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第三十二話 バッカじゃないの


「…………」


 天を仰ごうと思ったら、そこには天井があった。

 やむを得ず天井を眺めると、立派なシャンデリアが目に飛び込んでくる。

 まさに豪華絢爛と言わんばかりの芸術的な造形に、思わず感嘆の吐息を漏らしそうになるがーー流石に現実逃避にも限界があった。


「さぁ、アン。返事を聞かせてください!」


 いつの間にやら、シュルトが目の前に立っている。

 そのあまりにも繊細な金色の髪に、透き通るような碧眼。

 顔立ちは私がこれまで見た人間の中で、間違いなく一番整っている。厳密に言えば、彼女は人間ではなくエルフなのだが。

 とはいえ、今はそんなことはどうでも良かった。


「……えっと」


 どうしよう。

 それが今の私の頭の中に浮かんできた、第一の言葉だった。


 話を整理しよう。

 シュルトは元々、ネル姉様の婚約者だった。

 それが一転、シュルトはネル姉様との婚約を破棄し、なぜか私に求婚してきた。

 なんでだよ。




 どうしてこうなった。

 私は内心で頭を抱える。

 脳内が混乱して、うまく考えがまとまらない。


「すぅーー」


 ひとまず深呼吸して、パニックから脱するのが最優先だ。

 おかげで少しだけ落ち着いた。


「……えっと」


 とはいえ、伝えたいことが多い。

 まず何から伝えるべきだろうか。


 ……そう。

 こういう時は、思ったことを素直に伝えるのが一番だ。


「大丈夫。ゆっくりでいいからね」

「あ、ありがとう」


 なぜか頭痛の原因であるシュルトにそう言われるのは納得いかないが、おかげで少し整理できた。


「あの、個人的には、そういうのも別に嫌いではないというか、否定はしないんだけど……」

「うんうん」


 にこやかに頷くシュルトに対し、私は素直な気持ちを伝える。




「ーー女の子同士で結婚っていうのは、ちょっと考えさせてほしいかも……」




「ーーーーーーーん?」


 私の言葉に、シュルトが笑顔のまま硬直した。

 そんな彼女の姿をあえて無視し、私は己の胸に手を当てる。


「……まだ何もかもが足りていない自覚はあるけれど、私はスタグレーゼ公爵家の令嬢なの」


 ジョレット・アンニ・スタグレーゼは、スタグレーゼ公爵家の長子である。

 その自覚は、正直私自身にもそれほど無い。

 申し訳ないが、家を背負っていくのだという意識に関しては、ほとんどないと言っていい。

 それどころか、朝起きた時、いまだに前世の記憶がこんがらがって「これは夢?」みたいな状態になることもある。

 まあそれは置いておくとして、


「そんな私だけど、公爵家の令嬢である以上、いつか必ず婚約しなければならない時が来る。そしてそれは、スタグレーゼという家にとって、とても重要な決断になる」


 貴族同士の婚姻は、家同士のつながりを強める意味合いが大きい。

 それによって得られるメリットは大きく、決して軽視できないものだ。


「だからまず、私にそれを決める権限がないということを、あらかじめ話しておかないといけないわ」


 そして当然ながら、私一人で婚約することもできない。

 この世界の貴族にとって、それは家長が決めるべき事柄であり、ただの令嬢に過ぎない私にそれをどうこうする権利はないのだ。


「それと、ヴォルジーナではどうなのかわからないけれど……女の子同士の婚約っていうのは、少なくともツウォルクォーツでは一般的ではないの」


 これは事実だ。

 ツウォルクォーツの貴族で、同性婚をした人間というのは聞いたことがない。

 知らないだけで、ごく少数はいるのかも知れないし、婚姻という形式をとらずに一緒にいる者たちはいてもおかしくはないが。

 別に私も、それ自体に偏見があるわけでもないのだから。


「だから、仮に結婚するにしても、時間をかけて、周りの人たちに理解してもらわないといけないと思う。それは、とても大変なことだと思うけれどーー」

「ーーま、待って。待ってくれ!」


 私の話を、困惑したような顔で遮ったのは他でもないシュルトだった。

 シュルトは手を前に突き出し、私の話を制止しながら、


「アンが何の話をしているのか、僕には全然わからないんだけど……」

「……? だから、私とシュルトが婚約するとしたら、っていう話をしているのだけど」

「ーーーーもしかして、なんだけど」


 シュルトは眉をぴくぴくと動かしながら、


「ーー僕のこと、女の子だと思ってる?」

「……? え、違うの?」

「違うよ!? 僕は歴とした男の子です!! こう見えてもヴォルジーナの皇子なんだぞ!!」

「あらまあ……」


 ぷんぷんと鼻息を荒げながら、シュルトは可愛らしく怒りを表現している。

 なるほど。道理で話が噛み合わないわけだ。


「アン……」

「アン姉さん……」


 見ると、ヘイルやユウリ、周りの貴族たちも呆れたような生暖かい目を私へと向けていた。

 しょうがないと思う。だって見た目は完全に美少女だもの。


「ふむ……」


 そうなると、色々と話が変わってくる。

 シュルトは本当は、というかそもそも男の子で。本人の話によると、ヴォルジーナの皇族らしい。


 それなら、ネル姉様と婚約していたのも納得がいく。

 ツウォルクォーツの王族と、ヴォルジーナの皇族の婚姻だ。まさに両国の和平と発展を願って交わされたものだったに違いない。


「ーーーーなるほどね」


 そこまで考えて、急に私は全てを理解した。




「ーーバッカじゃないの?」




「ーーえ?」


 私の冷徹な声に、今度こそ完全にシュルトが硬直する。

 そんな彼女ーーではなく彼の様子などどうでもいい。


 私は今、怒っている。

 とてつもないほど強烈な怒りだ。


「あなた、ヴォルジーナの皇族でしょう? 何してるの、本当に」

「ーーーーえ、えっと。アン?」

「ツウォルクォーツとヴォルジーナを繋ぐ象徴としての役割を期待されて、婚約を決められたんでしょう? それを果たさないで、私なんかに尻尾振ってどうすんのよ」


 貴族の婚姻は、非常に重い意味を持つ。

 それは、貴族という比較的恵まれて生まれた者が抱える責任の一つであり、決して避けられないものでもある。

 それを果たさずに、己の意思一つで捻じ曲げようなどと、あまりにも貴族として、あるいは皇族としての自覚に欠けていると私は思う。


「しかも、こんな人が大勢いるところで他の令嬢に求婚なんて……」


 常識がなさすぎる。

 これが人が少ない場所なら、まだ被害も少なくて済んだかもしれない。

 それでも人の口にはなんとやらという言葉もあるのだが。


 だが現実は、ネル姉様の生誕祭というあまりにも人が多すぎるところでの失態だ。

 私にとっても迷惑極まりないが、それ以上に私が怒っているのは、


「よくも、ネル姉様の心を傷つけたわね……!」


 ネル姉様のことを思うと、胸が張り裂けそうになる。

 国のために、民のために、ネル姉様は婚約者としての役割を全うしようとひたむきに努めていた。

 そんな彼女が、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか。考えただけでイライラしてくる。




「ーーあんたなんかに、私たちのネル姉様は勿体無いわ。もちろん私も、あんたなんかと婚約なんてしない。さっさと国に帰りなさい」




 何も言わなくなったシュルトへ、静かにそう宣告する。


「な、な……」


 顔を真っ赤にしたシュルトは、口をパクパクさせたまま動かない。

 まるで金魚みたいだ。


 たとえ彼が何を言おうと、私の結論は変わらない。

 彼は責務ある者が背負うべき責務を軽視し、私たちの大切な人を傷つけた。

 そんな人間に私が惹かれるはずがないし、これから惹かれることもない。

 それが私が出した結論だった。


「よく言った! スタグレーゼ嬢!」

「あの子があんな立派に……変なあだ名が付けられていた気がするけれど、わからないものね」


 貴族たちからの声援が飛び交い、会場が熱狂的な熱気に包まれる。

 というか、やっぱり貴族たちの間では私のあだ名のことは知られているようだ。大変恥ずかしい。


 とはいえ、今の状況は少しやり過ぎたかと内心で反省する。

 まだそこまで危険とも言い難いが、会場内で熱が広がり過ぎている気がしていた。


「ーー失礼いたします」


 不意に、聞き覚えのある男の声が耳に届いた。


「あなたは……」


 その姿には見覚えがあった。

 先刻、シュルトを迎えに来ていた従者の男だ。


「……な、なんだよ。話はまーー」

「失礼」


 終わってない、と言いたげだったシュルトを、怪しげな光が照らした。


「おっと」


 ぐったりと身体の力が抜けたシュルトを、男はしっかりと支える。


 今の光は魔法だろうか。それにしても見事な手際だった。

 まるで、人を攫うのに慣れているようなーー。


「この場はこれにて。後日、改めて謝罪はさせていただきたいと思いますがーー」


 私がそんな感想を抱いていると、男はわずかに口元を歪めて、


「ーー私たちとしても、なかなか痛快でしたよ、アンニ様」


 従者の男はそう言って、シュルトを脇に抱えたまま立ち去っていった。




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