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フォネスト・ネルレリア・ツウォルクォーツ




 ネルレリアがアンニの名を知ったのは、いつのことだっただろうか。

 少なくとも、あまり良い印象を抱く知り方ではなかったことだけは確かだ。


 ーースタグレーゼの『野猿』。


 それがジョレット・アンニ・スタグレーゼという少女のあだ名だった。

 気性の荒い彼女のことをそう揶揄する貴族たちに対しても、思うところがないわけではなかったが。


 父が、そんな少女を弟クロスの婚約者に添えたことも驚きだった。

 第四王子であるクロスを、それほど重要視していないが故のことだろうかと、勘繰ってしまう程度には。


 確かに、スタグレーゼ家は名門だ。代々に渡り優秀な魔法使いを輩出してきた実績がある。

 父と現スタグレーゼ家の当主は旧知の仲とも聞くので、そのつながり故というのもあるのだろうが。


 ……とはいえ、クロスはそれほど我慢強い子ではない。

 相手があまりにもな相手であれば、何も起こらないはずがないと、そう思っていた。


 そんな私の予想は的中した。

 なんでも、弟クロスとアンニの初対面はそれはそれは酷いものだったようだ。

 本人から詳しい話は聞き出せなかったが、噂によると、弟はアンニに顔面を殴り飛ばされたらしい。


 恐るべきは、王族に手をあげるその胆力か。時代が時代なら、一族郎党斬首されていてもおかしくない。

 おそれ知らずと言うべきか、なんというか……。

 『野猿』の名は伊達ではないということか。


 そこまでされて、あのクロスが黙っているとは思えない。

 じきにクロスとアンニの婚約破棄の知らせが届くだろうと、そのことはほとんど頭から抜けていたのだが、


「あら、クロス。出かけるの?」

「……ちょっとね」


 目を合わせず、そそくさとネルレリアの前を通り過ぎるクロスの姿を、彼女は訝しげに眺める。

 ここ最近、クロスは外出することが多くなった。

 それ自体が悪いことだとは思わないが、その頻度は少し問題かもしれない。

 何せ、ほとんど毎日のように出掛けているのだから。


「今日もスタグレーゼ公爵のところ?」

「べ、別にどこでもいいだろ!」


 プリプリと怒りながら、階段を降りていくクロス。

 どうやら図星のようだった。


 あれからしばらく経ったが、クロスは一向に婚約破棄する気配がない。

 それどころか、ここ最近はずっとスタグレーゼ公爵の屋敷に入り浸っているらしい。


「どういう心境の変化なのかしら……?」


 




 クロスがスタグレーゼ公爵の屋敷に行く理由など、一つしかない。

 婚約者のアンニに会いに行っている。それ以外に考えられない。




 そしてそれは、暗に一つの事実を示している。


「クロスは、アンニちゃんのことが好きなんだわ……!」


 つまり、そういうことだ。

 王族の婚約は比較的早い年齢で行われる傾向にあるが、それはあくまで契約の前段階であり、正式な婚姻の前に関係を深めておこうと考える者はそれほど多くはない。




 同じことは、クロスにも当てはまる。

 婚約した相手とはいえ、毎日のように会いに行く義務などないのだ。

 それでもなお、これほど足繁く通っているということは、クロスがアンニに対して明確な好意を寄せていると考えるのが自然だろう。


「アンニちゃん……か。どんな子なのかしら……?」


 噂に聞くところによると、手がつけられないほどの狂犬、山猿に近い人種とのことだが、ただ野蛮なだけの少女にクロスが惚れるだろうか。

 一発貰ったことは事実のようだが……。




「ーーもし会う機会があれば、わたしが見極めることにしましょう」 


 


 そんな意気込みをひそかに抱きながら、ネルレリアはアンニとの初対面に臨んだのだが。


(アンニさん……大丈夫かしら)


 どうやらアンニは会場で迷ってしまったらしく、現在絶賛捜索中とのこと。

 少し心配ではあったが、今日は警備の数も平時の比ではない。

 滅多なことは起こらないだろうし、起こったとしても、ここには一流の魔法使いや剣士たちが国中から集っている。

 ツウォルクォーツ貴族の名は伊達ではないのだ。


 それよりも、


(ユウリさん、顔色が随分といいみたいね)


 スタグレーゼ公爵と共にやってきた少年、ラアル・ユウリ・スタグレーゼ。

 彼のことは、以前パーティーで見かけたことがあった。

 

 あの時と比べると、だいぶ血色もよく、顔色もいいというのが最初の感想だった。

 ネルレリアの前に立った際の物腰も柔らかく、幼くしてしっかりとした教育を仕込まれてきたのが伺える。

 噂通り、『野猿』と呼ばれるアンニからいびられているのであれば、もっと萎縮した様子を見せるような気がする。


(ふむ……)


 それに、何度も何度も後ろを振り返り、アンニの到着を今かいまかと待ち侘びているようにも見えた。

 その人間に対する感情というものは、言葉よりも態度に出るものだ。

 彼のその姿からは、アンニに対する悪感情は微塵も感じられなかった。

 それよりも彼から感じたのは、義姉に対する強い信頼だ。


 そして、ようやくアンニが到着したのだが。


(……思ったよりも大物かもしれないわね、これは)


 なんと遅れた理由は、『美味しいものがなくなるかもしれないから先に食べておこう』らしい。

 父親であるスタグレーゼ公爵も頭を抱えていたが、内心お察しする。

 普通に考えれば非常識極まりないが、その時のネルレリアは呆れより興味の方が勝った。


 王族との謁見より、美味しい食事を優先した人間など、ネルレリアの知る限りでは一人もいない。

 噂に聞く『野猿』のイメージとは少し違うのかもしれないと、その時点でなんとなく感じるところはあった。

 それに、


「僕はアン姉さんに救われました。アン姉さんがいてくれなかったら、今も僕は失意の底に沈んでいたと思います。こうして新しい家族と、屋敷の皆と、絆を深めることはできなかったと思います」

「なるほど。ふふ、そのようですね。ーー噂は噂、全くアテにならないということが、よくわかりました」


 目の前にいるユウリが、強い信頼の視線を彼女へと向けている。

 諦観に沈んだ目をしていたあの少年の瞳が、今はキラキラと輝いて見える。

 それだけで十分だった。

 

「お、お初にお目にかかります。スタグレーゼ公爵家長女、ジョレット・アンニ・スタグレーゼでございます。……恐れながら、クロス殿下とは婚約させていただいております」

「あらあら。まあまあまあ……!」


 どこかぎこちない挨拶は、決して公爵家の令嬢として相応しいものではなかった。

 ネルレリアが見ていたのは、その口元だ。


 クロスと婚約していると、そう語った彼女の口元は、ものすごく歪んでいた。

 つまり、めちゃくちゃ嫌そうだったということだ。

 どうやら思っていたよりも、素直な感情が顔に出やすいタイプらしい。


(もしかして……)


 アンニは、クロスのことがあまり好きではないのではないか。

 あれだけ熱烈なアプローチをかけられているのだから、きっとそれが面倒なのだろう。


「そう! 色々と話は聞いているけれど、あなたが、クロスの好きな子なのね!」

「へ?」


 そう思ったネルレリアが言った言葉に、アンニがキョトンとした顔をして、


「ないです」

「ーーーーーー」

「あ、いえ、それはもちろん、本人同士でしかわからないことではありますけれども、そもそもクロス殿下と私の婚約は親同士が決めたことでして、別にクロスが私を好きだからとか、そういうのではないわけでしてーー」

「ーーーーぷっ」


 思わず吹き出してしまった。

 これは、すごい。


「あ、あの……?」

「ふふ、ごめんなさいね。少し、おかしかったものだから」


 この子は、本当にわかっていない。

 クロスがあれだけ頻繁に通い詰めているのに、その好意に全く気づきすらしていない。

 つまり、とんでもない鈍感だということだ。


「まあ、今はそういうことにしておきましょう。あまり可愛い弟をいじめるのも可哀想だものね」


 本気でわかっていなさそうなアンニを置いて、ネルレリアはふと、


「……でも、そうね。アンニちゃんがクロスのお嫁さんになるのなら、わたしはアンニちゃんのお義姉さんになるってことで、いいのよね?」

「…………はっ! 確かにそうですね!!」


 考えてみれば当たり前のことだが、アンニは初めて気がついた、とでも言うかのような勢いだった。


「ほら、お姉さんですよ〜」

「っ……!」


 少しからかってみようと、適当に手を広げて呼びかけてみる。


「ごくり……」


 なぜか生唾を飲み込みながら、よたよたとネルレリアの腕の中に飛び込んでくるアンニ。

 まるで小さい子のようなその姿に、不思議と頬が緩む。


「よしよ〜し。いい子いい子〜。えらいえら〜い」


 自分でも驚くほど素直に、その小さな頭を撫でた。




 小動物のような、庇護欲を掻き立てられる謎の雰囲気が、アンニにはあった。

 別に見た目は小動物という感じでもないので、不思議ではあるのだが。

 おそらく彼女の素直な精神性がそう思わせるのだろう。


 噂に聞いていたような凶暴な気配は、微塵も感じられない。

 所詮、噂は噂ということだ。


「ね、ネルレリアお姉様……」

「ーーネル、でいいわよぉ。家族は皆、そう呼んでいるの」


 ほにゃほにゃとした顔で全力で撫でられているアンニへ、自然と言葉が口から漏れていた。


「ね、ネルお姉様……!」

「ふふ、いい子ね」


 子猫のような様子でただ撫でられるに徹するアンニが、蕩けるような表情を浮かべながら、


「そ、それでしたら、私のこともアンと、そう呼んでおくんなまし……」

「おく……? ええ、わかったわ、アン」

「わぁ……!」


 なんだか呼んで欲しそうな顔をしているのでそう呼んでみると、アンはものすごく幸せそうな顔で呟いた。


「私、今日からここに住む……」

「ええ!?」

「あら。あらあら。こんなに素直に甘えてくれる子はいないから、わたしも新鮮だわぁ」




 ネルレリアにとって、血を分けた弟と思えるのはクロスだけだ。

 もちろん、王である父には側室が複数人おり、兄や姉、妹と呼べる存在も多くいる。

 けれどそれは、ネルレリアにとって実感の湧くものではなかった。


 クロスは可愛い弟ではあったが、あまり素直に姉に甘えないという欠点があった。

 誰かに甘えられるという経験は、ネルレリアにとっては新鮮なものであった。




 そのあとアンたちと別れ、パーティーはつつがなく進行していったーーかに思われたが。




「ーーこの僕、ラフォーレ・シュヴァルト・ヴォルジーナは、今この場で、ネルレリア王女殿下との婚約を解消させていただきます!」




 そのわけのわからない言葉に、ネルレリアの思考は完全に停止していた。


 自慢ではないが、ネルレリアはこれまでツウォルクォーツの王族として、責任と自覚を持って生きてきたつもりだ。

 国を守るため、顔も知らない相手との婚姻も受け入れて当然と考えてきたし、それは相手も同じだろうと思っていた。


「……理由を、お伺いしても? わたしに何か、至らない点がありましたか?」


 ネルレリアの内心も穏やかではなかったが、周囲の貴族たちも殺気立っている。

 婚約解消という言葉がもつ意味は、それほどまでに重いのだ。


 せめて、皆が納得のいく理由があれば。

 そう思ってのことだったが、


「ネルレリア様に至らない点があったわけではありません。ただーー」

「ただ?」

「僕は理想の人を見つけてしまったのです。だから、貴方の手を取ることはできなくなってしまった。ただ、それだけの話です」

「ーーーー」


 シュヴァルトのその言葉に、ネルレリアの中で何かが軋むような音がした。

 彼からの、身勝手かつ一方的な婚約破棄。言うまでもなく、ツウォルクォーツとヴォルジーナの友好関係を踏み躙るような行いだ。

 彼にとって皇族としての責務は、それほどまでに軽いものだったのだろうか。


 いや、ネルレリアがもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのではないか。

 取り留めのない思考が脳内を駆け巡り、全身が無力感で震える。



「ーージョレット・アンニ・スタグレーゼ公爵令嬢。僕は貴方に婚約を申し込みます」




 しかもその相手はあろうことか、先ほど談笑したばかりのアンニだった。




 確かに、アンニはネルレリアの目から見ても可愛らしい少女だ。

 どこで知り合ったのかはわからないが、もしかしたら先ほど遅れていた間に出会っていたのかもしれない。


 アンニも混乱しているのか、よくわからないことを口走っていた。

 無理もない。ネルレリアですら、彼の突飛な行動を理解できずにいるのだから。


 だが、 



「ーーバッカじゃないの?」




 全てを理解したアンニの態度の変化は劇的だった。


「ーーえ?」


 シュヴァルトも、突然のアンニの変化に驚いていた。

 彼女の顔に映るその感情を理解できない、とでも言わんばかりの態度だ。


「あなた、ヴォルジーナの皇族でしょう? 何してるの、本当に」

「ーーーーえ、えっと。アン?」

「ツウォルクォーツとヴォルジーナを繋ぐ象徴としての役割を期待されて、婚約を決められたんでしょう? それを果たさないで、私なんかに尻尾振ってどうすんのよ」


 先ほどまでの、ネルレリアの胸に抱かれ溶けていた少女の面影など、どこにもない。


「しかも、こんな人が大勢いるところで他の令嬢に求婚なんて……」


 ーー怒り。

 彼女の内から漏れ出した烈火の如き怒りが、その全身から放たれている。

 それはまさに『野猿』と呼ばれたアンニの、荒々しい一面を感じさせるものだった。


「よくも、ネル姉様の心を傷つけたわね……!」


 アンニの怒りに触れてしまったシュヴァルトは、ただあわあわと困惑することしかできない。

 そんな情けない皇子に対し、アンニは真っ直ぐ指を突きつけて、



「ーーあんたなんかに、私たちのネル姉様は勿体無いわ。もちろん私も、あんたなんかと婚約なんてしない。さっさと国に帰りなさい」



 その言葉が、ヴォルジーナ側にとって決定的なものとなった。

 これ以上の醜態を晒すわけにはいかないと判断したヴォルジーナ側が、シュヴァルトを回収し撤収したのだ。




 正直、この先のことを考えると頭が痛くなるが……。

 それでも、心痛よりも赤毛の少女への親愛の方が遥かに勝っていた。


 今はただ、ネルレリアのために勇気を出して怒ってくれた、可愛らしい友人へ感謝と親愛を。

 そんな想いを抱きながら、父親に詰められ半泣きになっているアンニを見て口元を緩めるのだった。



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