第三十六話 四年後
私がこの世界で目を覚ましてから、四年が経過した。
私は明日で十歳になる。
そして明日、スタグレーゼ家による大々的なパーティーが催される予定となっているのだが、
「あだまいだい……」
ふかふかのベッドの中で、小さく呟く。
私は盛大に体調を崩していた。
暖かい毛布に包まれているはずなのに、身体の芯から冷える感覚が治る気配が全くない。
ガンガンと頭が鳴り響き、思考がうまくまとまらない。
頭痛のせいか軽く吐き気もあり、常に気持ち悪い。
ここまで酷い状態になったのは、こちらの世界に来てから初めてのことだ。
体調不良の原因に特段、思い当たる節はないのだが……。
特に何もなくとも体調を崩すときは崩してしまうのが人間というもの。
まして普通の少女の身体なのだから、これまで妙に元気だったのが不思議なくらいだろう。
そうは思うが、しんどい状態がひたすら続くのは私としても辛いものがある。
早く治癒師に来てもらいたいものだが、王都で流行り病の患者が爆発的に増加しているようで、ここまで来てもらうのも難しい状態だそうだ。
それでも明日の朝には来てもらえるとのことなので、ヘイルには頭が上がらない。公爵家としての権力を存分に使ったのだろう。
「……もしかしなくてもこれ、例の流行り病ってやつなのでは……?」
何を今更、と思うかもしれないが、今の私は本当に頭が回っていない。
そんな簡単な結論に至ることにすら時間がかかってしまっていた。
明日には診てもらえるとして、パーティーに間に合うだろうか。
火傷を治療してもらった時は、魔法を使用しての治療だったこともあってかすぐに回復したが、今回は怪我ではなく病気である。
治癒魔法では落ちた体力までは回復しないので、そのあたりも考慮しなければならないが……。
いや、スタグレーゼ家の総力を以って準備したパーティーを、たかだかこれくらいの体調不良で欠席するなどあり得ない。
十歳の生誕祭、それが持つ意味合いは大きいと、流石の私も理解している。
大体、今回のパーティーは誇張でもなんでもなく私が主役なのだ。それを欠席など話にならない。
日程をずらすことも難しいだろう。
招待客の中には、すでに近くまで来ている者たちもいるだろうし……。
やっぱり、私が頑張って明日までになんとか治すしかないということだ。
まあ、治りきっていなかったとて死にはしないだろう。
そんなことを考えていた時だった。
「ーー失礼するよ」
聞き覚えのある声が耳に届き、返事をする前に部屋の扉が開かれる。
その強引さは彼の良い所でもあるのだが、今は少し配慮して欲しい時だった。
優雅さを感じさせる動きでベッドに近づいてきた彼は、私が起きているのに気づくと驚いたような様子で、
「おや、起きていたのかい? てっきり寝ているものかと思っていたけど……」
「……今はたまたま起きてただけ。心配しなくても、すぐにまた寝るから」
声の主ーーシュルトにそう返すと、シュルトは形の良い眉を顰めて、
「……ヘイル様から聞いていたけど、本当に調子が悪そうだね。君らしくない」
「どういう意味よ、それ……」
「いつも元気なのが君の良いところだろう?」
おどけた様子で軽口を叩くシュルトに、私は軽くため息をついた。
もしかしてこいつは、私が元気しか取り柄のない馬鹿だと言いたいのだろうか。
そこまでは言ってないか。
あれから一年ほど経ったが、良くも悪くもシュルトは私に絡んでくる。
いまだにネル姉様にしたことを許したわけではない。とはいえ、今のところ害になってはいないので放置気味だ。
ちなみにクロスからはあまり良い目を向けられていない。彼の立場を思えば仕方ないのかもしれない。
「まあ、楽しいおしゃべりは君が元気になってからにしようか。今日は君に贈り物があってね」
「私に……?」
シュルトは頷くと、ポケットから小さな瓶を取り出した。
ただの瓶にしては高級感が漂っており、間違いなく値が張るものだとわかる。
「これは何?」
「薬だよ。ヴォルジーナから持ち込んだものなんだけど、僕は全然体調を崩さないから余り気味でね。よかったら受け取ってくれないかい?」
「む……」
正直、あまり受け取りたくはないというのが本音だった。
シュルトに借りを作ってしまう形になると、色々とややこしいことになりかねないからだ。
加えて、この世界における薬というのは高級品で、そうそうお目にかかれるものではない。
治癒魔法が存在する弊害なのか、そういった方面にはあまり技術が発達していないというのが私の所感だ。
そういう事情もあって、手放しに喜べる状況でもないわけだが……。
「……ありがとう。いただくわ」
私は薬を受け取ることにした。
このままの体調では、明日のパーティーに出席することすら危うい。
どれだけ体調が悪くても出席するつもりではあるのだが、あまりにも様子がおかしいとヘイルやユウリに止められるかもしれない。
それに、体力的にもうシュルトと話しているのも限界に近かった。
受け取った瓶を開け、その中身を口の中へと放り込む。
不思議と味はなく、ただひんやりとした液体が喉を通り抜けていく感覚だけがあった。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。また明日ね」
柔らかに微笑みながら、軽く手を振ってシュルトは退室していった。
そういうところだけはスマートなのが、逆に腹立たしくもあるのだが、
「…………」
それ以上言葉を発することなく、私は意識を手放していた。




