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亜麻色の彼女  作者: 藍月ゆう
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野球音痴(2)

『さあ、スワローズのラッキーセブン! この回の先頭は四番バレンティンです!』


 聞いたことのある外国人がバッターボックスに入った。右打ちだ。

 大きな身体。黒っぽい顔。ホームランをたくさん打って、日本記録を作った人だと青木が言った。


『ああーっと! バレンティンの足に投球が当たってしまいました! バレンティンが怒ります! 一触即発の両軍ベンチ! 頭を下げる玉井! スワローズのベンチがバレンティンを止めます!』


 デッドボール。痛そうだった。プロのピッチャーが投げるボールが当たれば、そりゃあバレンティンじゃなくても怒るだろう。

 だが、なぜ両軍出てくるんだろうか。

 当てられたスワローズベンチが怒るのは分かる。だが、ファイターズベンチが出てきて怒ってしまっては単なる逆ギレと見なされてしまうのではないか。そう青木に尋ねた。


「こういう時は、出て行かなきゃならないんだよ。乱闘にならないように、選手をなだめなきゃならないんだ」


 うーん、ピンとこない。怒ったスワローズベンチを当事者のファイターズベンチが「まあまあ」となだめても、余計に怒らせてしまうのではないかと柴原は気を揉んだ。

 結局バレンティンは両軍ベンチからなだめられ、一塁ベース上に行った後、代走で上田という選手が出てきた。つり目で細身の選手だったが、三十を過ぎているらしい。見た感じはもっと若く思えた。


「上田かあ。こいつは足が速いから警戒しなきゃならないぞ」


「え? 何を?」


「何をって、盗塁に決まってるじゃないか」


「とうるい?」


 とうるい。糖類ではないだろう。

 何だろう。何をするんだろう。上田がどうするのか、柴原はワクワクした。一体どんなマジックを見せてくれるんだろう。

 バッターボックスには村上という若い子が入った。何とまだ十九歳らしい。十九歳には見えないくらい立派な身体と貫禄を持っていた。この子は左打ちだった。

 どっしりと構えたスワローズの村上くんに、ファイターズの玉井がボールを投げる。高めに浮いてボール。村上くんは冷静に見送った。柴原は一塁にいるであろう上田を映してくれと願った。

 村上くんへの二球目。これはボール。ベースの前でワンバウンドした。だが、審判は何か、ガッツポーズみたいな仕草を見せて、村上くんは出しかけたバットを見て「しまった」という顔をした。


『ボール球でしたがハーフスイングで取れましたね』


『これは玉井くんが助かりましたね』


 実況と解説が何かを言っている。ハーフスイング。なんだろう。ハーフ。半分。スイングは、振るってことだから、半分振った。あ、そうか、半分振ったらストライクなのね?

 三球目を玉井が投げた。またハーフスイングだ。ストライクだと思った。だが、ファイターズのキャッチャーが三塁方面を指差し、何かを確認する。

 すると、三塁線上にいた審判が手を横に広げた。柴原にもこれが何のジェスチャーか分かった。セーフだ。

 あれ? でも、なにがセーフなんだろう。村上くんは今、ストライクを取られたけれど、まだツーストライクだから三振にはならないはずだが。


『これは微妙ですが、スイング取ってくれませんでしたね』


『村上くんもよく我慢しましたねえ、いやあ微妙だ』


 実況と解説が唸る。青木もついでに唸り、柴原も静かに唸った。

 スイングを取らない? テレビの表示では、Bのマークに2と入った。つまり、ツーボール、ワンストライクということになる。ハーフスイングはストライクじゃないの? これ、どういう基準で振ったとか、振らないとか、決めてるの? 審判の匙加減で決まっちゃうんじゃないの?

 柴原が問いただすと、「まあ、そうなるかなあ。微妙な判定は野球によくあることだよ」と青木が答えた。

 何といういい加減なスポーツだろう。野球というやつは、野球というやつは……。


『ここで玉井が牽制! ああーっと! 上田が飛び出している! 慌てて戻りますが間に合いません、アウトです!』


 あれ?

 上田が、アウトになってしまった。ファイターズのピッチャー玉井が、なぜか村上くんの方ではなく、上田のいる一塁へ投げた。

 ファーストの中田がボールを捕り、一塁から少し離れたところでバタバタしていた上田にタッチして、審判がアウトのジェスチャーを見せた。


『これは素晴らしい牽制でした! 上田も油断していたでしょう!』


『ええ! 見事でしたね! 流れが一気にファイターズに来るかもしれません』


 青木が「おお」と小さく声を上げる。ううむ。けんせいって、なんだろう。

 言葉の意味は分かる。難しいけど漢字で書けば、牽制だ。要するに、引っ込んでろって意味だ。

 上田が何かをしようとして、玉井が一塁に投げたということだろうか。ピッチャーがバッター以外の選手に投げていいのかと尋ねると、「こういう場合は牽制球になるよ」と青木が答えた。何となく意味が分かった気がしたが、上田が不憫に思えた。

 バレンティンの不運なデッドボールにより、代走で出てきて、何を見せてくれるかと思えば、ファーストの中田にタッチされてアウトになっただけ。これが「とうるい」なんだろうか。柴原は「違う」と思った。


『……ツーボールツーストライクから玉井が投げました! これは、見逃しの三振です!』


『ナイスボールでしたねえ。インローにズバッと!』


 また意味不明な単語が出てきた。何だ、インローって。


『続くバッターは坂口です!』


 髭を生やしたダンディな人が左のバッターボックスに入った。柴原のタイプだった。


『坂口もバファローズからスワローズへ移籍して、見事に復活しましたねえ!』


『ええ、そうですねえ。嬉しいもんですね、数少ないバファローズのOBが活躍するのは』


 何を言っているのだろうと思った。数少ないも何も、バファローズは現存するではないか。

 ああ、そうか、この人は古いバファローズにいたのか。それが何の因果か知らないが、スワローズに移籍したらしい。

 FAというやつだろうか。言葉は知っていた。何年か在籍した選手が、違うチームに移籍する、あれだ。ジャイアンツとかがよく、FA補強とか報道している。

 いや、違うかも……と柴原は思った。復活したと、実況は言っていた。FA移籍するのは一流選手ではないのか? こう言ってはなんだが、二流とか、三流の選手も、普通に在籍していればFA移籍できるのだろうか。青木に聞いた。


「いや、ただ在籍していただけではFA権は取得できないよ。何日間一軍登録されていたかをカウントされる。それに坂口はFAじゃないよ」


 一軍と二軍がプロ野球にあるのは知っていた。そうか、一軍にいなきゃならないんだ。一軍に長くいるのは一流の証拠だから、そういう権利が生まれるのか。

(あれ? でも坂口はFAじゃないと言っていた。FA以外……ドラフト、まさかね。だって、バファローズにいた選手が、ドラフトでスワローズに指名されるわけないじゃない。私だってこれくらい分かるわ。じゃあ、どうやって移籍したんだろう。あ、そうか、分かった! 毎年、年末になるとやっているあの番組ね。戦力外ってやつ。それでしょう!)


「坂口は戦力外でスワローズに行ったの?」


「違うよ。自由契約で移籍したんだ」


 柴原は宙を見上げた。次から次へと知らない単語が出てくる。

 自由契約とは何だろう。自由に契約してくださいって意味だろうか。私は今、所属するチームがありませんから、どこか自由に契約してくださいと言う意味だろうか。


『坂口みたいな苦労人を見ると、応援したくなりますね』


『そうですねえ。バファローズ時代も、オールスターに出場したこともありましたからね』


 オールスターに出場するような選手が、自由契約になるのか。プロ野球というのは厳しい世界だなあと、柴原はしみじみ思った。


『去年のオールスターでも活躍を見せた坂口!』


(え? 坂口は去年、オールスターに出ていたの? 去年バファローズにいてオールスターに出場した坂口が、なぜかバファローズを自由契約になって、スワローズに今年から移籍したの?)


「坂口は何年、スワローズにいるの?」


「うーんと、何年かな。三、四年くらいかな」


 のんびりと返答する青木に柴原はパニックになった。

(なぜだ。なぜだ。なぜだ。バファローズに在籍していた時にもオールスターに出場して、スワローズに移籍してからもオールスターに出場するなんて、超一流選手じゃないか。なぜこんな選手が自由契約になるんだ。おかしい。絶対におかしい)

 バッターボックス上で素振りをする坂口が渋くカッコよかった。


『おっと変化球がアウトローに外れました! ボールスリーです。ちょっと、この坂口に投げにくそうな玉井です』


『坂口も調子が上がってきませんねえ』


『そうですね。打率が、一割台と低迷しています』


 玉井がボールカウントを悪くした。打率の概念は、何となく知っている。三割打てれば一流で、二割五分くらいなら一流半で、二割なら二流と父に教わったからだ。

 確か、何度打席に入ってヒットを打ったかとか、そんなので計算する。あれ? 一割台では、二流以下。三流ということになってしまう。でも、坂口は去年オールスターに出場しているし、超一流のはずだ。青木に問う。


「坂口は怪我しているからねえ。まだ完治してないんだろうね」


 なるほどと納得した。痛いなら仕方ない。

 天下のゴジラ松井でさえ、メジャーリーグ在籍時に怪我で戦線離脱したと言っていた。だが、こんなにダンディで超一流な坂口が一割台は、ちょっと寂しく可哀想に思えた。


「痛いのに出るなんて、可哀想ね」


「そんなことないさ。痛くても出ないと。チャンスをものにして活躍しないと、来年も契約してくれる保障なんてない世界だからね。坂口は多分、どっか痛いんだろうけど、ここで打たなきゃ」


 ファイターズの玉井がスリーボールから四球目を投じた。

 ど真ん中のストレートだった。驚くべきことに、坂口はあっさりと見送ってしまった。あんなチャンスボールを、超一流のバッターが見逃すなんて妙だ。


『ここは一球ストライクを取りました』


『まあスリーボールナッシングからは振ってきませんよね』


 解説の言葉が分からなかった。スリーボールノーストライクなら、誰が見たってバッターが絶対に有利なカウントだ。ピッチャーはストライクを取らざるを得ない。

 しかも今のコースは、素人目にも甘い球。チャンスボールだ。バレンティンならスタンドへ放り込んでいただろう。坂口では打てないと玉井は読んだのだろうか。


『打ち上げました。これは平凡なライトフライです。大田が前進して掴みアウト。スリーアウトです! さあファイターズ、この回の裏は五番の王柏融(ワンボーロン)からです!』


『玉井は助かりましたねえ。ちょっと甘い球だったんですが、坂口は相当調子が悪いんでしょうねえ』


『そうですねえ。インローを狙ったところが真ん中付近に来たのですが、打ち上げてくれて助かった、と言ったところですね』


 実況がそう言ったタイミングでジングルが鳴り、CMに入った。


「ねえ。ペナントレースって何試合やるの?」


「今は百四十三試合だよ」


「百四十三!? そんなにやるの? みんな、よく頑張れるわね」


「まあ、フルイニングで出続ける選手なんて滅多にいないけどね。大概は守備固めとかで交代さ。ピッチャーだって、毎日同じ人が投げるわけじゃないし」


 フルイニング。守備固め。

 また知らない単語が増えてしまった。守備固めは何となく分かる。守備が下手っぴな選手に替えて、守備が得意な選手に任せるのだろう。では、フルイニングとは何だろう。


「金本が引退してから、フルイニング記録保持ってのも難しくなったねえ」


 金本という選手がタイガースに所属していたことは知っている。鉄人と呼ばれていた気がする。左打ちだった。

 確かレフトを守っていて、この人も超一流だった。フルイニングは超一流の証なのか。


「ねえ。ペナントレースは百四十三試合やるけど、優勝は最後まで決まらないの?」


「ううん、そういうシーズンもたまにあるけど、大概はもっと早くマジックが点灯して決まるよ」


「マジック?」


「うん。あと何回勝てば優勝っていう指標みたいなもんかな。マジック対象チームってのもあって、一位のチームが負けても二位のチームが負ければマジックは減ったりする。マジック十五が点灯したとして、一位と二位が直接対決して、勝てば二つ減って十三。これが〇になると優勝って感じだよ」


 へえと聞いたが、さっぱり理解できなかった。

 何回勝てばって、そりゃ勝てるだけ勝てば優勝するだろうけど、具体的にあと何回なんて計算で出せるものなんだろうか。全部勝つのは無理として、六割の八十くらいを勝ったとしても、八十一勝ったチームがあれば優勝できないのか。


「順位って結構複雑なんだよね。貯金とか借金とか、そういう概念もあるし、最終的に勝率が一位なら優勝だからね。そのあとCSもあるし、大変だ。CSで敗退すれば二位や三位のチームが日本一になったりするしね」


 柴原は放心状態だった。

 もう野球を観るのはよそう。CSなんて衛星放送みたいな単語が出てきたし、貯金とか借金とか不穏なワードまで出てきた。勝率が一位なら一勝して、残り全部を引き分ければ一位になっちゃうってことだろうか。そんなのできっこないけれど。

 それに、せっかくペナントレースの百四十三試合を戦って優勝しても、そのCSというやつで負ければ日本シリーズに出られないらしい。

 

「おかしいわよ、そんなの!」


 柴原はぷいっと背を向けて、缶ビールを開けた。私に野球は向いていない。

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