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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
13/30

列車追跡アプリ(2)

「昨日、あれから調べてみたんだけどよ、JR北海道の本社は桑園にあるらしい。そこの、電気部ってところが一番話が早そうだな。何課まではすまん、分からん。電力課、通信課、信号課ってあるらしいんだが、俺は通信課じゃないかと睨んでる。電力は、まあ北電みたいな業務をしているんだろう。信号はそのまんま、鉄道の信号機だろ、多分な。営業部もあったが、こっちは駅員とかみどりの窓口とか、そっち関連みたいだな。俺たちの作りたいもんを説明しても、そうですかと言われるだけだろう」


「すみません、いろいろとありがとうございます」


 高取は非常に有能な人間であった。

 まず、顔が広い。どこの業界にも知り合いがいる。さすがにJR北海道には知り合いがいなかったらしいが、JRの協力会社など、様々な伝を使って調べてくれたらしい。

 おまけにJR北海道本社へ、既に十七日の月曜日にお邪魔するアポまで取ってくれたのだから、頭が下がった。

 桑園駅は琴似駅と札幌駅の間にある、オフィス街の駅だった。JR北海道の本社は札幌駅にあるもんだと思っていたが、そうではないらしい。

 二人はその後、具体的にどんなアプリにしたいのかを絵で描き、説明用の資料を作った。休日の社屋には二人しかおらず、大変に気楽であった。

 二十時近くなったところで一段落した。昼飯も食べていなかったのに、不思議と空腹感はなかった。

 帰り際、高取と近くの居酒屋で一杯やった。明後日の月曜日、遂にJRに乗り込む。決戦の時だ。青木は燃えていた。







『JR北海道の本社ってどこにあるか知ってる?』既読


『知らない。どこなの?』


『どこだと思う?』既読


『意地悪ね。うーん、札幌とか?』


『残念でした。桑園だよ』既読


『へえ、桑園。あまり行ったことないわ』


『だよね。僕も滅多に行かないよ』既読


『明日、行くの?』


『うん。いよいよだ。高取さんがセッティングしてくれたから、ちゃんと商談しなきゃ』既読


『そう。頑張ってね。おやすみなさい』


『おやすみなさい』既読







 六月十七日、月曜日。

 青木はいつもより二本も早い列車で会社に到着していた。高取も今日は早出して、似合わないダークグレーの背広を着て、黒いネクタイなんかを締めている。まるで葬式にでも行くみたいだなと、心の中で笑った。

 先日、柴原からもらったネクタイの結び目を右手で握る。これは、青木の癖だった。緊張した時に、ネクタイの結び目を握ると、不思議と安心するのだ。


「よし、ちょっと早いが行くか。お前、運転大丈夫か?」


「はい。よろしくお願いします」


 社用車のキーを受け取り、青木は答えた。白いライトバンに、青字で「北海道システムワークス」と書かれている。ダサいクルマだなといつも思った。

 非常に残念なことに、今日は古いライトバンだった。マニュアル車だ。マニュアルなのはいいが、クラッチが擦り減っていて滑り、燃費も悪く、カーナビすら付いていなかった。

 おまけに古いクルマ特有のなんとも言えない臭いと、タバコの臭いが染みつき、タバコを吸わない二人は顔をしかめた。


「道案内、お願いできますか?」


「ああ、任せろ。とりあえず、十二号線をそのまま、苗穂方面へ走れ。途中で何度か曲がるが、線路沿いを走れば着く。大丈夫だ」


 高取はスマホで地図を確認しながら淀みなく答えた。青木はキーを回した。頼りないセルモーターがキュルキュルと鳴り、エンジンが始動した。

 朝のラッシュで道は混んでいる。エンストなんてしたら大迷惑だ。

 青木は気合を入れた。八時四十分だった。







 高取の道案内の通り走ると、線路の高架が近付いてきたので、手前で左折し、線路沿いを桑園駅方面に進むと、桑園駅に直結したJR北海道の本社ビルがあった。ダークグレーの大きな建物だった。なかなかオシャレだと青木は思った。

 来客用の駐車場を探し、正門に立った。「北海道旅客鉄道株式会社」と書かれていた。その下には少し小さく、「日本貨物鉄道株式会社 北海道支社」とも書かれていた。貨物のJRは、旅客のJRとは違うのかと、青木は知った。鉄の字の失は、矢になっていた。


「これ、間違えたんですかね?」


「さあなあ。鉄って字は金を失うって書くから、縁起が悪いから強引に矢にしたんでねーの」


 二人は無駄な会話を済ますと、正門から堂々と突入した。

 守衛に「北海道システムワークスです。九時半に、電気部の方と打合せを予定しております」と高取が伝えると、入場できた。

 スーツ姿の受付嬢がやってくる。矢野と書かれた名札を左胸に付けていた。柴原ほどではないが、大企業の受付嬢にふさわしい綺麗な人だった。黒い直毛が肩くらいまで伸びていた。


「JR北海道本社へようこそ。三階の、B会議室をご用意しております。さあ、どうぞ、こちらへ。エレベータがございます。私もご同行します」


 二人は矢野に促されるまま、ロビーからエレベータへ連れて行かれた。ロビーには他にも多くの背広姿の人がおり、この人たちはみんなJRの社員なんだろうかと青木は思った。

 B会議室は、それほど広くない空間だった。白い壁紙に、黒っぽいタイルカーペット。白いテーブルに茶色の応接ソファが対面に並んでいた。


「どうぞこちらへお座りください。ただいま、コーヒーをお持ちしますね。担当者にはすぐに来るよう伝えておきますので、申し訳ありませんが、もう少々お待ちください」


 言い終えると矢野は頭を下げ、退室した。はて、こういう時、どっち側に座ればいいんだっけ。そういう知識のない二人は顔を見合わせた。

 結局二人は、入口から近い下座に腰かけた。ふかふかのソファが心地良い。システムワークスのパイプ椅子とは雲泥の差だ。さすが大企業である。窓から青空が見える。いい天気だった。


「お待たせしました。あら? あちらで、よろしいですよ。ええ、窓の方に。こちらは下座にございます。上座へどうぞ。お砂糖とミルクはお使いになりますか? そうですか。それでは、私はこれで失礼いたします。まもなく、担当の者が参ります。もう少々お待ちくださいませ」


 入ってきた矢野に笑われてしまった。我々はどうやら、とんでもなく恥ずかしい間違いを犯してしまったらしい。

 そうか、こういう場合、一応我々は「お客さん」になるのか。なるほど、うん、そういうものか。青木は一人で納得した。

 矢野が持ってきてくれたホットコーヒーを持つ手が震えた。一方高取は、「お菓子はないのか……」と残念そうにしていた。カップを持つ手は震えていなかった。


「お待たせしました。どうもすみません」


 一礼をして、B会議室に茶色の背広を着たJR社員が入ってきた。眼鏡を掛け口髭を生やした、頭の良さそうなナイスミドルだった。左胸に長岡と書かれた名札があった。

 高取と青木は慌てて立ち上がり、深々と礼をした。名刺交換を行った。柴原からもらった名刺入れを持つ青木の手が震える。高取すら、若干緊張している様子であった。


 北海道旅客鉄道株式会社

  電気部信号課 課長

  長岡重孝


 とんだお偉いさんが来てしまったと、二人は驚いた。

 長岡課長は二人がさっき座ってしまった下座の前に立つと、「どうぞ、楽になさってください」と二人を促した。二人は着席した。長岡課長もそれに続いた。







 この度はお忙しい中、弊社へご足労頂きありがとうございます。

 担当の者より聞きましたが、列車の在線位置を表示するアプリを制作されたいとのことで、誠にありがたく存じます。

 具体的に、どのようなアプリになるのでしょうか?

 そうですか、なるほど。つまり、この絵の通り、線路図があり、その上を列車アイコンが通過すると。列車番号と遅れ情報を可視化するのですね。それは確かに、実用化されれば駅員の負担も軽減されるでしょうし、スマートフォンが主流の現代にはマッチしておりますな。

 どれ、その絵をもう少し、よく見せて頂けますか。ふむ。なるほど、なるほど。

 列車の在線位置は、どの程度の精度をお考えでしょうか。

 左様にございますか。数メートル程度と。かなりレベルが高いものになりますね。

 少し、鉄道の基礎知識についてお話しさせてください。

 列車というものは、軌道回路によって制御されているのです。軌道です。線路の軌道。放物線が描く軌道なんて言いますね。あの軌道です。

 線路には、二本のレールがありますね。このレールには、素手で触っても感じないほど微弱な電流が流れています。雨や雪ではびくともしません。

 列車は、鉄の車輪で走りますね。すると、短絡。ショートが起こるわけです。これを軌道短絡と呼びます。電気がバチバチと鳴るのをご想像ください。

 時折、信号機故障で列車が止まることがありますね。これは、全てではありませんが、何らかの原因で軌道回路に異常が生じ、列車が在線していない箇所で軌道短絡が起こった事例が多いです。同じ軌道回路に、列車は二本以上入れないのです。

 金属の棒をご想像ください。磨いた針金のようなもので結構です。あれを、レールとレールを結ぶ形で置いてしまえば、それだけで列車は止まります。列車運行とはそれほどデリケートなのです。賠償責任も生じますし、何よりも大変危険ですから、くれぐれも実行しないでくださいね。

 新幹線には疎いですが、在来線はどこの会社もほとんどがこの方式を使っています。そして、軌道回路というものは、列車の長さにも影響されますから、一区間のエリアが結構長いのです。

 つまり、現行の指令システムで申し上げますと、1aT……Tをテーと呼ぶのは鉄道用語で、トラックを意味するのですが、在線表示盤で1aTの表示ランプが点灯していれば、その軌道回路上に列車が在線している意味となり、隣に2aTという軌道回路があれば、列車の先端が2aTに差し掛かった頃に2aTのランプが点きます。この時、列車の後方はまだ1aTの軌道回路を踏んでいますから、1aTも点灯しているわけですね。そして、列車の車輪がすべて2aTに入って、初めて1aTの表示ランプが消灯します。

 いかがでしょうか。鉄道とは、少なくとも在来線とは、こういうものなのです。つまり、あなた方がご希望になる数メートル単位の在線位置は、とても導き出せません。我々とて、何番の列車がどこの軌道回路上にいるらしいとしか、指令システムで分からないのです。最新の設備に更新したりはしますが、根本的な構造は変わりません。

 そうですね。例えば、走行している列車から何らかの信号を出して、それを指令センターでキャッチして表示できれば、或いは可能かもしれませんが、そういう設備を増やすのは運転士が嫌がるでしょう。

 運輸部が首を縦に振らない限り、我々も強引に設備を付けることはできません。そして、その望みは薄いと思ってください。

 本日はせっかくご足労頂いたのに誠に申し訳ないのですが、現行のシステムでこのアプリを制作するのは、難しいかもしれません……。







 とぼとぼと、高取と青木はJR本社を立ち去った。

 無理だ。とても不可能だ。

 JRの課長が、そういう構造になっていないと言い切るのだから、無理なのだろう。

 最初からこの企画には無理があったのかもしれないと、青木は後悔した。

 そんな姿を見てか、高取は青木の背に手を掛けた。気にするな。よくあることだ。背広越しに伝わる感触がそう言っていた。


「残念ですね……JRに、フラれてしまいました」


 ライトバンに乗って青木は項垂れた。


「なあに、他のを考えればいいべ。着眼点は良かったと思うぞ。あの長岡課長って人も、資料をよく読んでくれたべや。持って行った書類は全部受け取ってくれたし」


「そうですか? ありがとうございます……はあ」


 セルモーターを回してエンジンを始動させる。二人はシステムワークスへ戻った。

 帰社後は、ペンギンゲームの総仕上げに掛かった。今月末には配信開始予定になった。

 バグチェッカーたちが黙々と作業を進め、小さなバグを高取と青木は直していった。単純なゲームなのに、バグというものはよく生まれてしまう。







『ねえ、JRの本社ってどんなところだったの?』


『綺麗なビルだったよ。さすが大企業だね』既読


『へえ。行ってみたいな。私でも入れるかな?』


『いや、あそこは守衛さんもいるし、門前払いされちゃうよ、きっと』既読


『そっかあ。残念。智ちゃんの企画は通りそうなの?』


『それがさ、JRの課長さんに「難しいですね」って言われちゃって』既読


『あらまあ。でも、難しいだけなんでしょ?』


『なんか、そもそもJRも列車の位置ってもんを、そこまで細かく把握してないらしいよ』既読


『へえーそうなんだ。どっかで監視してるのね』


『うん、そうらしい。指令っていうところで、24時間監視しているんだって。でも、例えば発寒中央の何メートル手前にいますとか、そこまでの監視ではないらしい』既読


『そうなのね。まあ、そこまで見ていたら、指令の人だって疲れちゃうわよね』


『そうだよなあ……。でも、諦めたくないんだよなあ。初めて僕が持った企画だから、何とかしたい』既読


『うん、頑張ってね。智ちゃんならできるよ』


『ありがとう。梨恵の調子はどうだい?』既読


『私は元気だよ。今日はお薬増やされちゃったけど笑』


『そっか笑 また、連絡するね。おやすみ、梨恵』既読


『うん、おやすみなさい』







 青木の企画はどん詰まりだった。もう何日も悩んでいると思ったが、まだ木曜日だった。

 一度始めたからには、まだ諦めたくなかった。

 何か手がある。きっとそうだ。見えていないだけだ。見えるのに、見えていない。決定的な何かを見落としている。

 そうに違いない。青木はそう思い込んだ。


「青木、ちょっと来いよ」


 高取だった。

 呼ばれるがままに、高取のお菓子の箱やら書類やらで人一倍散らかったデスクへ行った。


「これ、見てみろよ。札幌近郊だけど、線路図作ってみたんだよ。面白いのな、こっちが札沼線。あ、今は学園都市線って呼ぶのか。これが函館線で、この南に延びるのが千歳線だ。ズームアップもできるぞ。駅名もある。とりあえず、小樽までは作ったぞ。こっちが岩見沢だ」


 北海道の地図上に、線路図が描かれていた。

 札幌を中心に、ヒの字のように小樽方面、千歳方面、あいの里教育大方面に延び、さらに南へは室蘭線が延び、苫小牧まで。石勝線などのキタカエリアより奥は、とりあえず省いたらしい。

 ペンギンの次は鉄道に頭を悩まされた。札幌駅、琴似駅、小樽駅、岩見沢駅、あいの里教育大駅、北海道医療大学駅、千歳駅、新千歳空港駅、苫小牧駅は最重要と言えた。キタカが使えてお客さんが多いエリアだからだ。

 一体どうやって、こんなに広大な北海道を走る何本もの列車の在線位置を表示するというのか。長岡課長が言っていた、軌道回路というものがどんなシステムなのかイマイチ理解できていなかったが、線路をエリア毎で管理するのは理にかなっていると思った。


「こんなに広いところに住んでいるんですね、僕たちは」


「そうだなあ。広いな、北海道は」


 二人でしみじみと語った。北海道の鉄道網などたかが知れているはずなのに、とんでもなく複雑で難しいと思った。「列車追跡アプリ」は暗礁に乗り上げる。そんな気がしてきた。


「青木、お前、どうせ昼飯はコンビニだろ。ちょっとラーメン屋でも行かないか?」


 途方に暮れていると、高取が声を掛けてきた。たまにはラーメンランチもいいかもしれない。


「そうですね。行きましょう。今日は新しいバンが空いてますね」


 ちょうど十二時のチャイムが鳴った。他の社員に横取りされない内に、新車のライトバンのキーを青木は借りた。

 白いが、先日JR本社へ行くのに使ったものよりも光沢があり、見た目もちょっとカッコいい。

 青木が運転席に乗り込むと、まだ新車の匂いがした。エンジンを掛ける。セルが勢いよく回る。もちろん、オートマチック車だ。助手席に高取が座る。


「目的地まで、あと七キロです」


 国道に出て少しすると、突然女性の声がして二人は驚いた。カーナビだった。誰かがこの近所を目的地にして、そのままにしたらしい。だらしないなと青木は思った。

 信号待ち中に、助手席の高取がカーナビを弄る。目的地を消そうとするが、上手くいかない。右上には三分後の時刻が表示されていた。あと三分で着くという意味であろう。

(ん……? 何か引っかかるな……。なんだろう……この感じ……?)

 青木は奇妙な感覚だった。何かを見つけた。そんな気がした。


「高取さん! 会社に戻りましょう!」


「は? お前、何言ってんだよ、ラーメンはどうするんだよ」


「ラーメンよりも良いものが見つかったんですよ! とにかく戻りましょう!」


 少し進み、広い交差点で青木はUターンをした。戻らなければならない。

 なぜだ。どうして今まで気付かなかったのだ。こんなに簡単な答えが、すぐ身近にあったではないか。青木はニヤリと笑った。

(そうだ。僕も持ってるじゃないか、現在位置を示す道具を。そしてこのクルマにも付いてるじゃないか、決定的な答えが)

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