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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
17/30

生きる意味(2)

「いらっしゃい。突然悪いね」


 グレーのスウェット姿で青木が迎えてくれた。

 黒い髪はぼさぼさで、どうやらさっきまで眠っていたらしい。疲れているんだろうなと、柴原は思った。


「いいの。お昼をどうしようか迷っていたし」


「それなら良かったよ。さ、上がって」


 青木に促されて奥の部屋に入る。

 相変わらず生活感のない部屋だった。見慣れた白いテーブルに、白いクッション。青木は白が好きなのか、白い物ばかりが目立つ。枕も白いし、布団も白っぽい。こんなに何でも白いと病院みたいだ。

 それに比べて彼女の部屋はどうだろう。全く統一感のない家具に、あちこちにごちゃごちゃと物が散乱し、備え付けのクロゼットの中はパンドラボックスと自分で呼んでいるほどカオスである。

 先日、ぼちぼち暑くなるからと奥の扇風機を取り出すのにも一時間は掛かった。捨てなきゃならない物やら、昔付き合っていた人からもらった物やら、無駄な物が次から次へと湧いて出てきたからだ。

 青木の誕生日、彼を迎え入れる前に、パンドラボックスに相当物を詰め込んだので、カオスはさらに悪化し、今やあの中は異世界である。

 柴原は財布の中も、ボロボロになってインクが消えかけたレシートやら、もう潰れたチェーンのポイントカードやら、何を思って書いたのか「一時間後に発寒中央駅へ行きたい」とあるメモやら、こっちもカオスであり、亜麻色の髪を持ち、道行く人は誰もが振り返るほどの見た目に反して、大変だらしがなかった。

 ぼけーっと白いクッションに柴原が座っていると、青木は白い電子レンジでご飯やおかずをチンしたり、お鍋をガスコンロで温めたりしていた。

(そうか、もう十二時になるのか。ポカポカと暖かいけれど、今年の夏は涼しくて良いなあ……)


「梨恵? 起きてる?」


 はっと顔を上げた。しまった、うとうとしてしまった。いけないいけない。よだれでも垂らしていなかっただろうか……と慌てて唇に手を当てたが、大丈夫だった。

 青木が次々とテーブルの上に料理を運んでくる。肉じゃが、カボチャの煮物、ほうれん草の和え物、ザンギ、豚汁、白いご飯。ううむ、お昼からこんな豪勢だと、夕飯は要らないかもしれない。柴原は小さく唸った。


「さ、どうぞどうぞ、食べよう。いただきます」


「いただきます」


 二人で手を合わせて食べた。

 肉じゃがはほくほくして美味しかったし、豚汁の味もちょうど良かった。カボチャの煮物は甘く柔らかかった。

 中でも美味しかったのは、ザンギだった。しょっぱい味が懐かしかった。考えてもみると、ザンギなんて何年もまともに食べていない気がした。


「美味しいわね。お母さん、すごいわ」


「うん、旨いな。お袋、料理するの好きだから。趣味みたいなもんなんだろうね」


 へえと、柴原は感心した。

(そうか、趣味かあ。他人に食べさせて美味しいと言わせるくらい、自分も料理が上手なら、それは趣味になるかもしれないなあ。でも、料理はあんまり興味ないんだよなあ……)

 食べ終えるまでは、ややしばらく掛かった。青木は小食な柴原を気遣ってご飯を少なく盛ってくれたが、普段はパンやおにぎりで適当に済ませる昼食が、ここまでしっかりしたメニューだと、彼女の小さな胃は驚き、すぐに膨れた。


「今日の診察はどうだったの?」


 台所で後片付けをしながら、青木が聞いてきた。


「うーん、あんまり良くなくってさ。またお薬増やされちゃって、お酒飲んでることも、バレちゃってるみたい」


「そっかあ……。僕の仕事が上手くいきそうだってなった日、ちょっと飲み過ぎたかもね」


 青木の言う通り、彼が企画した列車追跡アプリがどうやら上手い具合に進みそうと聞いた夜、バーで飲んだ後、居酒屋をはしごした。

 その後も仕事帰りの青木と会う日があれば、なんとなく青木の家にお邪魔して、発泡酒なり酎ハイなりをダラダラと飲んでいた。薬を飲んでいるのだから飲酒は控えるよう、伊藤先生から言われているのにだ。

(自分の不摂生のせいで、復職がどんどん遅れてしまう。お酒を飲むのが趣味だと先生に言ったら、怒られるかしら。怒られるわね。だって、ダメだって言ってることをしていますってなっちゃうもの。今日だって、飲んでないって言い張ったじゃない。何を考えてるのかしら、私)

 柴原は悩んでいた。伊藤先生の「趣味を見つけなさい」という言葉が、頭の中で響いていた。

(趣味。趣味。趣味。智ちゃんの趣味は何だろう。中継を結構観てるから野球は好きなんだろうけど、札幌ドームに通ってるわけではなさそうだし、ファイターズの熱心なファンというよりは、地元だから応援してる、ライトな感じなんだろう。ライト。ライトノベルなんて本が、そういえば本屋さんにある。私は小説を読むのが結構好きだけど、そっちに手を出してみるとか? なんか可愛い挿絵とかがあって、読みやすい文章で、ファンタジーだったりSFだったり、面白そうではある。でも、私は本を読んでいると眠くなっちゃうから、何時間もぶっ続けで読むなんてできないし、趣味と呼べるほどではないなあ……)


「なしたのさ、難しい顔して?」


 片付けを終えてテーブルの対面に座った青木が不思議そうに尋ねる。

 柴原は、自分がどんな顔をしていたのか恥ずかしくなった。


「ねえ、智ちゃんは、何か趣味とかある?」


「趣味? 唐突だな。そうだなあ……僕は、旅行が趣味だね。旅行と、映画鑑賞と、レンタカーを借りて友達とドライブに行ったりもするかな。一日で函館往復とか、無茶なことも結構やるよ。キャンプも昔、よく行ったなあ。キャンプ用具はほとんど実家に置いてあるけどね。野球やサッカーを観るのも好きだね。コンサドーレの試合とか、たまに行く」


 うーんと、再び柴原は唸った。

(そうか、智ちゃんはこんなに多趣味な人だったのか。単にお酒を飲むのが好きとか、食べ歩きをするのが好きとか、そんなありきたりな答えが返ってくると思っていたが、旅行だの映画鑑賞だのドライブだの、なかなか活動的な人らしい。それに比べて私は何だろう。自宅周辺……それこそ、発寒中央付近をうろうろと散歩して、野良猫のヒナに挨拶する。これは単なる日課だろう。それに毎日散歩してるわけじゃないし、ヒナだって日によってはいないこともある。……生き物を飼う。いや、ダメだ。あのアパートはペット禁止だし、カメとか金魚とか、当たり障りのなさそうなのを飼ったとしても、あんなごちゃごちゃで狭い部屋に水槽を置くスペースを作るのが難しいし、世話だって大変そうだし、死んでしまったらどうする。アパートの敷地内にお墓は作れないし、燃えるゴミに捨てるなんて忍びないことはできない。大体、そんなにペットを飼いたいと思ってない私がペットを飼ったところで、飼われる方も可哀想だし、趣味とは言いづらいだろう。キャンプ。テントを建てて、焚火でマシュマロを焼くんだっけ。それが楽しいのかしら。大体、キャンプをするからには何もなさそうな山とか海で、お風呂はどうするの? 野球やサッカーを観戦する。これは、ちょっと面白そうだ。ルールがさっぱりな野球はともかく、サッカーなら私でも分かる。でもサッカーは野球と違って毎日のように試合をしてないし、厚別競技場や札幌ドームへ行くのも、ひとりはちょっと心細い。智ちゃんと行ければいいけど、智ちゃんは私と違って暇じゃないだろうから、毎試合行けるってことにはならないわね……)

 柴原はまた悩んでしまった。趣味を見つけるという行為が、こうも難しいものだとは思ってもみなかったのだ。

 世の中には多趣味な人間が沢山いるが、彼女は正反対と言えた。


「梨恵はなんか趣味あるの?」


 青木に聞かれた。

 そりゃそうだ。こっちが聞けば、向こうだって気になるだろう。


「私は……実は、今日先生にも言われたんだけど、自分の趣味ってものが、ない気がするの。これだってものが」


「へえ。好きなこととかは?」


「うん……。本を読んだりお散歩するのは好きだけど、趣味と呼べるほどではない気がするし、智ちゃんがすごく多趣味でびっくりしちゃった」


 多趣味と言われて青木は笑った。

 世の中にはもっと趣味を極めている人がごまんといるし、自分の趣味なんて全然大したものではないらしい。青木の趣味が大したことないなら、無趣味な自分は何なんだろうと柴原は思った。


「そうだねえ。ゲームはしないって言ってたし、簡単なものがいいよね、趣味を探すなら。梨恵は漫画とか読んだりしないの?」


(漫画かあ……)

 柴原は首を傾げた。漫画を購読するという行為も、何年もやっていない気がする。社会人になってから、漫画本を集めた記憶がない。


「漫画って、例えばどんな漫画?」


「え、難しいね。漫画……それこそ昔の鉄腕アトムやらドラえもんやら、面白い名作はいろいろあるけど……僕は一人っ子だから、君が読みそうな少女漫画を知らないからね。ドラゴンボールは好きだったな」


「ドラゴンボール!?」


 ぽつりと漏らした作品名に柴原が飛びついた。青木は突然声を張り上げた柴原を見て、たじろいだ。


「ドラゴンボール! ドラゴンボールがあったじゃない!」


「ドラゴンボールが好きなの?」


「うん! ドラゴンボール大好きなの! 特にベジータが!」


 柴原は目が覚めたような感覚だった。

 ドラゴンボール。これは実家にあった。全巻揃っていて、子供の頃は何度も読んだ。何度読んでも展開は同じなのに、何度読んでも飽きなかった。もう、読まなくても何巻で何が起こるかを大体把握しているほどであった。例えば二十七巻で孫悟空が(スーパー)サイヤ人になるとか。

 ベジータ。大好きなキャラクターだった。

 彼は最初、悪人として登場する。地球に襲来しドラゴンボールを奪って、永遠の若さを手に入れようとする。しかし、主人公の悟空やその仲間たちと死闘を繰り広げ、最後は撤退する。

 再び地球へ舞い戻ろうとするベジータだったが、少し物語が進むと、フリーザというもっと強くて悪いやつが出てきて、しばらく単独で行動していたベジータは、仕方なく悟空たちと手を組む。

 その後は地球に渡り、トラブルメーカー的な面もあるが、徐々に丸くなっていって、最後は仲間になる。そんな人間味溢れるベジータが、柴原は大好きだった。

(ベジータは悟空のライバルだ。ベジータだけが悟空をカカロットと呼ぶ。ベジータだけが悟空の強さに付いていける。ベジータは悟空に勝てないが、それでも宿命のライバルだ。そうだ。私はドラゴンボールとベジータをこんなにも愛してるじゃない!)


「へえ、意外だね。女の子でもドラゴンボールって読むんだ。アニメやってたからかい?」


「ええ……。その、お父さんが好きだったし、ちょうど夜にアニメやってたから、見てたの」


 嘘だった。ドラゴンボールは確かに父も読んでいたが、ドラゴンボールを愛していたのは兄の方だった。

 兄はドラゴンボールの知識なら誰にも負けないんじゃないかと思えた。二人でドラゴンボールの台詞当てごっこという、何巻の何ページで、悟空は何と言ったでしょうか?みたいなマニアックな遊びをしたことがあったが、兄はいつもすらすらと答えて幼い日の柴原を驚かせていた。

 毎週放送されるドラゴンボールのアニメを、兄は心待ちにしていた。オープニングが流れるだけで「ドラゴンボールだ!」とはしゃぎ、母は「そうね」と笑い、柴原もワクワクした。今日はどんな展開になるんだろうと思った。いつもいいところで終わっちゃうから、次回予告が終わったら「早く来週になれ!」と兄妹揃って祈ったものだった。

 まだ幼かった柴原にも、ドラゴンボールの話は分かった。メチャクチャ強い悟空が、悪いやつらから地球を守る。そんな悟空にライバルがいる。ベジータだ。ベジータは悟空を特別視している。


「そっか。ベジータか。なかなか通だね。悟空とか悟飯じゃなくて、ベジータってところが」


 ははっと青木が笑った。眼鏡越しの瞳が優しかった。


「ねえ、ドラゴンボールはずっと前に終わっちゃった漫画だけど、これを趣味にできるかな?」


「そうだね。ドラゴンボールを極めるのも、趣味と言えるかもしれないね。でも、梨恵はドラゴンボールという作品以上に、ベジータを愛してるんじゃないかな?」


 ドラゴンボールマニアになろうと思った柴原に、青木が問いかけた。

 ううん、と柴原は腕を組んだ。

(そうかもしれない。確かに私はドラゴンボールを愛していると言っていいだろう。それはきっと、死んだ兄が愛してたから。でも、私が真に愛してるのは、ドラゴンボールに出てくるベジータではないか。彼が修行して強くなって、敵と戦って、勝ったり負けたりする。負けたベジータはもっと強くなって、違う敵と戦う。だけど、ベジータはどんどん強くなるのに、悟空はもっともっと強くなっていく。そんな悟空を見てベジータは悔しがる。でも、最後は悟空をナンバーワンだと認める。そんなベジータを、私は愛している……)


「そうね……。私はベジータのファンなんだわ、きっと」


「そのようだね。梨恵は絵とか描けるかい?」


「ううん、全然。絵心が全くないの」


 青木の問いに柴原は首を横に振った。

 絵描きなんてとても無理だ。思い返すと幼い頃、兄とドラゴンボールの絵を描いたりしたが、兄は上手に悟空やピッコロを描いたが、柴原は上手に描けず、塗り絵も下手で、そもそも不器用で、図工の成績は芳しくなかった。


「うーん。したら、パソコンはある?」


「え? パソコン? あるけど……かなり、古いけど」


「じゃあ、文章は書ける?」


「文章……作文は苦手だったけど、書くのは嫌いじゃないかも」


「したらさ、パソコンのメモ帳でもいいから、ベジータについて書いてみたら?」


「ベジータについて?」


「そう。なんでもいい。ベジータの好きなところとか、漫画で描かれなかったベジータとか、漫画が終わった後のベジータとか」


 青木は「そういうのを二次創作と呼ぶんだよ」と教えてくれた。

 二次創作。言葉は聞いたことがあった。夏とか冬に、コミケと呼ばれる大きなイベントが開催されて、同人誌とかを売っている、あれだろう。柴原はぼんやり理解した。


「著作権とかは大丈夫かしら?」


「それについてはグレーなんだよね。はっきり言えば違法だよ。そりゃそうだよね。だって、他人が作ったキャラクターを勝手に使って、別な話とかイラストを作るんだから」


「じゃあダメじゃない。違法なことなんてできないわ。逮捕されちゃう」


「はは。そんなに心配するなよ。二次創作が違法だとして、それで逮捕されるならコミケなんて開催されないし、参加者はみんな逮捕されちゃうだろ? よっぽど酷い内容……例えばベジータを物凄く乱暴に扱ったりする問題作でない限り、基本的に黙認されるんだ。だってそうだろ? 僕がベジータの絵を描いて、ネットにアップして、それで捕まるかって言われれば、そんなことはないだろ? 作者の鳥山明先生がどうしてもダメだと仰るなら、そりゃ消さざるを得ないだろうけど、先生もそんなに暇じゃないし、いちいち警察だって見て回らないよ。まして今やろうとしてるのは、完全にローカルな話じゃないか。梨恵が書いたベジータの話を、誰に読ませるでもないなら、何の問題もない。僕はそう思うな」


 なるほど、青木の説明は分かりやすかった。

 確かに鳥山明先生を怒らせてしまったら、それはまずいことになるだろうけど、柴原は愛するベジータを乱暴に扱いたくないし、ましてやインターネットに掲載する勇気なんてなかった。

 そもそも、ベジータについてどうやって書けばいいんだろうか。あのパンドラボックスに眠っている古いパソコンを引っ張り出して、メモ帳を開いて、ベジータについて書く。

(ううん、できるかなあ。でも智ちゃんがここまで説明してくれたんだし、試してみようかな)


「ありがとう、智ちゃん。私、やってみるわ。ベジータについて書いてみる。今日帰ったら、早速やってみるね」


 うん、うん、と優しく青木は言った。

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