第三十七話 生誕祭
「ーー本日は、私、ジョレット・アンニ・スタグレーゼの生誕祭にお集まりいただき、ありがとうございます。
このような素晴らしい機会を頂けたこと、深く御礼申し上げます。
また、今日まで私を無事に育ててくれたヘイルお父様。
そして、私を無事に産んでくれたお母様に、大きな感謝を。
未熟な身ではございますが、これからも暖かく見守ってください」
大きな拍手に包まれながら、父ヘイルが号泣しているのが見えた。
ゲームの中の彼は、あんなに感情的だっただろうか……?
そんなことを考えながら、私は笑顔で父に向けて手を振るのだった。
全体への挨拶も終わり、会場も少し落ち着きを取り戻した頃、私は一息ついていた。
それにしても、
「まさか本当に治ってしまうとは……」
今までにないほどすっきりとした目覚めだった。
シュルトがくれた薬は、驚くほどの効果を発揮したのだ。
治癒師を連れ、朝一で私の部屋にやってきたヘイルも驚いていた。
最悪の場合は、パーティーの中止も覚悟していたらしい。
せっかく王都からやってきてくれた凄腕の治癒師は、「うーん、特に悪いところはありませんね」などと言いながら、見事なトンボ返りを決めることに。
なんだか少し申し訳ない気持ちになったが、治ってしまったものは仕方ない。
「俺も驚いたよ、まさか治してしまうとは。馬鹿は風邪を引かないという言葉があるが、治るのが早すぎて風邪を引いていたことに気付かない、という意味だったのか?」
「その頭燃やしますよ」
おどけた様子のクロスの頭に、私は宣戦布告する。
脅しと思うことなかれ。私は本気だ。
「冗談だ」
私のよからぬ気配を感じ取ったのか、クロスは小さく両手を上げた。
私の勝ちだ。
まあそれはともかく。
「クロスとの婚約も、公のものになってしまったのね……」
ため息を吐きながら、私は目を細める。
私が十歳の誕生日を迎えたということは、原則として婚約が解禁されたことも意味する。
とはいえ婚約については形式的なもので、十歳に達するより前に親同士が婚約の話をつけておくことも多いそうだが。
露払いの意味合いも込め、私の生誕祭でクロスとの婚約を発表することは前々から決まっていた。
発表した時は案の定というべきか、会場内はどよめきに包まれた。
それも当然だろう。クロスは第四王子のため王位継承権こそ高くないものの、そうそう見ることのない優良物件……と見られている。世間的には。
そんな彼があのスタグレーゼの野猿と!? というわかりやすい反応が観測された。それだけのことだ。
密かに彼を狙っていた貴族も多いのだろう。
ちなみに私の場合、今までクロス以外にお声がかかったことはない。泣けるね!
「おい、なぜそんな残念そうな顔をしている?」
「聞きたいんですか?」
「…………いや、いい」
私が聞き返すと、クロスは控えめに言葉を濁した。
言われなくてもわかることを、わざわざ言葉に出さなくてもいい、ということだろう。
心配しなくても、クロスが婚約を破棄したいと言い出せば、こちらにはいつでもそれを行う準備がある。
こちらにはというか、私の内心だけの話だ。多分ヘイルは卒倒するだろう。
早く運命の相手であるレティシアと出会ってほしいものだが、まだ数年の猶予がある。先は長い。
「さて、そろそろ私はお菓子でもつまみに行こうかしら……」
「俺の気のせいか? さっきも同じようなことを言っていた気がするが」
「気のせいです」
クロスがわけのわからないことを言っているが、心外である。
この会場内にお菓子、あるいはそれに準ずるものは無数に存在する。
その全てを賞味することは困難を極めるが、取りこぼしを一つでも少なくすることは私にとっての責務だ。
「それじゃあ……」
「アン姉さん!」
「む?」
聞き覚えのある呼び方に足を止めると、急ぎ足のユウリが駆けてくるところだった。
「アン姉さん! アン姉さんが好きそうなものを色々持ってきたよ!」
彼が持つトレーの上には、色とりどりのスイーツやパイが並んでいる。
そのどれも、スタグレーゼ家のキッチン担当が腕によりをかけて作ったもの。
いつもはただ食欲に振り回されている部分もあるが、今回に限ってはその全てを食べたいという特別な気持ちがあるのだ。
「さすがはユウリ。それでこそ私の義弟ね」
「ちょ、アン姉さん! 人前でそんな……」
私が頭を撫でると、ユウリは恥ずかしそうに頬を赤らめる。
なされるがままになっているその姿は、まるで子犬のようだ。
「おい。俺がいることを忘れてないか?」
「あ、クロス様。いたんですね」
私に対するものとはかけ離れた態度で、ユウリがクロスに反応する。
その太々しい姿に、クロスはやや引き攣った表情を浮かべながら、
「とても姉の婚約者に対する口の利き方とは思えんな……」
「婚約者と言っても、まだどうなるかわかりませんし」
「ほう?」
「違うんですか?」
「あ、これ美味しい」
バチバチと火花を散らせる少年たちを眺めながら、私はユウリが持ってきてくれたスイーツを頬張るのだった。




