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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
12/30

列車追跡アプリ(1)

「おはようございます」


 礼儀正しく背広を着た青木が挨拶した。青い新品のネクタイを締めている。

 一階のスマートフォンアプリ開発部のオフィスに入る。パソコンが並び、白を基調としたオフィスは清潔感があったが、各々のデスクは書類だのノートパソコンだの、何に使うのかよく分からない機械だのに占領されている所が多く、青木の席だけが、彼と同じく礼儀正しくお辞儀をしたノートパソコンが一台だけ、置かれていた。

 仕事ができないからではない。片付けるのが好きなのだ。必要な書類、資料、機械はしっかりと場所を掌握していたし、むしろどうして皆の席はあんなに汚いのか不思議でならなかった。


「おう。おはよう」


 一転してTシャツにジーンズ姿の、四十を過ぎた太った男が挨拶した。

 青木の直属の上司に当たる、高取だ。他の社員たちも「おはようございます」と続く。皆、私服だ。この会社は背広にネクタイという堅苦しい縛りは存在しない。

 なのに青木と社長だけが、毎日律義に背広を身に纏っている。社長は分かるが、なぜ平社員の青木まで真似をするのか。

 真面目な彼は、陰で「紳士服の青木」と称されていた。他社にご挨拶へ行く時ならともかく、平時に背広は堅苦しいからやめなさいと、社長までもが進言したが、青木は信念を曲げなかった。

 北海道システムワークス株式会社。

 名前だけでは何をやっているのか分からないこの会社は、昔は電話関連の電気通信工事を専門に請け負っていたそうだが、二十世紀末のIT革命到来時、これからはソフトだ。ソフトをパソコンや携帯電話に売って稼ぐと、名物社長は一気に方針を転換して、二十一世紀が始まって少しすると、ソフト開発専門の会社になっていた。

 社長の方針が正しかったのかは定かではないにせよ、九十年代に社員の高齢化が進んでいた会社は、一気に若い人材で溢れるようになり、次々と技術者たちが入社した。二階建てだった古い木造社屋は、三階建ての鉄筋コンクリートになった。

 携帯電話……いわゆるガラケーのアプリ開発部だった一階は、二〇一〇年代に入って急速に普及が始まったスマートフォンのアプリ開発部に、二階はパソコンのソフト開発部。そして三階は会議室や休憩室に使われていた。

 青木が会社に到着するのは、いつも八時半過ぎと決まっていた。始業にさえ間に合えば、文句を言う者は誰一人としていなかった。いや、間に合わなくても、まあ気を付けろで許されるような、緩い会社だった。

 自宅から最寄りの発寒中央駅から、七時五十六分発の普通列車に乗り、八時十七分に白石駅に着く。途中、札幌駅で六分ほど待たされるが、これは乗り換え客が発生するためらしい。

 ラッシュと言えど、花の都大東京に比べれば可愛いもので、運が良い日は座れるし、ましてや、おしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅう詰めにされたことなど、ただの一度もなかった。

 会社は白石駅から南方面へ徒歩十分。国道十二号線沿いに位置していた。

 青木はいつも、道中のセブンイレブンで昼食のお弁当を買って行く。そろそろレパートリーも制覇して、飽きてきた頃である。ぼちぼち駅前のローソンに切り替えてもいいかもしれない。


「最近はどうだ、進んでいるか?」


「はい、順調です。午前中にも仕上がりますよ」


 始業の九時まで時間があるためか、チョコレートをもぐもぐと食べながら高取が聞いてきた。左手の薬指に新品の結婚指輪が輝く。

 彼はつい先月に結婚したばかりで、相手は二つ年下でかなりの美人らしい。「美女と野獣ね」と女性社員が陰でこそこそと笑っているのを青木は知っていた。

 確かに高取は口は悪いしデスクはだらしがないし、天然パーマの見た目も小綺麗と言えない、言ってはなんだが太ったおっさんである。

 しかし心優しい一面もあり、青木が残業してアプリ開発に勤しんでいると、そっと缶コーヒーを買ってきてくれたり、彼より早く帰ろうとせず、何かしらの形で手伝ってくれたりしていることを、青木はよく知っている。だから、高取が結婚すると聞いても、特に驚きはしなかった。奥さんは幸せだろうと感じた。

 青木は担当していたアプリの開発がそろそろ終盤を迎えていた。

 単純なゲームだ。ペンギンを毎日育てて、その内ペンギンはつがいになり、雛が生まれ、老いた親は死に、世代交代していく。課金すればペンギンの種類が増える。あげる餌の種類も増え、ペンギンは長生きしたり、違う色になったりする。

 こんなゲームに需要があるのか知らなかったが、高取が作った企画書を二人で持っていくと、社長は「面白そうだから作りなさい」と背中を押した。


「ペンギンはいつ死ぬんだ?」


 不穏な質問を高取が投げ掛けた。


「ペンギンは、大体三ヶ月で死にます。その前にお嫁さんをもらえれば雛が生まれます。卵を持った状態を再現しようと思いましたが、ペンギンは種類によって卵の育て方が違うらしいので、そこは省きました」


「ふうん。なるほどな。お嫁さんをもらえる条件は?」


「毎日きちんとお世話をすることです。羽繕いをしてあげたり、餌をあげたり、遊んであげたり。そうすると、他の飼育員がお嫁さんを紹介してくれます」


「うん、うん。分かった。いいんでないか」


 ペンギンのゲームは順調に終わりそうだ。正直、ペンギンを見るのは飽き飽きしていた。

 エンペラーペンギン。キングペンギン。フンボルトペンギン。ケープペンギン。ジェンツーペンギン。アデリーペンギン。イワトビペンギン。フェアリーペンギン。他にも多数。

 どれも似たような姿をしているのに、それぞれ住む場所も違えば生態も違う。

 世の中にはこんなにペンギンがいたのか。あまり興味ないけど。

 ペンギン好きの柴原にこんなことを言えば怒られるかもしれないと、青木は思った。


「途中で悪いんだけどよ、次の企画はお前に任せたいと思うんだわ」


 高取が不意に言った。「えっ」と青木は叩いていたキーボードを打つ手を止めた。


「お前ももう三十一だろ? そろそろ自分でプロジェクト立ち上げてもいいだろう。俺が補佐してやるから大丈夫だ」


「……分かりました。やってみます」


 思いがけず嬉しい提案だった。

(やった! とうとう自分が作りたいものを作れるんだ!)

 今までは、高取が企画書を作り、高取の方針に従いながら、修正や訂正を加えつつ形にしていった。

 途中で断念したり、中断した企画も数多くある。そんなものは、いちいち気にしていられない。費やした時間や予算を嘆いても、世の中は止まってくれないからである。

 始業のベルが鳴った。点呼があり、社是を読み上げる。「創造・自立・行動」。よし、創造して自立して行動だ。青木は思った。







 高取と青木の関係は古い付き合いだった。琴似(ことに)工業高校に在籍していた青木は、就職活動の際に、可能なら札幌に残ってソフトウェアの開発をしたいと思っていた。級友たちは次々と内地の就職先を見つけた。就職氷河期が終わりを迎え、人材は引く手数多であった。

 進学の道もあったが、青木は早く働きたかった。求人情報を探っていると、白石区に北海道システムワークスを見つけた。それほど大きくはないが、給料も悪くないし、白石駅から近いのも魅力だった。何よりも、札幌に残れるし、新しい社屋はソフト開発に集中できそうだったのだ。

 高取は青木が面接を受けた時の面接官であった。

 今でも、当時の記憶がはっきりと残っている。この会社の小さい方の会議室で、マンツーマンだった。


「青木くんね。琴工(きんこう)の」


「はい! 青木智実と申します。琴似工業高校の情報技術科に在籍しております」


 緊張しながら学ラン姿の青木は答えた。

 今よりも若い、当時三十頃の高取は怠そうに背広を纏い、面倒そうに書類を眺めながら聞いた。


「なんでこの会社受けたの?」


「はい! 御社を志望したのは……」


「あ、そういうの、いいから。御社とか、そういう堅っ苦しいの」


「はい、しかし他に呼びようが……」


「あー、まあ、いいよ、うん。御社で、はい、続けて」


「はい! 志望したのは私の故郷である札幌で、ソフトウェアの開発を行いたかったからです」


「なんで?」


 高取が質問する。

 なんで。なんでだろう。素直に札幌に残りたかったからと、言えばいいのだろうか。

 高校で散々やった面接の練習は、ここでは何の役にも立たない。面接官がこんな不真面目そうな人でいいんだろうかと、青木は不安を覚えた。


「はい。私は札幌を愛していますから、札幌で作ったソフトが世界中で扱われることを夢見ていたからです」


 思ってもみなかった言葉が口を出た。高取は「ほう」と顎に手を当てた。


「うちが昔、電気工事の会社だったのは知ってる?」


「はい。存じ上げております」


「そう。じゃあ話早いけどさ、その時代のロートル達がそろそろいなくなるから、席は空くよ。うるさいのがいなくなってせいせいするよ、本当に」


「はあ……」


「まあ、今のうちはソフト専門だから。君、ケータイとパソコンのどっちがいい?」


 これは部署を聞かれているのだと、とっさに青木は悟った。

(面接なんて形だけで、この面接官……そういえば名前も聞いていなかったけど、この人は僕を採用するつもりでいるんだ)

 青木の胸は高鳴った。


「はい。私は携帯電話のソフトを作りたいです」


「ふうん。ケータイね。ケータイのアプリなんて、ちゃっちいもんで世界に出れるの?」


 青木は言葉を失った。当時の携帯電話は今のスマートフォンと違い、まだいわゆるガラケー。ゲームや電卓などのアプリはあったが、今ほど何でもできる時代ではなく、これから成長していくのかも怪しかった。

 携帯電話の形が変わらない限り、これ以上の発展は見込めないのではと不安になった。


「出られると、思います。時代はきっと変わります。デスクトップだったパソコンがノートパソコンになったように、携帯電話も、きっと違う形になります。今、私たちが使っている折り畳み式やスライド式の物ではなく、具体的にどんな形かは分かりませんが、誰でも手軽に携帯電話で地図を見たり、インターネットをしたり、動画を観られるようになると思います」


「よし分かった。君、採用ね。来年の四月二日の月曜、九時に入社式だから、スーツで来てね。あれ、仏滅だね。三日は大安だから、そっちにすりゃ良かったのに、社長もセンスないね。ま、いっか。ケータイがどうなるのか俺も興味あるんだわ。あ、名乗ってなかったよね。ごめんごめん。俺、こういうの向いてなくってさ。俺、高取明宏。君と同じケータイのアプリ作る人。多分俺が上司になるから。よろしく」


 言いたいことを言って、さっさと高取は席を立った。立ち上がって「ありがとうございました」と頭を下げると、振り返らずに手を振って、退室してしまった。途方に暮れた青木は、仕方なくそのまま帰宅した。

 後日、「採用だって」と高校で言われて、安心感と言うよりも不安感の方が強かった。

 平成十八年の秋のことであった。奇しくもそれから数年後、スマートフォンが世に出回り、ちまちまとなんの役に立つのか分からないゲームなんかを作っていた携帯電話アプリ開発部は、スマートフォンアプリ開発部と名を変え、一気に出世した。







「次の企画書なんですが……」


「おう」


 ペンギンゲームの開発が一段落したところで、青木は高取に声を掛けた。昼前である。

 後はテストでバグチェックを行い、問題なければ売り出せるだろう。高取は試しに遊んでいたが「つまんねーゲームだな」と感想を述べていた。


「高取さん、JRって使います?」


「ああ、使うよ。たまにだけど」


「よかった。JRって、遅れることがあるじゃないですか。人身事故とか、信号トラブルとか。あれって、いっつも駅員さんが忙しそうに次は何分後とか騒いで、お客さんに揉みくちゃにされてますけど、今、どの列車が、どこにいて、何分遅れているかをアプリでチェックできれば、便利だと思いません?」


 青木は考えながら言った。そうなのだ。JRは遅れることが度々ある。事故が起こって遅れてしまうのは仕方がないことだ。

 だが、構内アナウンスや掲示板で「何分遅れ」とか「〇〇駅間で停止中」と発表していても、情報は錯綜し、お客さんは混乱し、怒号が飛び交う。そんな駅員たちの姿を見て、青木は気の毒に思っていた。


「そうだな。便利かもしれねえな」


 クッキーを齧りながら高取が答えた。この男は仕事中だろうが休憩時間中だろうが、絶えず何かを口にしていないと落ち着かないらしい。先日の健康診断でも「生活習慣を見直しましょう」と言われていたが、「けっ」と検査結果を破り捨てていた。


「それで、JR北海道に行って、話してみませんか? こういうアプリを作ったら便利じゃないですかって。もし成功すれば、システムワークスをもっとデカい会社にできるかもしれませんよ」


「バカだなあ、お前。そんなの、もうとっくに思い付いてるだろ。JRだって。できないにはできない理由があるんだろ。それに、赤字抱えたJR北海道が、うちをデカくできんのかね」


「そうかもしれませんけど、やってみたいんです」


 青木は譲らなかった。強い信念を持っていた。これはいけると思っていたのだ。

 例えば、グーグルマップのような地図をスマートフォンのアプリで起動する。そこに、列車番号が書かれた列車のアイコンが線路上に表示される。

 リアルタイムで列車のアイコンは動く。アイコンの右上に+0と出る。つまり、遅れがない。+1なら、一分遅れだ。こんな具合のを作れたら、便利なのではないか。ダメならダメで、仕方ないと割り切るしかあるまい。


「お前がそこまで言うなら、分かった。JR北海道の、どこの部署に言えばいいのか調べてやるよ」


「ありがとうございます!」


 高取から許可を得て、午後になり正式にプロジェクトは始動した。プロジェクト名は「列車追跡アプリ」。







「ほうほう。それはなかなか、興味深いですね」


 六月十四日の金曜日、二十時過ぎ。

 昼過ぎに高取から許可を得たプロジェクトについて、いつものバーでマスターに話すと、マスターも興味を持ってくれた様子だった。紺のワンピース姿の柴原が、亜麻色の髪を輝かせながら隣で頷く。


「確かに、遅れている時ってみんな余裕がなくなるよね。そんなに怒っても動くわけないじゃないって、いつも思うわ」


「そうだろ? だから、可視化しちゃえばいいと思ったんだ。スマホで見れれば、みんなそっちに集中するんじゃないかって。誰でも持ってるし」


 柴原の考えに青木は同調した。

 そうなのである。怒ったところで列車は動かない。いや、もしも暴力沙汰になんてなれば、もっと駅は大混乱に陥ってしまう。白石や発寒中央ならともかく、札幌くらい大きな駅だといろいろな客がいて駅員も苦労しているだろうと思った。


「マスターは、どう思います? いい案だと思いません?」


 ハイボールを飲みながら青木は尋ねた。


「あいにく、私は携帯電話を持っておりません。ですが、仰ることは伝わります。電話機の画面上で、電車がどこを走っているかを見られるようにするんですね」


 はい、その通りです!と面接のように青木が言ったものだから、柴原が上品に笑った。

 だが、マスターはスマホを持っていないのか。持っていない人は、どうすればいいだろう。いやいや、今はスマホのアプリを作ることに専念しなければと、青木は胸の中で独りごちた。


「今日は、これくらいにします。マスター、お勘定お願いします」


「あら、早いのね?」


「明日、高取さんって僕の上司と会社で作戦会議をするんだ。なんにも情報なしにJRに乗り込んでも門前払いされるだろうからね。今日会えて嬉しかったよ。梨恵、気を付けて帰るんだよ」


「子供じゃないんだから……ふふふ。ありがとう」


 美しく笑みを浮かべながら手を振る柴原に応え、勘定を済ますと足早に帰宅した。初夏の札幌の夜は暖かかった。

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