第六話 魔法の訓練をしました
私が前世の記憶を思い出してから、一ヶ月が経過した。
今のところは、概ね平和な日々を過ごしている。
変わったところと言えば、スタグレーゼ家の家庭教師から、普通の座学だけでなく、魔法についての知識も教わるようになったくらいか。
「魔法の勉強もしたい! したいったらしたい!!」とゴネた私に、お父様の方が折れた形だ。
少し予想外だったのは、ユウリも私と一緒に勉強したいと言い出したことだった。
ユウリが自分からやりたいと言うのなら、私がそれを拒むはずもない。
そんなわけで、私とユウリは魔法の勉強を始めた。
いきなり実践は許可されなかったので、まずは座学から勉強した。
座学とはいえ本当に基礎的なところから入っているため、今のところ楽しく勉強することができている。
この世界の魔法は、完全に天性の才能だ。
そして魔法を扱える才能――魔法適性を持つのは、多くの場合貴族の血を引くものたちである。
魔法適性は遺伝するので、魔法を扱える一部の人間たちが力を持ち、代々特権階級に収まってきた、と表現する方が適切か。
平民の中にも時折魔法適性を持つものが現れるが、本当にごく僅かなのだという。
魔法には火、水、風、土、光、闇の六種類の属性があり、魔法を扱えるかどうかはその者が先天的に持つ適性の種類によって決まる。
複数の属性の適性を持つ者も存在し、そういった者の方がより強力な魔法を扱える傾向がある。
とはいえ基本的には皆が一属性、たまに二属性の者がいて、三属性でもほとんどいない。
四属性の適性を持つレティシアなどは、貴族でもほとんど例を見ない。
ちなみに私とユウリは火属性の適性を持っている。
スタグレーゼ家は代々、火の魔法適性を受け継いできた家系なのだ。
そして今日は、私とユウリの初めての魔法実践日である。
家庭教師に連れられ、私とユウリは屋敷の庭に足を運んでいた。
「良いですか? 意識を集中させるのです。自分の内側にあるものと向き合うのです」
随分と詩的なことを言っているような気がするのは、家庭教師のルート・エメリア・フィッチ先生だ。
まだ年若い女性で、長い青色の髪が特徴的だ。
アンの知識では、たしか数か月前にやってきたばかりの、スタグレーゼ家の中ではかなりの新人である。
だがそこはスタグレーゼ家に選ばれた家庭教師というべきか、その知識量は目を見張るものがあった。
記憶を取り戻す前のアンニは、あまり彼女のことを好ましく思っておらず、よく授業を抜け出して困らせていたようだ。
そして彼女の方も、自分の授業をまともに受ける気がないアンニのことを、好ましくは思っていなかったようで。
彼女からアンニへの心象も決してよいものではなかっただろうが、最近はユウリと共におとなしく授業を受けているので、多少は成長したと思われているっぽい。
ちなみに授業中のユウリは本当におとなしい。
記憶を取り戻す前の私にも見習ってほしいくらいだ。
それはともかく、だ。
フィッチ先生が言うには、魔法を使えるようになるためには、ある段階を踏む必要があるという。
自分の体内の魔力を感じ取り、それを放出する。
それができて初めて、魔法を行使できるようになる。
ただ、この最初の段階は感覚的な部分が多く、なかなか苦戦する者も多いらしい。
「…………」
私は意識を集中させる。
自分の内側、その深くにあるものを探るため、より深く意識を沈めていく。
「…………」
「………………」
「………………ぐぅー……――ったぃ!?」
突然肩に衝撃がはしり、私の意識が現実に引き戻される。
さりげなくよだれを拭いてから顔を上げると、呆れ顔のフィッチが生暖かい目でこちらを見ていた。
「集中しろとは言いましたが、寝ろとは言ってませんよ、お嬢様」
「だからって杖で叩くことないでしょ!! 暴力反対!!」
「指導の一環です。それに、そんなに強くはしてないでしょう?」
けろっとした顔でそう語るフィッチに、私は何も言い返せない。
無論、あまりにもひどい指導をしていれば、お父様だって黙っているはずがない。
この程度は、まだ問題外ということだ。
「…………」
私たちがそうやって騒いでいる間にも、ユウリは自分の中に潜むものに近付いていた。
眠っているかのような姿だが、その表情は真剣そのものだ。
普段は何かと構いに行く、もとい構われに行く私ではあるが、今この瞬間だけはそんな気が微塵も湧いてこない。
「……あ」
不意に、ユウリの気配が変わった。
何かに気付いたような、何かを掴んだような、そんな顔をしている。
さすがはユウリ。
私とフィッチ先生が遊んでいる間に、自分の中の魔力を感じ取ることができたのだろう。
「ユウリ様。ご自身の中にある魔力を感じ取ることができたのですね?」
「……はい。たぶん、これがそうなんだと思います」
少し自信がなさそうなユウリだが、その気配は間違いなく先ほどまでとは違っている。
「では、それを外側に吐き出してください。できますか?」
「や、やってみます」
ユウリは再び意識を底に沈めていく。
ただ、そこで異変が起きた。
「…………うう……っ……」
ユウリが苦しみ始めたのだ。
強く瞼を閉じ、額には脂汗が浮かんでいる。
そして、彼の周囲に何かが漂い始める。
それはすぐに視認できるほど大きくなった。
火の粉だ。
ユウリを取り巻くように、火の粉が舞っていた。
そしてそれは、さらに大きくなろうとしている。
どう見ても、まともな状態ではない。
魔法に関してはほとんど素人の私にも、思い当たる節はあった。
あれは、魔力の暴走だ。
「フィッチ先生! ユウリが……!」
「わかっています! しかし、これは……!」
その瞬間。
先生の顔には、何か奇妙な感情が宿っているように見えた。
しかし、すぐに教師の表情に戻ると、
「お嬢様は屋敷に戻ってください! 彼が止まるまでは決して、出てこないように!」
それだけ言って、フィッチ先生はユウリのもとへ向かった。
その場に残された私は、ひどく混乱していた。
原作ゲームでは、幼少期にユウリが魔力暴走した、などというイベントはなかったような気がする。
もしかしたらあったのかもしれないが、少なくとも私の知る限りではなかったはずだ。
そもそも原作ゲームだと、アンニやユウリが魔法の勉強を始めたのは、もっと成長してからだったのではないか。
ユウリには魔法の才能がある。
私とは比べ物にならないほどの、天性の才能だ。
だが、大きな才能は時として、自分を傷つける凶器にもなり得る。
たとえば、あと数年後であれば問題なく行えた魔力の放出が、六歳という年齢では身体への負担が大きすぎた、とか。
「……わたしの、せい?」
――私のせいだ。
ユウリにすごい才能があるのは、知っていたはずなのに。
甘く見ていた。
大丈夫だと思っていた。
原作より早い時期から鍛錬すれば、原作のキャラクターたちより強くなれると、はしゃいでいた。
だが現実はどうだ。
私の甘い見通しのせいで、ユウリはいま危険な目に遭っている。
「ユウリ様! 聞こえますか!? 少しずつ魔力を放出するのです! 焦らないで!」
フィッチ先生も頑張って呼びかけているが、その声がユウリに届いているのかは微妙なところだ。
呼びかけながら、先生は魔法で大きな水の幕のようなものを創り出している。
なんのためにそんなものが必要なのかは、言うまでもないだろう。
魔力が暴走した人間がどうなるのか、私はまだ知らない。
知らないが、なんとなく想像することはできてしまう。
そうなったら、私は死ぬまで、今日のことを後悔しながら生きることになるのだということも。
「――ユウリ!!」
駆けだしていた。
自分でも驚くほど、足が軽い。
頭で考えるより先に、身体が動いているからだと、遅れて気付く。
「っ!! いけませんお嬢様!! 離れてください!! 離れて!!」
フィッチ先生の隣をすり抜け、水のカーテンを越えて、私は走った。
小さく蹲っている最愛の弟のもとへ、私は走った。
「ユウリ!!」
ようやくユウリのもとにたどり着いた私は、力いっぱいその身体を抱きしめる。
「っつ!!」
触れた瞬間、そのあまりの熱に手を放してしまいそうになる。
でも、ダメだ。
ここで手を放したら、絶対後悔する。
たとえこの手が使い物にならなくなったとしても、悔いはない。
そう思い、構わず彼の身体を抱きしめ続けた。
それでようやく、彼は私に気付いた様子で。
「……アン……姉さん……?」
「そうよ。お姉ちゃんよ!」
私の気配を認めたユウリは、とても不思議そうな顔をした。
けれど、それは一瞬で恐怖に染まる。
「……っ! ダメ、だよ……アン姉さん……! からだが、すごくあつくて……! いまにも、ばくはつしそうなんだ――!!」
ユウリが左手で、自分の胸を掻きむしる。
血が滲むその胸と手に、私は両の手を重ねた。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんが、そばにいるから」
「でも――」
「大丈夫だから。ユウリなら、大丈夫」
「……アン、姉さん」
少しだけ、落ち着いてくれたのだろう。
ユウリの表情が、僅かだが和らいだ気がする。
「ゆっくり息を吐いて。大丈夫、ユウリなら絶対に大丈夫だから」
「…………」
「お姉ちゃんが、ついてるからね――」
この子を、絶対に一人にさせない。
それだけを想って、私は今ここにいる。
「……ありがとう、アン姉さん」
ユウリの手が、私の手に重なる。
相変わらずやけどしそうなほどの熱だが、今はそんなことに構っている暇はない。
集中し始めた状態の時のまま、ユウリは目を閉じたままだ。
気を抜いたら一瞬で破裂してしまいそうな魔力を少しでもコントロールするために、開くことができないのだろう。
少し落ち着いたとはいえ、ユウリはまだ危険な状態だ。
魔力の暴走はまったく収まる気配がない。
溢れんばかりの魔力をどうにかするには、それを消費するしかない。
でも、どうやって消費すればいい?
本来なら、周囲に分散させるように放出するものだと、フィッチ先生からは聞いていた。
ユウリの場合、おそらく魔力量が多すぎて暴発に近い状態になっているのだと思う。
一度失敗している以上、分散という手は取れない。
魔力を手っ取り早く、大量に消費する方法。
そんなものが、あるのだろうか。
「――あ」
瞬間、私は思いつく。
というか、それしかない。
ユウリの状態は、とても楽観視できるものではない。
すぐにでも、この暴走状態を鎮める必要がある。
ならば、今の私にできることは一つだった。
「先生がね、正面に大きな水の壁を作ってくれてるの。そこに向けて、身体の内側の熱を打ち出すの。できる?」
「――うん。やってみる」
ユウリは小さく頷いた。
右手を前に突き出し、瞳を閉じている。
胸の前に置かれた左手は、私の両手がしっかりと包み込む。
何があっても、絶対にユウリを離さないように。
そして、変化は訪れた。
「……熱が、引いてる?」
あれだけ熱かったユウリの身体から、熱が引いている。
まだ熱さは残っているが、人間のレベルを越えない程度の熱だ。
「……くっ……!!」
その代わり、彼の右手の先に、とんでもない熱量を持った球体が出現していた。
制御が難しいのか、球体は今にもその形を崩しそうになりながらも膨張を続けている。
球状になった熱の中に、すべてを焼き尽くさんばかりの勢いで炎が荒れ狂っていた。
「フィッチ先生! 水の壁を!!」
「ッ!! わかりました!!」
私のやりたいことを察してくれたフィッチ先生が、急いで水の壁を創り出す。
瞬く間に出来上がったそれは、屋敷全体を飲み込んでしまうのではないかと思うほどの高さになっている。
それでも、ユウリの創り出した火球を飲み込めるかと言われると、微妙なところだった。
「出せるだけ出しますので!! こちらはご心配なさらず!!」
「はい! ありがとうございます!!」
彼女の言葉通り、続いて二枚目、三枚目の水の壁が創り出されていた。
ああ見えても、先生はかなりやり手の魔法使いなのだ。
「……アン、姉さん……ぼく、もう……!」
多少の不安はあるが、もうユウリが限界だ。
私は頷き、ユウリを強く抱きしめた。
「前に打ち出すように、手を放すの。できる?」
「……やって、みる」
「大丈夫だよ。お姉ちゃんがついてるからね」
「……うん!」
……なぜだろう。
危機的状況のはずなのに、楽観などできない状況のはずなのに、私の心はひどく落ち着いていた。
それはきっと、ユウリから伝わってくる熱のせいなのだろう。
ユウリの手から、火球が離れる。
その瞬間、火球の質量が爆発的に膨れ上がった。
(あ。やばい)
自分の選択の甘さを思い知る。
ユウリが放った火球は、うまく前に打ち出せていなかった。
持ち主の制御を失った火球の暴力的な質量が、私とユウリの前に迫っている。
頭で考えるより前に、身体が動いてしまっていた。
「っ!!」
ユウリを庇い、私の身が火球に晒された。
灼熱が、肌をチリチリと焼いている。
恐ろしいはずのその感覚が、私にはどこか懐かしく思える。
それはきっと、このスタグレーゼの血が、その感触を覚えているからだ。
(……あれ?)
自分の中に、かすかな光のようなものを感じる。
それは火だった。
吹けば飛ぶような脆弱な光が、私の中に芽吹いていた。
これがきっと、自分の中の魔力を見つけるということなのだろう。
自分の中に、確かな存在を感じる。
あとはそれを、外に押し出してやればいい。
「……ふーっ」
私の中から、思いのほか強い風が吹き荒れた。
あるいは、それは時間にしてみれば、ほんの僅かな間だったのだろう。
ユウリが放ち、私が押し出した巨大な火球が、何重にも重なった水壁へと飲み込まれる。
「――――ッ!!」
火球と水壁がぶつかり合った瞬間、とんでもない衝撃が周囲に広がった。
私とユウリの身体は、何回転もしながら吹き飛ばされた。
庭の木々は折れてしまうのではないかと思うほど強くたわみ、屋敷の窓という窓がすべて割れている。
それでも、それだけで済んだのはまだマシな方だろう。
「…………なんとか、なった」
水浸しになった庭の中心で、私は呆然と呟く。
実際、かなりギリギリだった。
何か一つ違っていたら、死んでいたに違いない。
「痛っ……」
火球を正面から受けた両腕は、少し焼けただれてしまっている。
あれほどの質量を浴びながらこの程度で済んでいることに疑問を抱くが、まあそういうこともあるのだろう。
「うっ……」
「あ、ユウリ!」
近くに転がっていたユウリの元に駆け寄る。
軽いせいか、けっこうな距離を飛ばされていたが、目立った外傷はない。
ただ、無理やりに魔力を放出させたのだから、身体への負荷は相当なものだろう。
「大丈夫? 怪我とかしてない? 気分が悪いとか、そういうのは――」
「……うん。だいじょうぶだよ。ありがとう、アン姉さ――」
そこでユウリは、顔を青くして、
「……そ、そのうで……」
「腕?」
そこで私は、ようやくユウリの言葉の意味を理解した。
彼の目線は、私の焼けただれた腕に注がれていたから。
「ああ。大丈夫よ、これくらい。ちゃんと治るわ」
実際、あまり重くは捉えていなかった。
これくらいの怪我なら、たぶん普通に治る。
多少は痕が残るかもしれないが、ユウリの命には代えられない。
そう思っていたのだが。
「……――――」
「ちょっ!? ユウリ!?」
青い顔をしたユウリは、そのまま意識を手放していた。
こうして、私とユウリは、なんとか魔法を使えるようになったのだった。
……代わりに、ユウリが引きこもりになった。