に向かうのか分からないが、一人で歩いていた)
思えば、柴原はいつも一人ではないかと青木は思った。
毎週金曜の夜に通うバーで知り合った時も、ああして街を歩いている時も、いつも彼女は一人だ。
彼女の口から親友という単語を聞いたことがない。親友がいないんだろうか。そんなことはないだろう。きっと、いるにはいるが、例えば道外に渡ったとか、そんな感じなんだろう。
青木は無性に柴原に会いたくなった。彼女は孤独な人だと思った。
特別、可哀想な人だとは思わなかった。きょうだいがいるという話は聞いたことがないし、ご両親が健在なのも知っている。友達だっているだろう。
だが、例えば青木にとっての佐藤のような、何でも話せる、腹を割って語り合えるような仲の人間は、身近にいるのだろうか?
(いない。いたとしても、少なくとも近くには住んでいない)
青木は確信を持っていた。いるのなら、一人でバーで飲んだり、一人で駅付近をうろついたりしないだろう。
今日は誰かと会ったとか、そんな話題を口にすることがないのは、それなりの理由があるのだ。
(梨恵に会いたい)
青木は思った。佐藤はいびきをかいて眠っている。
(そうだ。札幌へ帰ろう。帰って梨恵に会おう。梨恵に会いたい。梨恵を抱き締めたい)
アクセルを踏む足に力が入る。クルマは順調に道央道を走る。
二人を乗せたクルマは気持ち良さそうに走る。
晴れ渡った青空がずっと続いている。
(この青空の下に、梨恵は生きている。僕と佐藤も生きている)
青木は柴原に幸せであって欲しいと願った。柴原を幸せにすることが、自分の生きる意味なのかもしれないと思った。
クルマは走る。札幌へ向かって走り続ける。
「気を付けて帰ってきてね、智ちゃん」
そんな声が、聞こえた気がした。




