第7話 失われた祝福と王都の影
カイル様の書斎で、わたくしは古い羊皮紙に描かれた一枚の絵を見つめていた。
それは、光り輝く髪の女性が、民衆の中心で歌う姿を描いたものだった。
彼女の歌声は、金色の粒子となって降り注ぎ、枯れた大地を潤し、病に伏せる人々を癒しているように見える。
「我がヴァイスラントに、古くから伝わる伝承だ。『調律の巫女』の伝説」
カイル様は、絵の横に書かれた古代文字を指でなぞりながら、静かに語り始めた。
「国が瘴気に満ち、災いが起ころうとする時、天は一人の巫女を遣わす。巫女の歌声は、世界の調律を正し、万物の生命力を呼び覚ます聖なる力を持つ、と」
「調律の、巫女……」
「巫女の力はあまりに強大で、本人にその自覚がなければ、力の制御は難しい。力の奔流は、時に嵐を呼び、時に周囲の生命力を歪めてしまうこともあったという」
嵐を呼ぶ。
生命力を、歪める。
その言葉は、わたくしの過去の記憶と、恐ろしいほどに符合していた。
わたくしが歌った後の嵐は、淀んだ空気を浄化するための風だった?
庭師の薔薇が枯れたのは、強すぎるわたくしの力が、周囲の雑草から薔薇へと、生命力を偏らせてしまった結果だった?
そして、乳母の死は……。
「……乳母は、流行り病でした。わたくしが、看病のために歌い続けたのです。でも、乳母は……」
震える声で告げると、カイル様は静かに首を横に振った。
「お前のせいではない。お前の歌は、きっと乳母の命を繋ぎ止めようと、必死に力を注いでいたはずだ。だが、病の進行が、お前の力を上回った。……それだけのことだ」
その言葉は、長年わたくしの胸に突き刺さっていた、冷たい棘を、そっと抜き去ってくれるようだった。
涙が、とめどなく頬を伝う。
「俺の一族は、代々この『調律の巫女』を探し、お守りすることが使命だった。王家がその存在を忘れ、力を私利私欲に利用しようとしても、我らだけは真実を受け継いできた」
だから、カイル様はわたくしの声の価値に気づいたのだ。
彼は、噂に惑わされず、その本質を見抜いてくれていた。
「だが、お前の力が失われた今、王都は……」
カイル様の言葉は、不吉な予言となって現実のものとなる。
その頃、王都アウレリアは、静かなパニックに陥っていた。
原因不明の奇病が、じわじわと都を蝕み始めていたのだ。
罹った者は、まず気力を失い、やがて衰弱し、眠るように死んでいく。
神殿の神官が祈りを捧げても、王家の魔術師が秘術を尽くしても、病の進行を止めることはできなかった。
それだけではない。
泉は濁り、作物は育たず、家畜は次々と倒れていく。
まるで、世界から生命の輝きそのものが、失われていくようだった。
第一王子クライドは、玉座の間で苛立ちを隠せずにいた。
「まだ原因が分からんのか! 無能者どもが!」
「も、申し訳ございません、殿下! これは病というより、大地そのものが力を失っているような……まるで、何かの『祝福』が途絶えてしまったかのような……」
魔術師の言葉に、クライドの脳裏に、ある女の顔が浮かんだ。
(エリアーナ……)
あの女を追放した時期と、この異変が始まった時期が、奇妙に一致している。
「まさか……あの女の呪いが、国全体に広がったというのか……?」
「クライド様、まさか、逆では……?」
隣に立つソフィアが、青ざめた顔で震える声を出した。
「もしも……もしも、エリアーナ様の力が、本当に国を守る何かだったとしたら……? 私たちが追放したのは、呪いではなく……」
―――祝福、そのものだったとしたら?
その可能性に行き着いた瞬間、クライドの背筋を、氷のように冷たい汗が伝った。
自分たちが犯した過ちの大きさに、ようやく気づき始めたのだ。




