ドルレッサ
「…………」
ツウォルクォーツ王城からの帰路につく馬車の中で、ドルレッサは思案していた。
彼女が脳内に思い浮かべているのは、彼女に正面から噛みついてきた少女、ジョレット・アンニ・スタグレーゼ。スタグレーゼ本家の長子である。
「……どういうことなのかしらね、アレは」
ドルレッサの知識にあるジョレット・アンニ・スタグレーゼは、端的に言ってしまえば『躾のなっていない猿』、である。
己の欲望に忠実で、自分より弱い立場の人間は威圧し、自分より強い立場の人間には首を垂れる、そういう類のくだらない人間。
『野猿』、などというあだ名が付けられているらしいが、まさに彼女にふさわしい名前であろう。
そう思っていたのに、実際に相対したアンニは、そんな知識の中の少女とはかけ離れた存在だった。
ドルレッサに正面から視線を向けられても、一切逸さなかった。
ただ強い意志と怒りを以ってドルレッサと相対し、ユウリをドルレッサから守ろうとしていた。
まだ幼くはあるが、ある種の高潔さすら感じた。
ーー何が、あの少女を変えたのだろうか。
人間は変わらない。
生来の気質はもちろん、よほど大きな何かを経験しない限り、その本質が変わることはあり得ない。
だが、現にアンニは変わった。変わってしまった。
今のアンニはもはや、ドルレッサが知る彼女とは別人と言っていい。
ドルレッサが知らない何かが、アンニを大きく変えたのだ。
「…………」
アンニの後ろに隠れていた、ユウリのことを思い出す。
元々、ユウリの養子の話を主導して進めていたのはドルレッサである。
それは亡き元妻の忘形見であるユウリではなく、ドルレッサの実子であるカイを当主に据えるための策としての意味も大きかった。
が、それだけではない。
ユウリには、孤独と深い絶望が必要なのだ。
何があっても、どんなことがあっても、絶対にどうにもならないと思わせるほどの、深い深い絶望が。
そのために、ユウリを徹底的に孤独に追い込むために、彼をスタグレーゼ本家の養子に出したのにーーあの女、アンニはユウリを虐げなかった。
見ればわかる。間違いなくユウリは、あの女に大切に扱われている。
そしてユウリもまた、アンニのことを信頼している。
そうでなければ、あの場面で彼女を頼ったりなどすまい。
「…………」
ドルレッサにとっては口惜しいことだが。
ユウリは、愛を知ってしまったのだ。
「ーーそんなこと、あってはならないの」
あってはならない。
ラアル・ユウリ・スタグレーゼは、他者を愛し、他者に愛されることなく、その生を終えなければならない。
一度芽生えてしまった喜びを取り除いてやるのは手間だが、できないこともない。
故に、ドルレッサが取るべき行動はひとつ。
「ーー母様?」
「ごめんなさい、起こしてしまったかしら。なんでもないのよ」
不思議そうな顔でドルレッサの顔を伺う息子へと、ドルレッサは微笑みかける。
「……そう」
それだけ呟き、カイは再び微睡へと沈んでいった。
「…………」
その穏やかな寝顔を眺めていると、心が温かなもので包まれていくのを実感する。
そうしていつものように、決意を新たにするのだ。
ドルレッサは自身と愛しの息子の幸せのためなら、なんだってする。
たとえそれが、人の道から外れるようなことであっても、と。




