第八話 そんなことはどうでもいいのです
般若のような顔で、私はお父様の書斎の前までやってきた。
その後ろには、「はわわ……」と言いながら頭を抱える新人家庭教師、フィッチ先生の姿もある。
私は怒っていた。
短絡的な対処しかしない父に、怒髪天がつく勢いだった。
「お父様!! 入りますね!!」
力任せなノックをしてから、バァン! と扉を開ける。
「……アン? どうしたんだい……?」
何かの作業中だったらしい父が、怪訝そうな顔で問いかけてくる。
その顔には強い困惑の色がある。
その傍には、執事のセバスもいた。
彼は父とは違って、少し興味深そうな顔をしていたが。
「ダメだよ、扉をそんなに強く開いては。腕もまだ、あまり強く動かしてはいけないと治癒師の先生も……」
「そんなことは、どうでもいいのです!!」
お父様の机の上に、バァンと手を叩いた。
すごくいい音が鳴る。
手もめちゃくちゃ痛かったが、今はそんなことはどうでもいいのだ。
「私が言いたいのは、なぜフィッチ先生をクビにしたのかということです!!」
「ああ、家庭教師の先生のことかい」
お父様は少し冷めた様子でフィッチ先生の方を見ると、
「彼女が立ち会っていたにもかかわらず、アンは腕に重傷を負い、ユウリは魔力の暴走であやうく死にかけた。
彼女の家庭教師としての能力に問題があると判断しても仕方ないだろう――と言っても、まだアンには難しいだろうけど」
「わかります! わかるから言ってるんです!!」
私の言葉に、お父様が目を丸くする。
構わず、私は叫んだ。
「お父様は直接、ユウリが出した火球をご覧になったのですか!? あれがそのまま爆発していたら、屋敷なんてまるごと吹き飛んでいました!!
先生がいなかったら、私もユウリも、屋敷の中にいた人たちだって、とっくに死んでます!!
先生が出した水の壁があったから、あの程度の被害で済んだんですよ!?」
「……待て。それほどだったのか? ユウリの魔力は」
「そんなことは、どうでもいいのです!!」
再び机の上に手のひらを打ち付ける。
めちゃくちゃ痛いが、今はそんなことはどうでもいい。
「魔力の暴走だって、普通は先生くらいの力があれば、簡単に止められたはずです! でも、ユウリのあれは、あまりにも規格外すぎました!
いくら先生が優秀だからって、全部先生が悪いって言うんですか!? ユウリにものすごい才能があるのも、魔力が暴走する可能性があるのも、
全部最初から見抜けって言うんですか!? そんなこと言い出したら、ユウリを養子にしたお父様にだって、責任がありますよね!?」
最初からすべて予測しろと言うのだろうか。
そんなのは無理だ。
そんなことは、お父様もわかっているはずだ。
それでも、スタグレーゼ家の当主として、誰かの責任を追及しないわけにはいかなかったのだろう。
「それなのにお父様は、全部先生が悪いって言うんですか!? 先生を悪者にする前に、まず先に先生に感謝するべきなんじゃないんですか!!
先生は必死に私とユウリを護ろうとしてくれましたよ!? 屋敷に被害がいかないように、ものすごく大きな水の壁も作ってくれました!!
それでも足りないっていうのなら、お父様が先生の代わりに同じことができるかどうか、考えてみたらどうですか!!」
「……お、お嬢様。私のことは、もういいですから」
わけのわからないことを口走ったフィッチ先生に、私はブチ切れた。
「いいわけないでしょう!? フィッチ先生は何も悪いことなんてしてないんだから!! ちゃんと私とユウリを護ってくれたんだから!!
すごい魔法でみんなのことを、ちゃんと護ってくれたんだからぁ……!! フィッチ先生はすごいんだからぁ……!!」
「……お嬢様」
いつの間にか、視界がぐちゃぐちゃになっていた。
私の顔は、きっと大変なことになっているだろう。
「……アン。わかったから、少し落ち着きなさい」
「いやよ!! ぜったい落ち着いたりなんかしないんだから……!! フィッチ先生をクビになんてしたら、お父様のこと、嫌いになるんだからっ!!!!」
「なるほど。これは重症だな……」
私の様子を見たお父様は、なぜか苦笑していた。
「――フィッチ先生。すまないが、先日の件はなかったことにしてもらえないだろうか?」
「え……?」
驚くフィッチ先生をよそに、お父様は苦笑いを浮かべて、
「どうやら、冷静じゃないのは私の方だったようだ。自分の娘にここまで言われないと気付かないとは、我ながら呆れるな。
いい訳をさせてほしいんだが、私も娘がひどい怪我をしたとなると、とても冷静ではいられなくてね。
改めて、しっかりと事実確認をさせてもらうことにするよ。それと……」
お父様は泣きじゃくる私の頭を撫でながら、
「君さえよければ、これからもアンたちの面倒を見てやってほしい。このままだと、愛娘に嫌われてしまうのでね」
「……はい。はい! 私でよければ!」
フィッチ先生の顔には、生気が戻っていた。
「うん、ありがとう。それと、セバス――」
「……新しい家庭教師の募集は、取り下げておきます」
「ああ。ありがとう、セバス」
慇懃な態度のセバスに、お父様は苦笑する。
「早速で悪いけれど。フィッチ先生、娘を部屋まで送り届けてもらえるかな。ここにいると、ずっと怒られそうだからね」
「しょ、承知しました! ほら、アン様、行きますよ」
「ぐずっ……ぐずっ……」
一度ぐずり始めた身体は、そう簡単には元に戻ることはなく。
部屋に戻った私は、フィッチ先生に付き添われながら、ベッドで眠りにつくのだった。
「……よろしかったのですか?」
アンたちが退室した後、セバスがヘイルに問いかける。
「何がだい?」
「彼女の教師としての能力に、疑問があるのは間違いありません。ユウリ様に素晴らしい才能があるのであれば、猶更。
彼女よりも、もっと力のある教師がいるのではと思いまして」
「まあ、ね」
フィッチの能力は高い。
魔法学校を卒業したての若輩ではあるが、その優秀さには目を見張るものがあった。
だからこそ、そろそろ勉学に励む年頃になる娘や息子のために、このスタグレーゼ家の家庭教師として招いたわけだが。
しっかり探せば、他にも優秀な者はいるだろう。
彼女よりもはるかに優秀な人材も見つかるかもしれない。
けれど。
「……少し、ね。思い出したんだよ」
「…………?」
「メロも、他人のために、本気で怒れる人だった」
今は亡き、妻の姿を思い出す。
学園でいじめられていた平民の子を庇って、よく喧嘩まがいのことをしていた。
曲がったことが大嫌いな人だった。
彼女が生きていれば、今回もきっと自分を止めてくれていただろう。
自分の間違いを咎めてくれていたはずだ。
でも、彼女はもういない。
彼女のいない世界を今、ヘイルは生きている。
アンはあまり妻に似ていないと思っていた。
自分の育て方が悪かったせいか、我慢が効かず、わがままな子に育ってしまったと後悔していた。
最近は少し変わったと思っていたが、それでも妻とは似ても似つかないな、というのが正直な感想だったのだが。
「あまり似てないと思ってたけど、ちょっとずつ似てきたのかな?」
「……そろそろ、お時間でございます」
「おっと、いけない。そろそろ戻らないとね」
仕事柄、屋敷にいられる時間は少ない。
それでも、可能な限りアンやユウリとの時間を大切にしたいものだ。
そんなことを考えながら、ヘイルは王都へと戻るのだった。